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 ホイットニーヒューストン追悼(三つのビデオ画像付き) ― 和田アキ子は許せない。 2012年02月19日

18日、ホイットニー・ヒューストン(48)の葬儀が、出身地のニュージャージー州ニューアークで行われました。「ボディーガード」で共演した俳優のケビン・コスナーも出席、涙ぐんで弔辞を披露していました。私には「ボディーガード」のホイットニーよりは、初期の2枚のアルバムの方がはるかに思い入れがあるのですが、「ボディーガード」のアルバムも立派なものでした。

私が許せなかったのは、先週日曜日の昼番組における和田アキ子のコメントです。充分な時間があったにもかかわらず、彼女がホイットニーについて語った言葉は「印税もあるだろうに、『30ドルを貸してくれ』なんてこともあったらしい」というものです。今日の同じ番組でもケビンコスナーしか褒めていない。先週のホイットニーについてのこの発言をわざとらしくフォローしている(引きつった顔で)。心あるファンからたくさんの苦情が寄せられたのだろう。

歌手としてはもうとっくに終わっている和田アキ子に、なんでこんなことを言われなくてはいけないのか。というか、ホイットニーについて、こんなことしか言えないからこそ、和田アキ子はも終わっていると言ってもよい。

そしてまた、もはや歌手ではない和田アキ子にこんなことを言わせるままに、死んでしまったホイットニーに、また悔しい哀愁を感じるのは、私だけはないはず。

失意にくれていた2007年前後のホイットニーは、その下着が競売に付される、という記事が出るほどのものでした。下記の記事は、そのときに、私が書いたものです(まるで今日の事態を予期していたかのように)。この一週間のホイットニー騒動にこそ、謹んで捧げます。


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●「ホイットニーヒューストンの下着が競売に付された ― 二作目の苦悶を誰がわかるというのか」(2007年01月18日) http://www.ashida.info/blog/2007/01/post_184.html


ホイットニーヒューストンが自己破産したらしい。下着までもが競売に付されているとのこと。悲しい話だ。

今日は学校の行き帰りにずーっとホイットニーヒューストンの作品を聞き続けていた。

私の自宅には今4枚のホイットニーヒューストンのアルバムがある
『そよ風の贈り物』
『ホイットニーⅡ』
『I’m Your Baby Tonight』
『THE BODYGUARD』

しかしホイットニーヒューストンと言えば、何と言ってもHOW WILL I KNOW(1985年)だ。

この曲をひっさげてグラミー賞(最優秀女性ポップヴォーカル賞)のステージに立った時は衝撃的で圧倒的だった。ボーカルはもちろんだが、何よりもグラミー賞のステージではそのスタイルにもみんなが圧倒されていた。今でもそのどよめきを覚えている。

デビューアルバム『そよ風の贈り物』は
先のHow Will I Know の他に 
All At Once 
TAKE Good Care Of My Heart
Thinking About You
Saving All My Love For you
などが珠玉の名作が続く。

私がホイットニーヒューストンをスゴイと思ったのは、実は2作目のアルバム『ホイットニーⅡ』のI Wanna Dance With Somebody のイントロを聴いたときだった。

実はこの二作目の 『ホイットニーⅡ』は『そよ風の贈り物』から2年以上も経っていた(たしかそうです)。

待ちきれない気分と共にホイットニー、大丈夫か、という気持ちもあって、アルバイトの帰り、そわそわした気分で新作を購入。車の中、たしか第1京浜の新橋あたりの路上で『ホイットニーⅡ』がなり始めた瞬間だった。

ハー、イェーというホイットニーの声がビートのきいたアレンジと共に流れてきたときに、「やったー、ホイットニー。よくぞ2年間がんばってくれた」と心の中でつぶやき(なぜか)涙が出てきた。今でもはっきりと覚えている。

私はそのとき、吉田拓郎の『結婚しようよ』(1972年)の大ヒットのあとの『旅の宿』のことを考えていた。二作目というのは、創作家にとっては地獄なのだ。

『旅の宿』も決して悪い歌ではないが(私は個人的には好きな曲だが)、頭の中で考えすぎて作った感じがよくわかる。拓郎にしては知的に過ぎる歌なのだ。

二作目は期待がかかる分、(売れることを意識するから)考え込んでしまう。考えれば考えるほど、自分の作りたい歌からは遠ざかっていく。どんどん難しい歌を作ることになる。そうやって縮小再生産を繰り返し、自滅していく。ドリカムなんてそうかも知れない。

一枚目は誰にでも出せる。どんな凡人でも一枚目は出せる。二枚目が地獄なのだ。

『そよ風の贈り物』が大ヒットして2年も(新曲については)沈黙したホイットニーヒューストンが、I Wanna Dance With Somebodyで、ホイットニーはまだまだ“新作”を作れますよ、と宣言したのだった。

二作目からさらに3年以上かけた三作目『I'm Your Baby Tonight』も一作目と二作目の2年間なしにはありえない名作だった。

私はこういった創作家(アーティスト)を真から尊敬する。たとえ、下着が競売に付されようと、どんなに落ちぶれようとホイットニーヒューストンはホイットニーヒューストン。

今日は一日中、How Will I KnowとI Wanna Dance With Somebodyとを交互に聞いている。この間の2年の意味を噛みしめながら今この記事を書きながらも聞いている(今も胸が熱い)。

ホイットニーヒューストン、万歳! 極東の島国、日本で私はあなたの苦悶の2年間をしっかりわかっているつもりですよ。 どこまで落ちぶれても(人があなたを何と言おうと)私はあなたの味方です。

(Version 6.0)

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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