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 今頃『海のはじまり』(2024)をみた ― 誰ひとり寂しくはなく、誰もが寂しい愛の物語。 2025年08月15日

この作品『海のはじまり』(2024)は、7歳の娘「海(うみ)」のはじまりが、それぞれの登場人物の中で、すこしずつずれて始まるということ、その複数の時間のずれたはじまりが共鳴し合ってドラマは進行していく。そして、登場人物のすべてが、それぞれのずれあう「はじまり」を有しているということだ。

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それは、主人公のカメラがデジカメではなく、アナログカメラであること、撮った写真の風景が、遅れてやってくることで暗喩されている。

ヘーゲルが『精神現象学』の「快楽と運命」で描いた事態と同じなのだが、一つだけこの作品は、私の遠い無意識を引き出した点で、とても素晴らしい作品だった。

それは、「海(うみ)」ちゃんを含めた登場人物が、少し前に小走りに走り、かがんで靴紐を結び直すシーンだ。二人歩く歩調を乱すまいとして、小走りに先に出て、ほどけた靴紐を直すそのシーンは、私も小学校かいつの頃かわからないが、そんなことを登下校の途中していたような気がした。何とも言えない気持ちになった。覚えていないことを思い出させることは、古典の本質の一つでもある。

娘のうみちゃんのはじまりが多様なように、アナログカメラの現像が遅れるように、二人で歩くとき、靴紐を調整するにはほんの少しの先走りが必要なように、このドラマは、人の生き様の時間性がうまく表現されているように思える。

そういった時間性の彩をさらに印象付けているのが、長回しの沈黙のシーンだ。セリフで時間を埋めない演出が、同期しない時間性のズレをかえって印象付けている。生方美久(脚本)は坂元裕二を尊敬しているらしいが、山田太一や坂元裕二のようにセリフをこねくり回してドラマを構成する世代を、生方美久は充分に超えていると思う。ラブシーンが一つもなくても愛は描ける、と言いたげな脚本だ。

『海のはじまり』。誰ひとり寂しくはなく、誰もが寂しい愛の物語。まだ見てない人は、この週末ぜひ。

追伸。それにしても脚本家の生方美久は、小田急線がとても好きな人だ。

https://open.spotify.com/episode/6AU7tuFIIvowdg5ywOKtuJ?si=WIsJ9sgSSPyg15k_AVgKWA

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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