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 『ゆきてかへらぬ』(監督 根岸吉太郎)を観た ― 中原中也の愛した女 2025年07月23日

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『ゆきてかへらぬ』(2025)を観た。監督 根岸吉太郎、脚本 田中陽造。

中原中也と長谷川泰子と小林秀雄が踊るさまだけでもみていてどきどきする。

中原中也の木戸大聖は全然ありだが、小林秀雄の岡田将生はちょっと違うと思う(ただし、煙草の吸い方は似ていた)。広瀬すずは熱演していたが、さすがに長谷川泰子を演じるのは無理。

しかし、小林秀雄に向かって「私の背中曲がっていない? …支え棒なしに歩いているから、かな」と、中原中也の焼却場の煙を背にして語る、広瀬すずのセリフはぞっとするほどの迫力だった。

小林秀雄もこんな女を前にすれば奈良(志賀直哉のところ)へ逃げるだろう。『本居宣長』を書けたのは長谷川泰子のおかげかも。

この作品は、小林秀雄の長谷川泰子への愛は、中原中也の長谷川泰子への愛なしには成り立たなかったという描き方をしているが、そんなに間違ってないと思う。吉本隆明は、この小林秀雄の態度を断罪しようとしていたが、それは勘違いか、単に吉本が小林秀雄を嫌いなだけなことかと。

太宰も吉本も、小林秀雄に相手にしてほしくてしてほしくて、最後まで相手にしてもらえなかった恨みがあるような。小林秀雄は、最後まで、二人に対して〝高踏派〟にとどまった。

中原中也の女、長谷川泰子を奪った小林秀雄は、ノイローゼに陥った長谷川泰子との関係を維持できなくなって、奈良の志賀直哉邸に「身をひそめた」※が、以下の中原中也論を書いたときには、すでに二人は長谷川泰子とは距離を取っていた。※「身をひそめた」(『人間の建設』岡潔と、小林との対談)

江藤淳は、「Xへの手紙」以後の、小林の成熟は、女のところから逃げていった男の「孤独な成熟」(『小林秀雄の眼』)にならざるを得なかったと言っている。

が、中也は長谷川泰子と別れた1925年以降もずっと彼女を思いつづけ、8年経った代表作「汚れちまった悲しみに」(『山羊の歌』)でも、深い傷を残している。『時こそ今は…』は、別れて5年目の作品。その中では「いかに泰子」と名前まで。

たしか、中原中也は長谷川泰子の三つ年下、長谷川泰子は小林秀雄の二つ年下だったかな。これもまた微妙な年齢同士の三人。

ついでに言うと、この小林秀雄の詩論の論調であれば、彼が太宰治や吉本隆明の作品を評価しないのは、明らかで、小林秀雄からすれば、この二人(太宰と吉本と)の作品は〝わざとらしい〟のだ。

「幼児を思い出さない詩人というものはいないもです、一人もいないのです。そうしないと詩的言語が成立しない」(『人間の建設』)と言う小林にとって、中也は幼児そのものだった。

吉本隆明は、小林秀雄の大著『本居宣長』を「戦後精神の全否定だ」とどこかで言っていたが、たしかに小林と吉本とはかみ合わない。

小林秀雄は、どこまでも〈感情〉の人だった。小林は、中原中也に、感情の自然と美とを見たのだった。

私なら、中原中也のことは、こう言う。見える自然が、感情に見える詩人だと。

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●小林秀雄の中也論

彼の詩は見事である、というよりも彼の詩心は見事である。
現代のように言葉が混乱した時に時代の感覚から逃亡せずに純粋な詩心を失わぬという事は至難な事だ。
中原はそれをやっている詩人だ、努めてやっているというより、そうしなければ生きて行けない様に生れついたのでそうやっている。稀有な光景だと思っている。
(…)
僕の眼にふれた限り、新しい詩人の書くものには歌というもの、本来の歌の面日というものが非常に薄弱になっている。
歌っているのじゃない、書いているのだ。
描写しているのだ。

心を微妙に心理的に描写する、物を感覚的に絵画的に描写する、そういう描写が微妙になると一見歌の様に見える。又書いている当人も歌っている様な気持ちになる。そういう傾向が可成りあるのではないかと思う。
現代の日本の詩が西欧の近代詩なしには考えられないものである以上、西欧の近代詩人等がやって来た、心理像と抒情精神との残酷な精妙な戦を思い、僕は、今日の新しい詩人達の問題は自分の歌の息吹きが、今日どういう具合にどういう程度に傷ついているかを鋭敏に自省するところにある様に思う。
そういう自省がなければ百千の技法論は空しいのではあるまいか。

ともあれ中原の詩は傷ついた抒情精神というものを大胆率直に歌っているという点で稀有なものである。

汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

中原の詩はいつでもこういう場所から歌われている。彼はどこにも逃げない、理智にも、心理にも、感覚にも。
逃げられなく生れついた苦しみがそのまま歌になっている。

語法は乱れていて、屡々ぎこちない。併し影像は飽くまでも詩的である、又影像は屡々不純だが飽くまでも生活的である。僕はそういう詩を好むのだ。

彼には殆ど審美的な何かが欠けているのではないかと思われるくらい、彼の詩は生ま生ましい生活感情にあふれている。彼は愛情から愛情ある風景を夢みない、悔恨から悔恨の表情を持え上げない。彼はそのままのめり込んで歌い出す。

この時彼は言葉の秩序を全く軽蔑しながら、その表現は愛情或は悔恨そのものが元来精妙であるが如き精妙さに達している点、僕は驚嘆している。

まあこんな事をいくら書いたって実物を読まぬ人には通じようがない。嘘だと思ったら詩集を買って読んでごらん。彼が当代稀有の詩人である事がわかるだろう。
※小林秀雄「中原中也の『山羊の歌』」より(昭和10年(1935)33歳)


●吉本隆明の中也論

わたしの好きだった、そしていまでもかなり好きな自然詩人に中原中也がいる。

この詩人の生涯の詩百編ほどをとれば、約九十編は自然の季節にかかわっている。しかもかなり深刻な度合でかかわっている。

こういう詩人は詩をこしらえる姿勢にはいったとき、どうしても空気の網目とか日光の色とか屋根や街路のきめや肌触りが、手がかりみたいにやってきてしまうのだ。景物が湯えた心をみたそうとする素因として働きだす。
(…)
この自然詩人の季節はいつも、行きあたりばったりの言葉から心象の景観のなかではじまる。そしてそのうちに固執するにたりる言葉やイメージがふと浮びあがってくる。

この詩人の喪失感があまりに深く、現世への希望や憧慣があまりに投げやりになっているからである。だがこの詩人の現世への執着は執拗なもので、世俗への希望や憧憬も投げやりなくせに、性こりもなく繰返しあらわれる。

傷つきのつぎには悔恨が、悔のはてには虚無が、虚無の挙句にはまた、執拗な投げやりな希望や憧慢がというように。かれの心象の景観は四季のように経めぐってゆく。

詩に憑かれ、少年期を脱する頃じぶんを天才だとかんがえた詩人はたれも、中原中也のように詩をこしらえ、それ以外にはなにもやる気がしないし能もなく、生活に適応できないじぶんを鍛えてゆくにちがいない。

けれどかれがあるとき、空しさを感じて、詩をこしらえるのを諦め、小さな生活の環を大事にしだしたとしたら、たれもほっとするだろう。これは天才を遇する俗世の声だ。あるいは子を遇する父の声だといってもよい。

中原中也はこういう詩と詩人の存在の仕方のメカニズムについて、たぶんよく気づいていた。それだけ凡庸の何たるかを知る心さえもっていた。けれど宿業がかれを詩作へひき戻して離さなかった。

かれにおける自然の景観や深い季節感は、この宿業の不可解さの代同物であるような気がする。
※晶文社版『吉本隆明全集』第16巻249頁より

●最後に中也の泰子を想う代表作の「時こそ今は」をどうぞ。

時こそ今は花は香炉に打薫じ
              ボードレール

時こそ今は花は香炉(こうろ)に打薫(うちくん)じ、

そこはかとないけはいです。

しおだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。

いかに泰子(やすこ)、いまこそは
しずかに一緒に、おりましょう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情(なさ)け、みちてます。

いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青の
空もしずかに流るころ。

いかに泰子、いまこそは
おまえの髪毛なよぶころ
花は香炉に打薫じ、

※中原中也 歌集『山羊の歌』秋の章「時こそ今は……」より
※最後の「花は香炉に打薫じ」の読点「、」はそのまま冒頭の一文に続く循環を表現しています。ずっとその気分でいたい気持ちと抜けきれない気持ちの矛盾とを表現しています。私はこの詩の方が「汚れちまった悲しみに」よりは好きですが、「汚れっちまった悲みに 今日も小雪の降りかかる 汚れっちまった悲みに 今日も風さえ吹きすぎる」の最初の2行の衝撃はやはり圧倒的かも。心象と風景がこんな2行で表現できるのは、中也だけかと。「花は香炉」という詩は、匂い(匂いは対象との分離を解消する表象です)がこれに加わり、泰子との一体感が悲惨さを先鋭化しているわけです。

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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