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 「自由に生きろと伝えてくれ、自分の人生を好きに選べと伝えてくれ」― 『あの日の指輪を待つきみへ』は、「約束」の映画だ(泣)。 2009年07月09日

こんなコメントメールが8日の22:39に突然舞い込んだ。8日の深夜2:48、漱石の赴任地・松山で書き込んだ昨日の記事(『あの日の指輪を待つきみへ』―一つの喪失の成就についてhttp://www.ashida.info/blog/2009/07/post_363.html#more)のものだった。

この映画を早速見ていただいたようだ。謹んで全文ご紹介します。

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投稿者 saki : 2009年07月08日 22:39

「いつも拝読しております。

この映画さっそく観ました。

久しぶりに病気忘れて泣きました。

小生三年前からつれあいに介護してもらう立場となり毎日、ためいきの日々です。手も不自由で長くは書けません。

生きていくしかありません」

http://www.ashida.info/blog/2009/07/post_363.html#comments)。

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いやー、参りました。映画より、何かじーんと来ました。「SAKI」さんのこのコメントを読んでも、やはりこの映画はいい映画だと思いました。いい映画はいい感想を持つのです。

「SAKI」さん、私はあなたの最後の言葉「生きていくしかありません」の意味を重く受け止めました。この「生きていくしか」の「しか」は、限定辞ではないですよね。何かポジティブなものを感じました。「生きていくのだ」という意味をもっと強く言っているように私には思えました。

私は、男というものは、いつも「約束」をし続けているような気がします。「約束」は守られても守られなくても、「約束」なのです。それ自体に意味がある。

そのようにシャーリー・マクレーン演じる主人公は、男の「約束」を信じた。最後の友人とのシーンは、もうあなたは充分に男との「約束」を守り、一人の男を一生に渡って愛した、もういいではないか、という赦しの時のようにも見えますが、私はそう思いませんでした。

主人公の恋人は、最後に「自由に生きろと伝えてくれ、自分の人生を好きに選べと伝えてくれ」と言いますが、それは「約束」の否定ではなく、「約束」の純粋な遂行でしかありません。死ぬ間際においてもそう言える彼との「約束」だったのですから。

主人公は、「死んでしまった人との約束を守りますか」と恋人が死んだベルファストの丘を一生をかけて守る「約束」をした男に聞く(この映画には「約束」をする者ばかりが出てきます)。そして「一度約束をしたら一生ついて回るのよ。たとえ破っても自由にはなれない」と主人公は自分で応える。

そんな彼女に「赦しの時」はない。「約束」は反自然であり、生きながらにして死ぬことなのです(たぶんこの脚本の著者はユダヤ主義者です)。

「約束」が美しいのは、禁欲的だからです。禁欲こそが愛の本質だとこの脚本の著者は語りかけている。愛の本質は「約束」なのです。

あなたは「ためいきの日々」と言います。そんなのは、被介護に特有なものではないですよ。主人公もまた「50年」以上にもわたって「ためいきの日々」だったのです。だから美しい。

だから「あなたの生きていくしかない」という言葉もまた生きることそれ自体ではなくて生きることの「約束」なのだと思います。まさに生きていく「しか」ないのです。

そんなふうにあなたのコメントを読み返しながら、再び私は『あの日の指輪を待つきみへ』を今見ています。ベルファストの丘での5分間のラストシーン(ベルファストの丘を守る三人と主人公との)は圧巻ですね。何度見ても息が詰まるようにして涙が出てきます。
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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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