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 校長の仕事(18) ― 建築と構造力学 2005年07月13日

12日の火曜日は、建築科1年のT先生の「構造力学」の授業をのぞいて気になったことがあった。彼は、「君たちは設計、設計と言って、格好のいいものばかり建てたがり、構造力学を勉強するのを嫌がるけれども、今日は構造力学がいかに建築にとって大切なものなのかを理解して欲しい」と言って、授業を開始した。

そこで用意した教材が、六本木ヒルズの回転ドア問題のビデオ。パソコンデータ化してある。教材としては完璧。関係者の実験で、ダミーの人形の頭部が壊れるところまで映っている。T先生は安全性が建築物にとっていかに必要なことであるのかを学生に教えたいのだ。T先生にとって、構造力学を学ぶことは、安全な建築物を作ることを学ぶことなのである。

それは、間違っている。この教え方では、学生はいつまでたっても設計と構造力学とを別のものだと思い続けてしまう。学生は安全な建築物を造るために、〈建築〉を学ぶつもりはないからだ。ボルボが安全なクルマだからと言っても、誰もボルボがいいクルマだとは言わない。同じように、安全な建物がすてきな建物だとは限らない。だから、その意味では、設計と構造力学とは別物なのだ。その意味では、構造力学を嫌う学生の方が正しい。

構造力学が、設計好きの学生にとって重要なのは、まさにその設計のためだ。設計にとって一番邪魔なものは、たぶん柱だ。柱がなければどんなに自由な設計ができるだろうか、そう建築家は思っているに違いない。むかし、日産車のカーデザイナーと話す機会があったとき、彼に、クルマのデザインにとって、一番邪魔なものは何ですか、と聞いたら、エンジン、と答えていた。ボンネットのラインが(エンジンのために)サイドラインより高くなってしまうため、一番苦労すると言っていた。同じように、建築家にとっては、柱が一番邪魔なのだ。

それは、施主にとっても同じであって、この柱(あるいはこの壁)なしで済ませられないの? と言うのは、施主の口癖に近い。「そうはいかないんですよね」というのが、一方の「構造力学」者(T先生)。この「力学」先生は、次には、必ずこう言う。「素人さんは勝手なことを言うけれども、柱や壁なしには(安全な)家は建ちません。安全と格好とどっちが大切ですか」。

私は、こんな「構造力学」者こそ、素人だと思う。構造力学の設計(建築)にとっての意味は、柱なしの20畳、30畳のリビングを有した木造住宅を、いかに安価に造れるか、ということでしかない。それこそが、職業教育としての構造力学ではないのか。つまり、設計の自由度を解放することこそが構造力学を学ぶ意味であって、それ以外に、建築科の学生が構造力学を学ぶ意味などない。自由に設計しようとすればするほど、構造力学を勉強しなければならなくなる。構造力学は、自由のための課題であって、安全性のための課題ではないのだ。

たとえば、木造住宅において、柱なしで10畳を設計する、20畳を設計する、30畳を設計する。この場合、壁や柱の設計はどうなるのか、コストはどのように変化するのか、このことに応える人材を作るのが、建築・職業教育における「構造力学」というもの。これはしたがって設計そのものの課題。安全性も大切だ、ということではなくて、設計そのものの課題だ。そもそもが職業教育とは総合的なものだし、その意味でこそ実践的なものだ。

T先生は、「教材が必要ですね」と、そう話す私にまじめに答えていた。「その通りだよ。確かに、六本木ヒルズの、あなたの教材は、みんなまじめに見ていたけど、そうではないんだよ。30畳の柱なし木造住宅を造るための教材がないということが、決定的な問題なんだよ。一方で現場監督を作るためのくそまじめな施工管理の授業がある。もう一方で大学的な構造力学の授業や美大系の設計の授業がある。こういった垣根をすべて破壊しないと、本来の建築教育はできない。大学の建築教育もダメだけれども、専門学校もほとんど何も出来ていないのよ。設計だけではダメで、構造力学も学ばなきゃ、なんて言い方は、それ自体が大学的、あるいは高校的。専門学校の建築教育は、柱のない家を建てるための実践性にこそ定位するべきだと思うよ」

「今日はあなたの授業を見ていて、どれだけ突っ込みたくなったことか」「そんな大切な話しだったら、突っ込んでもらえば良かった」「いや、こういった話しは、話し始めると止まらないからやめておいた。安全性なんてくそくらえだ、なんて言ったら、やっぱりまずいでしょ」「それはまずいですよね」「だから我慢したのよ」

全体に、職業教育のカリキュラムというものが、まだどんなものなのか、誰もわかっていない。高校的な基礎教育でもない。大学的な専門教育でもない。総合性や実践性を踏まえた職業教育カリキュラムこそが、新しい学校を作るのである。私の学校だけが、その最初の解答を出すことができる。こんなくそまじめな話しを(毎日、毎日)夜の7時、8時になっても話し続けているのは、私(たち)の学校だけだから。

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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