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 『サミット』『さえき』『吉野家』『東急コミュニティ』 2003年08月23日

『サミット』蘆花公園店の成功(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=174.124.26)の鍵の一つは、店長(「鈴木康正」)がレジ周りに常駐している(特に忙しくなる夕方はそうだ)ということだ。お客を待たせないようにレジに立つ店員をそうやって誘導している。外から見える仕事としてはそうだが、たぶん、これにはもう一つの意味がある。レジ対応の管理だけではなく、客の買い物の様子(世代別、男女別、“階級”別などの)を見ることによって、数値データ(レジデータ)だけでは測れない品揃えの次の傾向を読み取ることができる。

 例のスーパー『さえき』(http://job.mycom.co.jp/b03/pc/visitor/search/corp58810/outline.html)には、この動きがまったくない。そもそも、店長がだれかもわからない、見たこともない。レジ周りは、いつもアルバイト(程度の働きしかできない人)しかいない。だから、レジ周りでの顧客の不満や顧客の動向(たとえば、他店の袋を持っている人の買い物の内容や家族連れかそうでないか、などのレジデータ以外のデータも含めて)を読み取ることができない。

 最近のITを使ったデータ主義、データ分析主義は、実は顧客動向のほんの一部でしかないものを、データの“客観性”のもとに過剰に重大視して顧客の根本動向を間違う場合も多い。売れた商品は結果にすぎないのだから、その結果としての客観性を重大視しているばかりでは、“次の”行動(戦略行動)を見定めることができない。結果は、そうならざるを得なかった結果でもあるのだから、顧客の店の商品に対する絶望の末の結果かもしれない。だから結果重視は、ますます先細る戦略を導き出すことにもなりかねない。

 だから、いわゆる“データ”だけでは顧客分析はできない。そう考えている店長だけが、レジ周りに立つことができるし、本社からの指令が来るパソコンデスクに張り付いてばかりいないで店内の顧客動向に関心をもつことができる。

 それが、『さえき』の店長にはできない。店員もいつも商品の補充をしているアルバイト(程度の働きしかできない人)しか見たことがない。顧客の方をみないで(顧客にお尻を見せて)、棚に向かって商品の補充かラベル貼りばかりをしている。あいさつもしない。

 

 昨日(金曜日)の昼は忙しくて、昼食が5:00近くになり、テラハウスの宮川先生(http://www.terahouse-ica.ac.jp/smiya/index.htm)と東中野の『吉野家』(http://vip.mapion.co.jp/c/f?uc=1&nl=35/42/10.796&el=139/41/16.699&scl=20000&grp=yoshinoya)に行ったが、ここが、またよかった。多分、店長が替わったと思う。はっきりわかる違いは3点。その第一。注文を聞いて、注文品ができた後、誰が大盛りで、誰がみそ汁付きで、というのを顧客に聞かずに手元に置くことができる。その第二。お茶(冷茶)を、言わなくても継いでくれる。何度飲んでも、(呼ばずに)たちどころに満杯にしてくれる(高級レストラン並だ!)。おかげでお腹がお茶で一杯になったが。第三。第一の点と関係するが、お勘定のときにも、お客に聞かずに精算ができる。私が、「アタマ特盛りと、みそ汁」という数秒前に反復して精算していた。

 この三つともが、先月までの東中野店『吉野家』とは変わっていた。この店のお茶なんて、これまで頼んでも「ちょっとお待ち下さい」の連続だった。レジの精算も、顔も上げないで、顧客の食器も見ないで、顧客が何を食べたのかをレジのキーに目を落としたまま耳で聞くだけの精算だった。たぶんこの店の先月までの売り上げは落ちていたのだろう。そして前店長は、東中野分析、店の立地条件、牛丼の昨今論など社会学者か何かになったつもりで、大げさな分析を繰り広げていたに違いない。

 というのも、先の三点はどれもこれも分析的な観点からは出てこない要件だからだ。もちろん、社長か、優秀な他店店長が“視察”に来れば(先の三点の問題は)すぐにわかることだろうが、データ分析には馴染まないし、経営会議にも議論の主題(「アジェンダ」)には上らない。上っても、「努力しています」というダメ店長の返答で終わる主題にすぎない。

 先の三点はどれもこれも、客の動きから目を離すなという店長(現場の管理者)の方針が徹底していなければ出てこない行動だ。こういった方針は経営会議ではアジェンダになりづらい内容であって、どれもがデータには直接あらわれない店長方針でもある。経営会議というものは、結果がすべてになってしまって客商売の重要な契機を見逃してしまう。売上が落ちている原因は、案外単純なところ(具体的なところ)にあるということを見逃してしまうのである。

 たとえば、わが蘆花公園プレスティージュというマンションの管理者(東急コミュニティhttp://www.tokyu-com.co.jp/)は、最近、マンションに盗難事故の可能性があるということで、鍵を二個つけるという案件だけで、緊急臨時総会を開いたり、夜11:00以降は共通勝手口も扉を閉める(ガードマンが24時間そのそばに常駐しているというのに)という決定を下している。これも根拠のない“社会学的”判断に属している。

 このマンションは、24時間ガードマンが共通玄関の管理派出所に常駐しているが、夜中はうとうとと寝ていたり、私用の電話をしていたりして共通勝手口を往き来する住民(あるいは潜在的な泥棒)に関知していない場合がある。あるいは肝心の管理ロビー(共用ロビー)の受付コーナーに誰も座っておらず(立っておらず)、ロビー奥にある控え室に閉じこもっていたりする。管理者は常時2人〜4人くらいいて(ゴミ出しの清掃要員などをいれればもっと多い)、管理時間は土日含めて毎日朝8:00〜夜10:00までの管理体制を敷いている(この充実した管理体制が気に入ってこのマンションを買った人は多い)。ここまでの管理ができれば、基本はこの体制をどう効果的に機能させるかどうかであって、鍵や扉の問題ではない。

 ところが、共用管理ロビーからは立ち位置によっては、すべての来客者(居住者)が見えるように設計されているのに、ほとんどがロビー受付におらず、控え室に閉じこもったままだ(これはよくある管理会社の失態の一つ)。私が10回出入りして、ロビーに管理者が入る場合は3割、良くて四割だ。これでは、どんなに鍵を付けても、扉を閉めても意味がない。豊かな緑の植栽(しかも出入りの激しい玄関の植栽、誰にも見える植栽)にも蜘蛛の巣が一ヶ月以上放置されている。要するに、管理者の誰もが、管理する意志がないのだ。

 この東急コミュニティの管理責任者、矢内さんに受付ロビーの話をしてみても、「私がいるときは徹底させています」とわけのわからない答えが返ってくるだけ。矢内さんがいない夜や土日は、私(矢内)のせいではない、というつもりなのだろうか。そうではない。そもそも、それは矢内さんの部下が矢内さんを上司として信用していないというだけのことだろう。「客の前だけで体裁を取り繕って」、あるいは「支店長(矢内さんの上長)の前でだけ体裁を取り繕って」、あるいは「そのつどの理事会のメンバーにだけ体裁を取り繕って」、何一つマンション管理を(心から)大切にしようとしていない、と部下やアルバイトの受付業務係や掃除アルバイトの人たちに思われているに違いない。だから、彼がいなくなると誰一人真剣に仕事をしようとしない。あるいは彼がいても見えないところでは心遣いが足りない。その原因は、彼がまともではないからだ。

 それを棚に上げて、個別玄関扉に鍵を二個付けていったいどうしようとするのだ。むしろ、そういったまともな管理ではないからこそ社会学的な(根拠のない大げさな)判断をして、みずからのマネージメント上の失態を棚上げにしようとしている。すべて、住民の防犯意識や社会的な犯罪の動向に問題の本質をそらしている。誰でもが見える玄関に侵入した(大して犯罪知能も発達しているとは思えない)蜘蛛の巣一つを“撃退”できない管理会社のマンションでは、鍵を玄関に100個付けても防犯などできない。

 『さえき』の店長、吉野家東中野店の前店長、蘆花公園プレスティージュの東急コミュニティの矢内さん、これらはみんな経営会議のアジェンダにはならない内容で躓いている人たちだ。ひょっとしたら、生まれ変わらないと治らないかもしれない。現に吉野家東中野店は店長が替わって生まれ変わろうとしている。私は、この吉野家の早期の決断を断固支持する。『さえき』本社も『東急コミュニティ』も決断を急いだほうがいい。

 

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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