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 症状報告(6) ― フライパンとフライパンカバー 2003年03月30日

 今日も病院へ行って来たが、この入院で勉強になったことがいくつかある。

 ほぼ30年前に京都から東京に出てきて、1,2回しか行ったことのない(しかも電車でしか)渋谷を自動車のコースとしてマスターしたということだ。これもわが愛機NAVI・AVIC-XH99 (http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=2) のおかげだ。NAVIがなければ、私のような田舎者の新宿派にはとても渋谷になど乗り込む気がしない。新宿は、たとえ(早稲田の校内のように)ジャージでも歩けそうだが、渋谷の人間たちはすべてが風景になってしまっていて(慶応の校内のように)、窮屈な感じがする。私のAVIC-XH99(http://www.pioneer.co.jp/press/release310-j.html)は、以前にも触れたようにミュージックサーバーとしても魅力的な商品だが、NAVIとしても超一級。特に渋谷上空にイラク用の偵察機が常駐しているかのような誘導をしてくれる。

 世田谷南烏山(自宅)からは、甲州街道を上って、笹塚交差点を右折→大山→代々木上原→代々木八幡(このあたりは、駅前を走るのだが、これがまた抜け道のようにいつ走っても空いている!)→神山町東→道玄坂2丁目→道玄坂下→渋谷駅前→宮益坂上(を右折)→青山トンネル→渋谷4丁目(を右折)→東4丁目→東京女学館を右手に見ながら左折→日赤医療センターに到着。これが初めて、田舎者の私が渋谷駅前を通った瞬間であった(初めての見舞いでもあった)。クルマだけはこのコースに似合うアルピナB10だが、運転だけは初コースでうろうろ。しかし結構細い道もあり、大丈夫かな(しかし信じるしかない)というものだったが、見事に着いた。

 2回目は、しかしまた違う道を誘導した。「渋谷駅前」が「道玄坂下」から混んでいる、と判断したのだろう。先の「神山町東」(を左折の指示が出た)→NHKセンター下→渋谷税務署前→渋谷区役所前(を右折)→福祉会館前(を左折)→宮下公園→渋谷小学校前→宮益坂上(以後は上記と同じ)となる。これは明らかに「渋谷駅前」の渋滞を意識した誘導だ。帰りは、西麻布→青山三丁目→神宮前三丁目→「外苑入口」(首都高)となる。これも「西麻布」や「青山三丁目」が混んでいると、後から自宅の地図では辿れないくらいの絶妙な抜け道を誘導してくれる。たいしたものだ。

 それにしても、こうやって、交差点の地名を書くだけでもよく聞く“有名”な地名ばかり。走っているだけでも楽しい。細い道路を走るときにも家並みやマンションに意匠を凝らしたものが目立つ。見ているだけでも勉強になる。地価が高いところにはそれなりの知恵も集積している。一方には白川郷や法隆寺のような〈歴史〉の美があり、一方には渋谷やニューヨークのような〈現在〉の美がある。知恵の極点はこの両極を等価に見据える視点だ。

 今日は、家に帰って、入院後(14日金曜日以来)、初めて掃除機をかけた。何しろ、14日は帰ってくるつもりで家を後にした家内だったから、家のもろもろがそのまま。われわれ(私と息子)はそれをそのままほとんど何もしていない。我が家は80?そこそこの2LDK。ここを全体に掃除機をかけたが、もうそれだけでも汗だくだく。よくもまあ、(家内は)こんなことをやっているものだ。よく家庭の主婦でエアロビやエステに行っている人たちがいるが、彼女たちは家で掃除をしていないのではないか。掃除をその気になってやれば、充分運動になる。健康バイクで10キロ走るよりも80?を普通に掃除機をかけた方がはるかに汗が出る。

 そこで気づいたこと。我が家の掃除機・東芝VC-J9D(http://www.toshiba.co.jp/webcata/housekeep/vc_j9d.htm)のダメなところ。この掃除機、そろそろ、充電式か排気のきれいなものを買おうと思ってヤマギワ電気に行ったが、どちらも肝心の吸込能力が従来型の半分もないことを知ってがっかり。そこで吸込仕事率が高くて(570W!)、しかも53dBと静かなこの掃除機を買ったのだが(2年前)。掃除機は、吸込仕事率(とほこりをたたき出すブラシの構造)がすべて。この数値が低いと意味がない。

 1)スイッチが手元スイッチになっていて便利そうだが、掃除中何度も(手元にあるが故に)スイッチを切ってしまった。手元にあれば便利ということでもない。

 2)それに、吸込能力を手動で低、中、高と連続的に切り替えることができるが(プッシュ式スイッチ)、今が(特に)「中」か「高」かの区別が音の高さでしか判断できないので不便。何度も押し直してしまった。

 3)ゴミを吸いきったのか、まだ残っているかの判断に迷う。何度も徹底的にやりたくなるが、見極めが難しくてついつい未練を残したまま終わってしまう。ナショナルのようにゴミの通過量を示すランプがほしい(http://www.matsushita.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn020418-1/jn020418-1.html)。ナショナルの「ゴミ信号」は、ゴミの無くなり具合を赤外線センサーで示してくれるため、見極めが付けやすい。

 4)ブラシの先方を柔らかいゴムラバーで被ってほしい。そうでないと家具や本立ての幅木の部分などを傷つけてしまう。幅木は家具や立て付けの一番大切な部分。ここを傷つけると家具の半分は死んだも同然。しかもそこは一番ゴミのたまるところ。掃除の一番大切なところを遠慮してしまう掃除機なんて、意味がない。

 5)やっぱり、電源コードは気になる。このコードが掃除機の動き(掃除しようという気持ち)を半分阻害している。充電式の肩吊し型の吸込仕事率が500W以上あれば(現在は200Wあるかないかだろう)、かなり能率的だろう。後5年はかかるかもしれない。

 10年に一回あるかないかの私の掃除体験ですら、この程度のことはすぐにでも思いつくのに、電機メーカーの連中はなぜ自分の仕事のくせにまともな掃除機を作れないのか。本当に腹が立つ。

 そう思いながらも掃除をしたものだから、いま、こうやって文章を(キーボードで)打っているときにも筋肉痛になっている。掃除をしただけで、もう何も家事をする気が起こらない。

 そう思っていると、昨日、わが息子は、「フライパン」を買ってこいと頼んだら、「フライパンカバー」(餃子を蒸すときなどに使うフライパンを被うカバー)を買ってきたことを思い出した。どこに、真ん中にガラス穴の付いたフライパンがあるというのだ。バカじゃないの、わが息子は。よく見れば、ちゃんと「フライパンカバーガラス窓付き(中身が見えてラクラク調理)」と書いてある。これでは試験問題のちょっとした付記を見落として、間違った答えを書いていそうだ(私の息子は来月から高校3年生)。私が一番許せないタイプの学生である。問題の趣旨がわからない奴に答えが出せるわけがない。〈能力〉とは、問題を問題として認識できるかどうかだ。答えを出せることが〈能力〉なのではない。

 おかげで、昨日の餃子は苦労した。我が家のフライパンはすでにテフロンがところどころはげていて、焦げ付きがひどくなっており、餃子の皮がこびり付いてしまう。そんなときには、水を入れる前に餃子を充分焦がして、一度フライパンから底の皮を剥がしてから水を入れた方がよい。皮が柔らかくなってからでは剥がせない。何とかうまくいったが、すべては息子が悪い。こんなこと(ごとき)になぜ緊張を強いられなくてはならないのだ。

 色々と右往左往の〈生活〉苦である。たまにはいいか、なんて全く思わない。やはり〈生活〉は重い。家庭の女性が休める時とは、病気になって入院するときしかないのではないか。それくらいに〈生活〉は重い。家庭生活を円満に送る最大の秘訣。それは元気なお嫁さんをもらうことです(ちょっと古いかな)。元気なお嫁さんに期待できないときには、せめて女の子を一人くらいは作っておくことです。少なくとも「フライパン」の代わりに「フライパンカバー」を買ってくることはないでしょう。円形の硝子窓が底に付いたフライパンで餃子を焼く意味は全く無いのですから。

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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