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 あけましておめでとうございます。 2003年01月01日

昨年はなぜか理由もなく書く気が起こらず、今年はしかし年賀状を書けました。住所がわからず出せなかった「芦田の毎日」の読者諸氏、つつしんでここに年賀状をおくります(原稿は送った年賀状のまま)。

ここ2、3年のうちに、大学時代の恩師(高橋允昭(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3983089f2aaf30100b91?aid=&srch=11&idx=2&kywd=%B9%E2%B6%B6%B0%F4%BE%BC&submit=%B8%A1%BA%F7&kywdflag=0)、永坂田鶴子(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3983089f2aaf30100b91?aid=&srch=2&st=&ti=&au=&ol=%B1%CA%BA%E4%C5%C4%C4%C5%BB%D2&pb=&pby=&pbrg=2&isbn=&age=&idx=2&gu=&s1=&dp=10))を続けて失いhttp://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&search=%89i%8d%e2&mode=and&v=255&e=res&lp=255&st=0、もはや私は“恩返し”ができない状態におかれました。早すぎる死であったことに違いありませんが、たぶん高橋、永坂もまだなお自分をピークとは思っていなかったのではないか(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&search=%89i%8d%e2&mode=and&v=559&e=msg&lp=559&st=0)。恩返しとは、恩師が生きている内に自分がピークを迎えることであるのですから、どちらも志半ばの思想的な夭折だったのだと思う。しかしその意味でなら、すべての人間の死は夭折だ。

自分の“ピーク”とは何か。ピークとは、本当はピークの手前を言う。(輝かしい)実績がピークなのではない。実績を作ってしまうと、バカなことをしても(言っても)誰でもが納得し始める。もはや実績は下り坂なのである。ピークは、誰からも認められることなく孤独であるときそのものの中に潜んでいる。他人や自分が「ピークだ」と思いなすちょっと手前に存在している。恩師に恩返しができるというのは、共々が没落のときでしかない。その意味では高橋や永坂が現役で死ねるというのは幸せなことであったのかもしれない。

私も昨年4月から「校長先生」になってしまった。もはや誰からも注意されることのない存在になってしまった。これは私の没落の初めなのだろうか。それとも新たなピークの手前なのだろうか。そんなことは誰にもわからない。〈現在〉というのは不思議なものだ。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

2003年元旦

※芦田の近況は、Yahoo Japan で「芦田の毎日」を検索してください。

そこでいつものように騒いでいます。

157-0062

東京都世田谷区南烏山2-31-31-蘆花公園プレスティージュ808

芦田宏直・智美・太郎

ashida@tera-house.ac.jp

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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