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 連載:グループウエアとは何か ― 反「メール」論(2) 2001年02月17日

「情報の共有」ということがよく言われるが、その本来の意味は、「評価の共有」ということである。「前回の講義から」レポートは、そういった評価の共有がもたらす生産性にほかならない。

ただし、この方式にもいくつかの問題点があった。

一つには、講義を主宰した教員自体が学生記事を抜粋をするという点で、講義感想の中での肯定的な評価(よかった、よくわかった、ためになった、などの感想や内容)を取り上げづらいということ。肯定的な評価を取り上げすぎると(教員が)“自慢”をしているように勘違いされて、逆に学生への印象が悪くなるということ。

二つ目には、一つ目と関連するが、したがって、抜粋は、どうしても否定的な評価や質問を中心に形成されるため、授業進行が遅延がちになること。言い換えれば、“できのよい”学生が「もういいかげんにバカな奴は相手にするな」といった感想も生じ始める。

なぜ、こうなるのか。感想を教員が抜粋してしまうからである。私は、毎回「今日の講義」レポートを読むたびに、こんな感想もありうるのか、こんなふうに理解(or誤解)しているんだ、などなどためになることの連続だった。しかしこれでは、私が“勉強”しているだけである。重要なことは、学生にこそ、私が抜粋作業で体験している“教育的な”プロセスを追体験させることである。(続く)


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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