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 倫理的な問題か、科学的妥当性か ― その後の「インターフェロンベータ1bは日本人の再発寛解型MS患者において有効である:ランダム化された多施設研究」論文評価 2009年11月13日

●Xさん(http://www.ashida.info/blog/2009/11/_1bms_2.html#more)への返信 from P。

「再発期間(duration of relapse)」の定義についてですが、多施設の共同研究ですから、Xさんがご指摘の通り何らかの基準を策定しているはずです。

この定義について論文で述べられているところは:

Relapses were defined according to the criteria of Schumacher et al.,(24) and the definition of both relapse and remission were consistent with those used in the North American study in RRMS. When a relapse occurred, the date of occurrence and duration (time to remission), the peak EDSS and NRS scores, and corresponding neurologic changes were recorded.

と書いてあります。従って、Schumacherの基準による、再発(relapse)と寛解(remission)の間(time to remission)が、「再発期間」として算定されていることになります。

Schumacherの論文は1965年に発表されていますが、時間がなく通読できませんでしたが、ざっと見ると、下記の項目のようです。原著では"period of worsening(relapse)"と書かれています。

(1) Period of worsening (relapse): This phase represents the period of development of a new symptom or group of symptoms or the period of aggravation of an existing symptom or symptoms if the course has been stationary or improving during the previous one month. To be counted as a separate period of worsening or relapse, the period must last at least 24 hours or longer. In any instance, symptomatic worsening should be counted as a relapse only if it is accompanied by an appropriate change in objective neurologic function as determined by examination.

The duration of a period of worsening is the time elapsing from the beginning of the worsening until symptoms and signs reach their maximum. If symptoms progress after a stationary or improving period of less than one month, this time period is included as part of the duration of the episode of worsening.

The latter qualification seems important to avoid the danger of recording minor changes in the course of downhill progression, noted from week to week, as separate relapses or new episodes of disease, thus giving a falsely high numerical score for the relapse rate if this is calculated.

In order to utilize relapse rates as a reflection of the course of illness, the attempt must be made to distinguish between minor and questionable degrees of progression and the abrupt flare-ups of disease activity generally implied by the term “relapse.” The course reflected by the temporal aspects of disease activity will probably be better shown, however, in the statistical tabulation of the duration of periods of worsening, than merely in their number.

つまり、「再発期間」とは、"The duration of a period of worsening is the time elapsing from the beginning of the worsening until symptoms and signs reach their maximum."であると定義されているようです。

従って、「再発期間」とは症状増悪が始まった日から、その症状がピークとなった日までの期間ということです。

症状増悪が始まった日は概ね分かることが多いとしても、既に神経学的後遺症を持っている患者さんに新しい症状が付け加えられ、それに対して急性期治療としてステロイドパルスなどを行っているときに、「この日が症状のピーク」と断定できるかどうかは、症状の種類にもよるかと思いますが必ずしも容易でないと思われます。

例えば感覚障害などの場合です。そもそも再発・寛解というのは必ずしもON-OFFのように明白に分かるものではなく(本疾患の掲示板をみると、「これは再発でしょうか?」という疑問が絶えない)、多くは連続的なものです。

従ってSchumacherの基準のみで定義しているとすれば、「再発期間」の数値は観察者のバイアスを排除できず、さらにblindedで臨床試験を組んでいないので、バイアスが入り易い状況に置かれていると推定されます。

少しでもバイアスを減らそうとすれば、毎日神経症状のスコアを付けて、そのスコアリングにより定義を決めるとか、症状の評価をblindedでやるとか、いろいろ考えられなくはありません。しかし論文にはそれ以上の記載はありませんから、かなりバイアスの入り易い状態の「再発期間」なのかな、と推考されます。

そのようなバイアスが入り易い「再発期間」を以て、わざわざ「年間再発率」の計算式に組み込む(学術的な意味での)メリットがどれほどあるのかは分かり難い。そこから小生の「邪推」の文脈に繋がります。

Xさんのご指摘になる、「その上で、有意差が少しでも出るような解析方法を選んだことはもちろんありえると思われますが、そのこと自体が医師や研究者の倫理観に照らして、逸脱しているとは言えないと思います」についてですが、その“有意差が少しでも出るような解析方法”が科学的妥当なものであるならば、その結果の価値の大小は別にしても、それはそれで結構なことです(その研究者は科学というルールの中で結論を導いているのであって、その結論をどう解釈するかは解釈する側の問題でしょう)。

ただ、今回の場合は、科学的妥当性に疑問符がつきかねない(再発期間の問題、片側検定などの)統計手法で結果を導いたとすれば、それは科学における大前提のルールを逸脱するものであり、本論文を科学論文として認められないということになります。そこを吟味しているわけです。

科学的には良いが医者・研究者の倫理的にはいかがか、という問題に発展させているわけではありません。また仮に科学的妥当性を欠いた論文であるとなったとしても、さきに書いたように、「プロの研究者(論文の査読者ですら、或いは時には書いている本人ですら)も引っかかる統計のマジックみたいなものでしょうか」ということもあると認識していますので、即ちそのような論文を書いた医者・研究者を倫理的に断罪するわけでもありません。ただ、科学的妥当性に欠くことが仮に明らかであるならば、それを公表しretractするのが科学者として当然の対応だとは思います。

重ねて誤解があるといけませんので敢えて申し上げますが、小生はこの論文の「倫理的側面」を議論しているのではありません。あくまで「科学的妥当性」について議論しているわけです。

「後から振り返れば、インターフェロン投与の対象として相応しくなかったということが分かるとしても、研究の途上においては、まず期待してみた点を咎めることができるでしょうか?」も同様ですが、「期待してみた点」を咎めているわけではありません。はなから、インターフェロンはOSMSを悪化させると確信めいたものがあったらこんな試験はやらないのでしょうから、効くという期待があったのでしょう。

今では怖くてこんな臨床試験はできませんが、ご指摘の通り、それは後だしジャンケンでモノを言っているだけです。「後医は名医」とはよく言うものです。しかし議論はそこではなく、「科学的妥当性」を問うているのです。

統計の部分について、Xさんの訳は「即ち、OSMS患者におけるIFNbeta-1b治療効果(もしあったとして)はCMS患者におけるIFNbeta-1b治療効果に匹敵することを示している」とし、『comparable』という単語は決して『similar』ではありません。それをどのように解釈するかだと思います」とされておりますが、Xさんの訳における、「匹敵する」とは具体的にどういうことでしょうか? 小生には「匹敵する」とは肩を並べるという意味にとれます。

この部分だけをみると、Compare-able、つまりCompareできるデータだとも解釈できるかも知れませんが、Abstractには、"seemed to be comparably effective in optic-spinal multiple sclerosis (MS) and classic MS"とあります。comparably effective、効果が匹敵する(肩を並べる)という意であるならば、やはり小生の論点は不変となります。

具体的には、IFNbetaのOSMSに対する効果とCMSに対する効果が「匹敵する」ことを示すためには、この2群間でのFisherの正確確率検定などが必要になるでしょう。

ご参考までに、インフルエンザワクチンが、成人にも高齢者にも同等に有効であると示すのにFisherの正確確率検定が使用されている公文書があります(http://www.info.pmda.go.jp/shinyaku/g040703/45004500_21200AMY00238_Z100_1.pdf)。

IFNbetaがOSMSにもCMSにも同等に有効であるとするには、この2群間での同様な検定が必要となると思います。

OSMS患者でIFNbetaが示した年間再発率減少の傾向と、CMS患者でIFNbetaが示した年間再発率減少の傾向(ちなみにいずれの傾向も有意ではなく、本当に減少しているか確信がない)が「似ている」からと言って、双方の効果(年間再発率の低下効果)が「匹敵している」とは言えないと小生は考えました。小生の統計学的な誤解があるようでしたらご教示お願いします。


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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