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 コミュニケーション教育論番外編 ― 自動車ディーラーの「接遇」問題 2009年06月06日

今日は、「接遇」営業の代表格の一つ、自動車ディーラーに「6ヶ月点検」に行ってきた。オイル代を50%引き、ワイパーブレード20%引きというDMに引きずられて、散髪ついでに行ってきた。

YanaseBMW世田谷支店(でも私は「BMW」には乗っていませんが)http://www.yanase-bmw.com/jp/yanase-bmw/ja/dealer/find_us/department_1.html

この店で一番気になる「接遇」は、最初の応対。入り口を入って右、エントランス間近にある受付カウンターで「『6ヶ月点検』の予約をしていた芦田です」と言うと、「そちらの席にお座りになってお待ちください」とすぐ応答されることだ(いつでもこの店はそういう応対をする)。営業接客用のいくつかある円卓テーブルに着座することを同伴なく“強要”される。そう案内した受付嬢は、さっさと担当営業をさがすためにカウンターを離れる(私に背を見せる)。

私にはこれが気にくわない。まず「待たされるのか」という認識が先に立つ。だから私はわざとその「席に座ってお待ちください」という忠告を無視して、絶対に座らないようにしている。カウンターの周りをうろつくことにしている。急いでいるということを訴えるようにして(苦笑)。

そもそも予約をしてあるお客を待った状態で迎えないというのはどういうことか。13:30に来るお客様は誰かくらいの意識はしていなければならない(しかも平日なら私一人くらいしかいない)。しかしその受付嬢は、手書きのノートを見ながら、初めて知ったふうに「芦田様ですね」と言う。いわゆるカンペに目を落とすという感じだ。中居君の紅白歌合戦の司会のように。

予約をした段階で担当者がすでに決まっていなければならない。不意の来客対応も含めて、予備の担当者も決まっていなければならない。

朝礼で今日のサービス予約者の確認をしていないのだろう。していたとしても「午前何名」「午後何名」というように数でしか確認していないのだろう。サービスのための確認ではなく、売り上げの確認をしているだけなのだ。これでは朝礼の意味はない。朝礼の最大の意味は今日やること(やるべきこと)をみんなで確認しあうことだ。管理職が始業前1時間以上早く来る意味は、朝礼の内容を、前日の締めの内容を確認しながら練るためのこと。そのためには資料も用意しなければならない。

「芦田さんは新車購入以来もう7年も同じ車に乗っている。しかもいつも車はピアピカ(というメモが残っている)。今でも新車のようだ。しかも特殊な(?)車だ。車好きだ。こういうふうに車を大事にする人ほど、また新車を買いたがる。営業担当はSだけど、上手に対応できていない。どうする、芦田さんに。だれか対応したい人はいませんか?」くらいのことを私が所長だったら必ず言う。これが朝礼の意味だ。

そんな朝礼ができていない。数値を持ち出して目的(ノルマ)が達成できていないということばかりに目くじらを立てる朝礼は三流の朝礼。数値は数値を見ているだけでは解釈できない。

そんな三流の朝礼しかできていないから、「お席に座ってお待ちください」と予約客に言わざるを得ない。予約客にですよ。一見客と同じ扱いをしている。

すぐに席に着かせる、というのは、お客様を待たせるということが前提になっている。苛々させてはいけないから、座らせておけばよいという安易な発想だ。重要なことは、待たせないようにするにはどうすればいいのかなのに、座らせておけば少しくらい遅れても問題ないだろう、ということになる。

しかし自動車ディーラーの「6ヶ月点検」に平日行って、暇そうにコーヒーを飲んだり、展示してある新型車をうれしそうに見ている顧客なんて、いかがわしい顧客に決まっている。私は定期点検の時には、それ用の散髪屋に行くようにしている。だから早くディーラーに車を預けて出て行きたいのだ。理想なら、受付にすぐさま鍵をあずけて、「よろしくね」の一言で済ましたい。これが、このディーラーではできない。

この受付対応と絡んで、もう一つの受付問題がこのディーラーにはある。玄関に乗り付けた車を、その間ずーっと放ったらかし。のりつけたまま、鍵はつけたままだし、玄関通路(アプローチ)をふさいでいる。気にかかってしようがない。

決して広くはない玄関だし、すでに一台か二台、車が停車している場合もあって、玄関アプローチをふさがざるを得ない。エンジンを止めて、鍵を閉めるなんてことをしたら、他の車が来たときに動かせない。鍵をつけたままにして出ざるを得ないのだ。そんな、顧客に配慮を強いるフロント玄関になっている。

順序としては、受付で私を受け付けたら、まずはすぐに車をバックヤードへ移動することだ。そうでないと顧客としては車が気になって気になってしようがない。だって、玄関に車をエンジン付けっぱなしで放置しているのだから。

そんな状態で、「席でお待ちください」と言われて、どう「ゆっくり」できるのだ。

このディーラーは、受付応対に、二重の意味で失敗しているのだ。

3分から5分すると、対応営業が出てくる。私の経験では3分で出て来られるなら、1分以内に出てくることは可能(要するに人数が足りないという問題ではない)。座らせる必要はない。座らせるとしたら、営業担当を(すぐさま)窓口に呼んで、その営業とともに座るべき場所を案内する以外に、顧客が落ち着く方法はない。「アシダ様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」というように。

そもそも、ここは、そんなに大きな開口部があるわけではない。むしろ入口は狭いくらいだ。したがって、顧客の出入りは一元管理できる。受付からも環状8号から顧客の車が左折して入ってくる様子は見える。ナンバーも見える。私のナンバーも既に登録されている。色も車種もわかっているはず(ここで買ったのではないが、既に定期点検には何度も来ている)。受付の役目は、環状8号を左折してエントランスゲートに侵入した段階から、対応営業を呼び出す動きに入っていなければならない。だって、私が13:30に予約していることはわかっているのだから。

にもかかわらず、私が車を停めて、降りようとしている様子を営業所内の誰も注意していない。そこに停めたら困る、という様子もない。なんだかなぁ、という感じだ。

そして受付で、誰? という顔をされて、すごすごと「6ヶ月点検、予約していたアシダですが」となる。ここの受付は、顧客対応は名前を聞いてから、というのが当たり前になっている。それがそもそもおかしい。「アシダです」と名告っても、まだ、「あっ、芦田様ですね。お待ちしていました」とならない。調べないとわからない。なんという受付なのか。やはりおかしい。朝礼での確認も名簿管理(リピータ管理)もできていない。

私は、営業と打ち合わせをした後、バッグを受付に預けて、例の散髪屋(http://www.ashida.info/blog/2006/08/post_161.html)に向かったが、一足違いで先客がいて、「あと50分はかかります」と言われ、やむなく断念。

あちこちさがしてみたが(といっても15分くらい)、用賀六丁目あたりには散髪屋がない。営業所を出てから20分後に戻ってきたが、ちょうど玄関の外で別の営業担当(以前、私のクルマを担当してくれた)に出会ったので、「このあたり散髪屋ありませんか」と聞いた。「わからないですねぇ」であっさり終わってしまった。

この返答は何? 「ないんですよ」ならまだわかる。「わからない」のなら、所内に戻って同僚に聞けばいいではないか(聞くふりでもすべき)。定期点検や修理で、1時間や2時間待つお客様はいくらでもいるだろうから、支店近辺MAPくらいは、気の利く支店長なら作らせてるでしょ。作ってないにしても、「わかりません」で終わるのはマズイでしょ。

そもそもクルマの支店営業というのは、地域あってのものでしょ。営業もくまなく地域を歩いているはず。どこに何があるかくらいのことはみんなで共有してないと。砧公園を目の前にする用賀6丁目の支店ですよ。コンビニ並みの地域感覚を持つべきですよ。

そう思いながら、再び支店内に入る。このときは、先ほどの気の利かない受付嬢が、私が再度入店したのを見計らって、すぐさま「お客様、お預かりしていたカバンです」と着座するやいなや持ってきてくれた。これは良かった。これができるのになぜ、最初の受付ができない? たぶん、この機転は個人的なものなのだ。

ただし、このお姉様、二つ問題がある。一つは髪が長い。肩からなお、なお15センチから20センチくらい長い。これはおかしいでしょ。この受付嬢はドリンク類も出す役目があるから、余計におかしい。受付嬢はきちんと束ねさせないと。しかも決して若くはない(30歳は優に超えている)からさらに余計におかしい。もう一人、若い受付嬢もいたが、この娘も髪が長かった。支店長の好みか(苦笑)。しかしふしだらにしか見えない。

もう一つ。この受付嬢の靴が支店内を歩く度にカツカツと音がする。往来の激しい一流ホテルのフロアで革底靴を誇っている場合じゃない。どんな靴なのか見る気もなかったが、営業マンが大切な詰めの話をするところでもある支店内で、あのカツカツ音のする靴はふさわしくない。なぜ誰も注意しないのか。

全体的に、この支店のサービス体制は60点以下だが、唯一信頼するメカニックがいる。石井君だ。私は、若い石井君をいつも指名して整備してもらっている。今回も指名してお願いした。相変わらず仕事ぶりがいい。今回もガスケットのシールドから油が(少し)漏れていることとパワステのオイルも(少し)漏れているとのこと。まだまだ修理するほどではないとのことだったが、めざとく見つけてくれて、来週また来ることにした。わざわざ来客用のテーブルまで出てきてくれて、じっくり説明してくれた。今日の担当営業の猪俣さんも、若い石井君が私に信頼されているのが嬉しそうで、「お前座って説明しろよ」と石井君を座らせたのだ。なかなかいいコンビだ。ほっと一息ついた瞬間だった。

ここのメカニックは、とても技術が高いとは言えない。以前、私のクルマのパンクも見つけられなかった(http://www.ashida.info/blog/2007/03/post_194.html)。石鹸水をかければわかる程度の簡単なパンクだったのに、「わかりませんね。タイヤ専門店で見てもらってください」だって。私が何度も絶対にパンクしています、と言ったにもかかわらず。そのために、10分後に(タイヤ専門店で)私が4本のタイヤ交換を余儀なくされるチャンスをこの支店は失うわけだ。営業とメカニックが一体になってビジネスチャンスを失った瞬間だった(たかだか25万円前後のことだが)。

結局のところ石井君の仕事ぶりは石井君個人のものであって、支店全体のパワーになっていない。受付の応対から含めて、支店の思想が存在していない。こういった問題は、ほとんどが支店長(トップ)の問題だ。一人一人はみんな良さそうな人たちなのだから。支店長は、私は見たことがない。フロアーにいる感じでもない。一度顧客の動きと店員の対応を見てればすぐにでもわかることなのに。

もともと支店の設計としては、受け付けだけがフロントヤードにいるフロア設計ではなく、営業担当のデスクも、オープンスペースに開放的に置かれている。つまりデスクワークに自閉的に集中することなく、顧客の動きに対応しなさいということだ。たぶん設計時の思想としては、私のような不平を吸収する思想があったはずだ。その思想が支店長が変わる毎に凸凹を繰り返しながら摩滅していく。今ではフロアー内の誰も私の動きを見ようとしていない。

さて、こういった「接遇」の問題は、学校教育にとって、どんなところに落ち着くのだろうか。たとえば、「お客様を待たせてはいけない」ということと「待たせようが待たせまいがとにかくお座りいただいて」ということとはどんな関係なのか。私は単に「うるさい客」にすぎないのか。

こんなことに何か理論的な(=体系的な)決着というものがあるのだろうか。たぶんない。「顧客重視」という思想は、「顧客は一筋縄では捕まえきれない」ということとほとんど同義だ。だからこそ、マーケティング理論も結局は「マーケット創造」(ドラッガー)か「カスタマーファースト」(マクドナルド社)という理論的には破綻した理論になる。

一人の「優れた」支店長(所長)が来れば一挙に支店内の雰囲気が変わる(革新される)ような接遇体制は、なかなか教育の対象にはなりづらい。カリキュラムにまで結実しないのだ。いい意味でも悪い意味でも人間的な、あまりにも人間的な出来事なのである。

(Version 1.0)

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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