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 バカな若者について-人材育成の諸課題(増補改訂版ver5.1) 2015年01月10日

「会えない時間が愛育てるのさ」と郷ひろみは言いました。歌のタイトルはまさに『よろしく哀愁』だったわけです。「哀愁」(OUTPUTのないINPUT)こそが〈育む〉ことの原理なのです。

まさに大学受験勉強などは、それゆえ、「哀愁」の勉強だったわけです。最近の若者は、「哀愁」に「よろしく」が付いている意味がわからない(中曽根臨教審から最近の教育再生実行会議までの教育思想の犠牲になっているとも言えますがhttp://www.ashida.info/blog/2014/07/post_429.html#more)。昨今のコミュニケーション論の対極にある言葉が「よろしく哀愁」です。

さて昨年12月29日の忘年会のこと。若い人のよくある勘違いに出会った。

まずは“仕事をする”ことを、社会保険をもらうことと同じだと思っている。

もう一つ、「あなたの知らないこと、できないことを僕はしている」(だからあなたになんだかんだと言われたくないというもの)。

三番目に「生きるとは何ですか」と抽象的な問いに関心を持っていること。

最後の四番目に「あなたになんか私の辛さがわかってたまるか」、と先の抽象的な問いの対極の個人論にこだわっていること。

こんな26才(だったかな)の若者に出会った。

まずは一番目の問いから。

仕事とは何か? 

それはキャリアパスのあるもののことです。キャリアパスとは、INPUTの表出(OUTPUT)までの時間が長いプロセスのことをいいます。5年かけないとできない仕事がある、10年かけないとできない仕事がある。

そんな職場に入ることを、就職する、「仕事に就く」といいます。一番、いい例がメーカーのエンジニアです。GTRやアルピナのエンジンを開発するのには(ひとまずは)技術のヒエラルキーを追う必要があるわけです。明確なキャリアパスがあります。

あるいは、製造業だけではなく、学生にとって身近な卒業論文作成(論文審査)にしても、期末試験OUTPUT(せいぜい半期15コマ)よりも長いINPUTのプロセスがあるからこそ、はじめて「身につく」知識試験になるわけです。

「卒論書く時くらいかな、少しは勉強したのは」とよく聞くのは、OUTPUTへの禁欲期間が長いものが卒論作成だからです。今ではこれも「コピペ」によって短くなっているのですが。

大学受験のときにこそ、高校生が「勉強する」のも、それが学期末試験を超えた長いINPUTの時間を経験するからです。学んでもすぐには使えないストックなしには、高偏差値受験にパスしない。

テスト(OUTPUT)というものは、そのINPUT(テスト受験勉強)が短ければ短いほど記憶依存になるため、時間が経てばINPUT自体が消失していくようなプロセスを辿ることになります。

大学でも2単位授業(半期15コマ授業)の中でさえ、期間中の小テストを履修判定に使う大学がありますが、私の大学ではそれを禁じています(小テスト自体はいくらやっても構いませんが)。

履修判定のストック度が短い試験をしてもその学生の実力(あるいは教員の教育力)など分からないからです。記憶の勢いで解ける〝問題〟が前面化します。

この場合、〈記憶〉の反対語は〈理解〉です。

そして、〈理解〉のためには体系(ヒエラルキー)が必要です。〈体系〉、つまり時間の滞留です。それ自体がOUTPUTであるような、どこにもOUTPUTをもたないような時間の滞留なわけです。

企業社会においても同じです。若い時代には、なかなか顧客に前に立たせてくれない〝仕事〟こそが仕事だということです。

その若者は、「そんなこと言ったって、優秀なエンジンを作っても売れなきゃ意味ないでしょ」と言います(顧客の前に立ちたがる)。

もちろんそうですが、売る過程と作る過程には大きな違いがあります。売ることには法則はない。売れないことには法則があるかもしれないが売ることには法則がない。

車の営業マンでもクルマをよく売ることのできる人が必ずしも商品知識の多い人であるわけでもない。作る過程をよく知っているとも限らない。それらを知った「から」と言って売れるようになるわけでもない。

そして、一人の売れる営業マンのノウハウを盗んだ(真似た)からと言って自分が売れるようになるわけでもない。そういった職場に若い時代に馴染んでしまったら、実績(結果)だけが“ものを言う”という人生訓をはやくから身につけることになります。

なぜ、実績主義になるのか。それはプロセスが不明だからです。だから、そういった職場は大概が極端な実績主義と極端なヒューマニズムが前面化します。知識や技術のプロセス(キャリアパス)が不明確だからです。間(あいだ)に割って入る知識や技術の束が細いのです。

言い換えれば、そんな職場は知識をINPUTする時間が短い。短いままでも顧客の前に立てる。短いままでも顧客の前に立てるのは、〈顧客満足〉にルールや体系は無いからです。

失敗のルールはあっても成功のルールはない。そして失敗のルールを学び重ねれば成功があるという種類のものでもない。成功のノウハウを聞いても、研修を何度受けても、「私の職種では」、「私の組織では」、「〝適用〟が難しい」とか言い出す。

だから、そんな職場の研修時間は短い。つまり見よう見まねで、あるいは先輩に(その場で)わからないことを聞けば、(その場で)解決するというような知識やスキルの受容を重ねていくだけです。INPUTとOUTPUT(使用、利用)との時間差がほとんどない。

知識や技術の受容過程が短く、「すぐ使える」スキルが多い職場は、将来ある若者にとって害悪でしかない。せいぜい「売れないものを作ってもしようがないでしょ」と生意気なことを言うだけです。なんでそんなことを言うのか。すぐ使える(=売れる)知識の受容体験しかないからです。

昨今のコミュニケーション論も、短い時間のやりとりにしか関心がないわけです。逆に言えば、短い時間のやりとりにしか関心がないから、コミュニケーション能力待望論が出てくるわけです。これは、人材の安売りでしかない。

そもそもが、学校教育体系もまた、すぐには「顧客の前に」立てない=「売れない」体系です。ストックだからです。

ストックとはなにか? それは、たくさんの知識や技術を有しているということではなくて、INPUTからOUTPUTまでの時間差が長いINPUTの時間体験があるということです。若い時代に必要なのは、このINPUTの時間性への滞留です。現に学校体系はその(すぐには使えない)滞留の体系であるわけです。

だから、その若者は、単に〝勉強嫌い〟なだけなのです。

なぜ、こんな若者が増えるのか?(今年3月あたりに刊行される新刊の第一章に書いてあります)

一方、その若者はこんなことも言う。「芦田さんに偉そうなこと言われても、芦田さんは、留学カウンセリングできないでしょ」と言います。それどういう意味?と聞くと「留学手続の書類知識などの相談受けつけることのできる知識ないでしょ」とのこと。この若者の「知識の有無」とはその程度なのです。

学ぶことの知識もその程度だということです。しかし、この程度の知識なら、みんな同じだけの知識を持っています。勉強していない人であっても。「私の知っていることをあなたは知らない」と言っているだけだからです。

だったら、「あなた、アリストテレスのこと知らないでしょ」と。そしてこの種の「アリストテレスのこと知らない」は、私の両親の顔、あなた「知らない」でしょというのとほとんど同じ事を意味しています。

それがどうしたというのよ、だけで終わる話です。滞留の短い知識に埋もれている彼は、知識の有無と経験知とを混同しているのです。

どんな人でも、その場に放り込まれたら一定の知識(知識の浮力)を持つものです。オレオレ詐欺であっても上手になる。それは経験の浮力と呼んでもいい。この浮力はどんな人にも平等に与えられています。誰でも時間が経てば「慣れる」。

大学や大学院のようなところでも、教授であっても、この経験の浮力の中でしか知識を獲得できない人もいます。〝学術〟論文における孫引きの横行は、知識の経験主義でしかありません。この若者にも大学教授にも共通しているのは、INPUTの滞留の短い知識受容を繰り返しているということです。

勉強とは、「慣れる」だけでは得られない知識獲得のプロセスを言います。

一方、OUTPUT主義(考えたらすぐ実行、あるいは考えずにまず実行)はある種の試行錯誤主義であって、それ自体が学ぶ過程だという人もいます。それは、間違いではありません。しかし、本来の試行錯誤は、OUTPUTを禁じているところからしか生じません。

なぜか。考えずに成功することなど、たかがしれているからです。〝大きな〟成功であっても長続きしないからです。成果主義とは、成果だけとって、人材を育成しないということです。試行錯誤自体も短い時間の成否に追われているわけです。

それは「試行錯誤」とは言いながら結局失敗を許さないというのと同じです。だから、成果主義的人材は、どんなに〝活躍〟しても使い捨て人材に過ぎません。

一方、滞留の長いINPUTは、言い換えれば失敗を許すわけです。「滞留が長い」というのはそういうことです。悶々とする過程を有しているわけです。褒められもけなされもしない無評価の時間をもつということです。だから“成功”しても自信がない、“失敗”しても絶望しない。

くだらない心理主義的な「モチベーションの維持」、とは無縁の世界が、人材育成の時間です。過度に自信を持たない、過度に絶望しないというプロセスを踏ませることを人材育成というのです。これは成果主義的組織では無理。(まだまだ続く)→「にほんブログ村」

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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