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 高大連携に於ける「本人の希望優先」という進路指導方針について 2012年11月08日

1)まず、第一前提は、「本人の希望」(厳密には「本人の意志」)を無視して、進路指導などできないということ。これに反対する者など誰もいない。

2)問題は、この「本人の希望」という言葉は、“最初に”本人が何を考えているのか(今後、この本人の希望を〈希望1〉と呼びます)、と、“最終的には”何を希望するのか(今後、この本人の希望を〈希望2〉と呼びます)という紆余曲折のプロセスを覆い隠してしまうということ。

3)〈希望1〉と〈希望2〉との間に入るのが〈進路指導〉。“最初に”本人が考えていたことが、“最終的には”どうなるのか、それが変わろうが変わらないままであろうが、いずれにしても、「本人の希望」とは、3年間にわたる〈進路指導〉の結果だということ。

4)この場合、進路指導は(大まかに言えば)2種類ある。

5)一つは、どんな生徒もより偏差値の高い大学にあれこれと不安を抱くことなく、自信を持って入学したいと考えていることをめぐっての進路指導。この場合の進路指導の大半は、進路部の仕事ではなくて、教務部の仕事。受験科目成績を伸ばしてやらない限り(本人が伸びたと実感するほどに)、〈希望1〉は変わらない。「変わらない」ということの意味は、自暴自棄な荒唐無稽の進路「希望」か、少し控えめの偏差値大学「希望」かどちらかにとどまるということ。

この段階で生徒が〈希望1〉にとどまることは、進路決定に際して教務支援が全くない状態であったことのあらわれでしかない。進路指導は、この場合、日々の授業の質を高めるはもちろんのこと、個別の学習計画を立て、その学習支援をしてやることでしかない。教務部的には、〈希望1〉と〈希望2〉との差異は、偏差値の高低であり、この変化が大きければ大きいほど進路指導(=教務指導)が効いたということになる。

6)二つ目の進路指導は、偏差値が(高かれ低かれ)同程度の大学の進路指導。これは情報提供型の進路指導。その意味で、この部分が進路部の進路指導になる。〈希望1〉の背後にある生徒の大学情報がどんなものなのかを探りつつ、より確かでより有益な情報をどこまで提供できるのかが、この場合の“指導”の中味になる。

この指導は、〈希望1〉から〈希望2〉への変化に必ずしも結びつくとは限らない。〈希望1〉の質の変化にとどまる場合もあり、結果として〈希望1〉=〈希望2〉になる場合もあり、それもまた進路指導のあり方になる。進路部の進路指導の中核は、偏差値に直接は関係のない大学情報、大学評価をどのように取り込むか、それを生徒の〈希望1〉を踏まえながら、どのようにわかりやすく生徒に提示できるかに関わっている。

7)一つ目の教務的な進路指導も二つ目の進路部的な進路指導も、それ自体は学校方針(あるいは、日ごろの教員-生徒間のコミュニケーションの量や質)に基づいている。どんなふうに偏差値を上げていくのか(=教務部)、どんなふうな大学情報を与えていくのか(=進路部)というように。〈希望2〉は、〈希望1〉との間に(結果的に)変化があろうとなかろうと学校方針(学校の、生徒との関わり方)の結果に過ぎない。方針がなければないほど「本人の希望優先」主義が前面化する。

8)つまり「本人の希望優先」ということ自体が学校方針になることなどあり得ない。あるとしても「あなたの夢を叶える」的な私学的広報キャッチにとどまる。重要なことは、教務部的にも進路部的にも、どんな方針をもって生徒の〈希望2〉を形成していくのかに関わっている。

9)同じように大学の就職センター(さらには専門学校の就職関連部署まで)、就職指導は「本人の希望」主義病に犯されている。まるでハローワークの就職斡旋のように。

10)そうなるのは、学校教育の中に、進路を含んだパッケージでカリキュラム開発や日々の教育指導を行うという思想がないからだ。そもそもキャリア教育とは、”進路を含んだパッケージでカリキュラム開発や日々の教育指導を行う”ということではなかったのか。→「にほんブログ村」

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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