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 【第三版】Dropboxは、ファイルエクスプローラーの操作だけでファイルを公開できる ― ネット上のアドレスとは何か?(リソース志向の勝利) 2009年10月18日

Dropboxについては以前にも触れましたが(http://www.ashida.info/blog/2009/05/dropbox_1.html)、今回は初めて使った機能を紹介します。

それは公開ファイルの設定です。

前回の記事におけるPDFファイルの公開(http://www.ashida.info/blog/2009/10/post_384.html#more)は、Dropboxを使っています。

Dropboxには、「Public」というフォルダが前もって存在しており、そこに公開したいファイルを保存→公開したい自分のファイルを選択→右クリック→Dropboxを選択→Copy Public Linkをクリック。これで公開操作は終了。

最後の操作である「Copy Public Link」をクリックした段階で、ファイルの公開アドレスが自動的に作成され、同時にコピーもされています(画面上は何も起こらないので少し不安ですが)。それをリンク箇所にペースト(貼り付け)すれば終わりです。ペーストした段階ではじめてDropboxが作成した公開アドレスがわかります。

この公開アドレスは、そのままブラウザのアドレス入力窓に貼り付ければ、ブラウザ上からアクセスできます(PDFファイルを見るときにはPDFリーダー、MS-OFFICEファイルを見るときにはMS-OFFICEアプリが必要ですが)。

公開ストレージサービス等の手を借りずに、自分のパソコンのファイルエクスプローラー上のフォルダ内の右クリック操作で瞬時に自らのファイルの(世界大の)公開アドレスが作成できるということです。

これは、自分のパソコン内のファイルエクスプローラーフォルダに収まっているすべてのファイルにアドレスが作成できるということです。自分のファイルを選択して3回のクリックで世界大に通用するアドレスが出来上がります。たぶん世界最速の公開操作です。

最近特に思うことですが、情報社会やインターネットの社会は、近代化(ポスト近代も含めて)の本質である「相対性のめまい」「相対性のるつぼ」(P.L.バーガー)のように見えるがそれでは事態の半分しか見えてこない。

インターネットの活性化の根拠は、アドレス作成にある。「世の中には何一つ同じものはない」ということがもし本当だとしたら(ここではとりあえず仮定法で書いておこう・苦笑)、ネット世界における〈アドレス〉は、まさにそれを地でいっている。「同じ」事態に〈アドレス〉が二つ存在することはない。二つ以上存在すれば、それはネット上では機能しない。

「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」(夏目漱石)。

ネットで「情報」が流通するためには〈それ〉に唯一無比な「アドレスがある」ことが必須である。Dropboxは、それをファイルエクスプローラにおいて右クリック一つで瞬時に生成する。世界に一つしかないアドレスを。

※これがそのDropboxによるアドレス形成↓
http://dl.getdropbox.com/u/1047853/ver04%E3%80%8C%E9%AB%98%E7%AD%89%E6%95%99%E8%82%B2%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%80%8C%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E3%80%8D%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%A8%AE%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B.pdf
※このアドレス一つで私の文書に世界中からアクセスできるということ、これは色々な意味で驚異と言うほかない。

この〈それ〉は人でも物でもファイルでも何でもいい。〈アドレス〉は、「相対性のるつぼ」である〈情報〉を〈いま・ここ〉化する。〈いま・ここ〉で公開されたアドレスはネット世界では唯一無比の固有名詞となる。同姓同名の可能性を排除し得ない人間の固有名詞、あるいは100%の肯定的な同定可能性を持たないDNA情報よりもはるかに同定性(Identity)が高い。

逆に言えば、ネットで氾濫する情報はすべて固有名詞なのである。

クラウドコンピューティングがiPhone 3GSで急激に大衆化しつつある。その基盤の一つが、アドレス機能だ。携帯電話内のデータの一つ一つにまで、アドレスが振られる時代が到来した。iPhone 3GSは、どんな「ネットパソコン」よりも(はるかに)ネットパソコンなのである。

かつてはハードディスク(HDD)内にあるファイルは物理的な固有名詞化であった。つまり「私のパソコン」「私のファイル」とは、結局は私のHDDということにすぎなかった。

しかしクラウド化は物理的な単独性であるHDDを「相対性のめまい」「相対性のるつぼ」に追い込んだ分、すべてのファイルに地番(アドレス)を付け始めたのである。そのアドレス数は、一時的には「枯渇問題(IPv6問題)」が問題になるとしてもDNA情報よりも増えるに違いない。

クラウド的な公開性は、何らかの一回性(Identity)を繰り込まざるをえない。そうでなければ、ネット上の情報は存在することすらできない。全ての情報には、身体が同伴しているのである。

極々私的な文書に過ぎない「私の」文書に地番が振られ、作った途端に世界大の人が参照できるようになる。世界大の公開性は普遍性の別名ではなく、「極々私的」性の別名なのである。というか、その場合の、「極々私的」性は、〈表層〉そのものだということになる。すべては表(おもて)。すべては(すべてが)ホームページなのである。

ファンクショナリズム(コンピュータ主義)の相対性の根幹には、アドレスに代表される一回性(Identity)がいつでも入り込んでいる。これは思想的にはカント主義の勝利だ。ヘーゲル以降の相対主義は、結局は、カント主義を一歩も乗り越えていないと言える。

Dropboxのおかげで、「私の」パソコンのファイルは簡単に世界大の地番を得ることになった。今後は、PDFファイルだけではなく、ワードもエクセルもパワーポイントも、文書を「作成」「保存」すると同時にアドレスが振られるようになる。Dropboxすら経由することなく。

ブログが流行ったのは、サイトという単位で自分の地番を得ることができるようになったからだ。写真ストレージはすでに一枚一枚の写真に地番を付けることができる。それ以前はメールアドレスがその役目をしていた。そしてDropboxのこの機能は、今度はファイル単位で地番を付けるということだ。

最近は、iPhone アプリ「セカイカメラ」が、生の映像に無限の地番を付けつつある。文書の今後は、一ページずつ、一フレーズずつ、一単語ずつ(?)に地番が付く時代に突き進んでいくだろう。「セカイカメラ」は眼に見えるすべてのものを微分してそれにタグアドレスを付けて行くに違いない(しかも動的に)。

次世代の地番は何に付くことになるのか(家電機器はもう始まっている!)。インターネット活動、インターネットビジネスの鍵は〈アドレス〉による身体性(Identity)の覚醒にある。

ハイデガーは「危険のあるところ、また救うものも芽生える」とヘルダーリンの言葉を引いていたが、技術と身体性(Identity)との相克は危険と救いとの紙一重の関係にある。〈表層の私〉は〈深遠(Abgrund)〉と紙一重だが、しかし同じものではない。さて、どう考えるか? 

※インターネットに接続する機器に必要なIPアドレスの数は、調査会社IDCによって、2012年までに170億個ぐらい必要になると言われている。これがIPv6が必須になる数字。しかし、ひとつひとつのコンテンツやサービスに振られる"アドレス"、つまり、URL(リソース指向でいうところのアドレス)は、統計的なデータが見つけづらい。おそらく、URL(としてのアドレス)は、IPアドレスのように、数学上の制限を持たないため、その数量が監視の対象になっていないからだと思わる。 →「にほんブログ村」

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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Web上のあらゆるデータ・サービスに"アドレス"を割り当てようという考え方、あるいは、Web上のすべてのデータ・サービスは"アドレス"によってアクセスされるべきだという考え方を、最近のIT用語で「リソース指向」(Resource-oriented)と言います。

これは一見すると当たり前のように聞こえますが、そうではありません。データではなく何らかのサービスをWeb上に公開しているシステムの場合、そのアドレスをコピーして再アクセスしても、同じ結果が得られないような場合が少なからずあります。

Webを利用していると、URLをコピーしておいて、後でもう一度同じ内容を閲覧しようとしても、目的の画面にアクセスできないといった経験があるはずです。

これは、サービスへのアクセスがアドレスではなく(システムの都合による)コンテキストに依存しているためです。コンテキストに依存したシステムの場合、一定の手順を踏まないと、同じアドレスでも目的のサービスを得ることができません。そして、このようなコンテキスト依存は、これまでのWebシステムの開発において、むしろ一般的な手法でした。

その反省として「リソース指向」があります。「リソース指向」に即したシステム開発においては、すべてのサービスにそれぞれ固有のアドレスを割り当てます。

これならば、あらゆるサービスへのアクセスを、アドレスをコピーしておくことで再アクセスすることも、アドレスをメールなどで配布することにより、サービス自体を簡単に他に伝達することもできます。

「リソース指向」については、エンジニア向けですが、『RESTful Webサービス』(http://www.amazon.co.jp/RESTful-Web%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9-Leonard-Richardson/dp/4873113539)が唯一詳細に解説しています。Amazonの"書籍検索"サービスのように、アドレスによって(他人が利用した結果であれ)その結果にいつでも再アクセスできるシステム開発の手法(考え方)が「リソース指向」です。

長くなってすみません。

でもIT技術者でもない芦田先生のアプローチは大変、面白かったです。私にも大変勉強になりました。

投稿者 Anonymous : 2009年10月18日 15:12

IT技術者は、結局のところ、自分のやっている仕事の意味をわかっていないのです。

たとえば、私の書いていることを読んで、「要するにリソース志向のことだろう。そんなの言われなくったってわかっているよ」とか「もう古いよ」とか、そんなことしか言えない。

もっと酷いのになると、「こいつの言う『アドレス』って、IPアドレスのこと言ってんのか、URLのこと言ってんのか、どっちだよ、勘違いしてない?」なんて言い出す始末。

バカでしょ。こういう反応。技術者にばかり技術を任せておくと良くないのですよ。もちろん十二分に技術(者)を尊重した上で。

一体、日本の大学や専門学校でリチャードソンたちの「リソース志向」の歴史的な意味を教えられる教員はどれくらいいるのでしょうか?

私が教えてもいいですよ(苦笑)。

投稿者 ashida : 2009年10月19日 01:02
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