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 2007年度卒業式式辞 ― マーケットは会社の〈外部〉にあるわけではない(2枚の写真付き) 2008年03月18日

今日の式辞はサイテーだった。式辞は考えていたことの10%くらいしか話せない。何回やっても同じ。悔しくてしようがない。それに式典で少し泣いてしまった。

夜間建築科の卒業生が45名卒業だったが、参加者はたったの7名。列席者が100%近い昼間課程に比べて夜間が少ないのはショックだった。いつもだともう少し多かった気がする。

2年間仕事をしながら通い続けて、やっと卒業という感じだと思うが、その卒業式にさえ参加できない夜間学生のことを考えたら、2年間大変だったろうなぁ、と(壇上で)思い始めた。これがダメだった。急に涙が出てきて、夜間建築科総代が前に来て「卒業証書…」と読み上げはじめたら涙が…。押さえに押さえたが、この涙はたとえばれても意味が分からないだろうなぁ、困った、困ったという感じだった。

次に泣いたのが、最終盤、「校長特別賞」(学内の成績だけではなく、学校外部の高度資格やコンペ受賞などを獲得した学生に対する顕彰)を与えた5人の卒業生を代表してWEBプログラミング科の広瀬君が壇上で話し始めたとき。

JAVA、ORACLE、XML、UMLという現代プログラマーに必要な資格をすべて取得して、「日立ソフトウエアエンジニアリング」という名門会社に就職した彼はこう切り出した。

「僕がこの学校で学んだ最大のことは、『プライド』です。『プライド』を持つということがどれだけ大切かを校長先生や芦澤科長先生から学びました。今後は世界大のフィールドで活躍したいと思っています」。

いいこと言うじゃないか、広瀬君。「プライド」なんて言葉が学生の口から出たのがうれしくて、うれしくて、ここでは涙が隠しきれなかった。

今回は、元東京スバル会長の山口後援会会長も「良い卒業式でしたね」とお褒めの言葉を頂いたが、さて、一番沈んでいたのが私かな。周りの人たちが随分頑張ってくれました。

以下毎年恒例の2007年度卒業式式辞全文です(ただし、こう喋りたかったという修正全文です)。

証書授与rimg0033.jpg


●御挨拶

みなさん、今日は卒業おめでとうございます。
今日はたくさんの保護者の方々もお見えになっています。
私も同じように4月に社会人になる息子がおります。
同じ年頃の子供を持つ親として、私もまた感慨一入であります。
また来賓の方々もたくさん来られています。春先何かとお忙しい中、ありがとうございます。
来賓の方々はみなさんを4月以降受け入れて下さる企業の方がほとんどです。
企業の方々は、本当に皆さんを採用して良かったのか、最後の見定めに来られています。それが専門学校の卒業式というものです。今日の卒業式次第では内定を取り消す気で来られているかもしれません。保護者席にも潜んでおられるかもしれない。
みなさんは心してこの式典に参加して頂きたいと思います。
今回は「卒業生へ」というA4版23枚にも渡る小冊子がお手元にあるかと思います。みなさんを在校中指導してきた先生達が心込めて書いてくれたメッセージです。
昨日の夜出来上がったばかりのものですが、昨晩私も全部読みました。先生達の皆さんへのお思いがこもった最後のメッセージの数々です。
そのメッセージの思いを代表して、今日は校長から最後のお話をしたいと思います。


●天気の変化に耐えられない?

私事で恐縮ですが、私の家内は5年前に重い病気で倒れて、後一歩で寝たきりという状態になっています。

彼女は、いつもお天気のことを気にしています。ちょっとした天気の変化が身に応えるからです。

特に低気圧がよくない。大きな低気圧が長い間いすわっていると、全く歩けなくなります。

よく季節の変わり目は体調を崩しやすい、と言いますが、それは季節の変わり目は、低気圧が停滞しやすいということを意味します。

低気圧は身体の血の巡りを悪くすると言われています。神経痛などを抱えている方は、天気予報を調べなくても身体が痛くなった段階で「明日は雨」なんて言いますが、それも血行不順が生じるからです。

低気圧が長い間居座ったあとには新聞の「おくやみ」欄での死亡記事も増えるわけです。病気をしたり、年を取り、生命力が弱ると自然の変化についていくのも大変。何も家内のように重い病気にかからなくても年を取ると自然の変化は身に応えます。身近なものに大変敏感になっていきます。

私も同じように年をとってしまって、今年で54才。家内に引きずられて、鳥の鳴き声やベランダに訪れる鳥に目をとめる年になりました。

これは堕落といっても良い。

若いときはそうではなかった。雨が降っても、不便だとは思っても、そんなことはどうでもよかった。

学生時代に、季節を感じるのは期末試験の時と入学式・卒業式の時くらいでしょう。

若い時代の〈原理〉は天気予報や自然ではなくて、〈意志〉です。自然論や人生論や経験論ではなくて〈世界観〉です。前方だけを見るまなざしです。

社会の変化は自然の変化よりも速く厳しい。それに耐えうるのは皆さんの〈意志〉と〈世界観〉だけなのです。

私の高校時代の年老いた恩師は、若い私に、「人間の本質は、若者に引き継がれている、人間性とは若者のことだよ」といつも言っていました。その言葉の意味が今になってよくわかります。

〈勉強〉をするというのは、お天気の変化に負けない意志と世界観を作るため。年を取ると勉強することが少なくなり、最後は季節の変化すら耐えられなくなる。老人は、色々な意味での自然に支配されながら天気予報と思い出、そして経験(と人生論)だけで生きていますが、あなた方は前方だけを見ながら、新しい世界を作っていかなければならない。

最近は少子化で、若い人が減っている。天気予報を気にして我が身を振り返る人ばかりが増え、社会全体が保守的になっている。みんな病人なわけです。若い人が減って栄えた文明は世界史上一つもないといいます。社内でも天気予報屋みたいな人が一杯増えてくるとその企業は滅びます。その意味でも企業が若いあなた方に期待することは大きい。

式辞rimg0003.jpg

●「顧客」の時代から「消費者」の時代へ

その期待に上乗せして今日は、〈お客様〉と〈マーケット〉について二つの原則をあなたがたに提案して式辞に代えたいと思います。

みなさんが4月以降入社して、必ず耳にする言葉があります。「お客様を大切にしなさい」というものです。これは当たり前のように見えて、理解するのが大変難しい言葉でもあります。

通常、お客様のいるマーケットは会社の〈外部〉にあると思われています。「お顧客を大切にしなさい」と言われたときには、いつもそう思いがちです。

一方に〈会社〉という固まりがあり、もう一方にお客様を含んだ〈マーケット〉という固まりがある。通常、そう理解されています。

しかし、本当にそうか。

会社の中にも、技術者の部署もあれば、営業の部署もある。広報の部署もあれば、お金を扱う財務や経理という部署もある。

一つの会社の中にも、顔を見ただけでわかるくらいに異質な人たちが集まって、一つの組織を形成している。

この人達は、マーケットに向かう以前に多様な意見をもった人々であり、まとめるのに一苦労する人たちでもあります。

マーケットには色々な人間がいることをとりあえず認めるくせに会社内に意見が違う人がいると目くじらを立てる。社内の対立はマーケット内の多様性とは異質なものであるかのように神経質になっている。

世の中には、〈強い人〉と〈弱い人〉がいる。世の中には、〈明るい人〉と〈暗い人〉がいるというように、われわれは、〈強い〉とか〈明るい〉とかを実体的に考えたりしますが、そんなことはない。

その強い1人の人間の中でも、弱気になったり自信を無くすことがあります。明るい人でも暗いときはあります。

自分の中のどこかで他人はつながり合っている。自分の中のどこかを探し出せば、そこに遠いと思っていた他人、絶対に折り合わないと思っていた他人が潜んでいる。

自分は他人であり、他人も自分であるような関係が必ずある。

19世紀ドイツの哲学者、ヘーゲルはそのことを「それ自体であるものは表面的にも(表面的にも分裂・敵対して)存在している」と言ったのです。

同じように会社の外と内というのは、そんなに単純に区別できるものではありません。
意見の違う人、性格の合わない人、許せない人そういった人はどこにでもいます。社内でそんな人に出会ったときには、それを「社内なのに」と思わずに、社内vs社外という対立や区別が、そのように社内に反映したものだと思えばいい。

会社とマーケット(=会社の外部)はちょうど鏡が反射し合うような反映関係にあります。

マーケットが複雑で色々な意見を持つ人がいるように会社の中も多様な意見がある。会社内の対立も、マーケットが決して一様ではないことの表れにすぎない。

それは社内対立を放置しろ、ということではない。むしろ逆。だからこそ、対立を克服しなければならない。その対立を乗り越えない限り、外部のマーケットを説得することはできない。

結局、自分以外は全てマーケットだと思えばいい。会社の中の人に評価されないような自分は決してマーケットにも評価されたりはしない。

自分の好きな人にだけ商品を売っている限りは、マーケットは広がりはしない。会ったこともない、意見も合わない人に喜んで商品を買ってもらうようになってはじめてマーケットは広がり、商品やサービスは売れる。

その意味で、社内マーケットはその前哨戦です。自分以外のすべての人をお客様だと思え。まず目の前の同僚や先輩に評価される人材になりなさい。これが第一のアドバイス。

第二のアドバイスは、遠いお客様を大切にしなさい、ということ。お客様は近所であっても「遠い」ところから来ている人たちだと思いなさい。

クルマのショールームの内側の人だけがお客様ではなく、外のウインドウでクルマを眺めている人もお客様です。

そのウインドウの外にお客様がいるということは、そのお店が人通りのある大きな通り、目立つ通りにあるということです。目抜き通りにあるということはお店の土地代がかかっているということです。

ウインドウの外に人が立っているということは偶然のことではない。

そもそもその店の前に来たのは、ネットの広告か、新聞か、新聞チラシか、テレビ広告か、クルマの雑誌かを見てきたのかもしれない。

つまり、あなた方がお店で出くわすお客様の以前に、会社は多くのお金をかけており、ウインドウの外に立つ1人の通行人にもすでに多くのお金が支払われている。

1人のお客様を店の内部で相手するということは、本当はごく一部の出来事であって、そのお客様を獲得するのに、多くの逃げ去ったウインドウの外のお客様がいる。

店まで足を運んだけれど、店内が活気がなかった、店内が汚れていた、忙しそうだった、暇そうだった、などなどあなたたちが学校で学んだ技術力を発揮するまえに勝負がついていることはたくさんあります。

あなたたちが力を発揮する以前のパンフレットやテレビ広告、また商品そのものの不備などで勝負が付いているかもしれない。

目の前のお客様の背後には見えない消費者がたくさん控えています。

出会えるお客様は、その複雑で長い経路を辿ってやっと目の前に存在している。お客様はその意味で重い、だからこそ大切にしなければならない。

会社の商品開発力、広報力、営業力、店舗運営、そういったあらゆる力が実を結んでやっと目の前の1人のお客様が存在している。会社はすでにたくさんのお金をそのお客様に使い込んでいる(言い方が悪いですが)。それに思いを致すべきです。

皆さんは、技術者です。その意味では、こういった話しは伝わらないかもしれない。ちょっと言い方を変えてみましょう。

最近は車が故障しなくなっている。定期点検も少なくなってきた。1年に一回か、2回しかお客様も顔を出さない。

でも1年ぶりに来たお客様は、1年間何もクルマに関心がなかったかと言えば、そうではない。

修理しようか、買い換えようか、別のメーカーのクルマにしようか、行きつけのガソリンスタンドでオイル交換しようか、それともオートバックスでオイル交換かな、などと車に乗っている人は毎日のように様々なサービスの誘惑や関心の中でクルマを利用しています。

こういった数々の誘惑に囲まれている顧客を〈消費者〉といいます。

「顧客満足」のことを普通英語で略して「CS(customer satisfaction)」と言いますが、最近では「CS」の「C」は、customersではなくてconsumerの「C」だと言ったりもします。「顧客満足」ではなくて、「消費者満足(consumer satisfaction)」がキーワードです。

それはどういうことか。

1人の顧客の背後には、何千、何万と数多くの消費者が控えています。また1人のお客様の行動は、数々の情報選択、価値選択の結果です。今日の情報化時代は、1日の間にも多くの商品選択の情報が飛び交い他者の買い物にまで口を出す〈消費者〉があふれています。

そういった氾濫する情報の中で一年ぶりだけども、あなた方のお店にそのお客様が来てくれたということは、あなたがたの技術力やサービスが、さまざまな広告や口コミの誘惑を乗り越えて打ち勝ったということです。誇るべきことです。

ただ単に、目の前のお客様に喜んでもらえるのではなくて、1年間の様々な誘惑に、あなたがたの技術力が勝てるのか、今度もまたあの店で、あのお兄さんに修理してもらおう、自分の車を預けよう、少しくらい高くてもいいや、という気になってもらえるか、そこが技術者としてあなた方が問われている本来の技術力です。

「苦情がなかった」だけでは、これからの技術者はつとまらない。

「苦情がない」はエンジニア初級です。上級は「お客が付く」ということです。お客様に指名されるような技術者になって欲しい。

そういった長いスパンの「お客様」を相手に出来ることこそが技術者としての誇りであるわけです。

最近は、お客様が1年ぶりに来る前に早々とやめてしまったり、転職する若い人が多いのですが、息の長いお客様を獲得することこそが職業人としての最大の栄誉です。

転職ブームでフリーター労働が流行っているようですが(何と全労働者数5000万人の内33.7%がフリーターの時代になってしまいました、その内、女性は54.1%、男性は18.4%です)、そういったフリーター労働者としっかりと勉強を積んできたあなた方を区別するのは、目の前のお客様を満足させるのか、長い時間のお客様を相手に出来るかの違いです。

これから皆さんが就職する会社の先輩達は、目の前の顧客だけではなく、息の長い競争に勝ち続けた誇り高い先輩たちです。

その人達の言うことを良く聞いて、まずは真っ先に出会うお客様がその先輩達であることに心して、社会人一年生を出発して下さい。

ちょっと苦手な先輩に出会ったときには、「これもお客様、これもお客様」と念仏を唱えて、一から勉強して頂きたいと思います。なによりもそういった勉強ができる基礎作りを学校はやってきたつもりです。自信をもって仕事に励んでもらいたい。

長くなりましたが、これをもって卒業式の校長式辞に代えたいと思います。卒業おめでとうございます。

(Version 1.0)


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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感想欄

マーケティングという言葉はよく耳にしたことがあるけれど、最近ブランディングという言葉があるそうです。

ブランディングとは、「企業が顧客にとって価値のあるブランドを構築するための活動」(リンク)で、その物やその会社(ブランド)に価値を付加させることらしいです。

うーん、まさに幻想(=騙し)ですね!

マーケティングでは、「消費者のニーズ」を探ることが重要でした。
でも、最近そのマーケティングさえ機能しなくなったのは、みんな欲しい物なんてなくなったから。

でも、そのままでは物は売れない。
そこで出てきたのがこのブランディング。
物や企業のイメージなどに幻想価値を付加させる=ブランディングをすることで、物を売ろうということのようです。

でも、そもそも何も欲しいと思っていないのに付加価値をつけたところで物がたくさん売れるようになるとは到底思えません。
むしろ、それが「幻想=騙し」であることにみんなが気付く日もそう遠くないのではないでしょうか。

縮小していく市場を必死で食い止めようという苦し紛れの戦略なのだと思いますが、

「みんな物ではなく答えを欲しがっている」

というところに意識がいっていないので、可能性はないのだと思います。

投稿者 Anonymous : 2008年03月21日 14:40

「欲しいものがなくなった」からこそ「マーケティング」が生じたのだと思いますよ。逆です。

「物ではなく答え」というのは、これもその通りですが、これ自体が〈物語〉― あなたの言う「幻想」「騙し」― を作らないと買わない現代の消費者の消費行動そのものです。だから、これもまた「マーケティング」の誕生と起源を一にしています(私自身はマーケティングなどくそ喰らえと思っていますが)。

「ブランディング」というのが、プレゼンやマーケティングと異なるのは、それが自己否定から始まらないという点です。すでに在るものに定位するノウハウがブランディングの本質です。

投稿者 ashida : 2008年03月22日 12:00

こんにちは、聞くまでもないかとは存じますがお元気ですか?

卒業式を迎えたんですね・・
あっという間に社会人になって2年を過ぎようとしてますが、
お元気そうでなによりです。

投稿者 卒業生 : 2008年03月28日 12:48
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