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 息子・太郎の彼自身による就職活動記 ― 親に似てちょっと長いのですが… 2007年07月12日

息子・太郎の就職活動も終わったが(http://www.ashida.info/blog/2007/06/post_208.html#more)、彼自身の記録(ブログ)もその総括が一通り終わったようなので、ここに公開します。後輩の学生達、就職活動を迎える子供を持つ保護者のみなさんのお役に立てばと思います。

私の感想は、私の学生時代に比べると随分と幼稚なような気がします。時代が成熟したと言うべきなのでしょうが、そう思いました。A4版で154頁、文字数で約6万字ありますが、我慢して読んでみてください。若い世代の就職選択の感覚がそれなりにつかめます。


●2006年09月07日
僕の就職活動
少し前の話になります。

8月30日、新砂での練習後に稲穂メンバー数人でリクルート主催の就職イベント『リクナビフェス』たるものに行ってきました。

簡単に言えば2008年度就職対象にした企業説明会です。
いろんな企業が来て、色々話を聞ける的な。

正直僕は今、就職のことなんて考えなくて良いなら考えたくありません。

まだ学生でいたいし。なんかめんどくさそうだし。

しかしそんな駄々をこねていても時は過ぎていきます。

時間と言うのは残酷ですからね。

稲穂キッカーズ以外の友人たちの中にはインターンなど始めている人もちらほら出始めています。

地元の友達の中には立派な社会人として働いている人もいます。

つまりもう「僕の番」が近づいている、いやもうすでに「僕の番」は来ているのです。

と、いうわけで指をくわえて時の経過に身をゆだねているだけと言うのもアホらしいので行動に移すことにしたわけです。

と言っても就職活動とは何たるかをろくに知らないわけで。

とりあえず何かでかいイベントあるみたいだし行っちゃおうよ的なノリです。

そんなこんなで練習後、東京ビックサイトへ!

芦田、野崎、岩田、土川、三河、羽田、よりこで行ったんですが、みんなそれぞれ興味のある企業は違うので、早速別行動です。

僕は土川、岩田二人と行動しました。

まず最初に日経新聞に行きました。
かなりの人。満員。
俺ら立ち見。

「日経の読み方」というテーマでプレゼンしてたけど、正直だるかった。

だって僕新聞くらい読めますから。

岩田君にいたっては「眠い」を連呼。
土川君は可愛い子探すことで精一杯。

というわけで終盤に途中退室。

だいたい予約したのに座れないとか意味わかんないし。

予想以上に人多いし。

私服で良いって書いてあるのに、スーツでばっちり決めてきてるやつ多いし。

まぁ3人で文句言いまくりつつ、次のフジテレビへ。

日経であの人数だったので、フジテレビはヤバイだろうという予測の元、開始1時間前にフジテレビブースへ。

ところが、すでに長蛇の列。

僕らのイライラというかグダグダメーターは上がるばかりですよ。

そもそも会場はいった時から、なんていうか僕らとそれ以外の学生との温度差を感じていた。

なんていうかね。

モチベーションの差?

僕たちはもっと気楽な気持ちで来てるんです。

「僕たち就活のこと全然わかりません!とりあえず来ちゃいました!」

そんな感じ。

でも他の学生は違う。

みんななんかマジだし、めっちゃメモってるし、スーツ着てるし。

俺らがおかしいのか?

それとも彼らは生き急いでいるのか?

僕はとりあえずむかついたので、

「お前ら全員蹴散らしてやる」

を連呼して歩き続けました。

フジテレビの列でも言いまくってたら、周りの人達ひいてました。

僕ら3人は確実に浮いていました。

リクルートの人が学生用にアンケートを配ったんですが、「いらないっしょ」ってことで満場一致した僕らはアンケート拒否。

すると、土川君はいらなくなったアンケート用紙を他の学生に配りだす始末。

意味がわからない。

渡された学生は当然困惑。

そんな浮いた僕たちはフジテレビブースへ。

またも大して実のある話は聞けず。

とりあえずフジテレビはチャらい。
なんかノリが他の会社と違う。軽い。
良い意味でも悪い意味でも。

人事部のお姉さんは可愛かった。
あやパンより上なんじゃないかってくらい。

大して話も上手くないそんな子を、この場に出しちゃうところはさすがフジテレビだった。

僕らはお姉さんばかりを見ていた。

仕舞に土川、岩田は寝始める。

僕はお姉さんを見続ける。

土川君は起きたと思ったら、新砂から持ち帰ったアリを自分の体から取り、前の人の背中につける始末。

最後の質問コーナーでは終始ふざけていた僕らは完全に場違いだった。

質問者が「○○大学の~と申しますが・・・」といちいち大学名を言うのが腹立った。

そんなこんなで得るものもさほどなくフジテレビ終了。

次の電通まで3時間もある。

僕ら3人は限界だった。

「帰ろう」

僕らは帰りました。

このフェスで得たこと。

①こういうでかいイベントは、当たり障りないことしか知ることが出来ない

②どうやら僕らのライバルとなる人々はすでに結構エンジンかかっている

③でも僕はそいつらに負けることなく蹴散らせた

④フジテレビはチャらい。

⑤でかい就職イベントに行くくらいなら、自分で興味ある企業を調べたほうがいい

⑥りんかい線は初乗りが高すぎる

●2007年01月21日
最高の仲間たち
どうも。

最近めっきり寒くなりましたが、みなさんいかがお過ごしですか?

昨日はセンター試験だったみたいで。

僕が受験した2004年から3年連続であいにくのお天気だったみたいで。ちらほら雪が降ったところもあったとかで。

3年連続雪ですか。

そんなわけですが、僕はまぁ元気にやっています。

テスト勉強と、少しずつエンジンのかかり始めた就職活動に追われながらね。

家ではsalyuの『TERMINAL』をずっとリピート再生しています。

レビューにも書いたけど、このアルバム良いから。

皆さんも是非聞いてみてください。

『to U』のsalyuバージョンだけでも聞く価値あります。

鳥肌の立った僕はコンサートのチケット予約しちゃいました。

当たったら一人で行ってきます。

さて。

そろそろ本題に入りましょうか。

昨日、千歳中の新年会が開催されました。
と言うか開催しました。

まさしく「TERMINAL」な一日でした。なんちゃって。

昨年末に、今ヤクザをやってる(本人はもうヤクザではないと言い張っているが、やってることはほぼヤクザ)の友人から急に電話がかかってきました。

前にもいつか日記で書きましたが、うちの中学は、と言うか公立はどこでも大体そうだろうが、『社会の縮図』です。

色んな人種がいます。

そんな中で結構悪いこともしながら、生徒会長やったり、サッカー部でキャプテンやったりしてたので、友人の幅の広さには結構自信があります。

それはまぁ良いや。

その友人と最後に会ったのが、去年の成人式後の大同窓会だったわけで。

で、その友人が僕になぜ電話をかけてきたかと言うと。

彼「ちょっとさ、久しぶりにみんなで集まろうよ! 新年会的な感じでさ。」


ぼく「お~いいよ! そうだな、あれ以来みんなでは集まってないからな。」

彼「そうそう。で、やっぱそういうの企画するって言ったらお前しかいないっしょ! 頼むよ。」

ぼく「いいよ~。じゃあみんなに連絡してみるわ。」

ってわけで交渉成立。

電話を切り、すぐに男女十数名にメール。

そして昨日に至ったわけであります。

だいたい15人くらい来てくれました。

祖師谷の笑笑にて。

そうやってみんなで会うっていうのは久しぶりなわけで。

昔話から、恋愛、就職、ド下ネタ、などなど話のネタは尽きず朝方4時くらいまで語り合っていました。

会の終盤。

まったり飲み的な感じになってからが、僕は特に楽しかった。

結構まじめな話もしました。

で、なぜか話題は、

「芦田太郎の将来について」

になっていました。

まぁ当然ですが、彼ら彼女らは僕がこれから就職活動を向かえ、就職していくことを知っているわけです。

誰かが「芦田はどこの就職すんの?」

と言い出したあたりから、僕を囲んだ「芦田太郎の将来を考える」討論会に。

実際。

僕自身稲穂キッカーズを引退し、年末はバイトと遊びに費やし、そして年明けを迎え、徐々に業界研究を始め。。という段階だったので、具体的に「~に行きたい!」ってのはまだ定まっていない段階なんですよ。

だから、そういった質問をされた僕は。

ぼく「う~ん。今はマスコミ系(テレビ、広告)に興味あるんだよねぇ。あとは商社かな。。」

と曖昧な返答。

すると。

同じサッカー部で戦った司令塔の男が、

「え~? マスコミ? 芦田が?」

と言うわけです。

「いやぁ、正直おれは軽くガッカリしたなぁ」

とまで言うわけ。

当然僕は「なぜ?」と聞くわけです。

「いやぁ、なんか違うよ。芦田がテレビ局? なんか違う。お前はそんなもんじゃないだろ!」

と言う彼。

なぜかわからないが、周りの数名もうなずく。

僕は正直面食らいました。

まぁ現時点において、本気でテレビ局や広告代理店に行きたいって思ってるわけではないけれど。

こうやって「~に興味があるんだよね」って話をして、こんなふうに否定されたことは初めてだったから。

大学の稲穂キッカーズの連中と話していてもまずそんな展開にはならないし、高校の友人もまた然り。

でも千歳中の彼らは違った。

「芦田はやっぱ何か上に立ってやらなきゃだめだろ。そんなテレビとか入って、下っ端から頑張ってみたいなのじゃダメだ!」と言う彼や彼らや彼女。

すると、僕は何だかワクワクしてきました。

こんな風に「芦田太郎」と言う人間を素直に客観的に(いやむしろ彼らの主観なのかもしれないが)見て、率直に意見してくれる環境が久しくなかったから。

しかも今本気で

「自分はどんな会社に行くべきか?」

「自分の長所を最大限に生かせる業界はどこか?」

を悩んでいるときに、こんな風に第三者に意見を言ってもらえたのは初めてだったから。

楽しくて仕方なかった。

もっと言ってくれ。

もっと教えてくれって。

彼や彼らや彼女らは主張し続ける。

彼「俺はもっと芦田に向いてる仕事あると思うけどね。」

ぼく「そうなのかなぁ?どんな業界が向いてるかな?」

彼「う~ん。よくわかんないけどさ。起業しちゃえよ! お前なら出来るって。」

起業。

これ、高校の友達にも言われたことある。

そしてつい最近ブログ会の後輩たちにも言われた。

ぼく「無理だよ。金もないし、明確なプランもないしさ。」

かれ「そうかぁ。でも絶対いけると思うんだけどねぇ。じゃあさ政治家だよ、やっぱ!昔から言ってるけどお前が日本を変えろよ。てか変えてくれよ。」

政治家。

これも高校の友達によく言われた。

おれ「だからさ、前から言ってるけど政治家なんてなりたくないし、なれないよ。金もコネもないしね。」

かれ「いや、でも絶対むいてると思うけどね。」

おれ「う~ん。。とにかくマスコミ系はやっぱ向いてないのかなぁ?」

かれ「なんか違う気がするよ!まぁ受けるのはお前の勝手だし、受ければ良いと思うけどね。」

かれ「やっぱお前は、昔から一筋縄じゃいかないやつで、先生に怒られたりしても絶対すぐに「はい」って言わなかったし、しかも言い返すことにも理屈が通ってた。そうやって権力に対して屈せずに、むしろ倒してやるくらいの感じがテレビ局って感じじゃないだろ、明らかに。」

おれ「う~ん。確かに。なぜテレビ局なのか?って突き詰めて言ったら全然深い理由ないしね。でも広告は?」

かれ「じゃあ逆になんで広告なわけ?」

以下僕の台詞。

まぁこっちも浅い業界研究だからよくわかってないんだけどさ。俺はやっぱ人と直に関わっていくのが好きだし、その人が集まって出来る集団って物を作り上げていくのがすきだって大学のサークルでわかったんだよね。

副キャプテンとして、チームのために何が出来るかとか、メンバー決めに関わってたからいかにメンバーを決められる側の選手たちが納得して、高いモチベーションを維持してサッカーをやっていけるかとかを考えながらやってきた。

で、そのためにはコミュニケーションが欠かせないんだ。
たいして普段絡みもしない監督みたいな先輩に「君はAチーム。君はBチーム」って言われても納得できないからね。

だから俺はサッカー以外の話も気楽に出来る関係を特に後輩たちと築かなきゃダメだって思ったし、そうやって来た。

とにかく100人近くのメンバーを一つの目標に向けて、高いモチベーションを持続させるって言う仕事を俺は全うしなきゃダメだって思ってやり続けたし、それが楽しかった。

で、結果としてまぁ俺の力だけでは決してないけど、日本一を成し遂げられた。

そんな経験から、広告はクライアント側の「うちの商品をこうやってアピールして欲しい」とか「どうやってアピールしたら一番良いのか?」って要求を聞きながらも、広告を作る側として要求したり、提案する。

そうしてクライアントの要求やよさを最大限に出せるように検討する。

そういう人間同士の対話だとかコミュニケーションから一つの広告を作って世の中に送り出すっていう作業が向いてるかなって思ったんだ。」

以下彼の台詞

なるほどねぇ。

まぁ確かにそれは向いてるかもしれない。

でも違うよやっぱ。

芦田がクライアントの良さを引き出してあげる?

なにそれ。そんなんじゃないだろ、おまえ。

お前はお前。それがお前じゃん。

お前はもっと高い位置からお前を出すのがお前じゃん。

以下僕の台詞。

いや、お前そんなこといってもさ。
どっか集団に帰属した場合、絶対最初は下の位置からになるわけじゃん。

そっから結果を出したりして信頼を勝ち得ていく中で出世したり、独立するわけでしょ?

いきなり最初からは無理だよ。

それになんか俺を過大評価しすぎだろ。

俺みたいな人間は世の中に五万といるかもしれないわけだし、逆に言えば俺は世の中に出ても今のまま通用するかもしれない。
どっちに転ぶかなんてホントわかんないよ。

かれ「確かに過大評価してるかもしんない。でもね、そんだけ期待してるだよ俺は!」

すると周りの連中もうなずいている。

しかし、とにかく合コンに飢えている男子一名は

「俺は芦田がフジテレビに入ったら、色々と期待してるけどね。」

と言う。

まだまだ続く討論会。

かれ「それになんか芦田はテレビ局落ちると思うよ。」

おれ「なんで? まぁたしかに受かるとは決して思ってないけど。」

かれ「なんか「君は優秀だけど、うちの社よりももっと君を生かせる良い会社があると思う」とか言われそう。」

おれ「ありえないだろ。どんだけだよ、おれ。」

かれ「まぁとにかくお前はマスコミなんかじゃないね! とりあえず起業か政治家になれよ!」

おれ「いやまぁそれはないとしても。良い勉強になったわ。初めてそんなこと言われたし。やっぱ良いね、地元は。」

これは本心だ。

褒められてるんだか、怒られてるんだか良くわかんなかったけど。

そんな風に客観的に見た自分を第三者から言われたのは初めてで、新鮮で、楽しかった。

やはり「人種の坩堝」であるわが母校の人間は最高だ。

学歴なんて関係ない。

早稲田? だから何?

昨日のメンバーに「勉強しか出来ないつまんない奴」なんていない。そんな奴俺らの中では認められない。

つまんない奴なんて一人もいない。

いつのまにか左半身に刺青入れちゃってたヤクザもいるし、今は刑務所にいる奴だっているし、大学生もいるし、専門生もいるし、フリーターもいるし、キャバ嬢もいる。

それが世の中だし、地元だ。

そんな友人たちと朝方まで語り合える。

それだけで素晴らしい。

それだけで楽しい。

僕は彼らに良い刺激を受けた。

どんな業界に行くにせよ、もう一度自分自身を見つめなおす必要があるようだ。

自分に自信を持ち、進んで行こうじゃないか。

怖れることは何もない。

ヤクザをやっている友達が

「就職困ったらうち来れば良いよ」

って言ってたし。

俺は大丈夫だ。

●2007年01月28日
スタート就活

どうも。

1週間ぶりなんで今日は長いよ~。

頑張って読んでね。

「僕らの音楽」見ましたか?

salyu良かったねぇ。

イルマリとのコラボも良かったねぇ。

最近、Amazonで村上龍のエッセイを2冊購入して読んでいます。中古で安かったから。

彼の文章は力があって、モチベーションを上げるにはもってこいだからです。

何と言うか「文章からほとばしる力」があるんですよね。

あなたの好きな本は?

と聞かれたら

間違いなく、

『愛と幻想のファシズム』と答えるであろう現時点の僕ですから。

あなたもよければ村上龍読んでみてください。

さてさて。

そろそろ始めましょう。

皆さんお元気ですか?

3年生のみんな。

就活してますか?

僕は就活しかしていません。

就活のことしか考えてません。

内定取ることしか考えてません。

なんてね。

うそ。

そんなわけないじゃん。

僕の本格的な就職活動は、事実上、本日スタートしたと言ってもよいのではないでしょうか。

岩田君、浜田君、羽田君と三井不動産のセミナーに行ってきました。

そう。初めてのセミナーであります。

就活用に作ったスーツをやっと着る機会が来たわけであります。

ここ最近、テストと並行して、急激に就活に携わる時間が増え始めました。

エントリーシート出したり。

業界研究したり。

まぁそんな事言いつつも僕にとってはテストの方が大事ですから、まだまだ本腰と言うわけではありませんが。

実際明日までテストありますし。

まぁそんなこんなで、初めてのセミナー。


初戦の相手は業界最大手三井不動産。

まぁ大手中の大手でしょう。

「都市開発」という言葉には魅力を感じるものがあったので、わりと楽しみにしていました。

そしてグループワークも盛り込まれると言うことだったので、「世の中の就活生とは如何ほどのものか」という妙な対抗意識を燃やしながら浜松町にある会場に向かったわけであります。

予想以上の人の数でした。

6人一組のテーブルが70近くありましたからね。

不動産ってこともあって女子は余り多くなく、僕のテーブルは女の子1人、男5人。

僕は基本的にこういう初めての場で、良くも悪くも出しゃばれるタイプではない。

様子を見て、各人間の色と言うか性格をつかむ事に徹する。

すると、男子君1人が

「みなさん今日はどこからいらっしゃったんですか?」

とお前はリクルーターかと突っ込みたくなる質問を全員に浴びせかけた。

まぁでも冷静に考えて、初対面の6人が一つのテーブルに集まっている状況において出来る最低限レベルの質問だ。

だって。

いきなり「大学どこですか?」は失礼だ。

だから冷静に考えて「彼の質問は悪くないな」って、「おまえはリクルーターか」って突っ込みたくなった30秒後に思い直しました。

まぁ、それぞれ答えます。

みんな関東だったけどね。

必然的に就活に関しての話題に。

   ☆☆☆
  テーブル  (各テーブルの図。☆は人間)
   ☆★☆

ここで、★に座っている男子君が、結構就活マニアであることが判明し、彼を中心に話題は進む。

ちなみに僕はその左隣である。

話しぶりからして彼はなかなか利口そうだ。

羽田君のようなエセ就活マニアではなさそうだ。

すると別の男子君が「じゃあせっかくなんで自己紹介しましょうよ」と言い出す。

まぁ悪くない。全うだ。

しかし、僕がここで一番懸念したのは、学歴の言い合い的な雰囲気。

特に早稲田。

大きい説明会とかの質疑応答で、絶対言う必要ないのに

「早稲田大学~学部の~と申しますが・・・・」

と堂々と述べる馬鹿。

しかもだいたい政経。

嗚呼政経。

ところが、一番手の彼は素晴らしかった。

学部しか言わなかったのだ。

スムーズに流れる自己紹介。

いや、ちっちゃなことかもしれないよ。

でも俺はそれがすごく気持ち良いと言うか、何と言うか。

そんなこんなで会はスタート。

最初は三井不動産という会社についての大まかな説明だった。

最初に言ったけど、三井不動産は業界1位だ。

しかも2位の三菱地所を結構離しての1位だ。


このことは大まかな説明でも触れられた。

「うちは総合的に見て1位です。こんなに差があるんです。」

まぁそんな自信のこもったプレゼンであった。

しかし。

僕は思う。


「業界1位だ」と言うことを主張したり、宣伝したりすることは至極全うなことであるし、決して悪いことではない。

しかし。

それをやるならば、ある「説明責任」と言うものが生じると僕は思う。

それは、

「なぜ1位なのか?」

「どの部分で2位、3位に優れているから1位なのか?」

「今後も業界1位を堅守していくためには、どうすれば良いか?」

など。特に上の二点は必須であると僕は思う。

ただ「僕は1位だ。すごいんだ。」なんて言ってもダメだ。

それは先ほど言った「僕は早稲田の政経です」って言う必要ないのに宣言しているのと同じだ。

「で? だから?」

それで終りだ。

なぜ三井不動産が1位なのか?

それは単に会社の規模の大きさが三菱地所と違うからなのではないか?

会社の規模が違えば、その分利益も変わる。

規模に対する利益率で言っても1位なのか?

こうやってどんどん疑問が生まれてくる。

単に「1位」と言っても、それは本当の意味で1位なのかはわからないのだ。

こういうことを質疑応答の時間に質問するべきなのに誰もしない。

「休みの日は何してるんですか?」

なにそれ。どうでも良くない?

休みの日に何しようが勝手だろ。

休みの日こそ自己流の遊びやらをするわけでしょ。

それ聞いたところでどんなメリットがあるの?

そんなプライベートなこと聞くなら

「年収はいくらですか?」って聞いたほうが良いよ。

「仕事の達成感を感じる時はどんな時か?」

っていつもみんな聞くけど、そんなの各社員が説明している時に話聞いてれば大体わかるじゃん。

どんな事にやりがいを感じているかなんて、一通り社員に人が自分の仕事を話した後に、改めて質問することじゃない。

もう少し良い質問をしよう。

「三菱地所との違いは何ですか?」

「日本橋の景観をよみがえらせるために首都高を移動させるって言ってましたけど、そんなこと可能なんですか?」

とかね。

少し話がそれたが。

例えば、これはこんなことにも通じる。

よく代ゼミやらの大手予備校で、

「早稲田・慶応~人合格!」ってのを大々的に宣伝している。

で、これは一見すごそうに見える。

「うわっ、こんなに受かってるんだ。すげぇな。」

「俺もここ入れば受かるかな?」

ってな具合に。

しかしこう言う「数字」に対しては常に疑問を持たなければならない。

例えば代ゼミの早稲田大学合格数が1000人だったとする。

ここで大切なのは「分母」だ。

代ゼミ生が1500人受けて1000人合格したのなら、3人に2人が合格した計算になる。

これはなかなかだ。

しかし実際の分母は公表されない。

なぜなら途方もない数の全国の代ゼミ生が早稲田大学を受験しているからである。

仮に分母が5000人だと一気に1000人の価値は下がる。

さらに。

こういう合格者数というデータはいい加減なのだ。

たとえばA君は慶応大学の経済学部、商学部、文学部に合格したとする。

この場合、予備校や各高校は

「慶応大学合格者3名」とカウントする。

おかしな話だ。

極端な話、B君が早稲田大学の全ての学部に合格すると。

「政経、法、商、社学、教育、一文、二文、人科、スポ科、理工」に合格するわけだから早稲田大学合格者数10名とカウントされる。

おかしな話だ。

だからデータとか、数字と言うものは注意してみなければならない。

特に分母を。

テレビやらでマスコミが公表するデータや数字も一緒だ。

何事も鵜呑みにするは良くないし、間違っている。

あるある大事典の納豆問題もこんな事の象徴だ。

熱くなってきたのでもう一つ述べておこう。

こう言った世の中に蔓延る既成事実はたくさんある。

例えば、最近の話題で言えば「そのまんま東」。

彼は僕と同じ学部で同じ学年だ。いつの間にか中退していたけれども。

今日サンデープロジェクトに出演していたが、やはり以前と顔つきが違うし、知事と言う仕事に対する真剣さも伝わってきた。

僕自身も特に彼を嫌いだとは思っていないし、選挙の際に芸能界の力を一切使わなかったことは評価できることだと思う。

が。

思い出してみてほしい。

彼は以前、児童福祉法違反容疑で身柄を拘束された男だ。

その時のマスコミの叩きようと言ったらすさまじかった。

本人は相手が16歳だということを知らなかったと主張し続けていたが、そんなことは関係ない。

だが、どうだろう。

今の彼を報じるマスコミ。

そんなこと一切触れない。

「無党派層の星」だといわんばかりの賞賛ぶりだ。

別に触れるべきだとは僕も思わない。

ただこのマスコミの豹変ぶりに腹が立つだけだ。

過去にこだわる必要はない。

謹慎中に、反省し、勉強し、早稲田に入り、更正した。

確かにそうかもしれない。

だがどうだろう。

元経済企画庁長官のお偉いさんまで

「そのまんま東知事に期待する」なんて記事を書いちゃう。
(http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/shusei/070125_13th)

「彼と親交のある俳優の石田純一氏は、彼について「とにかくまじめで堅い人」と証言している。子供のころからの政治への熱意。タレント業の傍ら、大学へ通って政策勉強。そこに気まぐれではない決意が感じられる。80項目にわたる彼のマニフェストは、他候補に勝るものであったという。」

だってさ。

とにかくまじめで堅い人が、暴行事件や、児童買春をするんですか、先生。

なんなんだろう、この閉塞感。

マスコミはくだらない。本当に。

せめて週間ポストくらいは「変態が知事になっても良いのか!」くらいは書けよ。

貫けよ、少しは。

と思う。

何度も言うが、別に東が嫌いなわけじゃない。

彼には宮崎県を良くしてほしいと真摯に思う。

ただ、論点はそこではない。

要するに。

そんな東に勝てるような候補を立てられない自民党も民主党も終りだってことだ。

サヨウナラ。

日本の政治大丈夫?

嗚呼。


完全に話題がそれてセミナーの話に戻せる自信がありません。

って言ってもセミナーについては特にもう書くことないんですけどね。

全体的に楽しいセミナーでした。

都市開発ゲーム的なものも実際の仕事内容がわかって良かったし。

なかなかアリだなって思いました。

これからどんどん色んな業界を見て、色んな同志たちにあって、色んな刺激を受けて、さらにさらに自分を高められたらなって思います。

モチベーション結構あります。

さて。

そんなこんなで、明日はテストなんで勉強します。


●2007年02月07日
就職活動と僕
就活してます。

こうやって自分と向き合い、

自分が本当にやりたいこと、

自分の長所

自分の短所

自分の能力

自分がやってきたこと

を真剣に考える機会なんてもう二度とないじゃないか。

絶好の機会じゃないか。

そう思います。

内定者の人や、現役で働いてる人の話を聞いた。

世の中色んな人がいる。

世の中すげぇ奴、面白い奴が沢山いる。

ワクワクした。

ワクワクしてる。おれ。

やってやろう。

俺はどんな道を歩むべきなのか?

どんな道を歩みたいのか?

自分と向き合い、よく考えよう。

「自分が最も欲しいものは何かわかっていない奴は、欲しいものを手に入れることが絶対にできない」 (村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』)

●2007年02月12日
就活してますよ
どうも。

salyuのライブいってきたよ。最高だったよ。
歌上手すぎて鳥肌立ちっぱなしだったよ。
ライブレポートはまた今度書くよ。

さて。

最近メールチェックとES(エントリーシート)作成で一日が終了します。

たまにバイトって感じ。

ここ最近はある会社のESに力を注いでいます。

今日はテレ朝の1次面接行って来ました。
結果は明日の夜に出るみたいです。
受かってると良いねぇ。

あんまり詳細に書くのも下品な気がするので、ちょくちょく書く程度にします。

さて、今日は。

ある会社のESで「あなたが最近一番気になることは?」っていうでっかいスペースが与えられた設問があったんで、そこで僕がいくつか考えた気になること載せます。

って言っても前々回の日記の内容を更に深く書いただけだけどね。

せっかく書いたんだし、何かに残しておきたいななんて。

これ実際提出するかはわかんないけどね。

以下内容。

「最近日本のマスコミが気になる。

いつの間にか中退していたが、宮崎県知事に当選した東国原氏は私の大学学部の同期に当たる。

トイレで横並びになったこともある。

私自身、彼を素直に応援したいし、選挙の際に芸能界の力を一切使わなかったことは評価できることだと思う。

しかし、ここで少し立ち止まって考えてみたい。

出馬前のマスコミは、いち早く彼の出馬をかぎつけ、出馬に対して批判的な報道を行っていた。

だが、今の彼を報じるマスコミはどうだろうか。

「無党派層の星」だといわんばかりの賞賛ぶりだ。

私は、こうしたマスコミの

「今起きていることを追いかけて、とにかくヘッドラインを積み重ねていくと言う姿勢」

に疑問を感じざるを得ない。

確かに「今起きていることを追いかける」ことはマスコミの大切な役割の一つである。

しかし「今起きていることだけを追いかけている」のでは、物事の真相、本質は見えてこないし、伝わらない。

マスコミが追求すべきなのは、

「なぜ大学3年修了の学問レベルである東国原氏に勝てるような候補を自民・民主ともに立てられないのか?」

ということだ。

東国原氏は選挙に備えて学生と共にマニフェストを作成したと言う。

そしてこれに対抗できるマニフェストを、政党推薦の候補は作成できなかった。

こんなことがあって良いのだろうか?

ここでマスコミは、東国原氏のマニフェストを分析すべきだ。

そして落ち度があるならば「こんなマニフェストにも自民党・ 民主党は勝てない」と堂々と報じればよいし、逆に素晴らしいマニフェストならば「政党は信用ならん。無党派の時代だ!」と報じればよい。

これによって国民は現代日本政治に不信を募らせるだろう。

そしてそれは先の参院選挙の結果に大いに影響してくるだろう。

このようにマスコミは国民にある事象の真相、本質を伝えなければならない。

そう言った意味で「政権交代」が実現するかどうかは、自民党の腐敗でもなく、民主党の躍進でもなく、マスコミの報じ方一つで変わってくると思う。

そんな重大な役割を担うマスコミ。

大丈夫だろうか? と私は不安になる 」

こんな感じ。まだ推敲の余地ありですけどね。

明日はバイトに行ってきます。

それではまた。

●2007年02月15日
テレ朝と奥菜とsalyu
どうも。

今満喫にいます。

だって僕漫画が大好きなんだもん。

萌えーーーーーーーーーーー

嘘です。

午前中三菱商事にOB訪問いって来て、5時からのバイトまで暇だからです。

品川のオフィスビル地帯には新宿や丸の内と違った趣がありますね。割と好きです。

昨日テレ朝の筆記試験受けてきました。

久しぶりに英語の長文読みました。
時間足りなくて若干てんぱりました。

一般常識にリアディゾンが出ました。

テンション上がって、ここぞとばかりにマークシートに魂こめて塗りつぶしました。

沢尻とかエロかっこいいとかも出ました。

さすがテレビ局ですね。

作文は「天国と地獄あなたはどちらに行くと思いますか」というテーマ600字以内・制限時間30分。

これは結構余裕でした。

午後は、まきの君が嫌悪している奥菜恵の前夫が社長やってる会社の面接。1次か2次かどっちかよくわかんないけど。

6人のグループワークを面接官が見ている形式。

みんな超緊張していた。

声震えまくってたし。意味わからん。

すべて終わった後にITマニアの慶応ボーイに

「何でそんなに落ち着いてるんですか?」

と聞かれたから、

「う~ん。まぁ志望企業じゃないんで。」

ってブラックジョークで返したら、本気で引かれた。

引くなよITボーイ。

ITボーイ、ベンチャーボーイにも負けずに自分を出せたと思います。あとは面接官の好みだろうから、結果を待つしかありません。

ただ一人、都知事の出身大学の青年には力を感じた。

そんなこんなな昨日今日でした。

さっきメールを見たらテレ朝3次に進出できそうです。

面接のほうが好きだし得意なのでがんばってきます。

ここで遅くなりましたが2月9日に参加したsalyuのライブレポート。


■LIVE曲順
1 be there
2 彗星
3 Tower
4 体温
5 故に
6 name
7 夜の海 遠い出会いに
8 landmark
9 heartquake
10 鏡
11 プラットホーム
12 I BELIEVE
13 風に乗る船
14 トビラ
15 Apple Pie

ENCORE

1 行きたいところ
2 VALON-1
3 to U

良いライブでした。

県民ホールちっちゃいし、salyuを近くで見れたし。

ただちょっと音響が悪かった。

salyuの声の美しさを音響が生かせてなかった。

マイクとか。

しかしマジで歌うまい。やばい。

鳥肌立ちっぱなしですよ。ほんとに。

泣いてる人いたし。

俺もVALONは若干じわっと来た。

声量が半端ない。全てを包み込みます。

あなたもだまされたと思って、一回「TERMINAL」というアルバムをツタヤで借りてみてください。

癒されますし、力をもらえますから。

ぜひぜひ。

さて。

就職活動もいよいよ本格的に動き始めてきました。

後悔の無いように、自分の持てる力全てを出し切りたいと思います。

それと就活してて改めて思ったんですが。

稲穂キッカーズの後輩の人たちへ。

稲穂って最後までやりきってこそ意味のあるサークルです。
最後までやりきって何か結果を残してこそのサークルです。

だから頑張って下さい。

なんか偉そうでうざいな。

でもホントです。

気がついたら今年のバレンタインデーは終わっていました。

彼女が歌うまくて、バレンタインデーにこの歌を生演奏してくれたらチョコレートなんて糞みたいなもんです。

ではまた。

追伸。

阿部和重『無常の世界』読んでみてください。

斬新且つ天才です。

●2007年04月30日
就職活動日記
5月1日。

汐留にある権力的なビルの会社の最終面接を受け、僕の就職活動は終りそうです。

結構長かった。

「終りそう」って書きましたが、たぶん本質的には終りません。

「就職試験」は終りますがね。

合否の結果はどうあれ、またそっから色々と悩むでしょう。

全て終ったら報告したいと思います。

うちの大学、人が多すぎてイライラします。

●2007年05月09日
蹴りたい電通
どうも僕です。

みんな元気?

最近暑くてやってられませんね。

トヨタの営業利益が2兆円を超えたんだって。
やばいね。

電通の売上高が2兆円なんですけど、トヨタの営業利益が抜いちゃってますからね。

さすが世界のトヨタ。

トヨタがなくなったら日本経済はとんでもない事になるってのは満更嘘でもない気さえします。

さて。

今日はなぜ日記を書き始めたんだっけ。

挑戦的なタイトル。意味を勘違いしないでね。

勝手に激怒したりしないでね。

レビューにも書いたけど、『蹴りたい背中』良い作品だった。

いやいや、また話がそれた。

そう、就活だ。

僕の就活は、mixi上でも記していたが、

本格的な就職活動開始を告げた日記である 1月28日『スタート就活 』。

そして、その後。

数え切れないほどのドラマが。

そしてそのドラマはまだ続いています。

僕は今、21年間生きて来て、一番苦悩しています。

心労しています。

人々は幸せな悩みだと言う。

人々はどこでも良いじゃんと言う。

俺から言わせればそういう問題じゃない。

幸せだとか不幸せだとか関係ない。

愚問だ。

どこでも良いなら、テレビ朝日内定の2月25日の時点で就活をやめている。

モチベーション維持が非常に困難ながらも、5月1日の蹴りたい電通まで受け続けない。

本当に行きたいと思った4社だからこそ受け続けたし、やりきった。

そして本当に行きたい4社だからこそ、全て内定をもらって、

「自分で選択する」状況を作り出すために頑張った。

勘違いするウンコちゃんがいそうだから一応言っておくけど、俺は内定コレクターでもないし、何の志もなく有名企業を受けまくっていたわけでもない。

なんかこんなことを自分で書いちゃうのも言い訳がましいし、かっこ悪い気がするけど、どうもイライラするから書いた。

芦田太郎という人間の21年間全てをぶつけようと決意し、その結果勝ち取った4社の内定。

本当に行きたいと思った企業以外は受けなかったし、途中で辞退もした。

俺が選び、歩んできた21年の人生を全てぶつけるからには、それなりの結果を出す。

21年間をぶつけて、世間に認めさせようじゃないか。

蹴りたい電通。

それくらいの意気込みで行こうじゃないか。

そうじゃなきゃやってられん。

稲穂をやり切り、ただでさえ一般就活生と比べると遅い就活のスタート。


それくらいのモチベーションじゃなきゃ。

大学選びとはわけが違う。

「とにかくでかいことをやりたい」

     そして

「世の中に影響を与えたい」

そんなアホみたいに漠然とした思いから僕の企業選びは始まった。

そんな可能性がある企業・業界ってなんだろう?


①テレビ

みんな見る。俺も見る。割りと好き。

②広告

みんな見る。俺も見る。色んな人巻き込める。

③商社

よくわかんないけどスケールでかい。世界に出られる。

これが1月28日『スタート就活』を書いた頃の僕。

なんて曖昧なんだと思うかもしれないが、世の中の就活生なんてこんなもんじゃないの?って思う。

そして息つく暇もなく始まる選考。

テレビの選考早い。


最初のES締切はTBS。

「テレビならバラエティだろ」

同期にすら「意外」と言われるが、僕はバラエティ志望。

「報道っぽい」とも言われるが、僕はバラエティ志望。

僕にバラエティを語らせると意外にめんどくさいことをみんな知らないだろう。

話を戻そう。

そうTBS。

TBSに関しては、正直ESに書く志望動機がなかった。

だってTBSのバラエティおもしろくないじゃん。

TBSの人には申し訳ないが。

リンカーンも金の無駄遣いだし、キャストを完全に殺してる。

あんなタレントの使い方をしてる局のバラエティに未来はない。

ってことで超適当なESになった。

今見返してもひどい。

でも「蹴りたい電通」のテンションでスタートしている僕は、「ESくらいは適当でも通るだろう」的なよくわからないイキがりスタンス。

そりゃ落ちる。

最初で最後のES落ち。

今思えばTBSありがとう。

僕の目を覚ましてくれて。

そして次のテレ朝。

これは本気。

僕個人の意見ですが、現状のバラエティと言ったら、フジかテレ朝でしょ?

実際ここ数年のテレ朝バラエティの躍進には目を見張るものがあったし、視聴率もフジに次ぐ2位にまで躍進していた。

だから本気。

ESも超本気。

何回も推敲した。

通った。

そして僕は就活ロード初の面接を迎えるのである。

つづく。


●就職活動終了(vol.1)
どうも。

こんな時間になってしまいましたが。

決めました。2008年4月1日に入社する会社。

上手く書けるかわからないけど、可能な限り詳細に僕の心情のめまぐるしい変化を書き記してみたいと思います。

5月9日『蹴りたい電通』 に書いたように、就活をはじめた時期が遅かった僕は「第一志望の企業」を決めるというレベルに達しておらず、以下のようなテンションで就活に望み始めた。

(以下『蹴りたい電通』より抜粋)

「俺が選び、歩んできた21年の人生を全てぶつけるからには、それなりの結果を出す。 21年間をぶつけて、世間に認めさせようじゃないか。 蹴りたい電通。 それくらいの意気込みで行こうじゃないか。 そうでなきゃやってられん。副キャプテンで全国制覇した稲穂キッカーズ(サッカー同好会)をやり切り、ただでさえ一般就活生と比べると遅い就活のスタート。 それくらいのモチベーションじゃなきゃ 」。

そんな感じでスタートし、一番最初に受けた企業であるテレビ朝日の選考はあれよあれよと進んでいった。

この頃の僕は無我夢中でした。

なんせ、初めて受ける企業。初めて受ける面接。

コツもクソもありません。

とにかく全力でぶつかるという選択肢しかない。

受かるにせよ、落ちるにせよ全力を出し切れば後悔しないだろう。

このあからさまな体育会系ののりで僕とテレ朝との戦いは繰り広げられた。

そして。

忘れもしない2月25日。

テレビ朝日本社。

内定。

正確には内々定。

そして、「本日を持って就職活動を終了すること」、「2008年4月1日にテレビ朝日に入社すること」と記されている用紙を音読し、判子を押した。

そう。 僕は嘘をついたのだ。 どきどきしながらも。嘘をついたのだ。

僕の就職活動は終らない。終らせない。終らせてたまるか。

だから嘘をついた。

その当時、僕がまだ受けたいと思っていた企業。

① 博報堂
② 三井物産産
③ 電通

さらに、その当時の第一志望は博報堂だった。

なぜか?

いかんせん就職活動を開始したのが遅かった僕には圧倒的に情報が不足していた。

そんな無知丸出しの僕は、 「博報堂って何かカッコいい」 「電通って何かチャらい。超チャらい。酒ばっかり」 というよくわからない偏見。

さらに、唯一何とか知り合えた博報堂の内定者(つまり2007年4月入社)の方にお話を伺ったことが大きく影響していた。

その人伝いの電通情報に唯一つ魅力的な情報は存在せず、そのせいか博報堂の情報は全て輝かしく思えた。 何と単純な僕!

そんなわけで僕は、「博報堂に行きたい」といつしか思うようになっていた。

そう思い始めたのも2月後半。つまり2月末から3月にかけての第一志望は、間違いなく博報堂であったのだ。

ではなぜテレビ朝日<博報堂なのか?

無論テレビ朝日に内定をもらうために必死で頑張った。 が、内定をもらったあたりから、リアルに自分がテレビで働くことを想像するという作業に入り始めた。

実際内定してからこんな作業を行うって言うことそのものに問題がある。 まぁそれは置いといて。

で、気づいたこと。

俺は確かにテレビが好きだ。

バラエティが好きだ。

これは確かだ。

が。

いくら好きって言っても。

「笑いに人生ささげるってどうなの?」

「寝ずに番組作るってどうなの?」

「寝ずに身削ってまで作る対象が『笑い』で良いの?」

「局の中にこもってる人生、視野狭くない?」

「てかそもそも寝れないって、意味わかんなくない?」

と言う具合である。

と言う具合であるからして。

「雰囲気も良さそうで、カッコいい博報堂の方が良くない?」

「広告なら色々なクライアントと関われて視野も広げられるんじゃない?」

「話を聞く限り広告の営業って自分にむいてるっぽくない?」

「明らかにテレビよりは寝れるっぽくない?」

と言う具合である。

そんなこんなで、テレビ朝日に内々定を頂くことができた2月25日の3日後の2月28日。

僕はパシフィコ横浜に来ていた。

そう。

博報堂の筆記試験である。


●2007年02月28日 02:09

以下僕のコメント

「>みなさんへ

激熱コメントの連続にテンション上がっている僕です。

明日は僕の現時点における第一志望とも言っていい企業の筆記試験なので今日は寝ます。また明日じっくりコメントを返させていただきます。

ではまた。」

このように、博報堂は「僕の現時点における第一志望とも言っていい企業」だったのである。間違いなく。

そして何とか筆記を突破。

1次面接は3月13日。

この間、同時並行で行われていたことがある。

商社の業界研究である。

テレビ朝日の内々定がある現状。

この現状がある限りかなり強気の就職活動が出来る。

つまり。

テレビ朝日と比べて、もし内定を勝ち取れてもテレビ朝日と迷うレベルに達しない企業は自然と僕の就活から外れる。

それを商社に当てはめると。

業界1,2位の旧財閥。

三菱・三井に絞られた。

俗に言う「組織の三菱、人の三井」。

「石橋を叩いても渡らない住友」は落選した。

その理由は。

たまたまだと思うが、住友のOB訪問を行った際、非常に堅い印象を持った。

実際お話を伺った社員さんもそんなようなことを言っていた。

言わば、校則の厳しい私立的な。

なんだかすごく窮屈な感じがした。

あくまでも僕の個人的偏見意見なので悪しからず。

元来「石橋を取り合えずわたるっしょ、芦田」な僕なので、この取捨選択は自明。

そして三菱・三井。

三菱の覇権が続いているが、充分に追い抜く可能性を秘めている三井。この2社に絞られた。

そんなこんなで。

三菱のセミナーには抽選はずれ。

OB訪問は2人行った。

三井のセミナーには当たり。
3月12日。

このセミナーは大きかった。

OB訪問は1人行った。

さて、読者の方は時系列の整理が難しいかもしれないが頑張ってほしい。

僕も頑張るから。

3月12日・三井物産セミナー
3月13日・博報堂1次面接
3月12日・三井物産セミナー。

これ非常に良かった。

マイクを使わず、ブースごとにかなり近い距離で、自分のタイミングで好きな社員の話を聞けるというセミナー。

ここで感じた三菱とのおきな違い。

何度も言うがこれは僕の独断と偏見。悪しからず。

三菱=トップダウン型
三井=ボトムアップ型

さらに無理やり定義すると。

三菱=組織強い
三井=個人強い

このセミナーにおいてどの社員の方も口々におっしゃっていたのが、
「物産は、自分から動き出さないと何も始まらない会社。」

「受身の姿勢はいらない。必要なのは積極的自発性。」

良いじゃないか。その感じ。

僕はずっとサッカーという集団スポーツをやってきて、大学では稲穂キッカーズと言うやたらガチでクソ熱いサークルで活動してきた。

これは一見、組織向きのように見える。

でも違う。

僕は余り「組織、組織」な感じが好きじゃない。

もちろん組織の良さもわかるし、組織に耐えられないわけじゃない。

しかし。

組織というのは個あっての組織であるし、組織に依存する個は死んでいる個だ。

そんな個にはなりたくない。

「個あっての組織」。その『個』であり続けたい。

組織と言っても自分発信の組織。

自分ありきの組織でありたい。

そういうメンタルで生きてきた。

ってことは。

「物産」良いじゃん。

しかも超ドメスティックに21年か生きてきた僕(海外経験は大学2年時のグアムのみ。その当時の日記→『僕がグアムで学んだこと』)にとって、商社というのは、そんな超ドメスティックな僕をグローバルな人間に変化させるキッカケとして充分に足るものである。

やっぱ物産いいじゃん。

海外って最高に視野広がるじゃん!

英語しゃべりたいじゃん!

嗚呼、何て単純な僕!

と言うわけで。

3月13日の博報堂1次面接前日の3月12日。

僕は「三井物産もやりきるか!」と決意する。

気づいたらもう3時。

でも続きはまだまだこれから。

結論行くまでに後どれだけかかるのやら。

今日はここまで。


●続・就職活動終了宣言(vol.2)
どうも。

最近暑いね。今年は絶対水不足になるね。

爆発した渋谷のスパ。

その前日に、僕はあそこから徒歩1分の映画館で『大日本人』を見ていた。その劇場で一人鑑賞している今田を見た。

さて。

ちょっとばかり日があいてしましましたが、続き書きます。

えーっとどこまで書いたんだっけか。

前回の日記の終わりが、「3月13日の博報堂1次面接前日の3月12日。 僕は「三井物産もやりきるか!」と決意する。」って書いてあるから3月13日かな。

3月13日。

この日は博報堂の1次面接。

当時の第一志望ですから、かなり気合はいってました。

手ごたえ抜群だった記憶があります。

割りとオーソドックスな面接でした。

志望動機、学生時代頑張ったこと。

広告っぽい質問といえば、「好きなCMは?」くらいかな。

ばっちり用意していたので完答。

あと趣味の欄に読書って書いて、それだけじゃつまんな過ぎるって思った僕は、ふざけて『読書(阿部和重からマキバオーまで!)』って書きました。

すると。

面接官「なんでマキバオーなの? 競馬好きなの?」

僕「はい!中学生の頃が一番好きでした。」

面接官「この前の凱旋門賞見た?」

心の中の僕「来た。来たね。食いついてきたね。」

そう。以前の日記『凱旋門賞』にあるとおり、競馬は割りと好きなんです。

ってなわけで、若干競馬トークで盛り上がったりして終了。

そして皮肉な事に、その日の夜はテレ朝の同期飲み。@渋谷

しかも俺幹事。わけわからん。

そこで同期に就職活動を続けていることを明確に宣言。

みんな「やめろよ」とか口では言いつつも、寛大なリアクションだった記憶がある。お前の人生だし的な。

その後。

とにかく博報堂の内定を勝ち取るために頑張る日々が続く。

その間。

3月31日→電通筆記試験

4月3日→三井不動産筆記(実は受けていた)

4月4日→三井物産筆記

4月5日→三菱地所GD(実は受けていた2)

実は受けていたシリーズはあえて触れずに進む。

ここらへんの試験どうだった的な話は、あえて日記に書く意味も無いし、知りたい人は個人的に質問してください。いくらでも答えます。

それよりもこの間もっと大切なことがありました。

4月2日。13時42分。

博報堂から一通のメールが。

「芦田 太郎様

先日は博報堂/博報堂DYメディアパートナーズの選考に参加していただき、まことにありがとうございました。
慎重に検討させていただきました結果、
芦田 太郎様には最終面接に進んでいただきたいと思います。
また、並行して健康診断をご受診いただきます。」

おお。通った。最終だ。

その日の夕方に電話が鳴る。

人事さん「博報堂人事部の○○です。前回の選考の面接官やってた者なんだけど覚えてるかな?」

ぼく「覚えてます!」

人事さん「メール見てくれたと思うけど、通過おめでとう。次は最終になるんだけど、その前に就職活動状況とか悩んでることとか、最終面接の対策とかざっくばらんに話そうと思うんだけどどう?」

どんだけ寛大なの博報堂。若干拍子抜けするほどでした。

ぼく「いや、そんな。良いんですか? ぜひともお願いします!」

人事さん「遠慮しなくて良いよ。芦田にはぜひともうちに来てほしいからね。ざっくばらんに話そう。」

ぼく「ありがとうございます!」

人事さん「じゃあ最終が9日だから、6日の昼に本社に来てください。」

ってな感じ。

正直これで落とされる可能性ってかなり低いだろうなとは思いつつ、嬉しすぎる電話でした。

そして改めて博報堂という会社の懐の深さ、キャパを感じ志望度は高まるばかり。

その後。

4月8日。

13時:三井不動産1次面接(実は受けていた。その後辞退。)

16時:電通1次面接。

天下の電通なので若干の圧迫くらいは覚悟していたが、終始和やかな面接。手ごたえありまくりだった。会心の出来。

ここらへんで気づき始めるが、どこの会社であっても面接を受けて自分なりにやり切ることができると、かなり「ハイな状態」になる。

これはつまりどういうことかというと、

「俺この会社に行きたいっす!!」

って言うようなテンションになるってこと。

だってそんなオーラを出し続けるのが面接だから。

一種の洗脳状態ですね。

そして迎えた4月9日。

博報堂最終面接。11時20分から。@田町本社ビル

役員3人対僕一人。

6日の人事さんとの面談において「今まで通り普通にやれば受かるから安心しろ」と言われたとおり、リラックスし、いつもどおり面接に臨んだ。

雰囲気は硬い感じであったものの、特に圧迫と言うこともなく、30分ほどで終了。

面接室を出ると、おなじみの人事さんが待っていた。

人事さん「どうだった?」

ぼく「とりあえずやりきりました!」

人事さん「そうか。じゃあ大丈夫。お疲れさん。また連絡する。」

と肩を叩かれ、僕の最終面接は終了した。

合否の連絡は4月末までにするといわれていたので、気長に待つしかないなと思いながら帰宅。

すると。

その日の夜7時ごろだったかな。

おなじみの人事さんから電話。

人事さん「今日はお疲れ。そして、おめでとう。内定です。明日10時半に判子持ってきてくれるかな?」

ぼく「ありがとうございます!」

人事さん「じゃあ細かい話はまた明日。おめでとう。」

ってな感じ。

受かった!

第一志望に。

素直に嬉しかった。

が。

運の悪い事にというか、何と言うか。

判子を持って博報堂本社に向かう明日、4月10日は三井物産の1次面接なのだ!

博報堂本社に行くのが10時半だから、面接に間に合うことは可能だが。

どうする俺?

物産辞退するか?

4分くらい悩んだ。

いや、辞退しない。

辞退するか悩んでいる時点で、ダメだ。

絶対後悔する。

それに「3月13日の博報堂1次面接前日の3月12日。 僕は「三井物産もやりきるか!」と決意する。」って前回の日記にも書いたし。

博報堂に行きたい気持も嘘じゃない。

でもまだまだ。

よくわからないが、当時の第一志望に受かったにもかかわらず僕の就職活動に対するモチベーションは更にもう一段階上がった。

が。

「判子をもってこい」と言う言葉が気になる。

そう。

僕はテレ朝で嘘をついているのだ。

嘘を突いて判子を押してしまっているのだ。

事実上、大嘘付きとなった僕だが、そんな僕でも僕なりに良心が痛んでいた。

こんなに良くしてくれた博報堂に対してまでも嘘をつくのはどうなんだろう。

ダメだろう。

若干びびるけど、全部正直に悩んでいることを話そう!

と決意した4月9日の深夜であった。

ちょっと今から出かけなきゃいけないんで続きはまた今度。

ってか結局1ヶ月も進まなかったね。

今日はここまで。


●2007年06月22日
どうも、僕です。

今日は梅雨っぽいですね。うざい。

今日は久しぶりに何も予定がありません。

1日何も予定が無いのは本当に久しぶりです。

就職活動も終了し、最近会う日と会う人に「暇でしょ?」って聞かれますが、なぜかそこまで暇じゃありません。

特に遊んでいるという感覚もありませんし、特にバイトばっかりしているという感覚もありませんし、特に学校に通っているという感覚もありません。

でも実際「いや、そんなに暇じゃない。」と答えます。

すると。

「何してるの?」って聞かれます。

「よくわかんない。」って答えます。

そんなファンキーな日常を味わえるのも今のうちってことで解釈してもいいんじゃないでしょうか。

さてさて。

いよいよ3作目となってしまった就職活動終了に関する日記。

なかなか終る気がしませんが、頑張って書きますか。

でもその前に。

気付いたことがあります。

今回3作目となるこの就職活動を振り返ろうシリーズ。

なぜこのシリーズを書き始めたのか?

そこをハッキリさせないといけない。
いや、ハッキリしていたはずなんだが。

名目上僕の就職活動は電通に内定をもらうことが出来た5月1日をもって終了した。

それなりの達成感、いわゆるやりきった感はあった。

が。

実際僕にとっての『本当の意味での就職活動』は、ここからスタートしたのだ。幸か不幸か。

この5月1日から自分の中で完全に就職先起業を決定することが出来た6月15日までの約1ヵ月半。

この1ヵ月半は、僕の21年間の人生を振り返ってみてもベスト3に入るほどの濃厚な1ヵ月半であったし、21年間の人生を振り返ってみてもこれほど苦悩し続けた日々は無い。

前置きが長くなった。

なぜこのシリーズを書き始めたのか?

それは。

この濃厚と言いすぎても言い過ぎることは無いほどの1ヵ月半の記録。

僕のめまぐるしいほどの心境、心情の変化。

そして導き出された結論。決断。

そこがコアだ。

それを書き記すために、僕はこのシリーズを書き始めたのだ。

なのにどうだろう。

1作目、2作目共にどうもただ単に過去を振り返り、事実列挙的な感が否めない。

何月何日に○○の選考があり~と言う歴史教科書的な過去の振り返り方を僕は望んでいない。

これじゃいかん。

最終的な『コア』にたどり着くまでの筋道(心情の変化)が1作目、2作目でなくてならない。

って事に書き手ながら3作目になってやっと気付いた。

コアを捉えきれず、書ききれない書き手など鼻くそ以下。

そういうこと。

ちょっと前置きが長くなってしまった。

始めましょうか。

確か前作は4月9日まで振り返ったのかな。

今までとは違うアプローチで頑張って書いていこうかと思います。

じゃあスタート。

「こんなに良くしてくれた博報堂に対してまでも嘘をつくのはどうなんだろう。 ダメだろう。 若干びびるけど、全部正直に悩んでいることを話そう! と決意した4月9日の深夜であった。 」


と前回の日記にある。

そう、その通り。

4月10日、10時30分。博報堂本社にて。

前回の日記から登場していた人事部の○○さん(○○って打つのめんどくさいから以下Aさん)と1対1の面談。

とりあえず改めて内定だということを伝えられる。

「ありがとうございます」と言う僕。

Aさん「で、どうする?ここに誓約書あるけど判子押すか?」

相変わらずフランクなAさん。

ぼく「いや、実は… 内定を頂くことが出来て本当に嬉しい気持ちでいっぱいなのですが、やはり三井物産は最後までやりきりたいと思っています。大変勝手なのですが… やはり今すぐに博報堂に行きますと言い切れない自分がいるので。」

Aさん「そうか。お前ならそう言うと思ってた。判子は押さなくて良いよ。ただ、やっぱりこっちもそんなにいつまでも待つって言うわけにはいかない。わかってると思うけど、お前が受かってるってことは他にたくさんの人達が落ちている。正直なことを言えば出来るだけ早く決断してほしい。お前の枠をいつまでも用意しているってことは難しいよ。」

ぼく「はい。わかっています。」

Aさん「とりあえず1週間待つ。つまり17日。その日にまた連絡するよ。」

ぼく「わかりました。勝手言って本当にすみません。」

Aさん「いやいや。お前の人生だ。大いに悩め。ただうちも本気でお前を採用しているってことだけはわかってくれ。」

ぼく「ありがとうございます。」

Aさん「あとお前OB訪問とか全然してないんだよね? こっちから社員紹介するから、予定決まり次第連絡するわ」

ぼく「ありがとうございます」

てな具合。

寛大な処置。

だが冷静になれ、俺。

期限は1週間?

今日は4月10日。

そしてこの後、14時からは三井物産の1次面接。

1次面接。

1次??

そう。

まだ1次だ。

物産をやりきりたい宣言をした俺。

しかし、期限は17日。

どんなに上手く転がっても17日までに物産の選考は終了しないだろう。

ってことは。

きついな。

もし、物産の選考が進んだとしても。

最終前に博報堂の期限が来る。

嗚呼。

板ばさみ。生殺し。

まぁそんなことは言っても時は無情にも進んでいく。

事実列挙的なことはなるべく避けて行きたいのでものすごく簡潔に行きます。

4月12日:博報堂にて4年目営業マンのお話を伺う

4月13日:三井物産 2次面接

4月15日:電通 2次面接・10時15分~(1次面接は4月9日)

4月15日:三井物産 3次選考(グループワーク)13時30分~

ハッキリ言って3社とも手ごたえありだった。

手ごたえあり=テンション激上がり

つい数日前まで板ばさみ生殺しの刑に処されていた僕だったが、そんなことはどこへやら。

話題が完全にそれちゃうからここには詳細を書かないが、特に電通の選考は、僕にとって非常に有意義な時間を過ごせる面接であった。

どういうことかというと、電通に対する志望度合いが若干上がりつつあったということだ。

さて。

少しばかり事態が複雑になってきたのでちょっと整理。


当時(あくまでも当時)の僕の4社に対する思いをまとめてみよう。

① テレビ朝日

超生意気承知だが、ハッキリ言って4社中4位。

なぜか?

1作目にも書いたが、「笑いに人生かけるのはどうなのか?」と言う問題である。

「寝れないのはどうなのか?」という問題である。

確かに僕はお笑いが好きだ。本当に好きだ。

が。

何十年もわが身を費やすべき対象は果たして「笑い」なのか?と言う点である。

よって4位。

②博報堂

なんだかんだでまだ1位。

4月12日にお会いした社員さんは実に魅力的な人であった。

その人も学生時代、物産と博報堂で最後まで悩んだという。

この後更に2人紹介してもらうのだが、人事のAさんも含め、

「絶対にうちに来た方が良い」とか「うちに来るべきだ」的なアドバイスをしてくる社員さんは一人もいなかった。

4人中4人が、色々な話をしてくれたが、最後には必ず「お前の人生だからとことん悩め。」という言葉を贈ってくれた。

僕は博報堂のこんな雰囲気と言うか社風が好きだった。

言葉では上手く表現できないけれど、この懐の深さと言うか。

「こんな人たちが沢山いる会社で働けたら幸せだろうな」って素直に思える会社だった。

さらに。

テレビと比べてなぜ広告が上だったかと言うと。

テレビ局の「制作」と言う仕事は、当たり前だが「制作」と言うだけあって「ものづくり」である。

が。

僕は「ものづくり」よりも「仕組みづくり」をしたかった。

「制作」よりも「ビジネス」をしかった。

社会人として、ビジネスマンとして。

そんな大人になりたかった。

それにテレビ局という場所は自分の視野が狭くなる気がした。

局内にこもり、徹夜で番組を作り続ける。

もっと広い世界を見たくないか?

色んな人と関わり、色んなビジネスをしたくないか?

そんな思いがあったからテレビに熱くなりきれない自分がいた。

あとどこかで「将来は独立したい」と言う思いがあった。

過去の日記を見ればわかるが、僕はホリエモンにすごく興味を持っていた。

やったことの良し悪しは別として僕は彼にわずかながらでも憧れの気持を抱いていたし、尊敬もしていた。

(参考→2006年1月23日『嗚呼ホリエモン』)

彼のように自分なりにビジネスモデルを確立させて、それを実現させ、成功させるというのは単純にすごいことだと思う。

まぁ成功し続けたかと言うとそれはそうではないわけだが。

前にもちょっと書いたが、僕は集団や組織に属する事に特に苦痛を感じないし、協調性も「あるか無いか」の2択だったらあるほうだと思う。

ただ、そうは言っても、どうも「わが道を行く」的な性格はぬぐいきれない面がある。

それはテレ朝の健康診断で判明した、僕はB型であったという衝撃の事実も物語っているだろう。

ねぇ。B型の皆さん?

例え組織に属していても、ロボットのように言いなりになるのは吐き気がするし、理不尽なことには理不尽だと叫んで生きていきたいと思う。

そうやって生きてきたし。

学校でも先生にはよく楯突いていた。

だいたい先生って言う生き物はどうも根本的に勘違いしている奴が多い気がする。

「先生」という肩書きがあるだけで無条件に生徒より自分のほうが偉いと思っている輩が多い。

「先生」という肩書きがあるだけにも関わらず、「自分の言ってることは100%正しいんだよ」的なオーラをかもし出す輩が多い。

「先生」という肩書きがあるだけにも関わらず、「ダメなものはダメ」的な権力を最大限に悪用した説教をかましてくる輩が多い。

特に中学時代、全盛期の尾崎豊ばりに尖りに尖りまくっていた僕は、「お前らなんか先に生まれただけだろ」的な、キンパチに出てくる不良少年の様に噛み付いていた。

まぁそれが全て正しいとは思わないが、そうやって 「当たり前だと言われていることを当たり前だと思わない」精神は持ち続けたいと思う。

常に現実を疑って。

もちろん僕も馬鹿ではないから、いくら理不尽なことでも耐えなければいけないときもあるということも承知しているつもりだし、経験してきた。

(参考→2006年1月27日『わが人生(中学部活編)』 )

何が言いたいかって言うと。

繰り返しになるが、「わが道を行く」精神を持ち続けたいと思っていた僕は、明らかに「一生テレビマンとして働く」ことになりそうなテレビに対しては懐疑的になっていたということだ。

そういう面で言うと、ビジネスマンとしてのスキルや人脈など、言い方は余り良くないが「つぶしが利く」職業に就くことが僕の「わが道を行く」精神を貫くための一番の近道ではないかと考えた。

そういう意味で、様々なクライアント、自社のマーケティング、クリエイティブに関わることができる広告の営業職は魅力的であったし、僕の基準ではテレビを上まっていた。

総合商社はそれに更に、『海外』という大きな要素が加わる。

まとめると当初の僕的には、

・広告・商社→80%
・テレビ→20%

という具合であった。

何か今日はすごく書いた気がする。

肩が痛くなってきた。

読んでくれた人も苦痛だろうからもうやめる。

読んでくれた人ありがとう。

どうやらまだまだ続きそうですね。

今日はここまで。

●2007年06月23日
僕と人事との攻防(vol.4)
どうも。

3日連続で日記なんていつ以来でしょうか?

今日は梅雨っぽくないですね。ラニーニャ現象だっけ?
地球大丈夫?

実は今日もフリーなんです、僕。

2日連続フリーってのもいつ以来なんでしょうか?

まぁでも。来週は予定びっしりだし、7月初旬はちょっとばかり旅行に行こうかと思っているので9,10日にあるテストに備えて軽く勉強しておこうかな、なんて。

就活で出れなかった回が多かったからね。今のうちにね。

とか言いながら日記書いちゃってるわけだけど。

こんなに時間がある日もなかなか無いから一気に書いちゃわないとね。

確か前回は時系列的に全然進みませんでしたね。


「当初の僕的には、広告・商社→80% テレビ→20%」っていうような話で終っていた。

時系列的には、

4月12日:博報堂にて4年目営業マンのお話を伺う

4月13日:三井物産 2次面接

4月15日:電通 2次面接・10時15分~(1次面接は4月9日)

4月15日:三井物産 3次選考(グループワーク)13時30分~

ここまで振り返っていて、博報堂への返事の期限が17日に迫っている状況。

そんな感じですかね。

じゃあ始めますか。

期限は17日。

しかしその前にある大きなイベントがありました。

そのイベントが行われたのは4月15日。

4月15日は就活初めて以来最もハードと言っても良いスケジュールでした。

4月15日のスケジュール

10時15分~ 電通2次面接 @汐留本社ビル
13時30分~ 三井物産 3次選考 @大手町本社ビル

そして例のイベントが19時から。@新宿

そのイベントとは。

キー局飲み!

なんてチャらい響き!

キー局飲みとは。

僕らの代(2008年度入社の内定者)の、日テレ、TBS、フジ、テレ朝、テレ東の内定者が一堂に会した飲み会!

なんてチャらい!

総勢150名ほど。もちろんアナウンサーも。

他局の内定者というのはどんな感じなのか、目をギラギラさせながら会場に向かう僕。

「テレビは20%」とかほざきながらも、「フジテレビのバラエティ採用の奴らだけには負けたくない」と、わけのわからないテンションで会場に向かう僕。

テレビ局に内定する女子というのはどんなレベルなのか? そして女子アナは? というわけのわからない欲望むき出しで会場に向かう僕とテレ朝同期男子。

会場に入った途端、

「うわっ、ちゃらっ」って言っちゃいました。

上手く文章では表現できませんが。すごい雰囲気でした。

かなり簡素ですが、会場の各局配置図。

  ●
  ●
  12
  ●
  ●
                       ■
  ○                    ■
  ○                    4
  10                    ■ 
   ○○  ★★8★★ ☆☆6☆☆  ■


こんな感じ。

クイズやら色んな企画がありましたが、見事に各局のカラーが出た面白い飲み会でした。

12→その日は人数が少なく、かなりおとなしい。劣勢。

10→騒ぎまくるフジを横目に、でしゃばりすぎずおとなしすぎずと言う悪く言えば「あたり障りない」、よく言えば「落ち着いて空気をよむ」。

8→とにかくテンション高い。体育会系多い。女子のレベルはさすが。バラエティ採用のめちゃイケなどバラエティへの熱さを全く感じず衝撃を受ける。

6→なんかよくわかんないけど若干エリート集団っぽい。若干プライド高いっぽい。予想を覆す女子のレベルの高さ。自局リンカーンの自己批判多し。

4→内定出るのがキー局の中で一番早いため、仲が良い。自局の番組のつまらなさを自嘲しすぎる傾向アリ。さんま嫌いが多い。

簡単にまとめるとこんな感じ。

「どんだけ面白い奴がいるんだ」と期待していたフジテレビのバラエティ採用は、僕が言える立場じゃないかもしれないが意外に普通。

たぶん僕の方がめちゃイケやごっつについて熱く語れるんじゃないかってレベルでがっかり。

本気でフジテレビ受けて置けばよかったと若干後悔したのを覚えている。

が、それと同時に「こんなやつらに負けたくない」とバラエティ魂に若干火がついた感も否めない。

そしてもう一つのメインイベント。

各局入り乱れたアドレス交換戦争。

あの日どれだけの赤外線が送信され、受信されたことでしょう。

女子に群がる男子のポジション争い。醜いものがあった。

しかしそれこそが男子!

さらに。

なぜかよくわからないが、「芦田くんだよね?」と数人の他局の他人から話しかけられる。

「博報堂と悩んでるんだよね?」

「電通も受けてるんだよね?」

「おれも(私も)悩んでるんだよね・・・」

ってな具合に。

恐るべし情報化社会。

博報堂、物産、電通の選考で知り合った友人の友人的なつながりである。

これもまた一つの出会いであった。

このチャらいイベントの話は、こらへんにしておこう。

話を本題に。

繰り返すが、期限は17日。

しかし、やりきると決めた三井物産の選考はまだ終っていない。

最終面接は4月21日 16時15分~

ちなみに電通の3次選考も21日 12時45分~

ハードな日程である。

何度も言うが、期限は17日。

ハッキリ言って決断できるわけが無い。

わがまま言わせてもらうと、

「全部結果が出てからゆっくり考えたい」

そして迎えた17日。

おなじみの博報堂人事のAさん電話がかかってきた。

Aさん「久しぶり。元気か?」

ぼく「はい!お久しぶりです。」

Aさん「どうよ?」

ぼく「え~っと…」

Aさん「決まらんか?(Aさんは関西人である)」

ぼく「はい。。やっぱり物産も電通もやり切りたいって言うのが正直な思いです。」

ここで注目すべきは「物産も『電通も』」とさりげなく、物産だけでなく『電通も』やりきることを要求している僕の試合巧者ぶりである。

Aさん「そうか。わかった!まぁ決められないよな。」

僕は内定取り消しかと若干びびる。

Aさん「もうこうなったらとことん悩め。こっちもまだ社員紹介するし。お前の枠はあけておくから。何よりもお前の人生だし、好きなだけ悩め。」

ぼく「ありがとうございます!本当に勝手を言ってすみません」

Aさん「いやいや。ところで、明日内定者何人か集めて焼肉でも食おうと思うんだが、お前も来いよ。内定者に会ったことないだろ?」

ぼく「是非行きたいです!」

Aさん「おう。じゃあ明日7時に恵比寿で。」

ってな具合。

相変わらず寛大すぎて懐の深すぎる博報堂に感謝感謝感謝。

そして翌日の焼肉。

俺を含め5人の内定者(全員男子)が集まった。

みんなのりがよくて楽しかった。

ただ、人事Aさんを含め下ネタのスイッチが入るの早すぎで、しかも過激で、さすが博報堂だと若干びびる。

その後、2次会へ。

恵比寿のお洒落な店。

他の場所で飲んでいた博報堂内定者、博報堂DY内定者達と合流。20名弱。全て男子。他の人事の方も数名。

さらにチャらい雰囲気に圧倒される。

今日はチャらいと言う単語を多用しているが、僕はチャらくない。たぶん。

世間一般の目で見ても「チャらいかチャらく無いか」で言えば、僕はチャらくない。たぶん。

だから最初からチャらい感じへの対応力は弱い。

余り自分を出せずその会は終った。

と言うか出そうとも思わなかった。

正直、今思うとこの会は重要だった気がする。

もちろん楽しかったし、うまい焼肉も食えたしで良かったといえば良かった。

「このメンバーと一緒にいるのは楽しいだろうな」とも思った。

が。

「確かに楽しいだろう。でもこのメンバーと一緒に仕事をして自分は切磋琢磨して成長していけるだろうか?」

という疑問が直感的に浮かび上がった。

非常に失礼な話であり、偏見に満ちた話ではあるのだが。

これは僕の個人的感情であり、偏見であると自覚している。

でも、事実だ。

そう思ったんだから仕方ない。

21年間生きてきて培ってきた芦田太郎的な感性がそう感じたんだから仕方ないじゃないか。

もうここまで言ったらから正直に言おう。

ハッキリ言って、

「このメンバーだったら、テレ朝の同期の方が10000倍良い」と思った。

ハッキリ言って、

この焼肉、2次会で完全にしっくりくる同期に溢れていたら博報堂に決めようくらいの気持ちでいた。

だってなんだかんだで就活ってのは疲れるし。

何度も言うが、もちろん中には今でも付き合いのある、いや一生付き合っていけるであろう友人もいた。

が、相対的に、全体的にどうもアウェイ感を拭えなかった。

しっくりこなかった。

で、僕は更に強い決意を固める。

「物産も、電通もやりきろう。全て結果が出てから進路を決断しよう。」

と。

そうじゃなきゃ後悔すると思った。

そんな恵比寿の帰り道であった。

そして4月21日。

三井物産最終面接。

その日の夜。

「おめでとうございます」という電話が。

4月22日。

大手町本社へ意思確認へ。

物産人事「他社の進行状況はどんな感じだっけ?」

ぼく「テレビ朝日さんと、博報堂さんには内定を頂いています。電通さんは21日に3次選考があり、通過していれば次回の選考が最終選考になります。」

人事「そうか。どうする? うちに来てくれるのかな? もちろんうちは是非とも芦田くんに来てほしいんだが。」

ぼく「はい。私も御社に内々定を頂くことができて、大変嬉しく思っています。しかし、電通さんの選考は最後まで受けてみたいというのが正直な気持です。」

人事「なるほど。じゃあテレ朝と博報堂は辞退してくれるの?」

ぼく「はぁ・・・ 本当に恐縮なんですが、自分の中でまだ整理をつけ切れていないです。今すぐに辞退することはできないし、どこの会社も僕は行きたいと思って受けているので…」

人事「そうか。でもね、こっちもいつまでも待つわけに行かない。人事部長を始め、君を本気でほしいと思って採用してるわけだよ。電通さんの件は置いといて、うちに来たいという気持に嘘がなければ、とりあえずその2社はしっかり辞退してくれ。」


ぼく「わかりました… ありがとうございます。」

人事「じゃあ待ってるよ。」

てな具合である。

板ばさみである。完全に。

テレ朝を断れ?

博報堂を断れ?

無理だ。今すぐになんて無理だ。

テレ朝にはかけがえの無い同期がいる。

もはやそれだけが僕とテレ朝をつなぎとめていた唯一の命綱であった。

同期に一抹の不安を覚えたものの、博報堂の社風は大好きだ。

とりあえず電通終ってからゆっくり考えさせてくれよ。お願いだから。

と、頭を抱えていると電通から電話が。

最終面接のご案内である。

日時は5月1日。10時。本社36階。

電通の最終面接は3回に分けられている。

1日、2日、7日。

噂によると、例年1日召集組は99%受かるらしい。
よっぽど変なことをしなければ。


嬉しさと同時に、5月1日かよ!と言う気持。
まだまだ先じゃん。

物産のプレッシャーはすぐそこまで来ているのだ。

ものすごいプレッシャー。そう2006年W杯のカンナバロ並の。

僕は苦悩した。

毎日。

どうするべきか。

当時の僕の気持。

物産→60%
博報堂→30%
テレ朝→10%

物産の指示通り、10%となって実質可能性が限りなく低くなったテレビを正式に辞退しに行くべきか。

無理。

やっぱり電通の選考が全て終ってから考えたい。

まだ選考が残っているのだから、選考だけに集中したい。

しかもその選考はもうあと1回で終わりなのだ。

天下の電通の最終選考さえ、終えれば終わりなんだ。

苦悩。

苦悩。

4月26日。

そんな僕の苦悩なんて知ったこっちゃ無い物産人事から電話。

人事「どう?」

ぼく「電通は5月1日に最終面接です。」

人事「そっか。やっぱり電通は受ける?」

ぼく「はい。すみません。」

人事「わかった。まぁお前が決めることだ。他の二社は辞退できたの?」

ぼく「いや、ちょっとまだ予定が合わなくて。。やはり電話ではなく、直接会ってお話したいんで。」

超無理がある言い訳。

人事「君の気持ち的にはどうなの?」

ぼく「テレビはある程度自分の中で切れています。」

嗚呼。言っちゃった。プレッシャーに押されて。

命綱が切れた。と言うか自ら切ってしまった。

ついに。

人事「そうか。それなら良かった。じゃあしっかり頼むよ。電通の選考が終って、GW明けにまた連絡するわ。」

ぼく「はい。失礼します。」

嗚呼。

言ってしまった。

その場に立ち尽くす僕。

唯一の命綱である同期との絆もこんな形で切ってしまった。

言ってしまったものは仕方ない。

なんとなく自分の中でも10%になってしまったテレビは無いかなと自覚していた。

いくら同期が素晴らしいといっても、ここまで悩んで、企業選びを同期という基準のみで行うべきではない。

前の日記にも書いたが、自分が成長できる場所、一人のビジネスマンとしてスキルアップできる場所と言う観点で見るとやはりテレビは劣っていた。

近いうちに辞退しに行こう。

そう決意してしまった4月24日の夕方であった。

では、博報堂は?

いい会社だと思う。社風も社員も最高だ。

それなのになぜ僕の中では物産の方が上なのか?

物産も「人の三井」と言うくらい、良い社員、良い社風と言う観点で見れば博報堂に全く劣っていない。

が。

やはり『海外』というのは僕にとって大きな要素であった。

これまでの21年間、超ドメスティックに生きてきた僕。

唯一の海外経験はグアム。
(参考:『グアムで僕が感じたこと』)

英語力も受験期以来一向に上がっている気がしないし、上がる努力もしていない。

政経学部の学生ならば読んでいるべきだといわれる日経新聞も一切読んでいない。

焦りを感じ6月1日から購読中。

経済学部に4年間在籍しているのに、「何勉強してるの?」って聞かれたときに「一応、経済学」って答える自分がいる。

そんな自分をダサいと思いながらも、稲穂(参考:『芦田太郎と稲穂キッカーズ』)で日本一取るほうが大事だと思う自分がいる。

このまま大人になっていいんだろうか?

勉強せずに大人になっていいんだろうか?

ダメじゃね?

こんな思いをぶつけ、こんな思いから抜け出せるのは間違いなく商社だった。俺の中で。

商社って何やってるの?

俺も良くわかってない。

1,2年目の社員だって完璧にわかってる奴は少ないって社員さんも言ってた。

一言で言えば物流だ。グローバルな物流。

日本は資源の少ない国だ。

石油も石炭も鉄鋼も自給自足できない。

だから日本では、世界で唯一『総合』商社が企業として大成した。

先進国や途上国からそれら資源を輸入する。輸出する。

莫大なお金を動かしながら。

そんなダイナミックな仕事してみたくない?

世界で自分を試してみたくない?

君の視野狭くない?

テレビや広告も面白いだろう。でもドメスティック。

外に出てみようよ。自分の可能性広げてみよう。

そうするべきじゃないか?

そんな自問自答を続け商社は僕の中で、60%、70%と膨らんでいったのである。

膨らんでいく?

膨らんだら膨らんだ分、テレビははじき出される。

そして広告も?

電通の最終面接が迫る中、僕は葛藤していた。

ここで終えてもいいんじゃないか?

物産に行くことが僕にとってベストなんじゃないか?

電通の最終面接が迫る中、僕は葛藤していた。

以前の日記でも書いたが、電通の面接は非常に好感触で、面接官の方も非常に好印象であった。

が。

僕には決定的な弱みがあった。

OB訪問していない。

だから内部の声を聞けていない。わからない。

悪い噂しか聞いていない。

そして悪い噂に縛られている。

物産人事の駆け引きに敗れ、若干自暴自棄になっていた僕は、電通辞退しようかななんてらしからぬ弱気な姿勢に。。

もし電通の内定をもらえたとしても、「考えさせてください」と、また新たな人事との戦いが始まる。

もう疲れたし、胃炎になりそうだ。

早く決めたいってのが本音だし。

しかも今度の相手は天下の電通。

とりあえず人事の人には物産に内定もらってるってこと伝えてあるし、ここでスッパリ「物産行く事に決めたので辞退させてください!」って言ったほうが良いんじゃないか?

最終受けて「やっぱり物産」って言うよりは遥かに良いんじゃないか?

そんな葛藤。

珍しく逃げの姿勢になる僕。

そんな僕を変えるキッカケとなったのが4月28日。

電通最終面接3日前。

@高田馬場。

散々チャらいと絶賛したキー局飲みで知り合った8ちゃんの聡明な子に一喝された。

8ちゃん「なんで電通受けないの?」

おれ「もうなんかキツいしさ。断るなら今のうちかと。。」

8ちゃん「例え電通に行かなくても、最終面接を受けることは自分の力を試す良い機会だと思うよ。そんな機会誰もが与えられるわけじゃないし、ここまで来て辞退するなんて意味が無いよ。絶対後悔すると思うし。」

久しぶりに同年代に説教された。

目が覚めた。

そうだ。

またとないチャンスじゃないか。

思い出せ。

僕の就職活動の標語を。

『蹴りたい電通』だ。

日記にも書いたじゃないか。
→(参照:『蹴りたい電通』)

そんな意気込みで臨み、たどり着いた最終面接。

なぜ辞退する?

なぜ逃げる必要がある?

5月1日までやりきると決めたのに。

受けよう。受けるしかない。

そして内定を勝ち取ろう。

そしてそこからまた考えよう。

電通最終面接まであと3日。

今日はここまで。

●2007年06月24日
1社目の辞退(vol.5)
どうも。

4日連続で日記なんて初めてじゃないですか?

今日も頑張って書きます。

前回の日記は「電通最終面接まであと3日。」ってとこで終ってますね。じゃあそっから行きましょうか。

5月1日。電通最終面接。本社36階。10時~。

この電通最終面接だけでも一個の日記かけるくらい、盛りだくさんな選考でしたが、今回の日記の趣旨とずれてしまうので書きません。

噂通りその日に内々定。

面接後、健康診断、そして人事との個別面談で内々定を通知される。

ここでまた新たな人事との攻防が始まる。


僕は身構えていた。

相手は天下の電通。

「迷っている」なって言ったら、全盛期の星一徹ばりに机をひっくり返されるんじゃないか?

しかし、ここで嘘をつくわけには行かない。

負けるわけにはいかない。

人事「内々定おめでとう。」

ぼく「ありがとうございます。

人事「で、うちに来ていただけるということでいいかな?」

ぼく「いや、、、実は悩んでいまして。」

人事「ほう。どこと?」

ぼく「三井物産さんです。」

人事「物産か。確かテレ朝と博報堂も内定もらってるよね?」

ぼく「はい。」

人事「すごいねぇ。じゃあどうすればうちに来てくれる?」

いきなり核心を突く質問。さすが電通。
しかし意外に寛大なリアクションに少し安心。

ぼく「いや、あの。。OB訪問を全くしていないので、是非現場の声をお聞きしたいなと思っています。」

人事「そうなんだ! めずらしいね。じゃあ社員紹介するからちょっと別室でどんな社員紹介するかちゃんと話し合おう。」

ぼく「はい。ありがとうございます。」

てな具合。

別室ではまた別の人事さん(これ以降この人が僕の担当)と話し合い、サッカー事業局関連、営業職の人を紹介してもらう事に。

そして帰宅。

「あ~やっと就活終った!」という開放感があるものの、それよりも、「これからが大変だ」という徒労感の方が大きい。

そんな気を紛らわすかのように、4,5日と稲穂の新歓合宿に顔を出す。

しかしもう僕らの時代ではないことを痛感し、完全に現実世界に引き戻される。

帰宅後。

状況確認。


①博報堂

3人の社員さんのお話を聞く。

聞く度に魅力的な社風・会社であると実感。

しかしやはり『海外』という要素をなぜか捨てきれない僕の志望度は下がりつつあった。

そういったことも全て正直に人事のAさんに伝えていたので、言い方は悪いが断る事になってもさほど気まずさは無い。


② 三井物産

ほぼ決定。70%。さらに人事には博報堂、テレ朝は切ると宣言していたため、早めに切らなければ非常にまずい状況。
そろそろ電通はどうなったかの確認来る。


③テレ朝

前の日記にも散々書いたが。

テレビは好きだし、お笑いも大好き。
だが、自分が目指すべき社会人像ではないとの判断が強まる。

こんな感じ。

そろそろ切れるところは早めに切らなければまずいと思い始める。

ずるずるいっても仕方が無い。

悩むことは大切だが、ハッキリ言って明確な答えなどで無い。

徐々に順位付けは出来てきた今のうちに辞退しに行こう。

テレ朝に。

そう。決めたのだ。辞退を。

びびった僕はメールで「お話したいことがある」と伝える。

5月8日17時30分に本社に来てくださいと返信アリ。

ついに。きた。

憂鬱な気持と緊張が入り混じった最悪の心情。


1階から人事部のある階までの気まずさ。

そして。

人事部到着。

小部屋に案内され。

4対1。

「話とは何か?」から始まる会話。

重い口を開く僕。

「テレビ朝日さんの内々定を辞退させていただきたいと思っています。」

嗚呼。ついに。

言った。

「僕は嘘をついていました。2月25日をもって就職活動を終えることを約束したんですが、続けていました。」

人事4人は黙って僕のほうを見ている。

そのまま君がしゃべりなさい的な空気を察知。

「自分の中で5月初旬の電通までやりきるという事を決めていまして・・・ 就職活動という人生一度きりのチャンスなので、自分が行きたいと思った企業を全て受けて、結果が出てからもう一度考えたいと思ったので、嘘をつきました。嘘をついたことは本当に申し訳ないと思っています。ただ、就職活動を続けた事に関しては全く後悔していません。」

人事「なぜあの場で悩んでいることを正直に言えなかった?」 「なぜ嘘をついた?」

ぼく「それは本当に申し訳ないと思っています。あの時は言えなかったとしか言いようがありません。」

人事「人事部長を含め僕らを欺いているということはわかってるよね?」

ぼく「はい。」

覚悟していたが嫌な空気になり始める。

その後、なぜここまで長引いたかの説明。

説明といっても完全な言い訳。

そして僕の進路の話に。

その時僕の中で固まりつつあった「三井物産に行こうと思う」と言う事を伝える。

当然、「なぜ物産か?」となる。

シリーズ第1作『就職活動終了(vol.1)』にも書いたが、

「笑いに人生ささげるってどうなの?」

「寝ずに番組作るってどうなの?」

「寝ずに身削ってまで作る対象が『笑い』で良いの?」

「局の中にこもってる人生、視野狭くない?」

「てかそもそも寝れないって意味わかんなくない?」

「寝たくない?」

ってのをオブラートに伝えながらも率直に述べた。

これ今思うとテレビの人たちにとっては喧嘩売ってるようなもんだ。

良い度胸してるわ。

でもそう思ったんだからそう伝えるしかない。

それが礼儀だと思うし。

今まで嘘をついていた分、全ての気持ちをぶつける必要があった。

さらに前作にあるように、商社への思いを語った。

勉強せずに大人になっていいんだろうか? と言うこと。

こんな思いをぶつけ、こんな思いから抜け出せるのは間違いなく商社だった。俺の中で。と言うこと。

世界で自分を試してみたくない? 君の視野狭くない?

テレビや広告も面白いだろう。でもドメスティック。

外に出てみようよ。自分の可能性広げてみよう。

そうするべきじゃないか?

と言うこと。

何とか僕の気持ちを理解してもらおうと必死にしゃべった。

すると。

人事「君の言いたい事はわかった。でも話を聞いていると、テレビ局というかうちの局に対する誤解偏見が多々見受けられる。他の3社には社員を紹介されているんだよね? うちの社員には話を聞いたの?」

ぼく「いや。全く。。」

人事「でしょ? うちを辞退するにしてもうちをもっとちゃんと知ってからにしてくれよ。今のまま辞退されるのは、お互いにとって不幸なことだよ。」

ぼく「はい…」

確かに俺はテレ朝のこと知らない。視聴者レベルだ。

嘘をついていた手前、悩んでいるので社員を紹介してくださいとも言えず。

4社中4位に位置づけていたのはあくまでも、僕の独断と偏見によるものであるし。

人事の言うとおりである。

このまま辞退するにしても、ここまで来たんだからちゃんと会社のことを知るべきだし、知って損になることは一つもない。

人事「うちも社員を紹介するし、ここまで来たら話を聞いてとことん悩んでくれ。」

ぼく「はい。ありがとうございます。ホントにご迷惑をおかけしてすみません。」

人事「嘘ついてた時点でもう充分迷惑かかってるからもう気にするなよ。」

笑うしかない僕。

確かにテレビ局の仕事について理解の乏しかった僕。

知らずに辞退と言うのは確かに不幸なことだ。

さらに、話し合っているときに印象的だったのが、

「私達(テレビ局)は文化を創っている」という言葉。

商社・広告では文化を創れますか?

と言われると。

なるほど。そんな見方もあるのかと新たな発見。

「文化を創る」。

悪くない響きだ。

そんな単純な僕であったが、ぶっちゃけて言うと「社員紹介で話を聞いても物産に行くという気持ちは揺るがないだろう」くらいに思っていた。

でもとりあえず会ってみよう。程度。

そして帰宅。

冷静に考えて、辞退しに行ったのに辞退できなかったという現実。

また振り出しに戻った。。。。

急に悩み続ける日常にカムバックしてきたことを痛感し、若干嫌気がさす僕。

そんな5月8日の夜。


再び苦悩し始めた僕を見透かすかのように、物産の人事から電話が。

人事「電通どうなった?」

今日はここまで。

あと何回続くんでしょうか、このシリーズ。

●2007年06月26日
社員を見極めろ(vol.6)
どうも。

今日は2限しか授業が無かったので帰宅しました。

最近と言うか今年、早稲田大学人多すぎじゃないですか?
例年に増して。

毎年ゴールデンウイーク明けにはかなり人数減るのに。
全く減ってないんですけど。
昼休みとかマジうざいんですけど。

今年の1年生はまじめな人が多いんでしょうか?

いや、そうだとしても多すぎる。

なんで学内で渋滞起きるわけ?
なんで生協にはあんなに長蛇の列が出来るわけ?

まぁいいか。

本題に入ろう。

前回の日記はどこで終わったかと言うと。

決死の覚悟でテレ朝に辞退を申し出に行ったにもかかわらず、撃沈。

帰宅後、また振り出しに戻ったと落ち込んでいる時。

物産人事からの電話。

人事「電通どうなった?」

ここからだ。

ぼく「5月1日に内々定を頂くことができました。」

人事「マジかぁ。どうするの?」

ぼく「正直に悩んでいることをお伝えすると、希望部署の社員を紹介していただける事になりました。」

人事「そっかぁ。ホントに悩んでいるの?」

ぼく「はい。。」

人事「君の人生だから君が選択することだけど、他の内定者の多くがうちに入社することを決めてくれてる。そういった状況の中でこっちもいつまでも待つわけにはいかないってのはわかるよね?」

ぼく「はい。。」

完全にアウェイの空気を感じ取った僕は勇気を振り絞る。

ぼく「あの、大変恐縮なんですけども、僕はOB訪問をほとんどしていないので、社員さんを紹介していただけないでしょうか?」

嗚呼。なんて男だ俺。

これものすごく失礼なというかあり得ない要求だってことは普通の人ならわかりますよね?

「早く決めてくれ」と間接的なプレッシャーをカンナバロ並に与えてくる物産人事に対して、「電通と天秤にかけてどっちに行くか決めたいから、あなたのところの社員も紹介してくれよ」とオブラートに5重に包む感じで僕は要求したわけですよ。

何様ですか 僕?

駆け引きにも程がある。今思い出しても冷や汗ですね。

でもね。

就活してて思ったことがある。

2008年4月をもって僕はどこかの会社に入社する。

当たり前だがその時点で僕は「学生」から「新入社員」となる。

つまり「社会人」になる。

その状況で「ちょっと電通の仕事内容に興味あるんで社員の方を紹介していただけませんか?」なんてことを電通の人事に要求したとしよう。

いや、要求できるわけが無い。

つまり何が言いたいか。

こんな勝手なことを何の根拠も無く強気で言えるのは、今のうちだってことだ。

企業側もこっちが「学生」だからこそ、腹を割って話してくれるし、親切にしてくれる。

だが、来年4月になれば話は別だ。

僕ら社会人になる。甘えは許されない。

でも今は学生だ。

僕らは「企業を選ぶ」側にいる。

僕自身が本当に行きたいと思って、必死で選考に臨み、勝ち取った4社の内定。

だからこそ、よく考え、精査し、決断しなければいけない。
悔いのないように。

こんなチャンスは人生二度とやってこない。恐らく。

この4社の社員が僕に心置きなくあってくれるのも「今」しかない。

そういうことだ。

だから強気強気で。

話を戻そう。

人事「そうかぁ。今、うちに入社を決めてくれた内定者にも希望部署の社員に会わせてくれってよく言われてるんだけど、基本的には自分のツテで何とかしてくれってお断りしてるんだよね。でもまぁ、芦田の場合は本当に悩んでるみたいだし、ちょっと調整してみるよ。」

ぼく「本当に勝手言って申し訳ありません。」

てな具合。

なんとか上手くいった。冷や汗もんだったけど。

この板挟み感。ホントきつかった。でも仕方ない。

自分のため。

が。

ここらへんで僕は当時大流行中だった「麻疹」に感染する。

最悪だ。

よって予定されていた電通・物産の社員訪問は延期に。

その影響で、怒涛のようなスケジュールが待ち構えることとなった。

ここらへんで時系列がぐちゃぐちゃになりそうなので整理しておこう。


5月9日 博報堂 社員訪問 11時30分~

5月10日 テレ朝 社員訪問 11時45分~

5月21日 博報堂 社員訪問 11時~

    電通社員訪問  15時~

    戸山サッカー部飲み(with 一個上) 20時~

5月22日 テレ朝社員訪問 14時~

5月23日 三井物産健康診断 10時15分~
     物産社員訪問  12時~
     物産内定者パーティー 15時~

5月24日 博報堂内定者パーティー 18時~


怒涛にもほどがあるスケジュール。

各地でいろんな顔をし、気を使い、ストレス膨大。


だがどれもその後に大いに影響を与えたイベントだったので、一つずつゆっくり振り返っていこう。


5月9日 博報堂 社員訪問 11時30分~ から。

何度も言うが僕は博報堂という会社の社員、雰囲気が大好きだ。

自由で懐の深い感じ。柔軟な感じ。

だが、以前の日記にも書いたが同期との小さな出会いが僕の博報堂志望度をやや下げていた。

超偏見の可能性もあるが。そう思ったんだから仕方ない。

まぁ、それは置いといて社員訪問。

もう僕にとってはおなじみとなってしまった本社食堂にて。

なんで博にはこんなにカッコいい社員ばっかりなんだろうって思うくらいまたもやカッコいい人登場。

4年目営業。

簡単に今やっている仕事内容などを聞く。

その人も学生時代、三菱商事と博報堂で悩んでいたらしい。

決め手はその人のプライバシー問題なので書かない。

今更プライバシーかよ! なんて突込みが来そうだが、プライバシーと言うよりこのストーリーにおいてはさほど重要ではないのでスルー。

何度も言うが、博報堂の社員さんは誰に話を聞いても「絶対うちに来るべきだ!」とか「うちに来たほうが良い」という説得をしない。一切しない。

というか説得しない。

「お前が悩みに悩みぬいて決めた会社ならどれも正解だ。それがうちならよりハッピーだけどね。」

的なことを言う。

素敵じゃない?

俺はそんな博報堂が大好きだった。

その人も「う~ん。どうするかねぇ。どこが良いかねぇ? 全部正解なんだよなぁ。どうすりゃ良いんだろうな。」

なんて真顔で一緒に悩んでくれた。そしてイケ面。

更に帰り間際に博報堂らしさ全開のケース。

会計をしているところに僕が話を聞いた社員さん(Aさん)にある社員さん(Bさん)が話しかけた。

Bさん「おおAさん!何してんの?一人?」

Aさん「おお。いやいや、物産と悩んでるって言う迷える子羊と飯食ってたんだよ。」

カッコよくない? 俺はこんな博報堂が大好きだ。

この自由な感じ。

俺は好きだ。


「大いに悩め! 最後は直感だ。」

やっぱり良い会社だなって再確認して帰宅。

24日の懇親会に出て同期を全員見て判断しようと決意。

そして翌日。

5月10日 テレ朝 社員訪問 11時45分~

ここで社員さんの非常に印象に残った話。

「広告や商社も確かに魅力的な仕事だ。だが俺ら(テレビ局)は0から1を作り出している。彼ら(広告・商社)は1から100を作り出している。その違いがわかるか?
0から1を作り出す俺らがいなければ彼らはあり得ないんだよ。そうやってクリエイトする俺らは非常に価値のある存在なんだ。0から1を作り出す側の方が楽しいと思わないか?」

すげぇ簡単に書いちゃった気がするけど要点ははずしていないはず。

新たな視点を得た俺。

得るものは大きかった。

僕はこの就職活動期間で本当の意味で素晴らしい「社会勉強」をしていた。

素晴らしい会社の素晴らしい社員さんに出会い、普通なら聞けない話を聞く。

最高の社会勉強をした。

視野も広がった。今まで見えてない部分が見えてきた。

自分が何をしたいのか?

何が出来るのか?

そんなことを真剣に考え、悩む。

それだけで素晴らしい。

そして怒涛の1週間(5月21~24日)は幕を開ける。

今日はもう疲れたんでここらへんでいいですか?

今日はここまで。


●2007年06月27日
同期を見極めろ(vol.7)
どうも。

「プリズンブレイク」の最新版見てテンション上がったのでまた書いちゃいます。明日バイトしか無いしね。

て言うか。このニュース。

「文部科学省は26日、「ミートホープ」の田中稔社長に昨年行った「創意工夫功労者賞」の表彰について、取り消しを検討することを決めた。伊吹文科相は、同日の閣議後の記者会見で「事実関係をしっかり調べて、取り消す必要があれば取り消す」と述べた。」


完全にギャグじゃないですか?

「創意工夫功労者賞」ですよ?

創意工夫って。

あんだけ、これでもかってくらいインチキしてた会社に。

文科省センスフルですね。笑えない。

またみのもんたが朝から6チャンで吠えそうですね。

「ほっとけない!」とか言って。

あなたにはほっといてほしい。

さてさて。

本題に。

怒涛の1週間を迎えるところまで来たわけで。

もう一度スケジュールを振り返ってみましょう。

5月21日 博報堂 社員訪問 11時~

    電通社員訪問  15時~

    戸山高校サッカー部飲み(with 一個上) 20時~

5月22日 テレ朝社員訪問 14時~

5月23日 三井物産健康診断 10時15分~
      物産社員訪問  12時~
      物産内定者パーティー 15時~

5月24日  博報堂内定者パーティー 18時~
      テレ朝同期飲み     21時~


こんな感じですね。


まず5月21日。

博社員訪問 11時~ @もうおなじみ本社

今回も非常に有意義な社員訪問であった。

人事の方が、僕の境遇を十二分に考慮に入れてくれた結果、これまで「物産と博報堂で悩んでいた」「商社と博報堂で悩んでいた人」などを紹介してくれた。

今回もそんな感じ。でもちょっと違う。

伊藤忠から博報堂に転職してきた40手前の社員さん。

悩んでいたのではなく、悩み、実行に移した人だ。

なかなか会えるもんじゃない。

相変わらず最高に良い人だった。

給料、仕事、転職の理由まで色々聞いた。

印象に残ったことをまとめておこう。

給料は圧倒的に商社だということ。
特に旧財閥系は最強。びっくりするくらい最強。
ただ途上国駐在は想像以上に大変。
インドだとまだ良いと考えがちだが、全然。

そしてなぜ転職したか?

ここが一番大事。

もしかしたら要点を取り違えているかもしれないが、僕の解釈を記しておく。

その人は伊藤忠で鉄鋼系の仕事をしていた。

給料も良く、待遇には充分に満足していたらしい。

最初の3年はきつかったが、その後は大きな案件を実現させたりと仕事としては成功していた。

が。

ある時虚しくなった。

「商社は確かに大きなお金を動かしている。でもあくまでも仲介業であって、自分達では何も作り出していないんだ。」

「大きな案件を受注して、成功した時はそりゃ大きな達成感がある。でも結局その案件を実現させるのは僕らではない。現地のメーカーであったり、日本のメーカーだ。」

ある時それがふと虚しくなったらしい。

これじゃ俺が何を成し遂げたかわからない。

そう思ったらしい。

そして「結果としてわかりやすい『広告』を選んだ」という。

目に見えて効果がわかる『広告』を選んだと言う。

なるほど。

また新たな視点を獲得した僕。

「俺は人事でもなんでもないから言うけど、とことん悩んだほうが良い。俺は物産にもたくさん知り合いがいるけど、仕事を心から楽しんでる奴もいるし、キツイっていい続けてる奴もいる。千差万別だ。きっとどちらにいっても正解だし、自分次第だよ。」

そういってくれた。

そして別れ間際エレベーター前で、

「まぁぶっちゃけ3年やっていやになったら転職しちゃえ。結構いけるもんだぞ(笑)でもどこに行っても3年は頑張れよ。もっと早ければ他の商社の人間も紹介できたんだけどな。とりあえず悩め、悩め。またいつでも何かあれば話聞くから。」

笑顔でそう言って送り出してくれた。

やっぱりいい会社だ。そして良い話が聞けた。

そんな僕は心休める暇も無く、博にとっては大きすぎる目の上のタンコブである電通本社へ。

ここでも営業マンのお話を伺う。
関西出身、しかも大学の学部学科の先輩。
饒舌でかなり出来る印象。

ここで初めて電通の社員に会う。

遅すぎ。

5月21日の時点で初めて電通のOB訪問を行う僕。アホ。


最終面接(グループ面接)で

「(まさか的なニュアンスで)OB訪問しなかった人いる?」

と言う質問に、まさか堂々と手を上げられるはずも無く。

そんな僕。

そんな始めての電通マン。

ここで電通への悪いイメージは払拭される。単純な僕。

ここには書けないが、かなりぶっちゃけた仕事の話、業界話を聞かせてもらった。

また、電通-博報堂の差を痛感。

僕は営業志望だが、最終的にはスポーツ事業局、サッカー事業局で仕事をしたいと考えていたので、スポーツ系イベントにおける電通の最強さを痛感し、「やはり広告なら電通か」と思い始める。

いくら社風が良くても、自分のやりたい仕事が出来ない会社に行くのは寒くないか?

「やりたい仕事」なんて出来るかどうかもわからない、否、むしろ「やりたい仕事」が出来る社会人なんてほとんどいないのかもしれないが。

そういった甘ちゃんな学生感覚だとは自覚しているが、「やるならでかい仕事!」的な本能を持ち合わせた僕にはそういう判断になるのだ。

そんなこんなで電通の影響力のでかさに驚嘆しながら、渋谷で行われているサッカー部飲みへ。(with1個上4人)

うち二人の1個上は1浪であるため僕と同期。

そのうちの一人は、「石橋を叩いても渡らない」で有名な総合商社に内定していて、「ライバルだけど頑張ろう」的な話をしていた僕。

そう、つまりその時点で僕は「物産か電通かなぁ」的な発言をしていた。周囲に。

そして帰宅。

5月23日。

物産健康診断・社員訪問・内定者パーティー。

健康診断はあっさりクリアー。
この数ヶ月でいったい何回健康診断してると思ってんだ。

4社で健康診断+学校の健康診断。

4回も血を抜かれている。健康に決まってる。

否、逆に貧血になっちゃうよ。

そして社員訪問。

僕が興味あったプロジェクト系の部署の社員さん。

非常に興味深い話が聞けた。
ハッキリ言って入社の意思ほぼ固まった。

担当である人事の人にも「その後どう?」と聞かれ、

「先日電通さんの社員訪問をしました。色々検討しましたが、やはり物産に行かせていただきたいと思っています。」

ついに言った。

さまざまな社員に会い、話を聞き、広告も非常に魅力的であった。

だがしかし。

以下vol.4引用。

やはり『海外』と言うのは僕にとって大きな要素であった。

これまでの21年間、超ドメスティックに生きてきた僕。

唯一の海外経験はグアム。
(参考:『グアムで僕が感じたこと』)

英語力も受験期以来一向に上がっている気がしないし、上がる努力もしていない。

政経学部の学生ならば読んでいるべきだといわれる日経新聞も一切読んでいない。 焦りを感じ6月1日から購読中。

経済学部に4年間在籍しているのに、「何勉強してるの?」って聞かれたときに「一応、経済学」って答える自分がいる。

そんな自分をダサいと思いながらも、稲穂(参考:『芦田太郎と稲穂キッカーズ①』)で日本一取るほうが大事だと思う自分がいる。

このまま大人になっていいんだろうか?

勉強せずに大人になっていいんだろうか?

ダメじゃね?

こんな思いをぶつけ、こんな思いから抜け出せるのは間違いなく商社だった。俺の中で。

商社は先進国や途上国からそれら資源を輸入する。輸出する。

莫大なお金を動かしながら。

そんなダイナミックな仕事してみたくない?

世界で自分を試してみたくない?

君の視野狭くない?

テレビや広告も面白いだろう。でもドメスティック。

外に出てみようよ。自分の可能性広げてみよう。

そうするべきじゃないか?

そんな自問自答を続け商社は僕の中で、60%、70%と膨らんでいったのである。

以上抜粋

そう。このようにどうしても商社>広告≒テレビと言う構図は崩しきれなかった。

そして23日に出会った社員さんの話を聞き、その構図は確信に変わった。

さらに。

その後の内定者懇親会。これがまた凄かった。

ただの立食パーティーかと思ったら…

なんだか部屋には机がいくつか置かれ、グループ分けされ、机には一台パソコンが置いてある。

そして課題が与えられたのだ!

「2007年度三井物産採用への提言」

これを1時間以内に班ごとに意見をまとめ、その後パワーポイントを使ってプレゼンしてください。

上位3チームには商品をプレゼント。

そんな指示が。

さすが物産。もう戦いは始まっている。

班ごとに白熱した議論が展開され、僕も燃えた。

そしてプレゼンタイム。僕はプレゼン担当に。


やってやるか的な意気込み。

ところが各班パワポもすごいまとまってるし、べしゃりがうまい奴ばっかり。びっくり。

僕も頑張りましたけど、みんなのレベルの高さに圧倒されました。

その後懇親会。

レベルの高さを肌で感じました。

みんな志高い。全体的にまじめ。
マスコミ受けてる奴ほとんどいない。

「この環境だったら、いやでも成長しなきゃやってけない」

そんなドキドキ、ワクワク感を感じ、入社の意志は更に固まりつつあった。

そんな5月23日であった。

そして5月24日。博報堂内定者懇親会。

かねがね、「とりあえず同期見てから決めれば良い」と担当人事に言われていた僕は、たとえ行かない事になってもこういう出会いは大事にしようと思い、参加。

そこには前日の懇親会とは明らかに違う雰囲気があった。

まずノリが違う。

盛り上がるし、楽しい。これは間違いない。

イケ面多い。まじめな奴も割りといる。

しかしどうしても前日の懇親会と比較してしまう僕。
やっぱり雰囲気的に俺は物産の方があっているし、より安住できない刺激的な環境に飛び込み、成長し続けられるんじゃないかと実感。

何度も言うが、これは個人的偏見であって、博報堂を否定するつもりは毛頭無い。

その実感を裏付けるように、2次会には参加せず、以前から誘われていたテレ朝の同期飲みへ途中参加。

スーツで登場の僕にいじりの嵐。

久しぶりにリラックスする僕がいた。

一番早く内定が決まったというのも大いに関係あると思うが、やっぱりこのメンバーは最高だし、自分が自分でいられる空間だと痛感。

でもそれと自分が行く会社は別。

やりたい仕事と同期は比べられないが、同期が最高だからと言う理由だけで会社選びはしたくないと思っていた。

同期と言う面で見れば、先日の物産の同期は非常に刺激的であった。

でもそれとは違う、何か上手く言葉ではいえないけど、「良さ」がテレ朝の同期にはあった。

そんな同期に、自分の今の心境を正直に話した。

「俺はやっぱり物産に行くと思う。」

みんな止めてくれるけど、基本的には尊重してくれる。

お前の人生だと。大いに悩んで決めてくれと。

そしてお前がたとえ物産に行っても一生同期だと。

良い仲間に出会った。

後ろ髪を惹かれる思いだったが、僕の心は8割決まっていた。


そんなあくる日、電通人事からのフォンコール。

人事「久しぶり。その後どうですか? 懇親会を31日にやろうと思うから是非来てください。」

ぼく「31日ですか・・・(渋ってる雰囲気出す)」

人事「今まで同期に余りあったこと無いだろうし、良い機会だから是非来なよ。その日は先輩社員の話を聞くっていう時間もあるからさ。別にそれに出たら絶対うちに来なきゃいけないってことは無いしさ。気楽な気持ちで。」

ぼく「はい。」

あっさり承諾。

でもこれも一個の大事な出会い。

もはやそう割り切るしかない僕。

5月31日。

電通の同期との出会い。

散々長引かせてきた就職活動だったが、これで全てが終わる。

全ての判断材料が出揃う。

5月31日。 これで俺の就職活動が終る。

今日はここまで。


●結論はすぐそこに(vol.8)
どうも。

昨日はバイトで疲れたので、この連載執筆を断念しました。

でも今年はap bank fesの最終日に行けることになりテンション上がりまくってる僕です。

しかし。

奥菜恵とmixiの社長と熱愛発覚。
奥菜恵は何やってるんでしょうか?
芸能界引退宣言したと思ったら。
mixiとサイバーエージェントは同じビルにあるのに大丈夫なんでしょうか?

まぁいっか。

さて。

いよいよ長かった物語はクライマックスに近づいています。

5月31日。電通内定者懇親会。

これで4社全ての同期と出会う事になり、4社全ての社員にも話を聞いた。

つまり。

会社決定の判断材料は全て出揃う。

ということは。

当たり前だが、僕が入社する会社は決まる。

と言うか。

決めなければならない。

ここで当時の僕の気持を整理しておこう。

60%→三井物産

20%→電通

10%→博報堂・テレ朝

なぜか?

以前の日記にも散々書いてきたが、やはり「いずれは独り立ちできるビジネススキルをつけたい」と言う思いがあったぼくにとって、総合商社と言うのははずせなかった。

同期のレベルの高さ、そして「海外」と言う要素も含めて。

またその業務内容も。

僕は物産の面接で、少ない知識ながらも「インフラ整備をやりたい」としきりに言い続けてきた。

インフラ=学校、病院、道路、橋梁、鉄道路線、上水道、下水道、電気、ガス、電話など社会的経済基盤と社会的生産基盤とを形成するものの総称

つまり、商社が担う「途上国のインフラ整備をやりたい」

と言うことだ。

莫大なお金を動かし、途上国のインフラを整備する。

これは社会貢献にも繋がる。(超先進国的考えだが)

世界にはまだまだと言うかほとんどの国のインフラが整備されていない。

例えばアフリカに一つ発電所を作るだけで生活環境は一変する。

そんな仕事がしたかった。世の中に貢献できる仕事。

まぁ、学生らしい超青臭い志望動機だが。

物産で言うと「プロジェクト本部」と言う部署になるが、この部署はかなり花形であり、人気も高い。

つまり、入社してから配属までの同期との競争に勝たなければいけない。
容易なことではない。

しかしモチベーションは充分にあった。

色々な社員さんの話を聞いたがその思いは強くなるばかりであった。

そこらへんの細かい話は、前回、前々回あたりの日記を読んでください。

そして電通。

話を聞けば聞くほどこの「広告界のガリバー」のガリバーっぷりを実感した。

「マスコミ行くなら電通だな」と思わせるほどの影響力であったし、その業務内容の広さにもただただ驚くばかりであった。

2007年5月14日号の日経ビジネスにある電通の特集記事を読んでさらにその思いは強まった。

また、スポーツ関連事業の強さも非常に魅力的であった。

でもやっぱりドメスティック。なんて思いがあった。

そして迎えた5月31日。

の前に。


一つ大切なスケジュールがあった。

5月29日。バイト後。

テレ朝の先輩に会う。

これ説明すると割とややこしいけど、説明しないと良くわからない事になるから説明します。

この先輩。稲穂キッカーズの先輩マネージャーの友達。

就職活動初期(テレ朝と博報堂で悩んでる時)に、その先輩マネージャーと話していると、「太郎と同じ様な境遇だった友達いるから紹介しようか?」と言われ、「是非!」となり。

紹介してもらう事に。

3月21日。
特にバックグラウンドも聞かされずに、渋谷のマックで待ち合わせ。

何を予想していたかわからないが、予想以上に可愛い女性が登場しビビりまくった僕。

それがその人との出会い。

しかも学部学科一緒で更にびっくり。

その人はテレ朝2007年入社。

その時は余り時間がなく、ゆっくり話を聞けなかった。
でも良い話が聞けた。

その後もちょくちょく「どうなった?」的なメールを送ってきてくれていた。

テレ朝を辞退しに行った時もメールした。

結局振り出しに戻ってしまったこともメールした。

そして5月29日。

2ヶ月ぶりの再会。

正直に物産に傾いていることを告げる。

すると。


「テレ朝の色んなすごい社員さんに会って、テレ朝の良いことしか聞いてないだろうから、今日は新入社員なりに感じてるダメなところしか言わないから。」

こんな面白い先輩です。

やはり福利厚生、給与面では圧倒的に物産だと言うこと。
生涯年収は余り変わらないが、テレビと言うかマスコミはほとんどが残業代である。

「テレビが好きならうちに来なよ」という言葉。

その日も短い時間だったけど、良い話が聞けた。

決めたらまた連絡しますと言い、別れた。

そして5月31日。

電通の懇親会は50音順に3回に分かれて開催された。

僕は「あしだ」なので当然第1回。

当日のスケジュール。

懇親会前に、選考過程で知り合った友人に昼飯に誘われる。

彼が召集した電通マンとスカイレストランで昼食。

予想以上にみんなまじめ。っていうかまじめ。

ちょっと拍子抜けするくらいだった。

博報堂以上のチャラさと言うかノリを予想していたが、どちらかと言うと商社よりの雰囲気。

好印象。

そして本社ビルへ。

懇親会の前に営業・クリエイティブ、マーケティング、メディアのそれぞれの社員さんの話を聞くというスケジュール。

まずメディア。

これも何かの運命か、テレビ朝○担当の方。
思わず苦笑いの僕。

ニュースステーション、世界水泳を担当していたらしい。

これらの話を聞いて、率直な感想。

「電通でテレビ担当になるなら、テレビ局の方が良い。」

だって、結局番組作ってるのはテレビ局だもん。

もちろん電通がいなければスポンサーも獲得できないし、様々な権利関係もややこしくなるし、時には番組内容に介入してくるって言う意味ではやりがいあるかもしれないけど。

少なくとも僕は直感的に、そんな間接的な関わり方よりも「テレビに携わるなら作るほうが絶対楽しいだろ」って思った。

何度も言うが思っちゃったんだから仕方ない。

例え僕の個人的偏見であっても。

そして次は営業。サッポロビール担当。

僕は面接において「営業やりたいっす!」と言ってきた。

広告はチーム作業だ。

クライアントがいて、広告代理店がいて、消費者がいる。

代理店はクライアントの心もつかまなければいけないし、消費者の心もつかまなければならない。

これは言葉で言えば簡単だが、実行するのは簡単じゃない。

そしてその中でも広告の営業職と言うのはチームリーダーに当たる、と言っても過言ではないはず。

クライアントとの交渉。わがままを聞きながらも、自社(電通)のマーケティング、クリエイティブの意見も推さなければいけない。

そして一つの広告は生まれる。

全ての間に立ち、意見を聞き、まとめる。

これが営業。

OB訪問しなかった無知な僕なりに導いた結論。


これ向いてる。そう思った。

中学・高校、そして大学(稲穂)でも同じ様なことをやってきた。そこ書くと超長くなるし、話それまくるから書かない。

とにかく色んな人に挟まれて、話を聞きながらも、自分の意見を主張し、まとめあげる。

そのフィールドはでかければでかい方が良い。

「高ければ高い壁の方が上った時気持ち良いもんな」ってミスチルも『終りなき旅』で歌ってるし。


そんなでかいフィールドは圧倒的なリーディングカンパニーである電通にこそ存在する。

これが僕の志望動機コア。

話を戻す。

今回はサッポロビール担当の営業マン。

以前、他にも何人かの営業マンのお話を伺ったが。

気付いたことがある。思ったことがある。

「なんかクライアント様々じゃね?」

こんなこと言ったら電博の営業マンに「当たり前だろうが!」とグーで殴られそうだが。

何度も言うけどそう思っちゃったんだから仕方ない。

日本にはかろうじて思想信条の自由というものがあるから。

サッポロ担当の人は当たり前だが、サッポロ系の飲み物しか飲まない。キリンならキリン、アサヒならアサヒのように。

「全てはサッポロのために」

そんな感じだった。

「だったらサッポロ行けば良いのに。」

極端な僕はそんな風に思ってしまう。

あくまでも「僕個人」の話。悪しからず。

広告の営業職ってそういう「クライアント第一主義」的な考えの最高峰だと思うんですよ。

向いてるって思ってたけど、なんか嫌だなって思った。

「僕がいてあなたがいる」ではなくて、「あなたがいて僕がいる」。そんな感じでしょ?

僕は逆でありたい。

自分発信で何か仕事をしていきたい。

接待しまくるのとか苦手だし。

そんなこと言ったらどこの世界でもやってけねーぞ!と日本中のサラリーマンに殴られそうだが、そういうことじゃなくて。。

それメインの仕事な感じがした。広告の営業は。

何度も何度もいうがこれは個人的独断と偏見なので、もしかしたら180度間違っているかもしれないが、僕がそう感じて、そう判断したんだから、全ての責任は僕にある。

悪しからず。

そしてマーケティング、クリエイティブと話を聞いた。

マーケティングは意外に楽しそうだった。

クリエイティブは僕が手を出せる領域ではないことを再確認して終了。

感想みじかっ!と突っ込みたくなるかもしれないが、これは疲れたからではなく、メディア・営業と話を聞いた僕の電通志望度は下落して言ったのである。

嗚呼。なんて単純!

そして懇親会。

女の子が予想以上に多くびっくり。

でも人事の人によると、この回はたまたま女子が多いらしい。「あしだ」という性に生まれたことを感謝。

そして再確認。

やっぱりまじめな奴多い。博報堂より明らかに。

好印象。

前に出ての自己紹介で改めて再々確認。

人事がビデオ撮影していた。なんでもこの後、人事で何度も見返して、それぞれの特徴を把握するらしい。

かろうじてすべることは回避し、軽く笑いも取れて僕は退場。

なんかわけわかんないノリで笑い取るタイプばっかりだろという予想を覆し、正統派多い。

やはりここでも好印象。

2次会は予定が入っていたので不参加だったが、電通って意外にこんな感じなんだと言う思いを抱きながら帰宅。

そして6月を迎える。

長かった就職活動。

僕の就活スタート宣言はさかのぼること1月28日。→『スタート就活』

そこから4ヶ月以上。

結論を出す時が来た。

みなさんだいたい予想がつくだろうが。

「物産かな。」と腹を固めつつあった僕。


その証拠に、5月末からトイック用のリスニングCDをipodに入れ、暇があればリスニング。

6月からは日経新聞購読。

入社準備は始まっていた。

しかしまだもう一つイベントが残されていたのだ。

6月9日。テレビ朝日集合研修。

どういう結果になるにせよこれには来てくださいという口約束を交わしていた僕。

1秒でも早く進路を決定したかった僕だが、イベント的には本当にそれが最後だったので、前日まで悩んだが、行くことを決断。

「これに出ても自分の意思が揺るがなかったら、テレビ朝日の人事も認めざるを得ないだろう。物産に行くとはっきり言おう。」

そう決意した6月7日の夜であった。

今日はここまで。

●2007年06月30日
そして決断(vol.9)
どうも。

今日はバイトでした。わりと混んでたので疲れました。

でも頑張って書きます。

何時間かかるかわかりませんが。

最近「毎回日記楽しみにしてるよ!」って言われることが今までより増えた気がする。嬉しい限りだ。

「よくあんなに細かく覚えてるね」とも言われる。

当たり前だ。

あんだけ悩んだんだから。忘れるわけない。自分の気持ち。

細かい日にちはさすがに覚えてないんで、このシリーズを書く時はいつも手帳を開きながら書いています。

さてさて。始めますか。

前回の日記は、

6月9日。テレビ朝日集合研修。
どういう結果になるにせよこれには来てくださいと言う口約束を交わしていた僕。
1秒でも早く進路を決定したかった僕だが、イベント的には本当にそれが最後だったので、前日まで悩んだが、行くことを決断。 「これに出ても自分の意思が揺るがなかったら、テレ朝の人事も認めざるを得ないだろう。物産に行くとはっきり言おう。」
そう決意した6月7日の夜であった。

で終っている。

いよいよクライマックスが近づいてきた。いよいよ。

悩んだけど、テレ朝の研修に行くことを決断した僕。

ハッキリ言おう。

もう97%物産に決めていた。

当日のスケジュール。

・生放送番組の制作について(スマステ担当)
・Mステの技術について(音声・カメラ)
・Mステ美術の裏側について(美術)
・採用ホームページについて
・Mステランスルー(本番さながらのリハ)見学

何度も言うがテレ朝の同期35人(アナ・制作・ビジネス・技術合わせて)のほとんどは、僕の状況を知っている。

いくら気心知れた仲とはいえ、僕は当日この研修に参加することそのものが正直気まずかった。

なぜか?

だって当たり前でしょ。失礼でしょ。

当たり前だけど僕以外の34人は「入社の意志が固い」どころではなく、就活を続けていた人もほとんどいないし、まさか6月のこんな時まで悩んでいた人など皆無だ。

ほとんどの同期が4月には進路をテレ朝に決定し、テレ朝で頑張っていこうと決意していた。

当たり前だ。

そんな中に一人俺がいる。物産に傾きまくっている俺が。

普通に生きていてMステのランスルーなんて絶対に見れない。

そんな俺が参加していいんだろうか?

失礼と言うか恥ずかしささえあった。35人の中にいることが。

そんな思いを抱きながらも、縮こまっているのもらしくないし、同期はいつもどおり、からかって来て、何の違和感もなく僕を迎え入れてくれていたし、最初のスケジュールであるスマステ担当の人には自分の聴きたいことを質問しまくった。

技術・美術の方の話も普段なら絶対聞けない話で、非常に興味深い内容であったし、生放送の大変さ、生で音楽番組をやることの難しさ、などここには細かく書けないが、全てが新鮮だった。裏話も色々聞けたし。楽しかった。

だって物産行くにしてもこんな機会ないからね。
とか思っていた僕。

そして、採用ホームページに対する意見の時間が終わり、いよいよランスルーに向かうという時。

元々部屋には人事の方が3人ほどいたが、人事部長が部屋に入ってきた。

人事「人事部長からお話があります」

まじめな顔してる人事部長。

同期の間に若干の緊張感が走る。

ちなみに部屋の配置はこんな感じ。


   人事部長
     ★

○~~~~~僕~~○
○~~~~~~~~○
○~~~~~~~~○


前列右からアナ、制作、ビジネス、技術であかさたな順の席配置なので、僕は最前列。

何を話すのか人事部長。

人事部長
「え~今からMステの見学をしてもらうわけですが… 今ここには35人の2008年入社予定の内定者がいます。みなさんもお気づきだとは思いますが、4月1日の懇親会には38人いた同期も3人いなくなってしまいました(4月1日以降他社に流れた)。残念ながら、入社の約束を守っていただけなかったわけですが…
ここにいる35人は2008年4月1日をもってテレビ朝日に入社し、40年近く働く同期になります。」

この辺から最前列の友人たちは、僕を横目でチラ見して苦笑し始める。

僕はと言うと。

気まず過ぎて顔を上げられない。

なぜわざわざこんな話をするのか?

僕以外の34人はそんなことわかりきっていることじゃないか!

はっきり言って、僕のためにだけ話している人事部長。勘弁してくれよ… 

これが正直な感想。

その後、数分同じ様なことをお話になり、人事部長退場。
変な空気になる部屋。

そして人事がランスルーに向かうことを告げる。

ランスルー待ちの大部屋に連れて行かれる僕ら。

そこで。


先ほどの人事部長の演説の話題に。

「あれは絶対太郎のせいだな。」

「あからさまにそうだよね。」

「あれはきついよな~ 俺笑いそうになったよ!」

「てか笑ってたよ、俺!」

そんな会話。

そんなことを気軽にいじってくれる同期に感謝。

まだ悩んでるの?!なんて同期の女子アナに引かれたりした僕。

その時もまだ僕の気持ちはハッキリ言って揺れさえしていなかった。

そしてランスルーへ。

まずスタジオの独特の緊張感、空気に背筋を伸ばす僕ら。

僕の稚拙な比喩表現では表現しきれない雰囲気がある。

あのスタジオには。収録現場には。

そして目に入るタモさんと堂真理子。

そしてその他出演者。

出演者に関しては特に書きません。色々ありますからね。

ただ。

堂真理子は最高だったってことだけは確かです。
女の人を見てあそこまでテンション上がったのは久々です。

そして本番。

1時間が一瞬に感じるほど密度の濃いものであった。

みんな固唾を呑み、ただただ圧倒された。

Mステという番組に。


更にその感動を高めたのは、事前に話を聞くことが出来た技術・美術さんの裏話。

ど素人のように出演者ばかり見るのではなく、Mステに関わるスタッフ全員が出演者を最善の演出で盛り立てようという気概が痛いほど伝わってきた。

素直に感動し、興奮した。心から。

そして。

その瞬間。

テレ朝の社員訪問の際に、ある尊敬する社員さん(色んな会社の色んな社員に会ったが、「この人の下で働きたい」と心から思ったのは唯一この社員さんだけ)から聞いた話がフラッシュバックした。

広告や商社も確かに魅力的な仕事だ。
だが俺ら(テレビ局)は0から1を作り出している。
彼ら(広告・商社)は1から100を作り出している。
その違いがわかるか?
0から1を作り出す俺らがいなければ彼らはあり得ないんだよ。そうやってクリエイトする俺らは非常に価値のある存在なんだ。0から1を作り出す側の方が楽しいと思わないか?

(『社員を見極めろ(vol.7)』より引用)

Mステのランスルーは、まさにその「0から1を作り出している」ことの体現であったし、その時僕はその言葉の真の意味を本当に理解できた気がした。

そして、それと同時に。

「俺はやっぱり番組を作りたい」

「自分にとってこんなに刺激的な現場で仕事をしたい」

そんな思いが心の奥からふつふつと沸き立ってきたのだ。

こんなに興奮する自分に驚いた。

フルテンションのままランスルー終了。

退場するタモさんに「入社おめでとう」と声をかけられ感激は更に一入(ひとしお)。

完全にテンション上がってた。

ふと冷静になる僕。

そのあとは同期で飲み会が予定されていた。

僕はなるべく人事と目をあわさないようにしていた。

なぜか?

このテンションだと勢いで「テレ朝行きます!」って言いかねなかったから。

それは嫌だった。

ここまで来て勢いで決めちゃうのは嫌だった。

飲みに行って、家に帰ってもう一度冷静な自分に戻ってから、再思考したかった。

だからみんなに紛れて帰ろうとした。

が。

人事「ちょっと芦田だけ残って。」

35人の前で公然と拉致られた。

苦笑するしかない同期。僕も。

そしてお馴染みの人事部へ。

歩きながら、「どうしゃべるか?」「どう誤魔化すか?」「どう物産を推すか?」を思考する。

そして。

僕と人事との攻防は始まった。

人事「どう?」

ぼく「正直テンション上がってます。でもこのテンションのまま勢いで決めたくありません。そしてやっぱりこの勢いがあっても物産は捨て切れません。」

1時間近くしゃべっていたが、正直どんな順序で、どう話したかを細かく覚えていない。

事実とは異なるかもしれないが、内容だけは間違いがないと思うので書いてみる。

ハッキリ覚えているのが、その時の僕は、9割以上物産で固まっている状態で研修に臨んだ僕自身を否定したくなかったので、いかに人事に物産に行くことを納得させるかを考えることで必死だった。

悩みに悩みぬいて「やっぱり物産かな」とようやく答えが出始めた気がした。

英語を勉強し、日経新聞も取り始めた。

心と体は物産に向かい始めていた。確実に。

そんな日常や自分の意志を否定したくなかった。

しかし。

6月8日のMステランスルーはそんな僕を完全に否定した。

でもやっぱり否定されたくなかった。

しかもそんな一日の勢いで決めたくなかったから無駄に粘った。

物産の良さを人事に訴えかけた。

スキル。成長。福利厚生。安定した生活。海外という舞台。

どうにか上手く言い負かしてやろうと考えながらしゃべっていた僕。

しゃべりながら脳みそをフル回転させていた。

が。

なんか引っかかった。しっくり来ない。

以下の思考は全て人事と会話しながら為されている。

福利厚生?安定した生活?

俺そんなに求めてるっけ?

確かにテレビは寝れない。商社は寝れる。

給料は余り変わらないが、テレビはほとんど残業代。

だから商社?

なんかおかしくない?

守りに入ってないか俺。

だいたい「安定」なんて言葉は一番嫌いな言葉だ。

人間は安定したら終わりだと思う。そう思って生きてきた。

スキル?

成長?

確かにこれは仕事するに当たって必要不可欠な要素だ。

だが、この研修を通して一つ気付いたことがある。

大事なこと。

思い出したことがある。

今まで僕は企業選びの基準として「独り立ちできるようになるためのスキル、そして成長」という2本の軸を掲げていた。

しかし大事なことを忘れていた。

「好きな仕事」

これだ。

自分の人生を投資する対象としての業界、会社、仕事が「好き」かどうか。

この観点。

確かに好きと仕事は別だと言えるかもしれない。

実際に仕事してみないとわからないかもしれない。

でも。

①商社で莫大な金を動かしてインフラ整備する

②広告の営業マンとしてバリバリ働く

③大好きなバラエティをおもしろい芸人さんと作り上げる

僕の個人的趣向だと圧倒的に③が「楽しい」し、「おもしろい」。

そうなんだ。

僕が好きで、楽しいと思える仕事。

それはテレビなんだ。

もちろん商社の仕事も非常にダイナミックで「おもしろい」だろう。それは否定しない。

広告も同じだろう。

でも僕の基準だとテレビの方が圧倒的に面白い。

そんな当たり前のようで当たり前だと思ってなかった感覚がよみがえってきた。

いや、むしろ当たり前のことを、「あえて」当たり前だと思わないようにしていたんだと思う。

なぜか?

僕は焦っていたんだ。カッコつけていたんだ。

なぜか?

僕は大学4年間胸を張って「勉強しました!」とは言えない。

そこらへんの体育会系よりははるかに本を読んでいるし、色んな事にアンテナを張ってきたつもりだ。

でも。

「勉強したか?」と聞かれたら、答えは「No」だ。

だから「社会に出たからには勉強しなきゃ、俺はいつ勉強するんだ?」と言う焦りがあった。

このまま大人になっていいのか?と。

英語も受験期以来伸びてない。絶対に。

それでいいのか?

と言う焦りがあった。

だから「成長」や「スキル」と言う観点を求めて、総合商社をセレクトした。

でも。

6月8日。

何カッコつけてんだ俺。

自分の好きなこと仕事にしたほうが絶対良くない?

楽しくない?

僕が意外にもお笑い好きなこと、テレビ好きなことは以前の日記にも書いた。

ざっとテレビ関係の日記を挙げておくので興味ある人は暇なときどうぞ。

2006年1月27日『熊田曜子と蒼井そら』

2006年5月22日『ほしのあき論』

2007年1月11日『めちゃイケは間違ってない』

2007年1月12日『怒る岡村、君は正しい』

2007年6月3日『松本人志とめちゃイケ』

まぁこんな感じ。

ちょっと話がそれたけど、現実世界に戻ると。

僕は物産の福利厚生の良さやらを人事に必死に語りかけながら、そんなことを頭で考えていた。

俺が「やりたい仕事」って番組作ることじゃない?

バラエティじゃない?

海外?

海外行きたいって君は言うけど。

それは、仕事で? 旅行で?どっちなの?

別に旅行でいいんじゃないの?

旅行でさえ君はグアムしか行ったことないわけでしょ。

だから焦ってるんでしょ?

海外行けば視野広がるとか思ってるんでしょ?

安易だよ。

別に旅行でいいじゃん。

あと半年以上君は自由だ。

芦田太郎と言う人間が、生まれ、死ぬまでの時間において、最も自由な時間と言って過言ではないほど自由だ。

その時間を有効活用し、海外を放浪すればいいんじゃないか?

村上龍の影響でキューバ行きたいんだろう?

行けばいいじゃないか。

商社の途上国駐在。

5年も10年も途上国に住み続ける生活。

リアルに気乗りしきれない自分がいた。実は。

商社マンとして終わりだろ。

まぁ入ったら入ったで割り切るしかないくらいに思ってたけど、どっかで割り切れていない自分がいたから「9割は物産」と言いながらも、テレ朝の研修に来ちゃう自分がいたんだろう。

てなことを思考していた。

でもその場では言わなかった。

言ったら「じゃあうちでしょ」って言われるだろうから。

とにかく一回一人で冷静に考えたかった。

頭が混乱していた。

人事「とにかく我々が君に出来ることは、もう全てした。つまりもう君次第だよ。」

ぼく「はい。」

これはつまり返事の期限が来ていることを示す。

皮肉な事に6月11日に物産本社においてTOEICを受けなければならないのだ。

それを伝えると。

人事「じゃあ来週末までに返事をください」

ぼく「はい。」

そして僕はようやく解放される。


飲み会へ。

いつもどおり茶化される僕。

正直飲めるようなテンションじゃなかった。

脳みそはフル回転させすぎて完全にオーバーヒートしていたし、精神的にも体力的にも限界だった。

が。

既に酔ってる同期は、僕を茶化し、飲ませる。ワイン。

女子アナに飲めと言われたら飲むしかありません。

こんなに酔っ払ったの初めてだと思うくらい酔っ払った。

千鳥足とはまさにこのこと。

ふらふら。

でもなんか楽しかった。

よくわかんないけど。

こいつら最高だな。って思った。心から。

こいつらと仕事したいって思った。心から。

で、帰宅。

とりあえず頭痛すぎて死にそうなので、寝た。

翌朝。

現実に引き戻される。

土日。冷静に考え直す。

しかし何度冷静に考えても、思い出すたびに興奮はよみがえる。

これまで様々な社員の話を聞き、感動し、テンションが上がったこともあった。

だけど。

あんなに興奮し、これだ!と思った事はなかった。

そんな自分のフィーリングにかけてみたかった。

ここまで悩んだからこそ、そんな僕のフィーリングにかけてみたかった。

そして最高の同期がいた。

そう。

大逆転は起きた。

テレビ朝日。

自分の中で最下位だった企業は見事蘇生した。完全に。

家族にそんな思いを全て正直に告げた。

尊敬する親父には、

「お前はアホだから、テレビって言う結果としてわかりやすいものにただ感動してるだけだ」

という適切な指摘を受ける。

が。

「それはわかってる。でもあれだけ自分の心を奮い立たせてくれたの初めてだったから、それにかけてみたい。」

そう言われたら、いくら親父でもどうしようもない。

最初は渋っていた母ちゃんも納得。

「物産もったいないなぁ~」とか親父は嘆き続けていたが。

さらにその決断に拍車をかけたのが、11日に迫る物産TOEIC。

「もし物産を辞退する事になるなら、TOEICは礼儀として受けるべきではない」

そう考えた僕。

そうなると自動的に土日(9,10日)で決断するしかない。

もう決めた!!!!

俺はテレ朝に行く!!!!

物産も電通も博報堂も断る!!!!!!!!!!!!!!!

決めた。

ついに。

そして6月11日。

朝9時。

物産人事部にフォンコール。

先に言っておくが、9割物産に決めていた僕は、これまでの他社との攻防の詳細を伝えていない。

つまり、物産は芦田太郎が100%来るものと思っている。

ぼく「ちょっとお話したいことがあるんですけど…」

人事「どうした?」

ぼく「いやちょっと電話ではなく直接お話したいんですけど・・・」

人事「どうしたんだよ。何のこと?」

明らかに不穏な空気を察知した人事の声色が変わる。

ぼく「いや、ちょっと進路のことで・・・」

人事「まだ悩んでんの?とりあえず~時に本社に来て。」

ぼく「はい。」

決断した。

だけど、まだ僕の就職活動は終らない。

4社のうち1社に絞った。

決断した。自信を持って。確信し。

が。

それは同時に、3社を辞退すること。

戦いは終らない。

今日はここまで。

日が昇り始めた。


●2007年07月01日
断固たる決意(vol.10)
どうも。

今日もこんな時間になっちゃいましたが、書きます。

やっとのことで決断できた僕。

気持ちは一つ。テレビ朝日。

残すは3社の辞退。

そして6月11日。

三井物産本社@大手町。17時。

人事部へ。

会議室に通される僕。

テレ朝を一度辞退した時もそうだったが、辞退するときというのは妙な緊張感がある。
(参照:6月24日『1社目の辞退(vol.5)』)

ソワソワする感じ。落ち着かない感じ。

5分ほど待たされる僕。

どんな言葉から切り出すか、どう説明するかを思考する僕。

すると。

ずっとお世話になっていた人事の方、入室。

既にこわばっている顔。

覚悟を決める僕。

人事「どうした?」

ぼく「実は…ずっと進路で悩んでいまして…」

この時ばかりは上手く言葉が出てこなかった。狼狽しまくり。

人事「ちょっと待て。お前もう決めたって言ってなかったか?」

ぼく「はい。そうなんですが、実は色々経緯がありまして…」

この日記に記すだけでもvol.10までかかった膨大な量の経緯を説明し始める僕。

すると。

しゃべり始めて20秒ほどで。

人事「結論は?!」

未だに自分のペースをつかめない僕。完全に押されている。

ぼく「テレビ朝日さんに行くことを決断しました。」

人事「テレ朝?辞退したんじゃなかったのかよ。」

ぼく「はい、そうなんですが実は…」

その後、長ったらしい経緯、なぜテレ朝に決断したのか。

言葉を選びながら語った。

びびりながらも自信を持って。

そして。

当然怒られた。ひどく。

覚悟していた。だって嘘をついていたんだから。

何度も書いたが、僕は6月8日のテレ朝研修まで、9割以上物産に決めていた。

だから悩んでいることを人事に打ち明けていなかった。

物産を欺いていたのだ。

そして人事を通して紹介していただいた社員の方にも失礼極まりないのだ。

人事「お前も人生かかってるかもしれないけど、こっちも人生かけて採用やってるんだよ。わかるよな?」

ぼく「はい。わかっています。」

人事「いや、わかってないよ。」

そう言われたらその通りだし、申し訳ないというしか僕には出来なかった。

覚悟はしていたものの、ここまで人に怒られるのは久しぶりすぎて、僕のメンタルは徐々にボディーブローを打たれるようにダメージを受けていった。

100%僕に非があるので反論すべきこともなく、ただただ謝るしかなかった。

そしてテレ朝への決意を自信を持って語るしかなかった。

最後には、

「うちも最近メディアに力を入れているから、テレ朝も遠い存在ではない。お互い頑張ろう。こういう結果になるのは残念としか言いようがないが、テレ朝に行くからには頑張れよ。」

と言っていただいた。

そして僕は三井物産人事部を去った。

エレベーターに乗り1階に下りた。

終った。

大きなため息。

終った。

辞退した。第1志望だったはずの物産を。

俺は今、たった今辞退したんだ。

イマイチ現実味がなかった。

その時ちょうど本社入り口からは、17時半からTOEIC受験を控えた我が同期たちが続々と来社し始めていた。

中には顔見知りも。

そんな中、ただ一人だけ逆走する僕。

「あれ?どこ行くの?」

「いや、ちょっと…」

なんて気まずさ満点の会話をし、恐らくもう二度といくことがないだろう三井物産本社を去った。

終ったんだ。本当に。

まず、テレ朝同期で仲の良い数人にメール。

そして同期のメーリスにメール。

早く伝えたかった。とにかく早く。

以下はそのときのメールのコピー。辛うじて携帯に残ってた。

「芦田太郎です。
ご存知の方が多いとは思いますが、俺は進路で悩み続けてました。
でも決めました。

テレビ朝日に行きます。

当たり前だけど、今まで俺以外の34人は入社の意志が固まってるのに俺みたいなどっちつかずの人間がまじっていて本当にすみませんでした。

でも決めました。

テレ朝で一時代築きます。
これからよろしくお願いします。

時代を作りましょう」。


胡散臭いけど、本当に爽快な気分だった。

「時代を作ってやろう」そんなテンションで、このメーリスを流した。

何人かからは電話がかかってきて、多くの人からメールが来た。

みんなものすごく喜んでくれた。

「なんで!?」「決め手は!?」なんて聞かれたりもしたけど、何よりもみんな喜んでくれて、俺が逆に感動してしまったりした。

そんなメールを見て、電車の中で「俺の決断は間違ってなかった」と確信した。

そして翌日。

タイミングの良い事に、テレ朝VSフジテレビ同期入社予定の人たちとのフットサル大会。

若干の恥ずかしさもありながら、みんなと合流。

とくに決断のことをいじることもなく、いつもどおり、普通に受け入れてくれた同期。

そんな同期はやっぱり最高だなんて再確認した僕。

そしてフットサル。

ハッキリ言ってボコボコニしてやろうくらい気合入ってた僕。

意気込み通り圧勝。

グランド代を賭けた最終試合では6-0の圧勝。

10年後の盛衰を占うかのような結果。なんてね。

最高の気分。

そしてじわじわと自分が決断できたことが現実味を帯びてきた。やっと。

そしてこんなにもスッキリするものかと思うほどスッキリ。

何ともいえない開放感。

何ともいえない開放感。

残された任務。

①テレ朝への進路決定報告(実は同期にしか報告していなかったので早急に人事に伝える必要アリ)

②電博の辞退(あんまり考えたくない)

まず①。

6月15日。@テレビ朝日本社。11時30分。

お馴染みの人事部。

ぼく「まず、数ヶ月に渡って、勝手なことを言い続け、様々な社員の方を紹介していただくなど、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」

変にもったいぶって謝罪から会話を始めた僕。

人事の顔若干困惑。

「またも辞退か?!」的な空気。一瞬。

黙る人事。しゃべり続けろという空気を察する僕。

ぼく「大変ご迷惑をおかけし続けていたのですが、このたびやっと決断することが出来ました。」

無駄に溜める僕。

ぼく「……テレビ朝日さんに行くことを決意しました。」

ほころぶ人事の顔。

人事「ちょっと待て! 今、人事部長呼んで来るから!」

人事部長を呼びに。

そして人事部長入場。

もう一度最初から同じ事を言う僕。

その後、細かい心境の変化をしっかり、誠実に、すがすがしい気持ちで、全て語った僕。

この就職活動において、どの会社の人事よりもお世話になり、迷惑をかけたのがテレビ朝日の人事。

間違いなく俺は最高にめんどくさい就活生だったし、最高にわがままな就活生だった。

そんな俺を最後まで寛大な心持で、引き止めてくれた。

本当に感謝の一言に尽きる。

そんな会社を最高の会社にしたい。そんな原動力になりたい。

一度も1位をとったことがない会社を1位にしたい。

いや。

絶対に1位にする。

それが俺が出来る唯一の恩返しだろう。

そう決意し、僕は六本木本社を後にする。

そして。

電通人事に電話。

ぼく「進路決めました。テレビ朝日に行きます。」

人事「そうかぁ。物産じゃないんだ! 決め手は?」

予想以上にフランクな対応に安心する僕。

ぼく「やはり番組作りがしたいという思いが強まりまして…」

人事「そっか~。うちでも番組作りできるよ、とは言えないからな。それ言われたら仕方ないね。でもテレ朝ならうちと切っても切り離せない関係だし、これからもよろしくね。」

ぼく「いえいえ… こちらこそよろしくお願いします。色々とご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。」

人事「いやいや。ホント同じ業界で、仕事することもかなりある中だし、芦田くんが出世したらこっちがお世話になっちゃうくらいだろうからホント頑張ってね! これで辞退と言う形にはなるけど、もし良かったらうちのテレ朝担当の人間も紹介するしさ。」

ぼく「いえいえそんな!申し訳ないです。ほんとうにありがとうございます。」

そんな感じで、何回「ありがとうございます」と言ったかわからないくらい、寛大な電通人事であった。

しかし実際本当に切っても切れない関係の会社であるし、電通で知り合った同期も大切なつながりであると痛感。

残すは博報堂。

ずっとお世話になっていた方に「進路決めました。直接会ってお話したいです。」とだけメールした。

すると。

「久しぶり。決めたか。その感じだとうちじゃないな(笑)」

と言う、僕の大好きな博報堂らしい、ゆるい返信。

その人はちょうど関西出張中で、結局会ったのが29日。

つまり昨日。

これもまた通いなれた博報堂本社@食堂。

人事「いや~びっくりしたわ! 単純になんでそういう結論になったのかものすごい気になるわ。」

なんていつもどおり最高にファンキーな入りで始まった会話。

しっかり説明。

人事「びっくりしたけど、お前がこれだけ悩んで出した結論なら間違いないよ。頑張れよ。テレ朝ならうちともしょっちゅう仕事する機会あると思うしよろしくな。」

そんな温かいお言葉をいただき、本当に感謝感謝。

最後は熱い握手で。

「また飲みでも行こうや」そう言って方をポンッと叩いて送り出してくれた。

やっぱり博報堂は最高の会社だった。

6月29日。

僕の就職活動は本当の意味で終った。

全て終った。ようやく。

1月28日『スタート就活』からおよそ5ヶ月。

長い長い旅が終った。

この5ヶ月間、僕は様々な素晴らしい社員さんと出会い、様々な素晴らしい経験をし、成長できた。

密度の濃い、かけがえのない、色んなものを吸収しまくった5ヶ月だった。

だけど忘れちゃいけないこと。

大事なのは来年の4月からだってこと。

テレ朝で何が出来るか。何をするか。

「番組を作りたい!」

なんて言っても、2~3年いや、下手したら4、5年、いやそれ以上AD生活から抜けられないかもしれない。

常に初心を忘れず、現状に満足することなく、高みを目指し続け、最高の同期と最高のテレビ朝日を作り上げる。

フジテレビなんてあっという間に抜き去ろう。

そんな気持ちでいっぱいだ。

今僕は、そんな気持ちでいっぱいだ。

やってやろう。

一時代築きますか。

そんなこんなで長かったこの就活日記もやっと終止符を打てそうです。

vol.1から読んでいただいた方、本当にありがとうございました。占めのコメント、感想よろしくお願いします。

今ワードにコピーしてvol.1からvol.11までの総文字数をカウントしてみたんですが。

46000字でした。

考えられません。

人生で一つの事についてここまで書いたことありません。

卒論に匹敵します。

どっかの出版社のノンフィクション部門に応募してみようかな。

まぁそれくらい価値のある時間だったって締めで良いですか?

とりあえず僕は来年4月からテレビ朝日で働きます。

デジタル放送は5チャンネルなんでよろしく。

一時代築こうと思います。

目標高く。
今日はここまで。


●2007年07月02日
エピローグ(vol.11)
どうも。

おはようございます。

今日は久しぶりに8時に起きました。
なぜかはわからないけど。

昨日は稲穂キッカーズの前期納会に顔を出しました。

プレイヤーはみんな日焼けしてギャル男みたいでした。

そして稲穂の飲み会は、いつからあんなおさわりパブ状態になってしまったんだろうと嘆き、憂いました。

まぁでも何かみんな楽しそうだったし良いか。

やっぱりサッカーしたいし、マガ杯くらいは行ってみようかななんて思いました。

後輩達に何か残せるものがあるかもしれないし。

さて。


エピローグと言ってもたいしたものじゃありません。

結論に至るまでに10作にも及んだ大作でしたが、そこには記されなかったある象徴的な出来事があります。

それは忘れもしない今年の新歓合宿。

最終日。

僕は2年生の大部屋で2年生たちと絡んでいました。
ほとんどの2年生がいた気がする。

4年は僕一人。

何に使ったのかはわかりませんが、部屋にサイコロがありました。

すると誰かが唐突に、

「太郎さん、進路に悩んでるならこのサイコロで進路決めましょうよ。」

と言い出しました。


選択肢は、テレ朝、博報堂、物産、電通、大学院、ニート。

正直気乗りしませんでしたが、気楽な気持ちでサイコロを振った僕。

なんと結果は…

テレ朝。

皮肉な事に新歓合宿から帰還した、その直後に僕はテレ朝に一度目の辞退を申し出に行ったのです。

しかし、最終的な結論は皆さんもご存知のように大逆転でテレビ朝日になったわけで。

つまりあのサイコロ通りになったわけで。

誰もが予想していなかった結末をサイコロは予言していたのです。

何だかそんな運命っぽい出来事を思い出したので書きました。

ではまた。(了)

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感想欄

芦田校長、お久しぶりです。

専門学校の業界から、ゼネコンの業界に出戻りした者です。

毎日、出社すると、芦田の毎日をCHECKして、私の一日がスタートします。

今回は、太郎君の面白いブログを延々と読ましていただきました。

感想は・・・・・。

まさに、芦田校長の息子ですね。面白いと言っては失礼ですが、将来が楽しみな若者ですね。

今のマニュアル世代の若者には居ない貴重な人財です。
人材ではないですよ、人財です。

つまり、今後、市場価値が5倍にも、10倍にも膨れ上がる人物ですね。書かれている就職日記を読んで直感しました。

今後が本当に楽しみだと思います。

私事ですが、専門学校の業界から去って、早4年目に突入しております。振り返って、本当にこれでよかったと実感しているのと、あのときの5年間は、よい社会勉強、人生勉強をさせられたと思います。

しかし、九州の専門学校、いや、高等教育機関の衰退は
目に余るものがあります。

特に、工業系の衰退が著しいですね。大学の工学部系も私立大学で3校が募集停止になりました。

残っているところも、付け焼刃の対策を講じているだけですね。

本当に、あと3年で、業界の整理整頓が完了する勢いです。

私の居た学校も、トップの世代交代を進めているみたいですが、うまくいっていないようです。

12校あるグループ校のひとつで、ある学科は、専任教員が7名中6名が退職したそうです。それも、今年の3月に。前触れも無く。

まぁ、計画退職だったとは思いますが。

当然、その学科の教務はガタガタになったみたいです。
今、建て直しが急ピッチで行われています。

最後に、面白いブログを読ませて頂いて有難う御座います。

今、私は、別の角度で、人材育成に携わっています。
18億円のプロジェクトを推し進めながら、大卒の新入社員の育成、中途入社の社員育成をOJTの手法で行っています。

「企業は人也なり」。

この言葉を実感しています。

また、書かせていただきます。失礼します。

投稿者 りく(福岡) : 2007年07月13日 08:16

じっくりと、そしてとても楽しく読まさせていただきました。ありがとうございました。

私も1歳9ヶ月になる息子がいるのですが、将来は、自分でものを考えて、必要なときにはしっかりと戦える様な人間になってほしいと漠然と思っています。

そのために大事なのは親がしっかりと生きることかな、と思いはするのですが、実際はどうしたら良いものか全くわかりません。

子供と一緒に成長できる様に頑張りたいと思います。素晴らしい息子さんがいて、羨ましい限りです。

投稿者 うー : 2010年01月25日 01:52
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