「芦田の毎日」について twitter 私の推薦商品 今日のニュース 写真ブログ 芦田へメールする

 高校の必修単位不足問題について 2006年10月27日

この問題は、難しい問題ではない。

要するに、教育制度をいじるときには、上位校の体制をまず変えることが問題ということ。

大学の受験体制やカリキュラムの体制をそのままにして、下位学校の「必修」「選択」の体制を自立的に論じること自体が問題。

「ゆとり教育」や「総合的な学習の時間」が成功しない理由も大学受験の内容を変えないまま、下位校(初等・中等教育)のカリキュラムをいじるからであって、すべては高等教育が野放しになっているのが原因。

文科省も文句のでない初等・中等教育ばかりをいじるから(弱いものいじめふうに)、“改革”が頓挫する。

教育改革は、上位校(教育の最後のOUTPUT)から変えない限り何も始まらない。

(Version 1.0)

にほんブログ村 教育ブログへ
※このブログの今現在のブログランキングを知りたい方は上記「教育ブログ」アイコンをクリック、開いて「専門学校教育」を選択していただければ今現在のランキングがわかります。

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
トラックバック

この記事へのトラックバックURL:
http://www.ashida.info/blog/mt-tb.cgi/757

感想欄

保護者としてはどういう姿勢でいるべきでしょうか?

単位が足りないことがわかった高校に通っている息子には「人生はどこでなにがどうなるかわからないんだから、卒業できるように授業やってもらってそれをあなたが履修してちゃんと卒業するしかないでしょう」と言ってるんですが。

投稿者 保護者の一人 : 2006年10月27日 11:53

今、学校から帰ってきたところです。御返事、遅れて申し訳ありません。

実際、被害にあった保護者と生徒は、どうすればいいのか?

そんなこと簡単なことです。

「再履修はいや」と言えば、いいのです。

あとは、文科省と県教(県教育委員会)とが話し合えばいいだけで、生徒や保護者が被る被害ではありません。

みんなで無視すればいい。生徒はカリキュラムを作ることにいっさい関与していないのですから、なぜ、その“被害"を被らなければならないのか、道理のない話です。

再履修は避けられない、というのなら、受講時間は生徒側が決めればいいと思います。大学受験資格を得られる仮卒業を県教=文科省に認めさせて、卒業後に一生をかけて(まるで生涯学習の文化講演会のように)、受講してもいいだろうし、受講の形は自由に選べばいいではないですか。少なくとも、そのくらいの自由は主張してもいいと思います。

もちろん世界史を学ぶ権利がある、として再履修を要求するのは、この限りではありませんが。

投稿者 ashida : 2006年10月27日 22:44

お疲れのところ昨夜のうちにお返事を入れていただいたみたいで恐縮しております。

降ってわいた災難にあわてふためいている息子の姿が何とも情けなくそちらのほうに腹が立っておりましたが、この問題がどういうことなのかよくわかりました。

PTAからも連絡が来て卒業させるよう動いていくような内容ですが、再履修になる可能性があるようです。しかし、再履修をするべきでないと言っている父兄も出てきているようです。

芦田様が、再履修の方法についても様々な選択肢を書いて下さっていましたのでPTAを通して提案してみようかと思っています。それにしてもこの時期にこういうことになるとは夢にも思いませんでした。

投稿者 保護者の一人 : 2006年10月28日 08:03

高校が再履修をさせたいというのは、単に高校側の都合であって(県教育委員会へのすりあわせ)、生徒や保護者の問題ではありません。

進学(受験)を準備する学生にとって、負担要因になることは明らかなことですし、そもそも、授業の方も、消化試合のようなことをやればうまくいかないのは目に見えています。

なぜ、高校側が起こしたことのミスを、生徒や保護者が追わなければならないのか。それをきちんと言うべきです。

仮に非を学校が認めたなら、「あやまる」のではなくて、保護者の意見をまず聞くということが筋です。

保護者は、「イヤだ」と単に言えばいいのです(それだけを言い続ける)。

ものわかりのよさそうなことを言う必要はない(必ずそんなことを言う保護者が出てきますが)。

後のことは、学校が考えるべきことで、保護者や生徒が悩むことではありません。

学校が「それはできません」というのは、「できない」のではなくて、県教育委員会や文科省と詰めなければならないことが多くなり、それを面倒くさいと思っているからだけのことです。「できない」と言われたら、「面倒くさい」と言っている、と頭の中で翻訳して下さい。ひるむ理由は何もありません。

「卒業できませんよ。受験できませんよ。それでもいいのですか」と言われてもひるむ必要はありません。

こう言えばいい。「カリキュラムを改ざんしておいて、どうしてそんなことを言えるのか、理解に苦しむ」と。「一体先ほどわれわれに謝ったのは何について謝ったのか」と。

そんな学校を選んだあなたが悪い、と世間がもしそういうのなら、公立高校の履修科目は個々の学校が決めているのではないのだから、学校選択以前の問題(つまり県の教育委員会や文科省が管理している問題)、と突き放せばいい。

特にこの学校だけで起こっていることではなく、全国的に慢性化しているようですから(あるいはすでに未履修の状態で卒業している生徒が一杯いるようですから)、ここは「イヤだ」を押し通すべきです。

こういった場合の最大の敵は、たぶんPTAです。必ず教員側につく保護者が出てくる。「そうは言っても先生も大変よね」というように。あるいは「世界史もやっぱり勉強させておかないと」などと。そうやってPTAの中で票読みをやり始めます。ここを乗り切るのが一番大変だと思います。身内の敵ほど鬱陶しいものはありません。

PTAが団結して「イヤだ」と言えば、必ず通りますが、学校側はPTAの分裂を利用して、再履修を強行すると思います。そこをどう乗り切るかです。

いずれにしても一番大切なことは、子供に大人の失敗(しかもたちの悪い失敗)を押しつけてはいけないということです。どんな場合もそこが原点です。

投稿者 ashida : 2006年10月28日 11:25

そもそも日本の受験制度が間違っていますね。

一般教養習得のための履修が受験のためのものになっている。

これでは、ますますの教育レベルの低下は避けられないでしょう。

投稿者 masa : 2006年11月01日 11:13

masa様

意味不明。

投稿者 ashida : 2006年11月02日 01:15

その後の我が子の高校では、芦田様の予想通りPTAが学校に協力する姿勢であれよあれよという間に履修させる方向に進んでいて、もうなんでもいいから早く静かに今まで通りに授業受けたいというのが親子での気持ちになってしまっています。

更に今日負担軽減の措置が出たためもうしかたないというのが、正直な気持ちです。

投稿者 保護者の一人 : 2006年11月02日 19:16

「保護者の一人」様

でしょ。

PTAが機能していない。結局、生徒たちが犠牲者になっている。

PTAは、生徒を学校側に預けているという意味では、強い態度に出ることができない、という致命的な弱点を持っています。

教員側に付く保護者があとをたたないのは、そんな事情もあります。

私は、その意味で、息子の保育園、小学校、中学校、高校と、ずーっと保護者会に出ませんでした。出ると必ず喧嘩になると思って“自粛"していました。

学校は、学校自身が自ら襟を正すことなしには変わらないところなのです。学校改革、教育改革が難しいのは、人質としての生徒が存在している、ということがあるからです。

〈校長〉というのは、学校の代表なのではなくて、学校と保護者との中間の存在でなければならない。その姿勢なしには、学校が生徒、保護者、社会の要求をまともに受け入れることなど出来ないと思います。


投稿者 ashida : 2006年11月02日 19:32

芦田様

「〈校長〉というのは、学校の代表なのではなくて、学校と保護者との中間の存在でなければならない。その姿勢なしには、学校が生徒、保護者、社会の要求をまともに受け入れることなど出来ない」というのは私にはちょっと衝撃でした。

いままでいつも校長先生は学校の代表かのようなつもりで見ていたような気がします。そして今回の問題で「学校自身が自ら襟を正すこと」としてしようとしているのは、なるべく生徒の負担を少なくして履修させることとなっています。

息子の高校は、5.6時間目を増やして冬休みにも補習をするということで落ち着かせようとしています。

私は、いっしょに話し合えるような方もほとんどいませんしPTA活動もなにもしていませんでしたし正直なところ今はどうしてよいのかわからなくなっています。

せめてもの救いは息子と昨夜、芦田様の記事を読んでとことん話し合えたことです。

投稿者 保護者の一人 : 2006年11月03日 12:13

「保護者の一人」様

たいへんですね。

「5.6時間目を増やして冬休みにも補習をするということ」は、センター入試を控える学生達に大きな影響を与えざるを得ない。

最後の学校(高等教育)選びに大変な影響を与えることでしょう。1点、2点のために浪人したり、受験準備をしている生徒達のことを思えば、そんな決定は絶対にできないはずです。

私なら、そんな履修は絶対に反対します。

学校が補習をやるというのは、学校の反省の結果ではなくて、文科省に顔を立てるためのものに過ぎません。文科省が補習時間数を相対的に減らすのも文科省自身に火の粉がかからないための“恩情”すぎません。

どちらもが責任逃れをしているのです。

なぜ、そんな人たちのために、補習の実時間を費やさなければならないのでしょうか。

正規の履修を行っている学校との公平性ということを伊吹文科大臣は再三再四口にしますが、受験直前の膨大な補習を考えれば、どちらが不公平かわかりません。

これだけたくさんの高校が、履修不足であったことを考えれば、“不公平”は慢性化していたということであって、慢性化する不公平をこんな唐突な仕方で解消するというのは別の不公平を生むだけです。

投稿者 ashida : 2006年11月04日 08:42

芦田様へ

学園祭のお忙しい最中にお返事書いていただいてもうしわけありません。

息子の学校での冬休み補習についてはご指摘の通りセンター試験受験の子の親から不満が出てきていて結局冬休み補習の時間割は凍結状態の様子です。

「これだけたくさんの高校が、履修不足であったことを考えれば、“不公平”は慢性化していたということであって、慢性化する不公平をこんな唐突な仕方で解消するというのは別の不公平を生むだけです」ということについて、息子は「そのとおりだよ」と意気込んで「自分たちは補習拒否する」と言い始めていて友だちともメールなどでやりとりしています。

PTAがどう動かれるのかわかりませんが、息子の友だちのお母さんと連絡とって様子を聞いてみることにしました。(我が家は父親がおりませんのでこんなときこそ私も頑張ってみることにしたと息子にも話したところです)何度も失礼しました。

投稿者 保護者の一人 : 2006年11月05日 11:22
感想を書く




保存しますか?