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 SONYの凋落 ― それは90年代のトリニトロン全盛から始まる 2005年10月06日

SONYの凋落は、90年代半ばに始まった。それは、平面ブラウン管テレビが絶頂期にあったときと重なっている。

もともとSONYの「トリニトロン管」(http://www.sony.jp/products/Consumer/Peripheral/Display/CRT/technology/tec1.html)は、フルフラットな画面を作ることに適していた。トリニトロン管は縦方向にはもともと“フラット”だったからである。まさにトリニトロン管の面目躍如、といったふうだった。

なぜ、平面ブラウン管テレビは当時買い換え需要も含めて売れたのか? テレビの進化が、画質だけではなく、誰にもわかる形(スクリーンのように平面になったテレビ画面)の変化として現象したからだ。秋葉原の電気街に並んだテレビの画質を比較するのは少しばかりの修練がいるが、これ平面だよね、というのは目が見えれば誰にでもわかる。目が見えなくても触ればわかる。違いが単純にわかったのである。こんな今更のテレビに於ける変化は、(ちょっと大げさにいえば)カラーテレビが出現したときと同じくらいに衝撃的だった。トリニトロン管の有利が、こんなにも大衆的な規模で“理解”されたときはなかった。私は、私の高校時代(70年代初頭)にはやったトリニトロンカラーテレビの宣伝歌(たしか『謎の円盤UFO』http://www.yk.rim.or.jp/~makoto96/index.cgiのスポンサー広告だった)をいまだに覚えている。

「SONY、SONY、トリニトロンカラー♪ ワンガンスリービーム、ワンガンスリービーム、トリニトロンカラー♪ SONY、世界のカラー♪」

今でも覚えているし(高らかに)歌えるが、当時、私はこのテレビ宣伝歌をわざわざカセットにまで録音して歌っていたらしい(家内の記憶)。

このワンガンスリービームの、色にじみを抑える、という技術的な長所とは別にフラット画面というところで(30年近く立って)大衆的な支持を受けるというのは、さすがのSONYも思いもよらなかったことだろう。

それが90年代半ばである。SONYはテレビシェアをこれまでになく一挙に伸ばした。SONYのコア技術を担ってきた伝統のトリニトロン事業部は、まさにSONYプレゼンス(SONY、ここにあり)の極点に立ったのである。

しかし、人は得意なものに溺れがち。頂点に立つ者の下り坂のスピードも速いが、早いが故に止められもしない。没落する者(たち)ほどプレゼンスを強く誇示する者なのだ。

そうやってSONYは、液晶やプラズマ技術開発に乗り遅れた。よく指摘されるこの現象は、SONYのもっとも得意なトリニトロン技術が邪魔をしたものだったのである。平面ブラウン管ブームがなければ、こんなふうには事態は進まなかった。

誰が、コア技術が韓国製のSONY液晶テレビを買うだろうか。それはカールツァイスのレンズが付いたSONYビデオカメラを買うのとはわけが違う。先端技術のSONYという“ブランド”をSONY自らが捨てたのである。SONYは自らの伝統(=トリニトロン管)ゆえに、伝統(技術のSONY)を捨ててしまった。まさにおごれるもの久しからず、絶頂は衰退の兆しだったのである。

もう一つの問題は、事業部制(カンパニー制)の悪弊。90年代を中心にSONYのような大きな会社は、事業部毎の独立性を高め、時代の変化に対応する商品開発のスピードをあげようとした。一方でそれと並行した事態である家電、AV機器のコンピュータ化(デジタル化)が招来するものをSONYは見落としていた。事業部制はスピードを上げるかに見えるが、IT+デジタル革命は事業部的な垣根を破壊するように進んでいたのである。

事業部が自らのミッションを担おうとすればするほど、商品の差異は見えなくなっていくというのが、ここ10年のAV機器業界だ。そのもっとも代表的なものがiPodに代表されるHDDミュージックプレイヤーやHDDビデオレコーダーだ。

たとえば、今回のSONYのVGX-XV80S(http://www.vaio.sony.co.jp/Products/VGX-XV80S/)は(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=1101)、VAIOブランドで販売されている。これは“スゴ録”(http://www.jp.sonystyle.com/Style-e/Product/Dvd-r/Rdr-hx72/index.html)ではないわけだ。従って、VGX-XV80Sを田村正和が売り出すということはまずあり得ない。VGX-XV80SはあくまでもVAIO「パソコン」なのである。だからEPG(電子番組表)もインターネット回線からしか得られない。インターネットの常時接続環境のある家庭でしか、このVGX-XV80Sは使えない。そのうえ、録画予約設定もパソコンで行うため、パソコンがない家庭では使えない。バカな機械だ。そんなことに固執する理由がどこにあるのか?  「今度の“スゴ録”は、ほんとにすごい」(だって年末20日過ぎから年明け成人式までのすべてのテレビ番組を録画できるのだから。外国へ脱出して日本でお正月を過ごせなかった人も2倍年末年始を楽しめる!)と田村正和に一言言わせれば、年末年始に4、5倍は売り上げを伸ばすだろうに、それができない、そんな理由がどこにあるのか?

それは、もしEPG利用や録画予約をインターネットLAN回線なしに行えたら、“スゴ録”と同じになるからである。同じになることが(SONYにとっては)いけないことなのだ。他の事業部をパソコン(VAIO)事業部が犯すわけにはいかない。だからわざわざ、使いづらい機械を作り続けなければならない。田村正和に投資してきた“スゴ録”ブランドをわざわざ無視してまでも(営業コストの無駄を承知の上で)VGX-XV80Sは“存在しなければならない”。機能としてははるかに“スゴ録”であるVGX-XV80Sは狭いインターネットマーケットの直販か少数のパソコンオタクにしか目に触れないまま“特殊な機械”に終わるかのようだ。

すべてはSONY内部の事業部制の弊害と、IT+AVの普遍性がもたらす混乱の中で起こっている。“クオリア”(http://www.sony.jp/products/Consumer/QUALIA/jp/index.html)なんてそのあだ花なのである。それぞれの事業部の暴走をSONY自身が止められない。事業部制はSONYの活力ある組織論の要だったからである。

昔なら、テレビはテレビ、オーディオはオーディオ、ビデオはビデオで済んでいたものを、今はすべてがコンピュータでデジタル化されたために、事業部の専門性が解体し始めている。それを無視して事業部の“専門的な”暴走を許すとどんなことが起きるか。それが“スゴ録”と今回のVGX-XV80Sとの対立である。

これはすでに“COCOON”(http://www.sony.jp/products/Consumer/cocoon/)と“スゴ録”との間でも起こっていた。“COCOON”にDVDレコーダーをつければ最強のHDDプレイヤーになっていたのに、別事業部で“スゴ録”を作るとはどういうことか? 

iPod(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=63)にも負けたのは、ウォークマン事業部とHDDプレイヤーを開発していた部門とがSONY内部では別事業部だったからだ。内部で争っている内に、技術的にははるかに劣っているiPodに負けたのである。

いい迷惑をしているのは、ユーザーである。同じ機能なのに、少しずつ中途半端な商品を買わされ続けることになる。それが消費者のSONY離れを起こした。技術のSONYの凋落が始まったのである。

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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