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 『本むら庵』『王将』『珉珉』『広味坊』 ― 〈経営〉は難しい 2001年08月17日

もうお盆休みも終わりだということで、久しぶりに、荻窪(上荻2丁目)の『本むら庵』(http://www.geocities.co.jp/Foodpia/2329/soba/suginami_honmuraan.html)に昼食のおそばを食べに行って来た(8月15日)。もう6,7年ほど来ていない。

昔はいつ来ても満員ではやっていた。それもあってかいつのまにか店も駐車場もリニューアルされていて、ほぼ倍の大きさになっていた。従業員の数も10人を優に超えている。従業員の数も5年前の倍以上だろう。駐車場にも誘導員がいるのにはまいった。こんな大きな“そば屋”になるなんて。

 売上を大きくするには、規模を大きくするか、価格を引き上げるか、どちらかだ。価格の引き上げには、限界がある。あるいは安くして売上を大きくするマクドナルドやユニクロ、吉野家のような戦略もある。ただしこれは多店展開の成熟点でのことだ(多店拡大化でもっとも恩恵を受けるたとえば広報費が一店あたりの売上比コストとして5%~10%以下くらいにならないとこういった戦略はとれないだろう)。

 結局、規模を大きくするしかないのである。規模を大きくするとコストも上がる。そうすると利益(利益の絶対額の大きさ)と利益率が問題になる。利益率が多少悪くなっても売上全体がのびれば、利益の絶対額は上がるということがあるが、はやっている割には青息吐息ということになる。糸はどんどんのびているがタコ自体はさして上昇しておらず、ひたすら全力疾走している自走のみが、タコの浮力を支えているようなものだ。かといって利益率に拘泥してしまうと、拡大した意味がなくなる。拡大の意味は社会的な貢献や影響力、ミッションとしての経営の精神であって、それはすべての経営者の夢にかかわっている。

 ホンダと組んで超メジャーなF1で勝ち続けた「闘将」フランクウイリアムズ(http://sports.yahoo.co.jp/f1/2000/teams/wil/)でさえも、「夢は市販車を作ることだ」と言っていたことがある。フランクウイリアムズでさえそんなものかな、と思って当時聞いていたが、彼も〈拡大〉の問題に悩んでいたのだ。

 あるいはBMWのチューニングメーカーで有名なアルピナ(http://www.alpina.de/deutsch/automobile/index_d.htm)は、バブル期も生産台数をむやみに延ばさなかった。アルピナ社社長のボーフェンジーペン(http://www.carview.co.jp/browse/BMWALPINA.asp)は、そのとき、自分たちの作る車の味(エンジンチューニングやサスペンションチューニングの味)がわかる人たちが世界大であってもそんなに多いとは思えないと言っていた。二人とも、経営(経営の規模)とは何かをよく理解していたのである。

 〈拡大〉には、たんに自社が扱う商品の品質(あるいは品質管理)の問題だけではなく、社会的な(社会的な変化に対する)洞察が必要になる。ここを見失うと過剰投資となって、後退できないまま、破滅してしまう。

 『本むら庵』では、〈利益〉と〈利益率〉との関係はどうなっているのだろう。そう思いながら久しぶりの「せいろ」(『本むら庵』の代表作:普通で言う「もりそば」)を待っていた。昔はこの「せいろ」を7枚頼んでそれを一人で食べたことがあったが(隣の若いカップルに変な目で見られたことがあったが)、今日は3枚にしておいた。相変わらずぶつぶつと切れる細い、白い麺で、特徴のあるものだ。昔ほどのおいしさを感じなかったのが残念だった。私はここの「せいろ」よりは「田舎そば」(黒い、太い、堅い麺)の方が好きだったが、いつ来ても売り切れで、今回もやはり売り切れ。午前中に来ないとダメらしい(人気があるというよりも作る量が少ない)。いずれにしても、従業員が多くて、客席数が50以上もある“そば屋”というのはどこかおかしい。『本むら庵』の「せいろ」くらいなら、私の家の近くの『蘆花庵(ろかあん)』(http://www2s.biglobe.ne.jp/~doniwaho/page0101.htm)の「もりそば」の方がはるかにおいしいと思う。誰が見ても入る気の起こらない汚い、小さい“そば屋”だが、“そば屋”なんて、そんなものだろう。それでいい。

 昨日のそういった“外食”にちょっとしたショックを受けていたので、今日(8月16日)は“食”に欲求不満がたまっていた。テレビを見ていると餃子を食べているシーンが一瞬目にとまり、急に食べたくなった。餃子といえば、“餃子の王将”だ(そんな店しか浮かばないのが寂しい)。私は京都出身だが、京都には『珉珉』(みんみん)という餃子の店があって、家族と一緒に四条大宮の『珉珉』(みんみん)で餃子を食べるのが楽しみだった(今から40年ほど前、私の小学生時代の話)。『珉珉』(みんみん)の餃子は皮が薄くてしかも餃子同士がこんがりこげたままぱりぱりになってくっついて出てくるのが特徴で、それをはぐようにほぐして食べるのが楽しみだった。

 『珉珉』(みんみん)の社長は、女社長(ご主人は画家だった)で、京都伏見(ふしみ)に山をひと山買われて、そこ全体を庭にして自宅を構えるという豪快な方だった。私の父は、彼女と仕事上の知り合いで(彼女の秘書でご主人の書生をされていた中井さんの書かれた絵が東京の私の家の玄関に今でも飾ってある。伏見(ふしみ)の山で新居祝いを兼ねた立食パーティがあって、そのときに社長から頂いたものだ。中井さんは小学生の私に渾身の力を込めて描いた油絵を渡すのをいやがっていたのをよく覚えている)、いつも、この金を出してもおいしい餃子をただで食べていた(子供心に“コネ”というのはこんなに快適なことか、と心得てしまった。というより、父はお金を出そうとするが店は受け取らない、そのやりとりが何とも言えなかった)。

 当時、京都では、餃子と言えば『珉珉』(みんみん)の天下だったが(四条河原町店を含め何十店舗もあったが)、その後10年くらいのうちに『王将』が関西の餃子界を席巻していったらしい(私が東京に出ていってからだ)。京都では、京都産業大学(笑福亭つるべやあのねのねの清水邦明の出身大学)の学生が金がないときには『王将』で食事をし、皿洗いを数時間やればその食事代をただにしてくれるといった伝説(本当の話だが)と共に『王将』が関西の餃子を支配していった。『王将』の餃子の味は明らかに『珉珉』(みんみん)の餃子の味を意識して作られていた。餃子は皮の厚さや味がポイントのひとつだがそれなどは『珉珉』(みんみん)の方がはるかに上だと思う。『珉珉』(みんみん)は、今どうなっているのだろう。YAHOOで検索しても出てこない。寂しい限りだ。社長さんや中井さんは今何をしているのだろう。中井さん、今でもあなたの絵は大事にしていますよ。知っている人がいれば教えてください。
 
 そんなこともあって、『王将』は私にとって『珉珉』(みんみん)の生まれ変わりのようなものだ。早速、「王将」「餃子」「世田谷区」などのタームでYahooを検索すると、明大前にあるのを発見(『王将』のホームページは非常に洗練されている。というか店の雰囲気よりもこのホームページの方がはるかにモダンで、イメージに合っていない)。場所をプリントアウトして、お盆休みでないことを電話で確認。夕食は、明大前『王将』に決まった。

 東京の『王将』は、関西のように座敷がない。関西では『王将』もファミリーレストランのひとつになるが、東京では『吉野家』同様一人暮らしのビンボーな男(たち)の店なのである。明大前も予想したとおり、カウンターだけだった。ここのメニューには、私の好きなレバーの唐揚げもない。ショックだった。『王将』の楽しみ方のひとつに、何とも言えない『王将』オリジナルの塩コショーがある。これをレバーの唐揚げや鶏の唐揚げにかけると、最高の味になる。絶妙の塩とコショーのブレンドなのだ。結局、それを楽しむために餃子と共に鶏の唐揚げを頼んだが、カウンターで食べるため落ち着かない。隣の家内も丸椅子のため(足が短いということもあるが)、足が届かないこともあって落ち着かない。そもそも夫婦でわざわざ来る感じの店ではないのだ。

 それでも『王将』の餃子はまあまあおいしかった。少なくとも、『本むら庵』の5年前の「せいろ」よりも、餃子の40年前の味(餃子原体験の味)を思い起こさせるのには充分だった。しかしそれでも食の原体験というのもいい加減なものだ。慣れてしまうと家内のみそ汁と母親のみそ汁との区別が付かなくなってくる。身体も変化しているのである。あれだけ毎日食べていたインスタントラーメンも今ではお腹を壊すことなしに食べることができない。年をとると解毒作用が効かなくなっているのである。そうやって味覚にも変化が生じている。食通が味覚の“成長”と呼んでいるもののほとんどは、解毒作用の“退化”を意味しているにすぎない。そんないい加減な味覚に“設備投資”するというのも大変なことだ。『本むら庵』は、鉄筋コンクリートで店を作り直していたが、この建物の償却は何年くらいで見ているのだろう。食の名店は一代限りという。味覚を“伝える”ことはたとえ親子であっても難しいからだ。そういえば、私の近辺、烏山界隈を代表する名店『広味坊』(http://www.tv-asahi.co.jp/broadcast/ryoban/tikm/853/rbrest1.html)(http://www.nifty.ne.jp/forum/fcuisine/report/r0701566.htm)も親方が引退してから(病気をしてから)味が明らかに落ちてしまった。この店は親方が引退する時期と店を拡張した時期とがほとんど同じ時期だった。難しい時期の〈拡大〉だったわけだ。

 さて、明大前までわざわざ電車に乗ってきたのだからと、持ち帰りで5人前(家族は3人だが)の『王将』の餃子を買って帰ってきた。金曜日の夕食は自宅でゆっくりと餃子を食べよう。ぱりぱりの焦げ目をつけるために、家内に新しいフライパンを買って来させることにしている。私の貧相なお盆休みもそろそろ終わりに近づきつつある。

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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感想欄

芦田様

たまたま珉珉で検索していましたところこのブログを見つけました。

私の父(故人)が珉珉で長く勤めておりまして(母もですが)少し詳しいもので簡単に知ってる範囲で書かせていただきます。

中井さんの近況は残念ですが私は判りません。

社長さん(名前を平嶋 ニノエ)は、残念ながら約15~6年位前に他界されました。

現在は、息子さんが後を継ぎ会長としてやっております。
今東京にも直営の店が出来、もしよろしかったら行ってみてください。

ホームページもありますので御参考までに
http://www.minminhonten.com/

それでは失礼致します。

投稿者 みんみん : 2007年01月05日 12:07

「みんみん」様

いやー、感激しました。こんなふうに今の「珉珉」を知れて嬉しかったです。

そうですか。社長さん、お亡くなりになったのですか。あの元気な社長さんがお亡くなりになるなんて、考えられません。寂しい限りです(ちょっとわけもなく泣いてしまいました)。

私の父のお葬式にも、“乗り込んでくる"、という感じで頼もしい限りでした。子供心に良く覚えています。

中井さん、今何されているんでしょうね。

紹介いただいた珉珉のホームページ、早速見ました。通信販売もありますね。直ぐに注文しました。あの「珉珉」の餃子が再生するかどうか心配ですが、楽しみに待っています(来週の水曜日に来るらしい)。

また私の職場は中野にありますが、中野店もブロードウエイの近くにもあるみたいで、早速行ってみようと思います。

でも店舗の数が昔に比べて激減している(特に関西)のが残念でなりません。どういったきっかけで、経営が後退していったのでしょうか。やはり『王将』の進出との関係でしょうか。残念です。

ほんとうに貴重な情報ありがとうございました。お正月から私にとっては衝撃のニュースでした。

投稿者 ashida : 2007年01月05日 12:33
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