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 連載:高等教育・職業教育・生涯教育(4) 2001年01月27日

2)東京工科専門学校(※)の試み

2-1)「カリキュラム改革」か、「履修改革」か

20世紀から21世紀の変わり目の中で、教育組織の最大の問題は、少子化問題だった。「教育の危機」「教育改革」自体は年中行事のように叫ばれていたが、少子化問題は教育内容以前に学校の存在意義そのものが問われるという意味で、それらの問題意識をさらに(現実的に)先鋭化させる契機だった。

私の勤務する東京工科専門学校(以後「東京工科」と略す)でも、事情に変わりはなかった。遅きにすぎたとはいえ、98年末にAプロジェクト(学園の中期戦略ためのAdvanced Project の略称)を、学園グループの(若い世代の)諸科長を中心メンバーにすえ、発足させたが、そこで最初に問題になったのが、いったい何から手をつけるべきか(何を改革するのか)であった。

先に触れた教育評価の問題(特には履修評価の問題)は、実はわれわれの最初からの問題意識ではなかった。むしろ教育改革といえば、カリキュラム改革ばかりが従来から(学内外で)目立っていた。生き残りをかけたマーケティング戦略という意味では、わかりやすい“差別化”や“変化”がどうしても前面化する。そうなるとほとんどの学校リーダーたちが意識しがちになるのは、カリキュラム改革(あるいは新科の設立)という局面なのである。そうやって、専門学校をはじめ多くの大学、短大は中身のない新科、新学部を設立し続けてきた。

しかし、その結果が、経済学部を出ても経済のことがわからない、建築科を出ても2級建築士さえ受からないという評価のない教育だったのである。むしろ評価のない、評価のできない教育をすべてカリキュラムの所為にしてそれを隠すための処方箋が“カリキュラム改革(あるいは新科の設立)”という戦略だったとも言える。脚本(=カリキュラム)は何本も用意された。しかし舞台(=出口評価としての履修評価)は穴だらけで誰もまともに演じようとしない、というのが少子化問題以来の教育改革の中身だったのである。

カリキュラム改革か、それとも履修改革か、というのが、したがってわれわれの教育改革の最初の問いだった。どんなに時間がかかっても、そして目立たなくても、教育力そのものの向上につながる履修改革なしには、これからの学校の存在する意義はないというのがわれわれの出発点だった。この後(99年の春以降)、学園の生き残りをかけた中期戦略を担う改革をわれわれは「履修改革」と呼ぶようになった。

※東京工科専門学校(学校法人・小山学園) ●沿革1969年:小山自動車整備専門学校設立(東京中野・東中野)、1980年:世田谷校開設、1987年:国立校(東京テクニカルカレッジ)開設、1995年:品川校開設、1996年:テラハウスICA(Institute for Career Advancement)開設 ●分野:自動車系、情報系、建築系、デジタルデザイン系、バイオ系 ●全学生数:約2500名

2-2)補習、追再試の全面廃止

東京工科では、2000年度以降、まず、慢性化する補習(補講)、追再試という履修判定サブシステムをいっさい廃止する処置をとった。履修判定を曖昧にする退路を断ったわけである。

従来、東京工科では、授業時間内で理解ができず、放課後など任意の時間で任意の学生の理解を補う授業を「補習」と呼び、資格条件などで出席の足りない学生の出席を補う授業を「補講」と言っていた。今、「言っていた」という言い方をしたが、グループ校が4校ある東京工科では、こういった授業をどう呼ぶかの名称は各校、各科、各教務担当者、各教員の間でバラバラで何も決まっていなかった。これは偶然のことなのではない。用語名称が不統一だということは、その用語を使用する組織の中で、その事柄について問題意識がまったくないということと同義であって、組織的な教育改革は、まず自らの使う用語の統一から取りかからねばならなかった。何を「補習」と呼び、何を「補講」と呼ぶかは、改革時にやっと決めたのである。

同じように、「追試」は、落第点を出した学生に対して再度チャンスを与える試験とし、「再試」は、アクシデントで本試験を受講することのできなかった学生に与える試験とした。
そして、上記の意味での「補習」「補講」「追試」「再試」をいっさい廃止という処置をとった。「再試」禁止については、コメントが必要かもしれない。通常、「再試」は、アクシデントによる未受験のための再試験という意味をもつが、この場合、“アクシデント”をどう理解するかで様々な対応がでてくる。近親者の死去などはわかりやすい理由だが、本人の病気や電車の遅れなど自己申告的にもちだされたときにどうあつかえばいいのかむずかしいことが多い。これを現場の対応ということにすると、何が“アクシデント”かどうか混乱は必至だ。

その最たるものが就職活動で受験できなかった場合の再試である。従来、東京工科では、就職活動は「公欠」扱いしてきた。授業欠席を「公欠」扱いしないまでも、試験日に重なった場合の就職活動(あるいは就職試験)を「公欠」にしている専門学校は多い。しかし、これは授業を、あるいは試験日を休んでいいということを学校が認めたことと同じである。もっと正確に言えば、休んでもいいような授業や試験を行っていることを学校自身が認めたことと同じことである。しかし、学校は本来就職センターではない。就職ができることが専門学校の職業教育の目標であることにかわりはないが、しかしそれは企業訪問の数(あるいは受験の数)を増やす機会を作ることによって実現すべき目標ではなくて、就職課題に耐えうる能力を育成することによって実現すべきことである。

そもそも履修判定試験を厳粛に実施するということは、能力育成の実証という点で最も重要な教務スケジュールであるはずだ。なぜそこで学校の教育機関としてのリーダーシップが発揮できないのか。就職活動を錦の御旗のように扱うこと自体が、専門学校の教育力育成を自ら放棄している証ではないのか。そういった反省がわれわれにはあった。

もちろん、近親者の死去や急病、あるいは公務員試験など考慮しなければならない“アクシデント”というものもありうる。そのような“例外”再試に関しては、学園グループ4校共通の認定組織、再試試験組織を一元的に作り、再試実施日・再試会場も同じにして実施も一元化した。教員の個人的な裁量を防ぐこと(校外の認定組織に裁量自体が評価されること)、再試受験の敷居を高くすること(ほとんどの学生が校外での、また見知らぬ試験監督者の下での受験になること)などによって、安易な再試認定をさせない体制を作った。

2-3)試験の先行作成

次には、期末の履修判定に用いる試験(これをわれわれは学内では「履修判定試験」と呼ぶことにしたが、以後「試験」と呼ぶものはすべてこの履修判定試験を指す)を少なくともその期の授業開始時点までに作ることにした。試験の先行作成である。試験は、その授業の全体の中でいったい何を修得しなければならないかを示すものである。それは授業目的そのものをもっとも端的に示しうるものであった。授業目標という点では、「シラバス」も同じように授業目標を示すものだが、試験はその達成評価を問うことができるという点で、学生評価のみならず、授業評価の全体が収斂するものでもある。従来、この試験は後追い的に授業の進展に合わせて作られていた。学生の基礎学力の現状や授業の実際の進展に合わせて作られていた。そして実際には「シラバス」通りの授業は実現されないままに終わっていたわけである。

後追い的に作られる試験は、したがって目標評価のためというよりは、目標を後退させるための契機になってしまっている。80点を取ったといっても、それは「シラバス」目標を80%達成したということを直ちには意味しない状態にあるのである。要するに、後追い試験におけるすべての点数は、相対評価になりさがっている。「シラバス」との関係というよりは、学生相互の点数差だけがリアルであって、そこで忘れ去られているのは、授業の所期目標の達成度評価なのである。この評価を出すためには、試験を現状追認的に後作成するのではなく、「シラバス」作成と同時期に作成するのでなければならない。

「シラバス」で目標を提示する。「試験」で目標評価の方法(=目標達成をはかる内容)を提示する。そこではじめて、その授業が成功したかどうかの評価ができることになる。試験を後追い的に作成している授業体制は、学生評価だけ、それも目標のない相対評価だけを前面化し、自らが主宰している授業内容を反省するすべのまったくない体制なのである。「シラバス」を充実化させるのであれば、それに応じて「試験」も授業開始期前に作成しなければならない。そこではじめて履修評価が可能になるのである。

一方で少子化による学生の基礎学力低下の問題がある。一方で試験の後追い作成において相対評価が日常化している。これでは、いつまでたっても“それなり”の学生しか輩出できない。
しかし、出口(就職先)の人材要求は年々高まり続けている。相対評価に依存する限りは、学校に対する信任はいつまでも得られない。目標を掲げ、入学時の学生の現状からは一切影響を受けない能力育成を果たしてこそ、高等教育への信頼がはじめて勝ち取れるのである。

その意味でも、試験の先行作成、つまり教育目標評価を絶対的に形成することは避けられない課題だったのである。

2-4)「コマシラバス」作成

 「シラバス」と「試験」は、授業展開のはじまりとおわりに位置付くものである。しかし、単に「シラバス」と「試験」を見ても、この授業計画全体が妥当なものなのかどうかは、理解しづらい。それは授業展開の(はじまりと終わりという)両端に位置付いているにすぎない。肝心のそれらの“中間”の授業評価が抜け落ちている。授業とは何か、という問題は、「シラバス」と「試験」を同時期に作る体制を構築してはじめて明確になる。それは、シラバス目標から始まって、試験全員合格を目指す実体を形成する場所なのである。それは教育行為そのものが展開する場所だ。

「シラバス」と「試験」だけなら、デスクワークで済むかもしれない。しかし(それでも)まだそれは絵に描いた餅である。両者を正当に評価するためには、個々の授業コマで何を教えながら全体の「シラバス」目標を実現するのかということを明らかにしなければならない。たとえば、前期15コマ(90分×15回)で完結する一科目が存在する。周知のように15コマ全体での目標を示したものを「シラバス」と呼んできた。それに対して、われわれは、15コマの一つ一つの内容(90分単位の内容)を「シラバス」のように前もって明らかにすべきだと考えた。それをわれわれは「コマシラバス」と呼んだ。コマの目標や内容がはっきりしていない限り、或る授業が計画通り進んでいるのか、遅れているのかがわからない。「シラバス」と「試験」だけでは、(それらをいくら詳細化したところで)突然大量の落伍者がでる危険性を全く回避できないのである。遅れている場合、どこで遅れが生じたのか、その遅れは、その後の授業コマのどこで吸収されるのかそういった検討が具体的になされるためには、「コマシラバス」の具体化が必須の条件だった。

特に「シラバス」作成や「試験」作成だけでは議論は抽象的なものにとどまるが、「コマシラバス」作成の介在は、授業方法にかかわる改善課題をより具体的なものにする効果があること。というのも、「シラバス」「試験」「コマシラバス」の中で、「コマシラバス」だけが90分という授業時間を意識した計画になるため、“理想” ― 悪く言えば、空理空論 ― を求めがちな「シラバス」計画や「試験」計画が授業実体(=教育力)を反映した内容になるからである。「コマシラバス」を検討しながら「シラバス」や「試験」内容を再度検討し直すなどということも充分あり得ることだった。現状を反映する「コマシラバス」に依拠しながら、「シラバス」「試験」が変更される。これでは、後追い的に試験を作っていた現状と何も変わらないではないか、という議論もあるかもしれない。しかし、それは全く違う。そういう仕方で「シラバス」や「試験」内容が変わる、ということが依然と違う。これまでは、「シラバス」内容が全く達成されていなくても「シラバス」が変更されるということはあり得なかった。この「シラバス」はウソでした、という契機がどこにもなかったのである。これでは、いったい自分達の学校がどれほどの教育力を持っているのかが誰にもわからない。「シラバス」「試験」作成の中に「コマシラバス」作成が介在することによって、自分たちの教育力が端的に反映される授業計画が可能になったのである。

2-5)「シラバス」「試験」「コマシラバス」 ― 誰が作るのか

「シラバス」改革の内実は、「試験」(評価方法)、「コマシラバス」(授業展開)の三つがそろって初めて完成する。授業計画とは、この三つの要素なしには計画ではない。

従来、「シラバス」は、教科担当者が書いてきた。東京工科でもそうだった。試験もいつの間にか教科担当者がつくり、学生がとった点数だけが一人歩きしていた。これでは何年たっても教育評価ができない。授業が成功したか失敗したかは、このやり方だと担当教員の胸の内にしかないままにとどまるからである。胸の内にしかないということは、その当人にとっても時間が経つと忘れるものでしかないということだ。

今回の履修改革に当たり、東京工科では、各専門系(自動車系、情報系、建築系、バイオ系など)ごとにカリキュラムワーキンググループを組織し、「シラバス」「試験」「コマシラバス」作成について、系の中でもそれぞれの専門分野の委員(各教員)を組織しつつ、一科目の「シラバス」「試験」「コマシラバス」でも複数の教員が関わりながら作ることにした。

一つの教科に対して複数の教員が携わることには二つの意味があった。
一つには、「シラバス」「試験」「コマシラバス」の検討を通じて科目評価を共有することができること。専門性の高い科目が多いとはいえ、少なくとももうひとりの同系の教員が、「これでいい」と思えないような「シラバス」「試験」「コマシラバス」を一切認めないための共同作業だった。言い換えれば、少なくとももう一人別の教員がその趣旨を説明しうる「シラバス」「試験」「コマシラバス」を作ること。
二つ目には、この共同作業の過程で、隣接する科目相互の整合性を再度確認する機会を作ることになること。専門学校のように2年間全体で一科目であるような集中性の高いカリキュラムでは、科目毎の仕上がり目標がきちんと共有されていなければならない。従来は、次の、高次の科目であるにもかかわらず、以前の科目の復習から入らねばならないということが多く、またそういった復習が日常化するために(また復習からはいればいいということで)科目科目の修得目標が曖昧になるという悪循環が生じていた。そして、全体として最終目標が低下してしまっていた。これを無くすには、次に何を教えなくてはならないか、そのためには、何を学んでなくてはならないのかというカリキュラム階梯が教員同士で共有できていなくてはならない。評価の共有化とともに科目相互の隣接性を共有する必要があったのである。「シラバス」「試験」「コマシラバス」を共同作成することが、これらの共有化のための実質的な作業だったと言える。

2-6)授業計画と授業評価会

われわれは、「シラバス」「試験」「コマシラバス」を〈授業計画〉と考えた。ここで「計画」とは、そこが授業評価の基準となるという意味での計画である。従来、この「計画」は教員の胸の内での出来事だった。したがって、授業評価も教員の胸の内での出来事だった。これでは評価の共有ができない。評価の共有とは、できあがった一つの評価を共有するということではない。共有するということと評価するということとは一つのことでなければならない。共有できない評価は評価ではない。教員の胸の内に「計画」がとどまるということは、授業評価が存在しないということと同じことなのである。「計画」の存在は単に時間的に先行するものがあるということだけではなくて、教員の胸の内を形にする(=文字にする)という仕方で評価を(公開的に)共有するための必須の条件なのである。

しかしながら〈授業計画〉は、従来は「シラバス」しか存在していなかった。これでは授業評価はできない。何が(どうなれば)授業の成功なのか、何が(どうなれば)授業の失敗なのか。〈授業計画〉が「シラバス」だけでは評価のしようがなかったのである。達成評価(=「試験」)も展開方法(=「コマシラバス」)もない「シラバス」をいくら詳細化しても、授業評価の基準形成にはほど遠い現状だったのである。

しかし一方で、授業計画は単に計画、単に参照基準にすぎない。計画を周到に立てうるというのは、確かにその学校の教育力の重要な側面だが、しかし計画だけで教育ができるわけではない。そこには教壇に立つ教員(=教員評価)、座席に座る学生(=学生評価)という〈教室〉(=授業)の風景が欠けている。教育力の実体を形成しているのは、やはり教室で行われる日々の授業なのである。学校の教育力評価は、授業評価と直結している。

われわれは、「シラバス」「試験」「コマシラバス」を〈授業計画〉として詳細化する一方で、並行して「授業評価会」の開催を計画した。実際の授業をその科の教員のみならず、他科、グループ他校の(専門内外の)教員、科長、校長(あるいは理事長)、学生募集や広報の担当、総務スタッフなど、学園のあらゆる部署のスタッフが授業見学できる体制をとった(見学者は5名~14名というのが実績)。授業見学をした授業については、必ずその日の内に、教科担当者と見学者を交えた評価会を開催し、授業改善の方向性を見出す体制を取ったのである。この評価会(問題点の抽出とその改善スケジュールの決定)の内容はすべて科長が総括し、その翌日までにグループ4校すべての教員・スタッフに公開するようにした。この一連のスケジュールをわれわれは「授業評価会」と呼んだのである。

この評価会の計画が現実的なものになったのは、特に「補習(補講)」「追再試」の完全廃止を決定した時期と重なっている。
教員側から、その決定に対して異論が噴出したのである。
たしかに「補習(補講)」「追再試」は、履修評価を曖昧にする制度かもしれないが、しかし、そんなことを実際にやって、もし落伍者がたくさん出たらどうするのか。大学のように余裕のある時間割が持てない専門学校では一科目でも落とせば、実質的に退学を意味する。それでいいのか。特に少子化で基礎学力が低下した学生を受け入れざるを得ない現状で、「補習(補講)」なし、「追再試」なし、しかも絶対目標で試験を実施するというのは大丈夫なのか。教員として自信が持てない。
だいたい以上のような異見がグループ校の多くの教員から寄せられた。
もちろんわれわれは、絶対目標を達成する授業を遂行すること(60点以上の全員合格)を全教員に投げかけたので、こういった異見が出てくることは当然といえば当然のことだった。

こういった“問題”はいくら“議論”をしていても解決はしない。議論、あるいは考え方としては、履修評価(の厳密な遂行)が学校にとっての生命線だ、というところが確認できればそれでいい。その一環としての「シラバス」(=入り口)、「試験」(=出口)、「コマシラバス」(=展開)という〈授業計画〉が存在する、これも(ここまでは)誰も反対する者はいない。

次の問題は、個々の教員が実際どんな授業をやっているのか(やれているのか)という現状把握の段階なのである。要するに、先の(現場からの)異見は、現状も理解しないで“理想論”に走るな、という警告とわれわれは理解した。

残念ながら、たしかに授業の実体は、担当教員以外だれも正確には把握できていなかった。担当教員すら把握できていなかったとも言える。〈授業計画〉がない授業の授業評価など無に等しいのだから。学生アンケートを含めた間接的な授業評価はあったとしても、主宰者側の学校が授業の実体を、その評価も含めて把握しているのかというと風評程度の把握でしかなかったのである。風評だというのは、それに基づいて改善指示や改善確認ができるものではなかったということだ。せいぜいのところ、“注意”にとどまるものでしかなかった。

さてもしも現状の授業がもはや改善の余地がない(100%とは言えないまでも)ほどまでに遂行されていながら、〈授業計画〉の完全遂行という課題が新たに課せられたとすれば、たしかにこの履修改革全体は破綻せざるを得ない。まさに“理想論”で終わってしまうだろう。
そういった懸念の中で、1998年の10月~12月にかけて、東京工科グループ4校全体で50授業にもおよぶ「授業評価会」を一斉に開始した。

2-7)授業評価会

授業評価会をいくつか体験して最初に思ったことは、“評価”がまちまちだったということだ。同じ授業を見学しながらも「これでいい」、「これじゃだめだ」、「いいのかわるいのかわからない」という三様の感想があいついだ。

そしてここにこそ、われわれの教育問題の本質があるように思えた。何がいいのか悪いのかわからないままにカリキュラムを組み、時間割を作り、教員を配置し、学生を採点し、卒業認定している。こんないい加減なことがあってもいいのだろうか。議論は多様であってもいいのかもしれない。しかし教育改善の対象そのものとなっている授業を実際に見て、評価が分かれるということは、教育改善がすすまないことと同じだ。挙げ句の果てに「ことほどさように教育は多様だ(奥が深い)」などという教員が出てきたりもする。

なぜ、そんなことになるのか。まず第一に、〈授業計画〉(「シラバス」「試験」「コマシラバス」)がどこにも公表されていない(存在さえしていない)からだ。直接の管轄者の科長さえ、今この見学対象の90分が何を教えなくてはならない授業なのかわからない。目標が共有されていない授業を見るから、手法(だけ)が前面化する。手法が前面化すれば、それは“多様”であり得るし、その意味で“奥が深い”こともあるだろう。それゆえただ単に見学すれば、それは(せいぜいのところ)“授業方法研究会”にしかならない。われわれの目指した「履修改革」上の「授業評価会」とは全く別のものになってしまったのである。

評価というものは、目標や計画が提示されているからこそ可能になる。評価は、いつでも目標からの距離を測ってからこその評価なのである。試験の先行作成、コマシラバスの必要性などは、実はこの「授業評価会」の初期の混乱と同時に生じてきたことだった。われわれは、授業の現場に単に足を踏み入れてこなかっただけではなくて、入ったところで何をしたらいいのか皆目見当が付かない状態にあったと言える。それほどに教育現場は〈目標〉と〈評価〉から遠いところにいたということだ。


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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