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 ver.2.0「シラバス論」序文 ― シラバス論が書かれなければならなかった四つの理由について 2019年09月01日

今年の11月刊行予定の書籍の「序文」ができあがりました(少し序文も長くなりました)。あとは、後書きだけです。

※なお文中に表れる(●●●●●●)といった表記は、その直前の語句に降られる傍点を意味します。●の数はその直前に傍点が振られる語数と対応してます。ブログでは傍点を打つ機能がないのでこうなります。あしからず。
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●まえがきにかえて ― シラバス論が書かれなければならなかった四つの理由について

「シラバス論」。奇妙なタイトルを付けてしまったが、文字通りこの本は、「シラバスとはなにか」ということに一六〇,〇〇〇字(昔ふうに400字原稿用紙枚数で言うなら四〇〇枚)も書き込んでいる。たぶんこんなタイトルの本は、この本の前にも後にも出てこないだろう。それでも、この本については、「シラバス論」以外のタイトルは思いつかなかった。出版社が渋ってもゆずれない思いで、このタイトルにしたのである。

というのも、今日の教育の現状を考える上で、シラバス(授業計画)に対する教員の態度をみることは決定的なことだと思ったからだ。文科省の諸施策も含めてあらゆる大学改革が頓挫するのは、シラバスに対する関心が大学内外において薄すぎるところから来ている。下手をするとシラバスさえ書けない教員がいる。そしてシラバス書式を少し変えるだけでも、教授会では「面倒くさい」と内心の声が上がる。シラバスは教育活動の外にあると思われており、学生サービス(●●●●)の一部くらいの位置付けしかない。

そもそも本稿に登場するそこそこの教育学者たち(特に「教育方法論」の研究者たち)でさえシラバス書式はアメリカ型をそのままコピペしていると言っていいほどだ。そのコピペした書式を国内でもまたコピペして使って、各大学のシラバスが存在している。→大学カテゴリーランキング


日本の学生の現状、各大学の教育の目標や現状をまったく無視してシラバス書式は各大学横並びでほぼ同じものが伝染している。文科省が推奨するシラバスもまた「学習支援(●●●●)書」などと読み替えられているくらいだから、やはりシラバスは学生サービスにとどまっている。

しかしシラバスは学習(●●)支援ではなくて教育(●●)活動の中核を占めている。「教育方法論」というものがもしあるのだとすれば、教育学者たちは、あれこれの教授法研究をやめてシラバス書式開発にもっと集中するべきだと思う。シラバス書式は「教育方法」の原理論だからだ。どんな教授法もまともなシラバスなしには機能しない。

アドミッション・ポリシー(入学者受入の方針)、ディプロマ・ポリシー(学位授与の方針)、カリキュラム・ポリシー(教育課程の編成・実施の方針)の三つのポリシーも、二〇一六年には法令(学校教育法施行規則)によってそれらの策定が義務付けられたが、これらは教育内容そのもので裏打ちしない限り意味のない「ポリシー」だった。しかし現在の大学において教育内容を示す文書は、履修表(科目・単位表)と貧弱なシラバス以外存在していない。内容がないためその実績を評価できるものが結果論としての退学率と就職率くらいのものにとどまっている。ただしそれも各大学の偏差値(入学前の(●●●●)学生の能力)と相関している場合が多く、大学の四年間の教育内容、教育実績との関連ではいまだに闇の中にある。

それもあってか、文科省も最近は入学後の(●●●●)「学習成果の可視化」という言い方で教育内容の実際と一体化した教育実績の開示を要求するようになってきている。「学習成果の可視化」という言葉によって、偏差値の高い大学も低い大学も共に〈教育〉課題、〈教育評価〉課題を背負ったことになる。それが最近の「アセスメント・ポリシー」という言葉につながっている。

「アセスメント・ポリシー」という言葉が最初に使われた文書は ― 「学修成果の評価(アセスメント)」という表記はその前からあったが ― 、私の知る限り二〇一四年の「質的転換」答申だったと思う。以下のコンテキストにおいて使われていた。

成熟社会において学生に求められる能力をどのようなプログラムで育成するか(学位授与の方針)を明示し、その方針に従ったプログラム全体の中で個々の授業科目は能力育成のどの部分を担うかを担当教員が認識し、他の授業科目と連携し関連し合いながら組織的に教育を展開すること、その成果をプログラム共通の考え方や尺度(「アセスメント・ポリシー」)に則って評価し、その結果をプログラムの改善・進化につなげるという改革サイクルが回る構造を定着させることが必要である。学位授与の方針に基づいて、個々の学生の学修成果とともに、教員が組織的な教育に参画しこれに貢献することや、プログラム自体の評価を行うという一貫性・体系性の確立が重要である。(中教審答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」、二〇一四年)。

ここで言う「個々の授業科目は能力育成のどの部分を担うかを担当教員が認識し、他の授業科目と連携し関連し合いながら組織的に教育を展開すること、その成果をプログラム共通の考え方や尺度(「アセスメント・ポリシー」)に則って評価し、その結果をプログラムの改善・進化につなげるという改革サイクルが回る構造を定着させることが必要である」という文言は、シラバスを「学生サービス」、つまり学習(●●)支援の一環として捉えるのではなくて、大学のミッション ― 教育(●●)を提供する(●●●●)側のミッション ― としてのシラバス策定の位置付けを喚起している。

それゆえ、シラバス論はもはや「教育方法」論の段階を超えているのだ。「教育方法」論の研究者たちがシラバスに無頓着であったり、シラバス「契約書」論に一気に飛躍したりするのも、この、特には二ポリシー(ディプロマ・ポリシー+カリキュラム・ポリシー)を実体として支えるシラバス論が決定的に欠けているからなのである。「教育方法論」はあれこれの授業改善(●●●●)にとどまるからだ。だからシラバス論が抜け落ちる。あれこれの授業を改善してどうにかなるものでもないのが昨今の大学の現状であることは誰でも知っている。

そして「教育方法論」がカリキュラム論やアセスメント論やシラバス論につながりはじめたらその研究者たちは一気に萎縮する。教授会が黙っていないからだ。だから大概の教育学者たちは、学外の講演やFD研修会で活躍することになる。いったい何のための教育学なのだろう。それは、経営学者でも自分の会社の経営に失敗することがあるし、心理学者でも人間関係でギクシャクすることがあるというのとは別の事情があるような気がする。

教育学の専門家でもなんでもない私が一六〇,〇〇〇字もシラバス論を書かなければならなかった一つ目の理由がそこにある。

シラバス論の文字数が増えた要因の二つ目は「学びの主体」論である。
一九八五年以降の中曽根臨教審を受けた九一年「大綱化」以降の教育改革(●●●●)の流れだ。三〇年以上前の臨教審思想は、最近の大学入試改革の流れをも支配している諸悪の根源だと私は思っている。
中曽根臨教審内部の議論は、内田健三によれば「学校派と生涯派の論争」(『臨教審の軌跡』第一法規出版、一九八七年)だった。「学校派」(有田一寿たち)は「教育」派で、「生涯派」(香山健一たち)は「学習」派だった。

昨今流行(はやり)の「学びの主体」という言葉で両者の違いを説明すれば、前者は「学びの主体」を作るためにこそ、〈学校〉のリーダーシップや教育の指導性が必要ということになるし、後者は「学びの主体」(子どもたちの自発性)を活かすような家庭・地域と一体になった学習支援体制の一つが学校教育に過ぎないということになる。指導(教育)か、支援(学習)かの違いだ。

この論争の結果、いつまでも〈学校教育〉(=公教育)の時代ではないとする生涯派(生涯学習派)が勝利(●●)し、臨教審思想の骨格を生涯派が固めることになる。これは純粋な教育議論というよりは、土光臨調を受けた民間移行論の網に学校教育(文科省)が引っかかってしまっただけのことだったが ― 中曽根臨教審は学校教育の財政再建案だったにすぎない(付録として日教組の排除もあったが) ― 、「個人の尊厳」「子どもの自律性」「自発性」「自ら学ぶ意欲」「個性」重視の教育という心地よい言葉のオンパレードによっていつのまにか教育思想として自立してしまった。

しかし、学校教育は生涯学習の一部とする「生涯派」思想の本質は学校教育民営化論なのである。つまり臨教審議論で言われる学校教育=生涯学習論は、それまでの二つの文科省答申における生涯学習論(「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」一九七一年と「生涯教育について」一九八一年)とは動機が違っているのだ。臨教審が声高に取りあげた「個性重視の原則」というものも、生涯派の香山健一たちのもともとの主張である「教育の自由化」と日教組の言う「教育の自由」とが不都合にも符合するという懸念(●●)から出てきた妥協の産物であったにもかかわらず(大森和夫『臨時教育審議会三年間の記録』光書房、一九八七年)、いまではその経緯も忘れ去られて金科玉条の言葉のように流布している。右も左も反対しない。

そして、子どもたちの自発性(●●●)や個性(●●)を「学びの主体」の主要な属性として前提しまうことから出てきたのが「観点別評価」である ― この延長上に大学入試改革の眼目である人物評価入試が存在している。臨教審の答申の中で「評価の多元化」と言われていたものが、九〇年代からはじまる「観点別評価」を用意したのである。

たとえば、それは〈意欲〉自体を英語や数学などの教科評価の対象にまでしてしまう。通常の期末紙(ペーパー)試験では四〇点しか取れていない生徒や学生を、「日頃質問もよくするし欠席もない」と言いながら、二〇点の意欲(●●)評価を行い、結果六〇点の合格点を与えてしまう。いまでは知識点数(期末紙(ペーパー)試験の点数)の期末履修判定全体における割合が五〇%以下の高校や大学も多数存在している。後の五〇%は意欲評価や評価基準が曖昧なレポート評価、発表評価、授業への積極的な(●●●●)参加評価などで占められることになる。いわゆる「多様」で「総合的」な評価体制の誕生である。「多様」「総合」という言葉自体はもっともそうだが、従来の言い方で言えば、これらは、英語も数学も「できない」のに卒業できる大義名分を与える言葉となった。そして、現場の教員たちは〝できない〟子どもたちへの教育課題を見失ってしまったのである。

苅谷剛彦は「インセンティブ・ディバイド」という言葉を使って、〈意欲〉に基づいたメリトクラシー社会の機会平等性が崩れてきていることを各種データを集めて明らかにしようとした(『階層化日本と教育危機』有信堂、2001年)。この議論はそれとして尊重されるべきだが、苅谷の議論の前提は〈意欲〉の強度を「学習時間」の長短でみていることだ。

しかし学校現場では、その〈意欲〉自体は、知識点数が一〇〇点満点中二〇点でも合格点は取れるように、知識の欠如(●●●●●)を補う(●●●)評価として使われている。つまりは〈意欲〉は教育現場においては〈学習時間〉と相関するのではなくて、〈知識〉欠如の補助項目になっている。勉強のための学習時間の短さ(知識不足)を逆に〈意欲〉で救う。その結果、偏差値の低い大学の入学生選抜は「AO入試」、つまり知識点数評価には目をつむり、〈意欲〉を問う入試で高校生たちを受け入れざるを得ない。大学入学後の期末試験評価も、知識点数評価では誰も卒業できなくなるため、「観点別評価」で〝救済卒業〟している。臨教審以降〈文科省〉自体が〝勉強ばかりがすべてではない〟と言い始めたのだから、生徒や学生たちが〝勉強できない〟のは当たり前のことなのだ。

つまり「学習時間」が短くなるのは、〈意欲〉評価が前面化した結果に過ぎない。一九九〇年以降指摘された学力低下は、〈意欲〉が減少したのではなく、〈意欲〉評価(●●)が増大した結果に過ぎない。それは「学習時間」の多少と関係するわけでもないし、〈意欲〉の定義の問題でもない。単純に知識点数の過小評価によるものに過ぎない。高校では偏差値が低い高校ほどこの傾向は強くなるが、大学では偏差値にかかわらずこの傾向がある。〈教育〉に関心のない教授たちには願ってもない評価の仕方(=〝裁量〟評価)だからだ。生徒や学生の取った点数は、教員の教育力点数だという立場に立てば、この種の意欲評価体制は教員の教育力評価を不断に棚に上げる(●●●●●)体制にもなる。だから、自分が評価されるのを嫌う教員たちも「学びの主体」「自発性」「個性」「意欲」重視の教育を歓迎する。結果として、〈意欲〉や〈自発性〉を尊重する「観点別評価」は学校教育の教育力(●●●)を衰退させたのである。

たとえば、「線形代数」の「達成度評価」が、「試験三〇%、小テスト三〇%、レポート一五%、その他二五%」となっている工業大学がある(文科省に、大学改革の先進事例シラバスとして評価の高い大学なのだが)。これだと、期末「試験」は、満点取っても三〇%(三〇点)の評価しかない。逆に〇点でも三〇%(三〇点)の打撃しか受けない。期末「試験」〇点でも、他の要素(他の「観点」)で七〇点取れる可能性は残るため合格できる場合があることになる。

そのシラバスの「達成すべき行動目標」を読んでみると以下の五項目が挙げられている。
①ベクトルを理解し、その演算を計算し応用することができる。
②行列の意味を理解し、行列を用いて計算することができる。
③連立1次方程式を「掃き出し法」を用いて解くことができる。
④1次変換を理解し、それを行列で表現することできる。
⑤毎回の授業に出席し、授業内容の理解に努め、演習や宿題をやり遂げることができる。

①~④まではなにも小テストやレポート評価を入れなくても、期末試験で普通に計算問題を出せば済む「行動目標」指標にすぎない (そもそも数学で「行動」目標とは、いったいなんのことだ。「できる」表現と「行動」とは何の関係もない)。⑤のわけのわからない「行動目標」がいわゆる〈意欲〉評価の眼目である。「試験三〇%」以外の「小テスト三〇%、レポート一五%、その他二五%」の七〇%分はすべてこの⑤の「行動目標」に関わっている。工業大学の数学でもこんな評価をやっているのだから、他の文系の講義科目はもっとひどい現状にあると言ってよい。全国の大学でこんなことが起こっている。「観点別評価」の病は、中等教育よりも高等教育の方が深刻なのだ(もっと深刻なのは、こんな知識点数評価しかできていない大学のシラバスが昨年末から始まっている中教審「教学マネジメント委員会特別部会」で紹介されもっともそうに語られていることだが、文科省はいい加減、〝お知り合い〟ばかりで各種委員会を構成するのをやめていただきたい)。

〈学力〉をどう定義しようが、〈知識〉と〈意欲〉を、あるいは〈知識〉と〈学ぶ主体〉の評価をここまで分離させれば、どんな〈学力〉も貧相なものになるに違いない。そもそも〈意欲〉〈自発性〉〈主体性〉、あるいは〈人間性〉 ― 本田由紀ならこれらの属性を〈ハイパーメリトクラシー〉と言うだろうが ― なしに、どうやって〈知識〉が身につくというのだろう。〈暗記〉でさえ、なんらかの創意工夫の成果だろうに。

あるいは、こんな言い方もできる。教科や科目への〈意欲〉点数が高いにも関わらず、その教科や科目の〈知識〉点数が低いとしたら、それは一体どんな点数なのだろう。

意欲が高いのに点数が低いという場合は二つしかない。一つは、誰がどんな教え方をしてもその子(生徒・学生)は生まれつき(●●●●●)点数が取れない子どもだということ。つまり人物論的に(●●●●●)(=家庭論的に)勉強に向いていない子どもだということ。もう一つは、教員の教育力が足りなかった、授業に失敗したということ。そもそも〈意欲〉とは知識点数(期末紙試験点数)に結びついてこそ意欲であって、知識点数がないのに意欲があるということは、意欲ベクトルの制御に教員が失敗したということでしかない。そして、教科活動の本質は意欲の形成であって、教科内容はその事例に過ぎないというのなら、さっさと〈意欲〉という科目を作るしかない。しかしさすがに文科省もそんなバカな科目を作る指導はしないだろう。教科活動は、基本的に教科、科目の知識修得を通じてその修得への意欲を形成するものでしかない。教科活動において生じる〈意欲〉とは、教科の内容(●●)を〈わかる〉ことだからだ。一つの理解が一つの意欲を呼び、それがまた次の理解を生み、その理解が次の意欲を生むというように。したがって、知識点数の高低=意欲の高低でしかない。

私のシラバス論は、一九九〇年代に始まった〈知識〉論、つまり「知識も大切だが、態度や意欲も、そして人間的な魅力も大切」と言って、一度もその「も」の意味が問われなかった〈教育〉の在り方を再検討するためのものである。現在の大学シラバスが九〇年代以前よりははるかに詳細化(●●●)してきたにもかかわらず、質的に停滞し続けている原因はこれらの〈意欲〉評価にある。意欲主義の「観点別評価」で学生を救済し続けている現状に異議を感じないのなら、シラバスを詳細化する意味などたしかにない。

最近の大学では古典的な内容の、たとえば文献講読の講義さえも「わいわいガヤガヤ」とグループワークさせたり、発表させたり、調べさせたりと「アクティブ」な意欲型授業に充ちている。「線形代数」の授業でさえ「理解に努め」「やり遂げ」ればいいわけだ。その分、シラバスの中身は教育学者のものでさえ貧相だ。大学でさえ知識文化は衰退の一方だし、なによりも文科省がその音頭を取っていると言ってよい。この、学校教育の三〇年にわたる停滞や衰退を突破しようとすれば、一六〇,〇〇〇字のシラバス論でも足りないくらいなのだと思う。重要なことは「意欲」救済で逃げなくてもいいような授業計画(シラバス)を、教員自らがその教育ミッションとして立てることなのである。

本書のシラバス論の三つ目の動機は、教育の「知識」軽薄化とそれと関わる「多様性」論だ。
中曽根臨教審において、学校教育が生涯学習の一部とされたときからいわゆる狭義の生涯学習(成人教育)と学校教育との区別はなくなってしまった。学校教育は「生涯学習体系への移行」課題(臨教審四次答申)となったのである。それは「学校中心主義からの転換、教師による『教育』から生徒中心の『学習』への転換」(寺脇研)だった。寺脇はこの学校教育=生涯学習論を、「教育改革の錦の御旗」とまで言っている。

人間は一生涯学び続ける存在だという意味で、学校教育は生涯学習の一部となったのである。「学びの主体」という点では、学校教育と成人学習との区別は存在しないということだった。特にインターネット時代、SNS時代の今日では、学びの契機は、教室、図書館、大学キャンパスを超えていたるところに昼夜を問わず存在している。もはや「学校中心主義」の時代ではない、と。「学校中心の考え方を改め、生涯学習体系への移行を主軸とする教育体系の総合的編成を図っていかなければならない」と臨教審第四次答申は言う。

しかし、本当にそうだろうか。
成人教育と学校教育との違いは存在している。前者は何を何のために学ぶべきなのか、学んだ後どうなればその学びに意味があったと言えるのかなど、自分でお金を払ってそのつど授業を買う(●●●●●)成人たちは、それらのイメージを学ぶ前から持っている。まさに「学びの主体」が既に成立している。そもそもそういった判断が出来るようになるのが〈学校教育〉を卒業することの意味だったのだから。

しかし〈学校〉に通う子どもたち(児童・生徒・学生)にそんなイメージがあるわけではない。「何を」学ぶのかは学校教育体系の中で決められている。高等教育では教員の専門性に委ねられている。「何のために」ということもその内容を学ぶことの中でしか見えてこない。「何を」の外に「何のために」があるわけではない。あやしげなキャリア教育がそれを外から持ち込もうとしているがそんな外部注入が成功するわけがない。まして学びの意味(●●)の評価など子どもたちができるはずもなく、彼ら・彼女らは期末試験で逆に評価される対象でしかない。つまり、成人教育は受講者の目的や意図に従属した消費の(●●●)対象でしかないが、学校教育は形成的な(●●●●)教育だということだ。教育基本法では「教育の目的」は「人格の完成」にあるとされているが、これは、学校教育が未完成な人格を相手にした教育、人格形成的な教育であることを意味している。前文には「人間の育成」とまである。決して「学習」ではない。

だとすれば、「学びの主体」の「意欲」や「自発性」はそれ自体が未完成なものに他ならない。それ以前に「学びの主体」自体の存在も怪しいくらいだ。まだ完成された〈人格〉ではないのだから。もしそれでも成人以前の子どもたちに学びの「意欲」や「自発性」や「主体性」、そして「人間性」を見出すことができるとすれば、それは〈家庭〉や〈地域〉の文化性(●●●)に保護されているからでしかない。言い換えれば〈家庭〉や〈地域〉に大きく影響を ― いい意味でも悪い意味でも ― 受けた主体性(●●●)でしかない。成人に達するまでの、つまり〈学校〉を〝卒業〟するまでの主体性とは家庭や地域の主体性にすぎない。

たとえば、東京の名門私立学校の入学試験は、親の面接試験を通過しないと学力試験(メリトクラシー)だけでは入学できない。場合によっては卒業生家族の推薦が必要な私立学校もある。親は面接の時だけは、派手な衣装や装飾類を抑えめにして面接に臨むと言われている。つまり、紙試験(ペーパーテスト)点数と経済力だけでは入学できない階層のハビトゥス(ブルデュー)のようなものをそれらの学校群は選抜している。子どもの主体性はこれらの学校の選抜評価においてはこの階層のハビトゥス、家庭のハビトゥスによって保護されている。もし、純粋な、子どもの主体性や自発性を尊重すると言いながら親の面接評価があるとしたら、子どもの主体性や自発性などなにも尊重されてはいないのである。つまりこの選抜試験では、子どもが選ばれているのではなくて家庭(●●)(家庭の階層)が選ばれている。しかも文化的な(●●●●)家庭が。

逆に言えば、紙試験(ペーパーテスト)の点数主義はそういった階層性評価をパスする装置だったと言える。身なりや素行や話しぶりがどんなに下品(●●)であっても ― 身なり、素行、話しぶりといった人物論的な性向(●●●●●●●)は家庭環境のような長い時間の形成物であるため、〝勉強〟の対象になりづらい ― 、紙試験(ペーパーテスト)やマークシート試験はそういったハビトゥスをとりあえずは棚に上げることができるからである。「実力主義」と言うのは貧者のレトリックだとペレルマンは言っていたが、点数・知識主義的な学歴主義(メリトクラシー)こそ実力(●●)主義のことを意味している。社会的貧者(あるいは家庭貧者)が学歴主義を否定してしまうと貧者の立場はますますなくなってしまう。〈点数〉そのものには素行や階層は直接的には見えない。面接の人物評価主義には、それはよく見える。中国の科挙制度が貴族の世襲制選抜をシャッフルできたのも、当時の中国における「豊富な紙と進んだ印刷技術」(与那覇潤)があったからだ。

この問題はしたがって、苅谷の言うような家庭格差における「意欲の格差」(インセンティブ・ディバイド)ではなくて、臨教審答申に由来する評価の多様化、つまり「観点別評価」の巻き起こした教育トラブルなのである。家庭の教育文化格差(特に母親の学歴の高低)としての「意欲の格差」が「知識格差」になってしまったのではなくて、意欲 ― 苅谷の言う「学習時間」の長短とは何の関係もない、人物論的な意欲(観点別評価) ― で知識点数が補われることによって「知識格差」が広がった。そしてその受け皿が大学全入時代のAO入試 ― 〝過去〟は問わない、〝未来〟を問う〈意欲〉入試 ― だったのである。九〇年代以降、高校、大学ともども知識評価の場所が消えたのである。

しかし〈意欲〉に逃げずに、〈知識〉点数評価割合を増やしていけば ― 科目の履修評価割合を期末試験100%にすれば ― 親の階層に縛られない個人(=学びの主体)が露呈する。少なくとも教科指導の純粋な課題、つまり教員は授業中に何をしたかったのか、何をしたのか、何ができたのかが見えるようになる。生徒・学生たちにとっても、教員にとっても授業で何をやればいいのかが明確になって、学生の学習の課題も教員の教育の課題もともども明確化する。

階層(家庭主義)を超えて個人を尊重し、その意味での科目指導の課題を見ようとすれば、知識主義の立場に立つしかない。そもそもそれが〈学校教育〉の立場だった。福澤諭吉の『学問のすゝめ』(初版は明治五年)の意義は、「学問をして物事をよく知っている」かどうかが「地位」の「高低」に関わっていたことである。それは江戸時代の身分社会を超える原理だった。つまり〈学校教育〉の「知識」主義は階層のシャッフル装置としてのみ意味を持つことになったのである。苅谷たちが調査した「関西調査」でもカリキュラム次第で家庭格差(貧富の差)に依存する知識格差は縮まることが報告されていたのだから(『調査報告 「学力格差」の実態』岩波書店、二〇〇二年)。

つまり、学校教育における「多様性」課題は、個人の多様性=個性を意味するのではない。人物入試を主導した下村博文は「教育とは、一人ひとりの可能性を高めていくためのバックアップ機能です」と言っていたが、こんな人に文科大臣を任せておくと、最後には「勉強が出来ない」ことまでもその子の「個性」だと言い始めるに違いない。多様性は「一人ひとりの可能性」において考えられることではなく、同一階層、特には高い階層の中に、どれくらい多様な出自(●●●●●)の「個人」が存在しているかという「多様」でなければならない。それは階層内の出自の(●●●)多様性であって、個人の個性的な多様性を意味しているわけではない。

近代的な〈個人〉とは、一言で言えば親の階層からの自立を意味する。それは、家計の自立を単に意味するのではない。「人格の完成」とは親の階層から自立できる〈個人〉を育成することである。だからそれは発達心理学の課題でも、人物論(●●●)(コンピテンシー論)の課題でもない。学校教育(特に公教育)の課題は親の世代の階層を子どもの新世代においてシャッフルすることなのである。だから、〈学校教育〉が〈家庭〉と連携することは学校(●●)機能の自殺行為だと言える。そんなことは東京の名門私立学校に任せておけばいい。一般的に言って〝できない〟子どもたちの家庭は家庭自体が崩壊しているのだから。「家庭教育の重視」に臨教審答申はかなりの紙幅を割いているが ― つまり教育早期から「個人の尊厳」「子どもの自律性」「自発性」「自ら学ぶ意欲」「個性」などを重視する教育思想はかならず保守的な家庭主義(●●●●●●●●)に侵されているのだが ― 、重視すればするほど階層シャッフルは起こらない。親の階層を再生産するだけのことになる。「個性重視」にかかわる「学びの主体」論については、人それぞれ顔が違うように、そして親が違うように個性があると言っておけばいいだけのことだ。それは、〈学校教育〉と関係なく存在する個性(●●)でしかない。

一度校門をくぐれば、そしてクラスの教室に入れば、子どもたちみんなが家庭文化格差と関係なく平等に扱われることの意味は、その教場における教育が「知識」教育だからである。それがいちばん〈個人〉が露呈する教育だからだ。文科省も臨教審思想が薄まりはじめた頃から「知識基盤社会」(「学士課程教育の構築に向けて」答申(二〇〇八年)、「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」、二〇一四年)という言葉を使っていたが、依然として下村色の強い「二〇四〇年に向けた高等教育のグランドデザイン」(二〇一八年)では本文からその言葉は消えている。

下村博文が新大学入試でやったように「知識の画一主義」を訴えて〈知識〉を矮小化すると、階層流動性は減少する。〈知識〉が階層流動性の「基盤」だからだ。そもそも大学教授会を文科省がいくらコントロールしようと思ってもコントロールできないのは、この組織が〈知識〉に定位した組織だからである。世の中にこんな「多様な」人物(●●)がいる組織はあるのだろうかと思うくらいに ― 「それなりに才能がある、つまりそれなりの才能しかない」出自の多様を高田里惠子は「グロテスク」と呼び、「秀才と優等生は、日本では侮蔑語である」と言い切っている ― 、大学教授会は階層的に「多様」である。だからまとまらない。教授たちは知的だからこそ「多様」なのである。

シラバスの意義は、〈学校教育〉の本来の多様性議論に寄与し、まさに大学本来の「知識」教育に復帰するためのものである。もちろんこの〈知識〉は〈実践〉や〈実習〉や〈実学〉と対立などしていない。大学教育においてこそ、〈実践〉も〈実習〉も〈実学〉も知的、専門的でなくてはいけないのだから。〈演習〉や〈アクティブ・ラーニング〉になると、途端にシラバスの中身が薄くなる授業は、かならず「観点別評価」が前面化している。それらはすべて作業意欲(●●●●) ― かの「線形代数」科目の「行動目標」のように ― を評価しているだけのこと。つまり少しも「知的」ではない。今や大学の授業のほとんどは、古典的な講義授業でさえ、街の講座屋さんのような学生おもてなし授業に堕している。一六〇,〇〇〇字のシラバス論がターゲットにした授業は、この種のおもてなし授業である。

おそらく、新しくできあがった専門職大学は、そのインターンシップも含めて作業意欲(●●●●)評価だらけの〝おもてなし〟授業になるに違いない。マートン・トロウが指摘した日本の大学の「請負的な性格」が新大学においても前面化するばかりである。そもそも臨教審の「多元的評価」は「学歴偏重」に対して言われており、その「多元的評価」の向かうところは「公的職業資格制度」の「拡大」であったわけだから、これは一九七五年の専修学校制度の思想と同じであって、勉強の〝できない〟子どもたちには職業教育を、という発想と何も変わらない。臨教審こそが、〝できない〟子どもたちと職業教育とを同時に差別しているのである。

最後に四つ目の動機は、情報化時代における〈学校〉の役割である。
インターネット情報やSNS情報によって〝知識〟は〈学校〉の枠を大きく超えて広がっているかのように見える。吉見俊哉の労作『大学とは何か』も「大学とはメディアである」とまで言い切っている。そのように、若者たちも昔の時代よりもはるかに〝知識〟を駆使して「意欲」的に活動しているかに見える。大学が吉見の言うように〈メディア〉であるなら、大学の意味はもはや終わっているのだ。臨教審が想定した「生涯学習体系への移行」は三〇年以上経って世相や風俗にまで現実化している。

しかし彼・彼女たちは、カラーバス効果のように見たいものしか見ていない。情報が二四時間あふれかえるのは、見たいもの・知りたいものが公私共々個々人の細かい趣向にまで合うようになっていくためのものでしかない。公私共々個々人の細かい趣向に合わせようとしたら、膨大な情報を集め、かつ発信しなければならない。プッシュ情報自体が自分がなんであった(●●●●)かを決めてくれるかのように情報の受発信が行われ、〝発見〟がたえず〝既視感〟につながる。自分はこんなものを欲しかったんだと。

テレビが多チャンネル化し、YouTube・AbemaTV化し、Netflix化していくのも、見たくないものは見ない、見たいものだけを見る、それを秒刻みで実現するためのものでしかない。Amazonのお買い物までも情報化されて買いたいものばかりが現前化する。欲望自体が組織されている。カラーバス効果とフィルターバブルの相乗効果のような情報化が進めば進むほど、知見はどんどん狭くなる。「見たいものを見て何が悪い」というのは高齢者のアタラクシアのようなものだが、若年者でこういったことが起こると、内面ばかりが肥大して、自己存在は不安定になり、逆に他者への承認要求は過度に高くなる。ツイッターの炎上現象も、承認要求が過度に高い〝お仲間〟ばかりが集って炎上しているだけのこと。だから小さな意見が大きく見える。知見が広がらないために脊髄反射のような、抑制の効かない応酬になる。

SNSは「わかる」やりとりばかり。考える前に質問できるやりとりばかり。〈検索〉は「すぐに」利用できるものばかり。評価サイトまですぐに〈検索〉で見付けることができる。〈レポート〉もすぐ書けて、しかも教員も検索で〈論文〉を書いているために、学生のコピペを見抜けなかったりもする。それもあって、最近は大学の先生自身が〝コピペ発見アプリ〟を開発するほどだ。学生も教員もしっかり文献を読んだり、書いたりする機会を失っている。ストックとしての〈学ぶ主体〉が形成できる契機がどこにもない。どこかで時間を止める、時間を溜めるような場処が必要なのだ。もともと〈学校教育〉こそがスコレー(σχολή)としてのそういった滞留の場処だった。

この秒刻みの情報化時代には、学校教育の体系性 ― 文科省は、この体系性を「組織的で順次的な」と言っていたが ― は、判断を終わらせない延期・延長性、エポケー(ἐποχή)、そしてスコレー(σχολή)を意味する。「体系性」の教育的な本質は、「続きがある」 ― 〈現在〉において意味(●●)は完結しない ― ということである。その留保(エポケー)の時にだけ、子どもたちは〈考える〉。カリキュラムの体系性、科目の体系性、一授業時間(九〇分)の体系性もそのためにこそ存在している。シラバスはその体系性を刻む文書なのだ。トーク(●●●)や作業(●●)に溢れる授業は体系性が欠如しているからこそ、シラバスが貧弱なのである。「教育より研究だ」と考える教員の授業ほどその体系性から遠い授業はない。いったいどんな〝研究〟をしているのだろう。
近代的な大学の在り方を決めたと言われる〈フンボルト理念〉は、研究重視の舵を取ったものと思われているが、フンボルトの研究重視は「すべての知識を未だ解決していないものとして扱え」という思想に基づいている。彼は、教育も研究でなければならないと考えていたのであって、研究と教育とを分離したわけではない。セネカのDocendo discimus(ドケンドー・ディスキムス) ― 教えることによって学ぶ(教えながら学ぶ) ― に通じる精神であって、セネカもまた「君は君自身のために学んできたのだから」と言っている。〈教育〉は単なる啓蒙ではないということだ。

自分の日々の研究の質が、シラバスの精度(体系的な精度、あるいは歴史的な精度)に結びつかないような〝研究〟とは一体何なのか。研究や論文をみてその研究者の教育力を推測することはむずかしいが、シラバスをみれば、どの程度の論文を書ける教員かは大概の場合、見えてくる。どんな場合でもわかっていないことを教えることはできないからだ。そして、わかっていることとは、専門性の内容そのものである。わかりやすく教えるということは、まさにフンボルトやセネカが考えていたように、既存の知識を他人事のように啓蒙的に教えることではなくて、わかっていることの程度に関わっている。それは、あれこれの授業法の問題ではない。もっとも効果的な授業法とは、教えるべきことを深く知ることでしかない。そもそも深く知ることなしに、〈教育〉への関心など出てくるはずがない。一科目のシラバスを書くということと〈論文〉を書くこととを区別する理由などないのである。違いがあるとすれば、シラバスには自分の専門より少なからず外れた部分があることだが、他領域に足を踏み入れるそのそぶりにこそ、その教員の性根の(●●●)研鑽が垣間見られたりもするため、余計にシラバスの書きぶりは興味深い。いずれにしても日本の研究者も講義録が論文作成のきっかけになったり、出版のきっかけなったりすることをもっともっと意識すべきなのだ。

そういったシラバスの〈重力〉のようなものが、断片化された情報データベースや気まぐれな〈検索〉に抗って、〈学びの主体〉を形成していく。この〈重力〉こそが子どもたちにとっての〈家庭〉なのだ。親の世代を自力で乗り越えるための原動力が、そこにある。

この本は、これら四つのモチーフによって、「シラバスとは何か」と問いかけたものである。その結論は、シラバスは「学習(●●)支援書」でもなければ、「契約書(学生と大学との)」でもないということだ。そして、「学習(●●)支援書」でも「契約書(学生と大学との)」でもないシラバスの在り方を、この本では〈コマシラバス〉と呼んでいる。シラバスは〈コマシラバス〉でなければならない、というのが本書の提案である。

この本を読まれて、少しでも多くの教員が「シラバス、書き直してみようかな」と思っていただければ、この試みの半分は成功したのだと思う。もう半分は大学教育、あるいは「学校教育」施策への絶望と期待との双方を詰め込んだつもりだ。教育現場のまっただ中で。
「シラバス論」だけで一気に書き下ろした一六〇,〇〇〇字の長文であるために、「まえがき」は要約的な書き方も意識したが、その分、「まえがき」さえもまた長くなってしまった。「まえがき」なのでかなり傍証を省略して書き殴ったところもあるが、それは本文にしっかり書き込んだ勢い余ってのことだと思っていただいて、許しを請いたい。→大学カテゴリーランキング


2019年 8月30日 65歳の誕生月、夏の終わりの品川・御殿山にて

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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