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 偏差値30、40台の学生を一流のITエンジニアにする教育法(講談社『現代ビジネス』における田村耕太郎さんの記事) 2012年05月21日

「コカコーラソーシャルメディアサミット2010」(http://www.ashida.info/blog/2010/12/2010.html)以来、交流のある前参議院議員の田村耕太郎さんが、今の日本における大学教育(あるいは専門学校教育)の問題のについて、私に取材してくれた。本日、『現代ビジネス』(講談社)にUPされました。

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「問題は、いまの大学教育も専門学校教育も、積み上げ型のカリキュラムになっていないということです」(芦田氏)

―「積み上げ型」とはどういうことですか

「『積み上げ型』は、一つの科目を履修させたら、その履修成果に基づいて、次の科目を始めるということです。階段を一つ一つ上がっていくように科目が構成されている。

高校までの学習では、同じ学年の科目同士では積み上がり科目構成ではないが3学年を通観すればそれぞれの科目で積み上がっている、数学や英語のような科目もあります。

しかし、高等教育では、本来は、学年の内部でも、積み上がる必要があります。高等教育らしい〈専門〉教育を受けるための学校群なのです。

大学は4年間、専門学校は2年間も、『ジェネラルエデュケーション』(国語・算数・理科・社会・英語)を超えた専門教育を受けるにもかかわらず、実際は、縦(通年)にも横(学年)にも、ちょっと高級な程度の“ジェネラルエデュケーション”状態が蔓延しているということです。

これは(大学では特には)「教養課程」と「専門課程」の指定単位規制が「大綱化」施策(1991年)以降なくなって以来、急激に拡大した傾向です」(芦田氏)。


― なぜ、大学や専門学校では、「ちょっと高級な程度の“ジェネラルエデュケーション”」にとどまっているのでしょうか?

「大学教育の場合は、教養主義的な科目単独主義が、専門学校の場合は、資格主義的な暗記教育、過去問教育が、『積み上げ型』科目編成=カリキュラム開発を阻害しているわけです。

理工系の大学では、まだまだ50単位程度(卒業に必要な124単位中)の必修単位が残っている大学がありますが、全国の大学の7割前後の人文系カリキュラムでは、必修単位が30単位あるかどうかにとどまっており、これでは、科目が積み上がらない。

私の現在の大学も、昨年まで32単位しかなかった必修科目をカリキュラム改編によって84単位にまで引き上げました。

そういう現状が多い理由は、リベラルアーツ型の専門教養主義による科目単独主義(講座制の名残もありますが)が元凶です。

そもそも選択科目が多いカリキュラムでは、受講が毎回リセットされていくので、高度能力の開発が出来ません。昔の哲学科などは、古代哲学、中世哲学、近代哲学、現代哲学で各一人ずつの教授が講座を構えており、全体を選択必修、あるいは必修で学ぶことになります。

しかし、たとえ必修であってもこの程度の“巡回”であれば、『西洋哲学入門』という啓蒙書をじっくり読んだ方がまだまともかもしれません。

たとえばSE(あるいはアーキテクト)を目指したいと思って工学部に入っても、機械工学、材料工学、流体力学、システム工学などとならんで「ソフトウエア論」などがわずかにあるだけで、大学院に進学しても事情はそんなにかわりません。これらの科目がすべて必修科目であっても、積み上がらないのです。哲学にしても工学にしても、概論講座のオンパレードということになります。

専門学校では、学校教育法の一条校でない分、学校としての社会的信頼性を国交省、厚労省、経産省の資格プレゼンスで保持しています。どうしても教育が形式的で平板になりやすい。専門学校がやっているのは職業教育ではなくて、遅れてきた受験教育に過ぎないわけです。結局、これも形を変えた概論教育にすぎない。能力が積み上がらないわけです。

大学進学率が20%台程度の時代の大学では、そういった概論講座を受講しても、それを滋養として自分の目指すべき専門性に特化していく能力を持っていたでしょう。ここまで大衆化した大学生では、この種の概論講座は、「国語・算数・理科・社会」なみの一般教育にしか見えず、魅力的なものに見えないわけです。

 そのうえ、最近は「リメディアル教育」も盛んになってきて、中学校・高校の復習授業を厚く用意する大学が出てきてます。中学校・高校で勉強が苦手だった大学生たちは、ふたたびつまらない授業を受けることになります。リメディアルな「基礎教育」と言っても、それがなぜつまらないのかというと、それを元にして積み上がる先の科目との連携など何も取れていないからです。

基礎教育は4年次の仕上がり目標から逆算されて作られるべきですが、4年生の専門ゼミの教授たちは、基礎教育課程にそもそも関心がないため(基礎教育に対する差別視も大きい)、“できない”学生達は、抽象的な「基礎」教育を大学に入ってまで再度強いられているだけなのです」(芦田氏)

まだまだ続く→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32600
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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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