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 追再試と落伍者をどう考えるか ― 追試の慢性化は、いかに教員と授業を腐敗させるのか 2011年12月08日

●追再試と落伍者をどう考えるか

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スライド1:追再試とは何か

追試(追試験)
本試験(期末履修判定試験)で落第点(60点未満)を取り、何らかの仕方で再履修判定を必要とされる場合に行われる試験(一回目の本試験とは異なるが同じレベルの難易度かそれ以上の難易度を保持する試験)

再試(再試験)
本試験(期末履修判定試験)の受験を、本人の意志に関係のないアクシンデントなどが生じて、受験不能になった学生に、本試験受験のチャンスを再度与えられた試験(一回目の本試験とは異なるが同じレベルの難易度を持つ試験)
※英語では、make up examination とか supplemental examination とか言われている。

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スライド2:専門士とは何か

「専門士」のタイトル付与(1994年)
1. 修業年限が2年以上
2. 卒業に必要な総授業時間数が1,700単位時間以上
3. 試験等により成績評価を、その評価に基づいて卒業認定を行っている

※高度専門士(2005年)については、
修業年限4年以上、総授業時間3,400単位時間以上、体系的に教育課程が編成されていること、試験による卒業認定など一定の要件を満たす条件で、付与される。

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スライド3:専門学校が試験を重視しない理由(1)

1. 教務的には、設置基準における1600時間(専門士は1700時間)という履修時間しばりだけが前面化していた(専門士=1994年以前)

2. 厚労省系、国土交通省系資格学校が多いため、資格主義的な客観性にしか興味をもたない教員が多いため、学内試験の意味を理解する風土に乏しい。学内試験を全部100点とっても、資格で落第したら意味がないという結果主義にとらわれている教員が多い。試験対策授業だけに燃える教員ばかりになっている。

3. 自分で目標を形成し、自分で目標達成評価を行うという風土に乏しい。資格主義は人材形成とは対極にある。

4. 試験を厳格に行うということは、自分の専門性、教育力、教材開発力が直に表面に現れるために、なかなか自己管理意識が涵養されない。自己管理意識が涵養されないばかりか、「学生にバカが多い」から、と学生の所為にしてしまいがち。試験重視は、自己の教育評価の第一関門であるため、ここをくぐりたがらない教員が多い。人の(学生の)評価ばかりをして自分が評価されることを嫌う教員体質の問題。

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スライド4:専門学校が試験を重視しない理由(2)

1.専門学校は必修授業中心で時間割りに余裕はない。一科目でも落とすと即留年。真剣な試験をやって、落伍者がたくさん出てしまったら、退学をしてしまう。

2. 上記1)の理由は半分正しいが、そのことと試験を安易にやっていいという理由とは何の関係もない。だからこそ、日々の授業をきちんとやって落伍者が出ないようにしなくてはならないという認識にならないのが専門学校の問題。

3. 日々の授業が大切にされないのは、資格主義と人間主義。外部目標重視(資格主義)と日々の学びが就職の質と繋がっていない人間主義のため。

4. 〈良い就職〉というのが、〈良い学び〉=学内成績と結びつかず、結局、「性格の良い」学生が良い就職に繋がっているという認識が前面化しているため。

5. 〈良い就職〉というのが、〈良い学び〉=学内成績と結びついていないのは、カリキュラムが高度実務を意識したものになっていないため。〈性格〉を超えるだけのパワーを教育(カリキュラム+教員の専門性)を持っていない。

6.学びの先に就職が見えないために(学びと就職とが〈性格〉によって寸断されているために)、留年してまで在学する理由はないことになる。

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スライド5:専門学校が試験を重視しない理由(3)

1. 就職→カリキュラム→科目目標→授業という連関が見えないから形式主義的な補習や追試で事が済むと思っている教員が多い

2. 秋田国際教養大学は、科目の落第者がきわめてたくさん存在しているが(留年者が同学年で数10%いるが)、退学者は年間1ケタ(実数)に留まっている。これは卒業すること=質の高い就職に意味がある、つまり在学生としての将来に意味があると在学者が思っていることのあらわれ。

3. 学生の〈性格〉を超えることのない授業(教育)、先の見えない、予復習も必要のないその日暮らしのような授業を続けている学校だけが追試を慢性化させている

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スライド6:専門学校が試験を重視しない理由(4)

1. 学生を選抜せずに入学させておいて、試験だけはきちんとしろというのは、おかしな話と思っている教員が多い

2. しかし、実績のない学校に、優秀な学生が来るはずがない

3. 「優秀な学生」とは、実績を見る学生なのだから。

4. 学生を選ぶためには、学生に選ばれる実績を作ることが先になければならない

5. 実績とは、1)カリキュラム目標にそった質の高い資格取得実績(全国で一二位を争う)2)カリキュラム目標にそった質の高い就職(ライン上昇のある)のこと 3)少なくともクラス在籍者数の半分以上の学生が中堅・難関就職を実現していなければならない(1、2割の優秀就職実績では、学生の「性格が良かった」と言われるだけ)

6. この三つの実績なしには、学生を選べる学校にはならない

7. つまり、どこかでだれかが学生を選ばないでも優秀な就職実績を作ることをしなければならない

8. その努力と工夫なしに、学生の基礎学力を長く教員は、自分の怠惰を棚に上げているだけ。つまり優秀な学校では採用基準にはるかに及ばない教員にすぎない。つまり、この教員にしてこの学生あり、この学生にしてこの教員あり、という関係。

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スライド7:試験とは何か

●試験は、教員の教育成果を問うもの

試験は学生の能力を問うものではなく、教員の能力を問うもの。というのも、授業計画、授業運営などの授業デザインは、すべて教員の権限に属しており、学生はそれに対しては全く受動的。学生能力の成長はもちろん、そのやる気も含めて、すべては教員の授業デザインに関わっている。

●授業デザインとは
与えられた目標、与えられた時間、与えられた学生を前提にして、どのように教えれば、落伍者なしに科目履修を完遂するか(落伍者なしの試験修了)のデザイン ― 主には教材デザイン、教材活用デザイン ― を意味する。

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スライド8:授業デザイン

●授業デザインの実践

本試験までに落伍者(落伍可能性のある学生)を発見し、毎時間の授業(教材計画+教材運用)において、彼を履修可能な状態に持っていくこと

●落伍者の意味
落伍者の存在は、授業運営も含めた授業デザインの失敗を意味する。教員業績評価としては最低の評価を意味する。

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スライド9:落伍者とは何か

●落伍者の多義性

1. 試験難易度(教育目標)を下げれば、落伍者は減る

2. 試験難易度が高くても、模擬試験的な授業や補習をやれば落伍者は減る

3. 落伍者の多少はそれだけでは、教員=授業評価に繋がらないが、少なからず落伍者が存在する(※)ことは問題。落伍者がないことはそれだけでその授業が良い授業だったとは言えないが、落伍者が存在する授業はそれだけで問題のある授業とは言える。※5%~10%以上落伍者の存在する授業。

4. 落伍者のある授業=事前に履修不良を発見できていないか、発見しても放置したかのどちらか。

5. 落伍者が存在する可能性を察知し、日々の授業の中で運営改善するのが、授業を担当する、という意味。日々の授業こそが補習を組み込んでいなければならない。終わった後に補習(まともな補習)ができるくらいなら、終わる前の補習ができないはずがない。

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スライド10:試験点数とは何か

●試験点数分布の意味

1. 82~85点を頂点に90点台と60点台に向かって正規分布に近い形をとる場合がとりあえず良い試験=良い授業。

2.上位に点数が固まる場合→教員が自分の授業(履修評価)に不安があり、落伍者を出すのを避けるため、試験難易度を故意に下げた場合。あるいは授業が試験主義的になっている場合。

4.中位に点数が固まる場合→配点に問題があるか、難易度にメリハリのない試験になっている場合。

6.二極化する場合(点数分布に山がふたつできる状態)→教員が下位学生の指導をあきらめている場合。

8.下位に点数が固まる場合→潜在的な落伍者が存在するか(落伍者放置)、授業と試験との間にずれがあるか、試験問題の内容(主に設問)に問題がある場合

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スライド11:追試の問題(1)

●慢性化する追試の問題

1. 専門学校の慢性化する追試体質は、教員の授業準備不備(授業補習)を棚上げにする諸悪の根源

2. 慢性化する追試は、授業内で落伍者を見つけても(早々と追試対象者として)放置する癖を教員につけてしまう

3. 本試にしても追試にしても、全員合格にしないと退学してしまう(=経営者に怒られる)という理由で難易度をどんどん下げてしまう。

4. つまり落伍者ゼロ目標というものを、良い授業を行うという本来の動機に結びつけようとしない。

5. 落伍者ゼロ目標というのは、本試験までに落伍者を発見、履修目標復帰させるという授業本来の目標に戻ればいいだけのこと。

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スライド12:追試の問題(2)

●ダメ学生に追試認定するのは学生サービスの一環という間違った考え方について

1. 実績のない学校が学生を入り口のところで選べないのは当たり前。実績を目指すのが元々優秀な学生なのだから、優秀な学生を集めようと思ったら、実績を出すしかない

2. 〈実績〉とは、ダメな学生に優れた能力を身につけさせること

3. もともと優秀な学生は、どんなにカリキュラムと教員がひどい学校でも2割くらいはいるため、2割の優秀学生では〈実績校〉=生徒に選ばれる学校、学生を選ぶ学校にはなれない

4. 結局、追試を学生サービスとして続ける限りは― つまり、教育改善、授業改善を棚上げにすることを続ける限りは、いつまでたっても、学生を選ぶ学校にはなれない。

5. どこかで、授業時間を延長してでも(補習しながらでも)、本試験を適性に合格させる目標に本気で取り組むことが必要になる。

6. それをやらない限り、〈学生を選べる〉学校にはならない。

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スライド13:追試の問題(3)

●全員合格授業の諸問題

1. 授業目標が低すぎる

2.試験問題が易しすぎる

3. 配点が不適切

4. 記述式などが多く採点の内容が不明瞭

5. 全員合格授業を続けると、上位学生の不振を招き、教育(授業)の質を上げることができなくなる

6. 授業中、専門的で迫力ある授業を行っても、試験が甘いと、本来の内容が身につかない

7. 試験でリスク※を背負わない教員(学生への期待値が低い教員)は、学生から尊敬されない

※慢性化する補習(=本試験より難易度の低い追試のための補習)はリスクではない

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スライド14:追試の問題(4)

●本来の全員合格授業

1. 科目全体の授業目標(シラバス)が専門的に妥当な水準を保っていること

2. 科目全体の授業目標を日々学生共々自他に明確化(公開化)すること

3. 日々の授業目標を学生共々自他に明確化(公開化)すること

4. 日々の授業で何がわかり、何が分からなかったのかを学生共々自他に明確化(公開化)すること

5. 日々の授業の落伍者を日々救うこと(次週コマの始まる前までに補習を完了すること)

6. 試験の水準(高水準)が日々分かるような授業を行うこと。

7. つまり教員の学生への高い履修期待が日々分かるような授業を行うこと(教員の期待値が上がれば学生の履修水準は必ず上がる)

8. 上記7項目が遵守できれば、落伍者は多くても10%未満に留まる

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スライド15:追試の問題(5)

●追試が可能な条件

1. 落伍者が、原則的に10%未満に抑えられている試験判定であること

2. 「忙しい」教員なら、落伍者が10%を超えると、念入りな教材や時間を確保しなければならないまともな補習はできないし、学生サービスのための補習にしかならない。補習がまともにできなければ、必ず退学予備軍になる。

3. 落伍者の落伍理由(特に授業デザイン、シラバスとの関係における)がはっきりしていること

4. それに対する対策課題がスケジュールと共に教職員に明示されていること。

5. 追試のための補習スケジュール、補習開講教室(+使用時間)、補習担当者、追試試験作成者、採点担当者が教職員に明示されていること。

6. 本試験に突入したのと同じ密度の補習授業が追試者全体に徹底して行えること。

7. 本試験と同じかそれ以上の水準の難易度を持つ全く別の設問の試験を準備できること。

8. できれば追試試験作成は担当教員以外がシラバスに基づいて行い、採点は必ず担当教員以外の第三者が行うこと

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スライド16:追試の問題(6-1)

●それでも、教員が追試をやりたがる理由(1)

1 .日ごろの授業で、「試験に出るぞ」「大切なところだから覚えておけ」「覚えるしかない」「テキストに下線(赤線)を引け」という言葉を連発する教員に限って、追試をやりたがる

2. 実習作業依存、実習機材依存、既成教科書依存、板書依存の授業をやる教員に限って、追試をやりたがる

3. 自主教材のない授業をやる教員に限って、追試をやりたがる

4. ノートを取る学生がほとんどいない授業をやる教員に限って、追試をやりたがる

5. 講義授業では、寝ている学生の多い授業、私語の多い授業をやる教員に限って、追試をやりたがる ― 授業参加していない学生が多い授業をやる教員に限って、追試をやりたがる

6. 要するに、〈理解〉中心ではなく〈記憶〉中心の授業をやる教員に限って、追試をやりたがる

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スライド17:追試の問題(6-2)

●それでも、教員が追試をやりたがる理由(2)

1. 〈理解〉中心ではなく、〈記憶〉中心の授業をやる教員に限って、追試をやりたがる

2. 要するに、長い時間を経ることによって、初めて身につく〈理解〉を中心とした授業になっていない

3. ぶつ切りの作業主題的な授業が多い

4. わざわざ専門教員が教えなくてはいけないような内容の授業になっていない

5. 教員ではなくて、インストラクターかトレーナーで充分なような授業にしかなっていない

6. つまり記憶短期的に処理できるような内容に満ちている授業になっているため短期的な追試で補えるという錯覚が生じやすい

7. それは、日ごろの授業が予習や復習によって構成されていない作業主義のため。作業主義的な授業は、授業時間の中の教育が全てで、時間の外では、学生はみんな授業のことを忘れているし、その外では遊んでいる

8. だから、遊ばせない授業の延長に、追試が存在している。拘束時間を延長するようないじめの授業形態が慢性化しているのが追試の実態。

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スライド18:追試の問題(6-3)

●それでも、教員が追試をやりたがる理由(3)

1. 本来の授業では、前の授業(前の授業の履修達成地点)を受けて次の授業が進むため、補習はその時点(前コマと次コマとの間、前週と次週との間)でしか意味がない

2. 補習とは授業の順次性を補完するためのもの。つまり、順次的、組織的に計画された授業の高度目標を達成するためにはなくてはならないもの。

3. 一通り、浅く広く教えておけばいいというある種の資格主義的な授業(あるいは教員に専門性のない授業)では、補習の必要性を感じる教員が少ない。授業のコマ間自体に、順次性のない授業も多い。

4. カリキュラムとは、1年次の最初のコマから、卒業年次の最後のコマまで、順次的で組織的でなければならない。カリキュラムの存在する学校、カリキュラムを意識した授業の存在する学校では、1コマ2コマ、あるいは一週間の履修不良は、致命的と感じる教員がいるのが普通。取り返しが大変なため(後の授業が全く分からない)。

5. ほとんどまともな補習のない追試が横行するのは、順次性がまともに存在しない授業が多いため。高度な人材は、順次性(ながーい時間の堆積)なしには作れないということを理解しない教員が多い。順次性と追試主義(軽薄な知識主義、軽薄な実習操作主義)とは真っ向から対立する。

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スライド19:再試

●再試が可能な条件

1. 再試は形を変えた追試である場合が多い。従って、原則禁止。大学受験に準じる水準のルールが望ましい。

2. 病欠の場合も、ほとんどの場合、試験を嫌う、試験に自信がない場合の形を変えた追試と同じになる場合が多い。従って原則禁止。

3. 純粋にアクシデントとしての体調の問題であったり、交通事故などの場合、あるいは忌引きの場合などは、診断書や家族の再試願い書などの文書処理が必要。

4. 試験は、学校・授業の生命線であり、学生と教員との最も重要なコミュニケーション。 試験を安易に考える風潮をなくしたい。試験をおろそかにする教員と学校(学生ではなく)は教育目標のない教員・学校でしかない。

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