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 東京都庁講演「twitter微分論からtwitter身体論へ」 ― 当日のUst録画、およびパワポ原稿をUpしました。 2010年05月02日

東京都庁講演(http://tweetvite.com/event/TokyoTwitter)は、何とか成功裡に終わりました。


Ustream配信も行い、録画もされています。以下の2つのチャネルからお届けします。

Ch.1:twitter微分論からtwitter身体論へ」
第一部

 http://www.ustream.tv/recorded/6456185
第二部 http://www.ustream.tv/recorded/6456249


Ch.2 : http://www.ustream.tv/channel/tokyotwitter0426
(※Ch.2はiPhoneからも視聴可能です。)


以下が当日のパワーポイント原稿です(全体で33枚)。


【スライド1】Twitterとは何か
― 「タイムライン」の微分機能と身体性について
芦田宏直 hironao@ashida.info


【スライド2】Twitter微分論とは何か(1)

●時間を微分することの意味

1)人間の格差や差別が生じるのは、長い時間(長い時間スパン)をとって人間を観察する場合のこと。

2)「いま、どうしてる」というように、人間を今=現在で切り取れば、人間の格差はほとんどなくなる。

3)人間の〈格差〉(人格差異、職業差異、男女差異、年齢差異、知識差異、専門性差異、階級的差異、経済的差異、民族的差異、その他その他)はすべて時間スパンを長く取った格差に他ならない。


【スライド3】Twitter微分論とは何か(2)

●今=現在で人間を表現する「つぶやき」は、

1)文章が短い(時間をかける表現ができない・時間をかけないで表現できる・文章の優劣が前面化しづらい)

2)ストック格差を表現しづらい(教養や専門性の格差が出ない)

3)自然時間(生活)に対応した表現が多くなる

4)感性に近い表現が多くなる(それゆえ、しかし、だから、などの接続詞はなりをひそめる)

5)行動に近い表現が多くなる

6)発信と受容との同期性が高い表現が好まれる


【スライド4】Twitter微分論とは何か(3)

●Twitterにおける「属人性」議論

1)微分による格差解消とは、結局、通常その人が「○○○である」と社会認知されている人格性(属人性)を解体する。

2)格差解消の微分効果とは、平均的な人格認知が破壊され、「自由と平等」のコミュニケーション地平が生まれることを意味している。

3)twitterの特長とされる「属人性」はその意味では存在しない。むしろ「タイムライン」では属人性(平均的な人格性)は微分解体の効果によって直接には消えている。

4)反省(時間を溜める行為)に基づく記述であるブログやミクシィの方がはるかに属人性は高い。


【スライド5】Twitter微分論とは何か(4)

●フォロー数の意味について(4-1)

1)フォロー数は属人性を解体する度合いを決めている。

2)フォロー数を増やせば増やすほど一秒、1分の中で微分化される「つぶやき」は増える。

3)現在において微分される「つぶやき」数が増えれば増えるほど、共通の話題が、あるいは反応したくなる話題は増える。

4)たくさんの人が微分されるというよりも自分の内部の微分性がより詳細に展開されるということ。だから波長が合わせやすい。

5)フォロー数の微分度は自己ー他者境界の融解度でもある。

6)逆にフォロー数が少ないとフォロー者の人格性=傾向性が目立ち、ミクシィ(MIXI)状態に陥る。たまたまの時間に波長を合わせるのは難しい。そのため話題や関心や人格のテーマ主義が前面化する。


【スライド6】Twitter微分論とは何か(5)

●フォロー数の意味について(4-2)

1)フォロー者の選択はそれ自体で属人的な〈選択〉なのではないかという意見がある(これは間違い)

2)選択の前提となっている判断基準は、社会的な平均像において構成されているが、「つぶやき」の〈現在〉はたえずそれを裏切るように微分される

3)したがって、フォロー者の選択は原理的にはいつでも非選択。

4)予想を裏切るのがタイムラインの醍醐味

5)裏切ってもただちに拒絶・排除しないのは、「つぶやき」が現在微分されているため。現在微分による自己-他者溶解が人格的な排除を緩やかなものにしている。

6)それを一言で言えば、「今現在は流れる」=「タイムライン」ということ。流れる速さを決めているのがフォロー数


【スライド7】Twitter微分論とは何か(6)

●フォロー数の意味について(4-3)

1)タイムラインは各twitterのフォロー者の選択から出来上がっているから、そこに各twitterの個性や傾向が出るという意見がある(これは間違い)

2)どのtwitterのどのタイムラインの「つぶやき」も相互に取り替え可能。

3)「多平面主義」「n個の自己」「共立性consistance」「流動性 fléxiblité」、「解離性同一性障害dissociative identity disorder」「共立平面 plan de consistance」「分割体 dividual」といった千葉雅也のドゥルーズ+ガタリ解釈は、タイムラインの内外が相互に交換可能な現象を結果的に指摘している。

4)現在微分度が高まれば(フォロー数が増えれば)、相互のタイムラインも交換可能。

5)自己の中にない他者は存在しないし、他者の中に存在しない自己もない。


【スライド8】Twitter微分論とは何か(7)

被フォロー数(=フォロワー数)の意味について

1)被フォロー数のプレゼンスはtwitterの本質ではない。

2)「質が高い」twitterとか、「発信性の高い」twitterとか、「有意味な」twitterが、被フォロー数を決定してるのではなく、フォロー数が被フォロー数を決定している。また昼夜を問わないつぶやきの数が被フォロー数を決定している

3)twitterの本質は〈質〉ではなくて〈数〉

4)内容が数(支持者数=読者数)を決めるという考え方は、旧来のテーマ主義的なメディア論。被フォロー数重視派は保守派。Twitterの意味を全く理解してない。

5)追う数を増やせば、追われる数も増えるという原理がtwitterのコミュニティの原理。自己の中で他者が増殖し、他者の中で自己が増殖するのは、現在における微分効果そのもの。

6)無名人(発信力のないtwitter)であってもフォロワーを増やせるのがミクシィの「マイミク」コミュニティと異なるところ。


【スライド9】入力と出力 ― 野口悠紀雄の超整理法、あるいはiPhone のトップ画面(1)

●「分類は悪」という思想

「分類」はテーマ主義

分類とは、元々は別々のコンテキストにあるものを一つの「切り口」(テーマ)によって(無理矢理)まとめてしまうこと。

点を線に、線を面にしていくという意味での積分主義が分類論。もともとの点や線の位置・意味が曖昧になる。

野口の超整理法は、情報管理の積分主義(=テーマによる分類)を排除しようした。


【スライド10】入力と出力 ― 野口悠紀雄の超整理法、あるいはiPhone のトップ画面(2)

●入力(データの蓄積)と出力(データの利用)の分離

分類は利用の現在と切り離された分類の時点(利用しない時点)での系統性。

だから、利用の現在からは分類内容はたえず疎外される傾向を持っている。

分類意識が明確なのは、分類するその時点でのことであって、利用する時点でのことではない。

入力の時間(データの蓄積)と出力の時間(データの利用)が分離されているかぎり、分類情報管理はほとんどの場合破綻する。


【スライド11】入力のテーマ主義 ― 野口悠紀雄の超整理法、あるいはiPhone のトップ画面(3)

●たとえば私のタイムライン上での諸テーマ(芦田を何に分類するのか)
大学、専門学校、学校経営
哲学、現象学、現代思想(ポストモダン)
キャリア教育、職業教育、生涯学習、社会人教育
FD(Faculty Development)
Twitter、ミクシ-、ブログ、ソーシャルメディア
マーケタは占い師にすぎない、twitter0.5→1論批判(津田大介さん)、ANAアテンダント問題、ジャパネット芦田(ゼンハイザ-イヤフォン、ダイソン掃除機、東芝炊飯器、ボードシェパウダー、iPhone、TUMIバッグ、R35GTR、その他)、世界一速い紅白歌合戦全曲速報、キャリア教育批判(本間正人さん)、私立中学へは進学させるな、「頭の中」なんて存在しない(高橋健太郎さん)、良妻賢母は女性の最大のキャリア教育(=twitterキャリアウーマン批判)、紅ショウガ牛丼(通称芦田丼)、慶應大学女子学生問題など
難病の家内の存在(製薬会社・病院・研究者・患者団体を全て敵に回している)、就職カリスマのバカ息子がいる。
※これらのテーマを分類化したり平均化しても芦田を捉えることはできない。


【スライド12】入力のテーマ主義 ― 野口悠紀雄の超整理法、あるいはiPhone のトップ画面(4)

データベース(過去)は検索しないと現在化しないが、超整理法では、ファイルの保管場所(過去)がそのまま時間(検索の現在)を示してる。

〈テーマ分類〉ではなくて〈使う〉という〈現在〉が検索性を形成している。

超整理法の更新ファイルの場所に存在しているファイル群(使用頻度が高いファイル群)は相互に意味的なつながりがない。厳密に言えば、意味的なつながりを意図・意識して置かれたファイルではない。使われてる頻度が高いという共通性はあるが、いわゆる検索的な系列化や分類とは無縁(最近では、iPhone のトップ画面が超整理法主義)。

この使用頻度が高いファイルの〈場所(現在という場所)〉がtwitterにおける「タイムライン」。

タイムラインは自分で(自動的に)ファイルを端に出し続ける装置。

タイムラインはその意味で自動的な「ブロック」装置でもある。


【スライド13】データベースとは何か(1)

データベースは無時間的な、非選択的な累積物

データベースは過ぎ去った(後悔しないための)後悔の累積

「かくあったは意志の歯ぎしり」(ニーチェ)

予期せぬ不測の事態=未来のために、全ての過去を集積するのがデータベース

未来に対する過去の復讐がデータベース

「入力で差別せず」がデータベースの基本原理


【スライド14】データベースとは何か(2)

無差別的なデータ入力、データの断片的な累積を有用化=現前化するのが、〈検索〉

膨大な情報のストック(断片のストック)を〈検索〉がテーマ主義的に系列化する(系列化=丸める)

〈検索〉は、断片(微分)データの積分化(テーマ主義的な集約)

入口で差別せず、出口で差別するのがデータベースの構造

一言で比喩的に言えば、「デジタルイン・アナログアウト」がデータベース


【スライド15】データベースとは何か(3)

データ利用における「データベース主義」「検索主義」の問題点

検索は面倒くさい(必要なデータを獲得するのにノウハウが必要)

一つの情報、一つのサイトで満足できないが、次のサイト(複数のサイト)との相互のコンテキストが異なるので、必要とされる総合的な情報を得るのに適していない。

リンクを辿る内に何が自分の必要だったのかが曖昧になる

テーマ主義的なので(積分的に丸まっているので)、そのテーマの情報を的確に精査できる専門性が必要になる

テーマ主義的情報処理は、ストック人材(専門家)の情報処理


【スライド16】データベースの利用法の諸段階(1)

●ハイパーリンク(テッドネルソン)
学びの目標は一つであっても学ぶ順序は人の数だけある
ハイパーリンクは諸頁の多様な積分(ハイパーリンクの革命性は順序の自由を確保しただけ)
学びの自由は擁護されたがその分強力な学びの動機をもった主体が前提された

●ブログ
サイトの内容(ストック)に、〈更新〉という時間概念を持ち込んだこと
従来のサイトは、DTP主義(書物主義)の電子版という傾向が強かった
ただし、検索の能力が必要なのと同じように、発信の能力が必要
孤立した主体が発信を継続することは難しい

●ミクシィなどのSNS
発信の能力を維持し続ける反応の存在を現前的に組織化(ストック形成をアシスト)

●RSS(RDF Site Summary)フィード
更新性を自動化(複数の更新を現前化)


【スライド17】データベースの利用法の諸段階(2)

●ハイパーリンク、ブログ、SNS、RSSフィード、2ちゃんなどの問題

これらの旧来情報活用は、検索主義(Google)と更新主義(ブログ、SNS、RSS、2ちゃん)が特長

検索と更新に共通する情報利用は主題主義

主題主義は、人間をたえず専門性に向けて選別、排除する傾向がある。

チャットも主題主義。TwitterもRTを連続させながらのチャット的な会話に近似しているが、タイムラインは、たえずチャット的な連続性を断ち切る動きがある。Twitterは放っておけば流れるが、チャットや2ちゃんはひたすら主題を先鋭化させる。Twitterは、関心のない人(=無知な人)までも参画させる契機(タイムラインの微分契機)を有しているが、チャットや2ちゃんはそうではない。たえず主題先鋭的な排除契機を有している。

主題主義は、主体性の格差を生む。平等にメディアに参画できない。


【スライド18】データベースの利用法の諸段階(3)

●Twitter利用における「リスト」「検索」タイムライン機能の無意味

リストタイムラインも検索語タイムラインも、データベース主義の残滓。

リストタイムラインや検索語タイムライン機能がもともとの「タイムライン」と違うのは、〈現在〉を表示していないこと。そこには時間的な順序はあるが、〈順序〉は〈現在〉とは全く異なる。

「リスト」「検索」タイムライン機能は平均主義的な主題主義、属人主義。できそこないのブログ、できそこないのミクシィでしかない。

Twitterの本質=「タイムライン」の本質は、その「つぶやき」の発信と受容とが同時に起こることにある。

発信と受容の時間が微分拡散的に共有される仕組みをTwitter=「タイムライン」と言う。


【スライド19】データベースの利用法の諸段階(まとめ)

●95年から情報活用のエポックとしてのtwitter革命

検索主義から
更新=反省主義から
主題主義から
※いずれも専門家のための情報活用という点で情報の幅広い層に渡る活用を阻害してきた。

→twitter現在微分主義へ(検索も反省もなく「つぶやけ」ばいい)


【スライド20】微分マーケティング

メーカーとマーケット、プランと実行、理論と実践といった枠組みは、それ自体積分的な丸め方(面積、テリトリー主義)

セグメント+ターゲットマーケティング、特長化戦術・戦略などもすべて積分的な平均主義。

この種の積分マーケティングは結局〈外部〉を排除するか、拡大局面を矮小化して損をするかどちらか。一種の貧乏性。

積分マーケティングは、結局、金を持ってる奴が勝つという成金主義。コンサルやプランナー(企画屋)が金を持って逃げるだけ。

微分発想で考えれば、内部は外部、外部は内部。わざわざへぼなコンサルやプランナーに「調査」や「分析」といった積分をやらせなくても、いくらでも〈他者〉 や〈外部〉は足下にころがっている。


【スライド21】近代とポスト近代とTwitterと

『チベットのモーツァルト』の「粒子」論の中沢新一

「多平面主義」「n個の自己」「共立性consistance」「流動性 fléxiblité」、「解離性同一性障害dissociative identity disorder」「共立平面 plan de consistance」「分割体 dividual」といった千葉雅也のドゥルーズ+ガタリ解釈

「脱構築 Deconstruction」のデリダ

「非力な(nichtig)決断」のハイデガー

ドゥルーズが喜ぶ言い方で言えば、mentionsは力動的な自己の微分反復。


【スライド22】心理主義的な内面性の肥大とポスト近代(1)

「選択性の増大」が〈近代性〉の徴表

「選択性の増大」=「内面性(自己監視)の増大」

「内面性の増大」=主体的な責任論の増大

苅谷剛彦+本田由紀の「ハイパーメリトクラシー」論や自己啓発本の流行(40歳以下のビジネスマン)

相対的に目標が無限後退する個性=主体性論、コミュニケーション論は、内面論と一体になって、ありもしない〈私〉を神経症的に強化する。


【スライド23】心理主義的な内面性の肥大とポスト近代(2)

相対的に目標が無限後退する個性=主体性論、コミュニケーション論は、世界のすべて(学校の学習、生涯学習、仕事、生活、家庭、人生、友達など)を私を表現する手段としか考えない

したがって、すべてのものがヒューマンなものになる

ヒューマニズム=心理主義、内面主義の肥大

中味のない〈私〉が人間関係ばかりを気に留めながら生きている。人間関係論は心理的な空虚論。


【スライド24】心理主義的な内面性の肥大とポスト近代(3)

携帯電話(及びインターネット)は
 ①対人関係の常時管理
 ②承認された人間関係(本来の他者の非在)しか他人と見ない

少人数としかつきあっていないのに、他者や自己の内面の動きを神経質なほどに気遣う心理的異常性。

心理的な内面肥大が、多人数の人間関係を不要なものとし、偶然な他者にわざわざ関わるのを面倒くさいものとしてしまっている。交友関係が男女関係のように細やかになることによって、むしろ本来の男女関係が相対的に縮小している(心理的な少子化問題)。

しかもその小さなサークルの外部では、まるで非人間に対応するかのような粗雑・凶暴性が存在している(土井隆義 『個性を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える 』岩波書店)


【スライド25】微分論と近代的な心理主義と時間性と

微分自己解体論は、心理主義

心理主義はもともと自己実体論解体主義

「明るい-暗い」などを適当に使い分けて自己-他者差異を相対化しているのが心理主義。

一方で24時間のコミュニケーションツール(携帯電話→twitter)が成立するとそこに身体性(生活性)が加わり、行動管理の契機が付け加わる。

携帯電話とtwitterの共通特長は身体的な同期性

心理主義と時間性は対極にある。


【スライド26】Twitter微分論から身体論へ(1)

●〈書かれること〉と〈読まれること〉との同時構造

現在における記述とは身体が同伴している記述のこと。

昨日のことであれ、今のことであれ、将来にことであれ、自分のことであれ、他人のことであれ、「いまどうしてる」の記述は、そこに生きてる身体が存在していることを意味している。Botでさえ「生きている」。

この記述の身体構造は、Twitterの入力出力同時構造、つまり〈書かれること〉と〈読まれること〉との同時構造、「検索」と「更新」の介在のない同時構造が存在している。

「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」(夏目漱石1905-1906 断片)―時間・空間の排他構造は身体性の構造。


【スライド27】Twitter微分論から身体論へ(2)

●Twitterの出力・受容の同伴構造=現在という時間の効果

Twitterというメディアにおいて書き手と読み手が同時に現前的に存在している(Twitterの入出力同伴構造、出力・受容の同伴構造)。

チャットもまたこの種の同伴構造をもっているが、書き手の「現在」の多様な記述に限定されないため(生活性が見えないため)、身体の同伴性が弱い。

チャットも基本的にはテーマ主義のため、同伴性が弱まる。

身体とはテーマではなく、存在そのもの=生活そのもの。

基本的に情報社会の情報性は〈いま・ここ〉の身体同伴性を無化する方向に進んできた→検索と更新の反省構造。

Twitterでは、発言と反応に〈生活〉〈身体〉が見える。


【スライド28】Twitter微分論から身体論へ(3)

●身体性はかつては情報交換の阻害・狭隘化要因だった

〈検索〉(Google)も〈更新〉(ブログ、ミクシー)も、反省的な情報収集・情報開示のため、身体感覚が麻痺してる。

Twitterでは発信者と受容者とが〈そこにいる〉身体性(身体的な実在性)が存在している。

通常、身体性(顔、声、身長、服装、身振り、視線、臭い、などの見かけ)は情報交換(=コミュニケーション)を阻害し、〈私の純粋主義〉を狭隘化する要因でしかなかったが、Twitterでは平均化されない微分表現によって、多チャンネルな情報交換が可能になっている。

「ブス」や「バカ」が単純に排除されたり、「美人」や「専門家」が単純に賞賛されたりはしない。

タイムラインは、心理的な賛否をともども「流す」ことによって、他者性を容認する。


【スライド29】Twitter微分論から身体論へ(4)

●携帯電話とTwitterの現在性(同期性)の違い

両者とも出力と受容とが同期しているという点で同じ

その意味で身体性(生活)を同伴している

しかし携帯電話では独り言は言えない(自分に向き合えない)

しかし携帯電話では特定の話題(連続性)を超えた会話ができない

しかし携帯電話では意図しない他者との会話ができない

しかし携帯電話では二者間の会話を「第3者」が見ていることがない

しかし携帯電話では電話を取らない限り、相手が何をしているのかわからない

しかし携帯電話では二者間の神経症的なやりとりが先鋭化しやすい(身体論的な並置・共立・共存ではなく)。

しかし携帯電話は接続と切断が心理的意図に依存している


【スライド30】Twitter微分論から身体論へ(5)

●身体の内面主義を可能にするTwitter

属人性を解体する微分的な多面性にすぎないTwitterの「つぶやき」は、現在における発信と受容の同伴性(身体の同伴性)によって、他者との身体的な親和性を高める

これは従来の平均的、傾向的な属人性(格差人格性、個性人格性)ではなく、微分的な多面体としての身体性

Twitterのタイムラインで行われていることは、生活交換、身体交換。どんなSNSよりも人的交流を活性化させる

身体の内面主義を可能にするのがタイムライン

一方神経症的な自己-他者差異は、「タイムライン」の現在微分において深刻なものとならず、まさにそよ風の流れに身を任せる「粒子」(中沢新一)のように他者(の粒子)を許容する。

他者が並立的に共存するコミュニティは神経症的な自己-他者差異を溶解する。


【スライド31】Twitter微分論から身体論へ(6)

●現象学的人間論について(5-1)

「人間は見かけではない」「内面が大切」

しかしこの場合の〈見かけ〉と〈内面〉とは分離、対立している。

「人間は見かけではない」というためには、人は付き合わなければならない。付き合わないと〈内面〉は見えて来ない。

そうすると、付き合う(付き合い得る)ことの端緒はなんなのか?

それは依然としてその人の「見かけ」(表面)でしかない。

フッサールは、この〈原初の見かけ〉を《現象》と呼んだ。


【スライド32】Twitter微分論から身体論へ(7)

●現象学的人間論について(5-2)

テーマ主義的で反省主義的な検索・更新メディアは、個々人をそれぞれの平均性において、つまり単一の傾向でもって寸断し、

一方、身体性は、目立つ身体特徴の中で個々人を寸断していたが、「つぶやき」の多面性は、精神も身体もたえず多面的に開放し、人間の交流を多面的に活性化する。

つまり「人間は見かけではない」ということを原初の「みかけ」性=フッサール的な現象性も含めて開示する。

言わば、近代人の心理的な内面主義と身体性との乖離(人間はみかけではない)を、微分現在主義(内面身体主義)が解消する。


【スライド33】Twitter微分論から身体論へ(8)

●現象学的人間論について(5-3) ― 結びに代えて

この身体内面論=現在微分論は、最後には自分の細胞や遺伝子までもに内面表現を与える欲望につながっている。

細胞や遺伝子までもが、自己表現の対象になっている。

コミュニケーション論は、細胞・遺伝子コミュニケーションにまで突き進むに違いない(苦笑)

すでに携帯電話が位置情報を超えて身体測定機能をもちつつある。それは情報が身体を持つということ。情報の身体内化。

近代人は、細胞の好みまでけちをつけながらしか交流を持てなくなりつつある。

Twitter現象は、男女関係さえも内面細胞の合致を確認しないと何も始まらないようなファシズムかもしれない。はてさて、人間はどこへ向かう? →「にほんブログ村」

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感想欄

芦田様

いつも文章ありがとうございます。
文章読ませていただきました。

特に身体と内面の話を興味深く読ませていただきました。

次に漠然と知りたいのは、人々の権力をめぐる駆け引きをどう考えればいいのかです。(権力論というのですか?)

いつか示唆を与えていただきたいと思います。

Twitterには子供に返る楽しさも感じつつも、すべての番組が終わった後のTVの砂嵐を見ているような印象も持っていて、どこかさみしいです。

個人的には、芦田様がストック的に一方的に若者にエールを送っている卒業式の式辞のような言葉が、最も身体的で現在を感じさせる力があり、美しいと思います。

それでは失礼します。

投稿者 G : 2010年05月02日 15:09

内容は面白いが、微分論というネーミングに違和感を覚える。

細かくすることが微分ではない。微分とはその瞬間または、極小単位での変化率のこと。

もとの量と単位が違うのだ。(長さを時間で微分すれば速さになる)。

どこを見ても、そういった比喩に値する論理は見られず、人格を時間で細かく砕けば・・・という、単純な分割の意味で使っているようだ。みじん切り論でもすればいい。

知ったかぶりの比喩は恥ずかしいので修正してほしい。

投稿者 けーじ : 2010年09月09日 02:02

知ったかぶりの批判はもっと恥ずかしい。

投稿者 ashida : 2010年09月09日 02:11
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