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 第17回・中央教育審議会「キャリア教育・職業教育特別部会」傍聴記 ― なぜ専門学校はこの会議をリードできないのか? 2009年12月15日

先週の11日金曜日10:30から文科省で行われた中央教育審議会 キャリア教育・職業教育特別部会(第17回)を「傍聴」してきた。

文科省の資料の開陳の仕方や議長の進行の問題も含めて、ほとんど審議にならず、単に各委員が審議の進行と関わりなく自説を展開するというよくある「審議会」の風景を目の当たりにしたが、同志社大学の橘木俊詔氏と金沢工大学長黒田壽二氏の発言は私には重要なものと思えた。

二人の発言は、長い間「職業教育」を標榜しておきながら、この会議をリードできない専門学校教育に対する、大学からの挑戦状のように思えた。

以下、私が、この二人の大学人の発言に関わって、Twitterでつぶやいた発言をまとめてみる。

【キャリア教育について(1)】昨日の中央教育審議会 キャリア教育・職業教育特別部会(第17回)のアジェンダは、「発達段階に応じた体系的なキャリア教育の在り方について」。
posted at 11:09:29

【キャリア教育について(2)】 もともと、この部会の大テーマは、「学校教育」制度の中に、「キャリア教育」をどう取り込むか、学校制度的にどう取り込むかがである。
posted at 11:10:03

【キャリア教育について(3)】キャリア教育の学校教育への導入は、2007年の改正教育基本法に「職業」教育という言葉が盛り込まれたことが直接のきっかけになっている。
posted at 11:11:29

【キャリア教育について(3)】したがって、このアジェンダにある「発達段階」とは、初等教育、中等教育、高等教育、各段階における、という意味。心理学における「発達段階」とは何の関係もない。
posted at 11:12:45

【キャリア教育について(4)】そもそも「教育基本法」における「教育」とは直接には「学校教育」のことを意味している。
posted at 11:14:18

【キャリア教育について(5)】そして「学校教育」の「学校」とは学校教育法の第一条に規定された学校、すなわち、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学(大学院、短期大学を含む)、高等専門学校のことを言う。これ以外の「学校」は厳密には〈学校〉ではない。
posted at 11:16:39

【キャリア教育について(6)】この「学校」の中でもその基軸をなす初等・中等・高等教育の中に「キャリア教育」を改正教育基本法の趣旨に基づいて組み込む、制度設計の基本の議論を行うのがこの部会の役目。
posted at 11:19:26

【キャリア教育について(7)】たとえば、従来の一般教育、専門教育という2軸に加えて、キャリア教育、というように三体系で回していくのか、それとも、一般教育、専門教育の内部に組み込んでいくのか、などが体系的な制度設計の課題になっている。
posted at 11:22:27

【キャリア教育について(8)】昨日の司会役を務めたのは生涯学習政策局だった。ここは学校教育制度に直接関わる部局ではない。私にはそのこと自体が文科省の及び腰に見えた。
posted at 11:24:57

【キャリア教育について(8)】私なら、高等教育局に司会をさせる。職業教育接続(社会人接続)に一番近いところがリーダーシップを取らない限り、初等・中等教育への下位接続は不可能だからだ。
posted at 11:27:18

【キャリア教育について(9)】一般に、教育改革は高等教育(=上)から始めないと、うまくいかない。受験ヒエラルキーの改編なしには初等・中等教育は動かないからである。「ゆとり教育」が失敗したのもそのせい。
posted at 11:29:13

【キャリア教育について(10)】しかし高等教育局(徳永局長が参加していたが)がキャリア教育なんかに関心があるわけがない。せいぜい出来の悪い大学はキャリア教育ぐらいはきちんとやって下さいよ、というスタンスだろう。
posted at 11:30:48

【キャリア教育について(11)】だから、生涯学習政策局にお鉢が回ってきている。もともと職業教育は生涯学習政策局の管轄でしょという感じだろう。従来の職業教育を担ってきたのは専修学校であって、専修学校は生涯学習政策局が管轄している(直接には都道府県だが)。
posted at 11:34:22

【キャリア教育について(12)】しかし、職業教育(あるいは主にはキャリア教育)を「生涯学習政策局」や「都道府県」が管轄するという事態自体が職業教育に対する差別を意味している。
posted at 11:36:11

【キャリア教育について(13)】改正教育基本法に「職業」教育が盛り込まれた理由は、「職業」教育を生涯学習政策局ではなくて、初等中等教育局、高等教育局が直接担いなさい、都道府県ではなくて、文科省(中央省庁)が直接担いなさいということなのだから。
posted at 11:40:00

【キャリア教育について(14)】そもそも専修学校が職業教育を担ってきたとはいえ、この「職業教育」は「技能教育」に過ぎなかった。つまり階層化されたある一定の「ジョブ職」を担ってきたに過ぎない。それもあって、「職業教育」は、「学校教育」から差別されてきたのである。
posted at 11:42:58

【キャリア教育について(15)】それもあって、今回のキャリアキャリア教育・職業教育特別部会では、「職業教育」を二つに階層化している。一つは従来の専門学校、短大におけるジョブ型「職業教育」。もう一つは生涯のキャリア形成を担うための「キャリア教育」である。
posted at 11:45:09

【キャリア教育について(16)】学校教育体系における職業教育はこの後者の「キャリア教育」でなければならないというのが、この部会の提案(7月30日経過報告書)である。
posted at 11:47:49

【キャリア教育について(17)】つまり、従来の生涯学習政策局、従来の専修学校(専門学校を含めた)が担ってきた「職業教育」(階層化されたジョブ型職業教育)を相対化する脱職業教育、脱生涯学習政策局が、この部会の基調だと言える。
posted at 11:50:48

【キャリア教育について(18)】にもかかわらず、生涯学習政策局がこの部会の司会(まとめ役)を取り仕切っているというところにこの部会の審議が行き詰まりやすい原因がある。昨日の審議でも全国専修学校各種学校総連合会(専修学校の総元締め)の中込会長の発言は一切なかったというのがその象徴。
posted at 11:55:58

【キャリア教育について(19)】生涯学習政策局と一番近しい存在が全国専修学校各種学校総連合会(略称:全専各)であり、この全専各は、自分たちこそが「職業教育担ってきた」と言いつづけてきたのだから、この部会でも終始議論をリードしなくてはならないのに、大学の先生たちに勝手放題言わせ続けてきている。
posted at 11:58:48

【キャリア教育について(20)】それもこれも、「職業教育」と「キャリア教育」とが明確に概念的な差異をもって区別されているからである。アジェンダそのものが「キャリア教育」となっている。これは基本的には専修学校の「職業教育」と議論の一線を画しますよ、とこの部会が宣言しているようなものだ。
posted at 12:02:09

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【キャリア教育について(21)】つまり、従来の職業教育(=メンバーシップ型と区別されたジョブ型職業教育)は、学校教育には馴染まないという前提がこの中教審キャリア教育・職業教育特別部会の前提。
posted at 01:05:01

【キャリア教育について(22)】だから全国専修学校各種学校総連合会の代表・中込会長も出る幕はない。
posted at 01:05:58

にもかかわらず、この職業教育教育とキャリア教育との違いを全く読み込めていない、あるいは知らないふりをしているのが、全専各の10月19日の「意見」書(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo10/shiryo/attach/1286091.htm)。7月30日の特別部会「経過報告」書が専門学校的なジョブ型職業教育教育を一条校化議論の枠外に置こうとしているのに、その問題に全く触れない「意見」をまだ言い続けている。

【キャリア教育について(23)】しかしジョブ型ではないキャリア教育とは何か? それはコミュニケーション能力だとか、役割認識だとか、問題発見・解決能力だとか、その種のものを文科省は想定している。
posted at 01:09:34

【キャリア教育について(24)】本田由紀が「ハイパーメリトクラシー」と呼ぶものだ。
posted at 01:10:31

【キャリア教育について(25)】これらの能力が「ハイパー」であるのは、目標達成に終わりがないという意味でのことだ。言い換えれば、どんな大人にだって、「エライ」人だって、これらの能力をまともに身に付けている人はいない。誰にとっても永遠の課題。だから「ハイパー」なのである。
posted at 01:13:19

【キャリア教育について(26)】ハイパーメリトクラシー(という教育テーマ)は、生徒や学生に特化したプログラムになり得ないという問題と普遍的な問題である分、誰が教えうるのかという問題の二つを含んでいる。
posted at 01:16:36

【キャリア教育について(27)】もう一つには、生涯のキャリアパスを具現したキャリア教育を一体誰が教えうるのか。30最後半から50才前半のバリバリキャリアが教壇に立つヒマなどあるはずがない。キャリア教育の教員とはそれ自体が矛盾した存在なのである。
posted at 01:19:32

【キャリア教育について(28)】その意味で、11日の審議会当日同志社大学の橘木俊詔教授が、「一体キャリア教育って、誰が教えるのですか。その問題を解決しておかないと、いくら議論しても意味がない」と発言したことの意義は大変大きい。
posted at 01:22:32

【キャリア教育について(29)】もう一つの重要な発言。それは金沢工大の黒田学長の発言。「キャリア教育は専門科目の別枠で教えるものではない。専門科目の教員が自分の科目のキャリアイメージを描きながら教育するのが学校教育におけるキャリア教育でなければならない」というもの。
posted at 01:25:19

【キャリア教育について(30)】つまりキャリア教育は、コアカリキュラム(専門科目群)の中に埋め込まれて存在する必要があるというもの。これも、文科省のこの部会の経過報告書(今年の7月30日)には全く存在しない観点。
posted at 01:27:57

【キャリア教育について(31)】大学の教育改革では群を抜く改革で有名な金沢工大の学長が、キャリア教育についてこのような専門教育組み込み論を展開するということは大変深い意味を持っている。
posted at 01:29:37

【キャリア教育について(32)】一つには「三流の」大学や専門学校ではやりの「ハイパーメリトクラシー」教育(=コミュニケーション能力育成などの)を黒田学長は認めないということだ。
posted at 01:31:55

【キャリア教育について(33)】理由は簡単。ハイパーメリトクラシー教育は課題が無限化するため、明確な評価指標が存在しない(教育目標が存在しない)ということと教員の専門性がいかがわしい(いわゆる講座屋・研修屋のように)からである。
posted at 01:34:33

【キャリア教育について(34)】したがって、黒田学長発言は、専門教員がその専門性を活かして、その専門性の延長上に当該専門社会論、当該専門キャリア論を描くべきだというもの。これは全く正論だと言える。
posted at 01:37:35

【キャリア教育について(35)】この考えに立てば、橘木俊詔教授の「キャリア教育は誰がやるのか」についての回答も同時に明らかになる。専門教員がやるのである。
posted at 01:40:04

【キャリア教育について(36)】まともな教員であれば自分の専門性の社会的な広がりなどいくらでも思いつくに違いない。専門性が高い教員ほどそういった「応用」は効く。ハイパーな社会能力に較べればはるかに具体的でカリキュラム(シラバス)に馴染みやすい。中途半端な教授ほど抽象論に終始する。
posted at 01:44:28

【キャリア教育について(37)】その意味で黒田学長の議論は基調だが、その肝心の金沢工大でも特色GPや教育GP申請書では、ほとんどのものがハイパー型になっている。しかも肝心の3年生、4年生のカリキュラムは旧来型のシラバスに終始している。
posted at 01:46:55

【キャリア教育について(38)】結局、教育改革が進んでいると言われている金沢工大でさえ、上位学年のシラバスを全面的に書き換えるようなカリキュラム改革は進まないまま従来の講座型の科目単独主義に満ちた「研究」タイプの教育にとどまっている。
posted at 01:49:42

【キャリア教育について(39)】文科省が「キャリア教育」を従来の「専門教育」と別枠で考えようとするのは専門教育=キャリア教育の黒田議論が正しいにしてもその黒田学長の大学でさえ一向に改革は進んでいないのだから別枠展開することなしにキャリア教育化は進まないのではないかという懸念から。
posted at 01:53:42

【キャリア教育について(40)】後に戻るも先に進むも難しいのが、この「学校教育」におけるキャリア教育問題。はっきりしているのは、専門教員のいない専門学校が、そのうえハイパー型に科目を増設しつつあるというのは2周遅れた教育改革にすぎないということだ。
posted at 01:58:24

【キャリア教育について(41)】結局、この問題は黒田議論をまともに受け止める学校がいつあらわれるかということである。黒田さんの学校の特長は、ポートフォリオ教育(履修日記教育)にあると私は考えているが、これはまぎれもない「ハイパー」教育。本来の「専門教育」のキャリア化ではない。
posted at 02:00:59

【キャリア教育について(42)】だからいまだに専門教育そのもののキャリア化、キャリアイメージ化にはそのモデルが無いと言える。だから中教審キャリアキャリア教育・職業教育特別部会の審議は一向に進まない。進まないどころか錯綜している。文科省は新しいキャリア教育学校種をどう形成するのか。
posted at 02:04:57

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論1)】キャリア教育「ジョブ型」職業教育と私が言う場合は、スペシャリスト養成と同じ意味になります。わたしはそれを「引き出し」型人材とも言ったりしています。どんなときには誰に聞けばいいのかを引き出しを開け閉めするようにして「使われる」人材。その人材養成がジョブ人材養成。
posted at 10:36:39

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論2)】ジョブ型人材の究極は、「大学教授」。飛行機が墜落したら、飛行機の専門家、地震が起こったら地震の専門家、リーマンショックが起こったら経済の専門家というように「大学教授」がテレビに出てきます。この社会性は、ジョブ人材タイプになります。
posted at 10:39:05

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論3)】最終的な「大学教授」の使われ方は、官僚の政策立案の道具になります。また官僚組織内部でも「スペシャリスト」と呼ばれる職種が存在していて、この人たちはほとんど大学教授と同じ仕事(あるいはそれ以上の研究)をやっています。
posted at 10:41:02

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論4)】これらのジョブ職は、必要に応じて、事柄に応じて「引き出し」の中に分類された知識を切り売りする人材です。つまり組織に属しているように見えて、実は属していない。組織や会社がつぶれても、別の会社や組織で使われうる存在。これがジョブ型スペシャリスト人材です。だから大学教授も「学長」や「学部長」の言うことなんか聞かないわけです。
posted at 10:43:12

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論5)】つまりジョブ人材とは、組織のライン上昇に乗らない人とほぼ同じことを意味します。官僚組織でも「スペシャリスト」になる道を選ぶということは出世をあきらめたこととほとんど同じことを意味しています。
posted at 10:45:28

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論6)】つまりジョブ型スペシャリスト養成というのは、日本企業にとっては人材養成の下位階層でしかないのです。専門学校の「専門」というのは、だからこそ、企業の中核の人材を作るわけではありませんといっているのと同じことです。
posted at 10:49:04

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論7)】では、企業の中核人材は、何なのか。それが「メンバーシップ」型人材と言われているものです。つまり会社や組織の風土を体現できるかどうかがその指標になっています。
posted at 10:52:11

@ywakabayashi  【キャリア教育について(補論8)】何か具体的なことが「できる」かというよりは、長いスパンの中で会社になじめるのかということが新規新卒採用の大きな条件になっている。
posted at 10:54:16

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論9)】文科省が「生涯にわたって」通用するキャリア能力を形成するのがキャリア教育だという場合には、このメンバーシップメンタリティーが色濃く反映しています。
posted at 10:54:40

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論10)】とはいえ、メンバーシップや会社の風土と言われても、具体的には何のことだかわからない。雲をつかむようなものに過ぎない。だからメンバーシップ型教育目標モデルは、「ハイパー型」になるのです。
posted at 10:56:36

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論11)】ハイパー型とは、いわゆるコミュニケーション能力とか問題発見・解決能力だとか役割認識だとか挙げ句の果てにマナー教育だとか言われているものです。これらはすべてジョブ型スペシャリスト教育モデルの反対概念として持ち出されているわけです。
posted at 10:58:46

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論12)】日本の一流大学の学生達が職業教育を一切受けないにもかかわらず、なぜ日本の一流企業に就職できるのか。それはこのメンバーシップ型採用が受験勉強やキャンパスライフが醸成するハイパー型能力に(結果的に)うまく呼応しているからです。
posted at 11:01:44

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論13)】日本の職業教育はその意味で抽象的だからこそ成功してきたと言えます。専門学校は「具体的」だからこそ人材を作れなかったのです。
posted at 11:03:11

@ywakabayashi 【キャリア教育について(補論14)】同じように三流の大学はますます教育目標を具体化し、東大は未だに教養学部を保持しています。一流大学の一部も「リベラルアーツ」教育を強化しようとしています。これらは日本的な職業教育の在り方だと言えます。
posted at ※この項、まだまだ続く。

※この私の発言の詳細な展開については以下のものを参照のこと→http://www.ashida.info/blog/2009/10/post_384.html  →「にほんブログ村」

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