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 【第2版】専門学校の授業評価と教員問題 ― 高校の先生はなぜ専門学校を「学校」と認めないのか? 2009年04月09日

昨日、諏訪にある専門学校の2日間の研修を終えて帰路に立った上諏訪駅のホームで(http://picasaweb.google.co.jp/ashidahironao/OBCsME#)、九州の専門学校の経営者の「二代目」の方から「はじめまして」とメールがやって来た。

彼は九州大学の「人間環境学府」博士課程に在籍とのこと。専門学校の研究をされているらしい。九州大学の「教育」研究といえば、私も何度も取り上げているY教授が有名だが(http://www.ashida.info/blog/2008/12/post_310.html)、そのY教授から、「専門学校にも頑張ってる方がいるんだよ」と私のブログを紹介されたらしい。恐れ入ります(苦笑)。

彼の「二代目」としての関心は、授業評価らしい。「特に、授業評価については、簡単に行っている状況で、芦田先生の授業評価の方法には足元にもおよびません」とあり、はてさて授業評価の趣旨と運営についての質問メールだった。長文に渡るもので、プライバシーにもかかわるから、あえて省略しますが、私はその質問に今しがた以下のようなメールを送りました(一部修正して補っています)。

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お答えになるかどうかわかりませんが、授業評価の大枠の思想についてまとめておきます。

「これからの専門学校」経営は、教員人件費をどう縮小していくかです。

これは単なるコストダウンの問題ではなく、単なる資格受験教育をしているにすぎない(難しい資格は学生の基礎学力不足を理由に合格率が低いままに留まっている)にもかかわらず、教員人件費が高いという問題です。

言い代えれば、現在の専門学校教育は、教育目標が低い割に教員人件費が高いわけです。厚労省系の教員要件などは、結構敷居が高いわけですが高いにもかかわらず、やっていることは資格教育にすぎない。どこの大学の医学部で資格試験に命をかけている大学があるというのでしょうか。法学部でさえそんなことはない。

現在の専門学校経営は教員要件と教育目標との関係を考え損ねているのです。

結局、本来の職業教育を行える教員が専門学校に入ってこない。入ってきてもすぐに辞めてしまう。残るのは、担任業務に強い(つまり不良学生のマネージメントに強い)教員=「声の大きい」教員と暗記教育(と出席指導)しかできない無能な教員だけです。

専門学校の教育は、企業のキャリアパスを再現したカリキュラム開発ができる教員に1000万円くらい与えて、その教員に教材開発・教材評価と仕上がり評価をさせ、後は400万円以下(場合によっては非常勤)の若い教員+TA(資格対策)で運営するというしっかりとした教員ヒエラルキー(と企業提携によるバーチャルな教員組織)を作るべきです。

資格教育をやりたければ、e-ラーニング+TAだけで充分です。毎年同じような資格教育を卒業前の数ヶ月やっているだけなのですから、そんなものは「合理化」すればいい。

しかし私の言いたいのはそういった意味での人件費問題ではありません。

教員コストの削減は、助成金のない専門学校にとって、めりはりのある教員組織(リアル教員、バーチャル教員含めての組織)を作るためには必須の課題です。特に学生増が見込めない大学全入の嵐が吹き続ける今後の専門学校経営の必須の課題です。

私が授業評価で目指したのは、教員評価の全教職員による共有化です。ヒエラルキー(教員キャリアパス)が自動生成するような仕組みを目指しました。放っておいてもダメな教員は辞めていく仕組みです。教員人件費は10%減少しましたが、一方で「カリキュラムリーダー」という職制を作り、その「教員」は、年齢と関係なく「科長」よりも上の職制を与えました。学校の頭脳だからです。

この職制の最大の課題は、企業提携と就職提携です。それに基づいたカリキュラム開発+達成評価(学生の仕上がり評価)です。専門学校の就職指導は就職部の仕事ではなくて、教務の仕事です。それが職業教育の意味ですから。「就職部」に就職を任せている限り、大学生が望みもしない三流企業の就職しかできません。それを就職「率」でごまかしてきたのが、「就職の専門学校」です。

そもそも東京大学の工学系の就職率は10%以下です。90%以上が大学院進学です。早稲田の理工学部なら、70%前後が大学院進学。大学が就職率が低いのは当たり前です。まともな大学の先生は就職(率)なんか目指していません。大学の就職とは大学院進学のことです。大学院(博士課程後期)のない大学は大学ではないのです。

その上で、「大学よりも専門学校の方が就職率が高い」なんてバカな事を言っているのが「これまでの専門学校」だったわけです。就職「率」も資格合格「率」も、教育力のない教員しかいない=教育の内実のない専門学校教育のごまかし指標の一つだったのです。

学校は教員(の質)が全てです。

私の考えるところ、教員ヒエラルキー(給与体系)は、以下のようになります。

1)カリキュラム開発が出来る
2)シラバス(コマシラバス)が書ける
3)教材が作れる
4)講義授業が出来る
5)「教科書」があれば講義授業が出来る
6)実習授業が出来る(TAクラス=「先生」ではなく「トレーナー」に過ぎない)
7)資格対策授業が出来る(TA以下、eラーニングのTAなみ)

従来の専門学校の教員は、6)と7)にとどまるトレーナー、TAクラスの人間を「教員」と呼んできたわけです。要するに専門学校には「教員」が1人もいないわけです。こんな状態で「学校」と言えるわけないでしょ。

「実習」教員の地位が低い最大の理由は、彼らには教材を作る力がないからです。実習の教材とは「設備」のこととしか理解できないのが専門学校の実習教員の最大の弱点です。

そうではありません。実習教材とは、実習の再現性教材です。つまり設備がなくてもわかったような気にさせるくらいの紙教材のことです。〈実習〉は最後か最初の契機にすぎない。〈理解〉と手が動くこととが同じくらいに高度でないと、実習教育は時間消化型の技能教育にとどまるのです。

この認識がないから専門学校は高度実習が出来ません。「見てろ」型の技能教育にとどまるのです。だからこそ専門学校は時間縛りしかない学校(1600時間)だったわけです(単位制しばりのない学校)。

1994年に「専門士」というタイトルが専門学校に付与されたときに、この時間縛りは相対化され、「試験等により成績評価を、その評価に基づいて卒業認定を行っている」ことがその条件に加わります。単に1600時間から1700時間に時間が100時間増えただけではないのです。この条文の本質的な意味は、追再試に満ちた出席主義=実習主義を脱却しなさいという意味です。知的な実習をやれ、という意味です。「理解」と「実技」が高度に一致した実習をやれということです。

見てないとわからないような実習授業を繰り返して、学生がまともに育つわけがありません。「見てないとわからないような実習授業」とは、見ていてもわからない実習授業でしかないのです。「見てろ」は徒弟教育の言葉。実習の教材開発は、設備無しに実践的であるような講義ができる専門性のある教員が指導しないと出来上がりません。

しかし、1994年のこの三番目の条項(条件)を理解した専門学校関係者は全国に1人もいなかった。全国の専門学校は未だに出席主義のままであり、合格するまで行う際限なき追再試を繰り返しています。

結局、専門学校の最大の矛盾は、単なる生涯学習の教育対象である「資格」教育(成熟した受講主体を前提にした消費型の「資格」教育)を「学校教育」の体裁(見かけ)をとって行ってきたところにあります。なぜ消費型のスクールに過ぎない資格教育が「学校教育」の体裁を取れたのか。それは非文部科学省系の厚労省、国交省、一部は経産省のプレゼンス(覇権主義的なプレゼンス)の衣装をまとっていたからです。

高校の先生が専門学校を認めないのは、彼らが、厚労省、国交省、経産省とは何の縁もゆかりもない、文部科学省の秘蔵っ子たちだからです。一流大学卒の彼らの認める資格(クレジット)は「学歴」しかあり得ない。だから専門学校は彼らにとって「学校」ではないのです。それは「正しい」とまず認める必要があります。

このなさけない見せかけの「学校教育」を、どう転換していくのかが、大学全入時代の専門学校経営課題です。答えになったかどうかわかりませんが、質問があればどんどんどうぞ。無料で答えます(笑)。

※追伸 
Y教授に、どこか学会で私に発表させて下さい、と言っておいて下さい。各種教育学会の専門学校論文はレベルが低すぎます。たぶん専門学校を「研究」してもお金にならないからでしょう(苦笑)。最近は「一条校化」問題で、既得権益を保守するために大学の先生も専門学校を少しは研究し始めていますが。その程度の話しです。誰も期待していない分野の研究をしても意味がないのですから。この現状をどう打破するかが、「論文」の課題でなくてはいけません。

(Version 5.0)

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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感想欄

 小生は航空専門学校に職を得ているものです。

単なる生涯学習の資格と言われますが、法律に定められた資格でなければ職そのものに就けない職業もあるのす。

操縦士、整備士をも含めてそのような言われ方をされるのは短
絡的ではないですか。
 
国交省の批判をされていますが、それは、航空に関して言えば国際民間航空機関(ICAO)の条約(シカゴ条約)により、資格標準が定まっているからで、我が国は当然加盟国です。

文科省管轄にしてもよいでしょうが、国際的にみても航空についていえば航空行政機関が中心に管理しています。 

航空安全の実現は国際協力が特に必要で、官民の航空実務者(メーカ、研究機関も含め)により毎年色々な国際会議が開かれ、それらの情報に基づき行政も教員も将来を見据え、常に実務研究をしなければなりません。

また、それを教えるためには数十年の有資格者としての実務経験が必要です。また、経験に基づく授業でなければ航空安全を担う資格者を養成できません。覇権主義と決めつけるのは自由ですが、社会には効率の面もあると思います。

投稿者 航空太郎 : 2011年06月26日 21:42

>航空太郎さん

バカを言ってはいけません。私は資格教育が(厳密な意味での)学校教育でなければいけない理由はどこにあるのか? と言っているのです。

現に専門学校は、航空専門学校であれ、医療系の専門学校であれ、〈学校〉(一条校における)ではありません。

今回の(高等教育における)新学校種の中教審答申でも、専門学校教育の「信頼」性の向上、「その質の改善・充実を図ることは特に重要」と指摘されています。だから、この答申においても「一条校」にはなれなかったのです。

この大きな原因の一つが資格教育における試験主義にあります。生涯学習的資格主義にすぎないものが、〈学校〉の体裁を取って行われるというのは、単なる既成緩和の対象でしかありません。それを私は〈覇権主義〉と呼んだのです。

あなたは、教員の(経験主義的な)高度性を訴えていますが、だったらなぜ航空専門学校は、専修学校内の専門学校に留まっているのですか?

そもそも高度な経験、長年の経験を積んだ教員など、どんなにひどい専門学校でも何人かはいます。しかし、その〈経験〉がカリキュラムやシラバスや期末試験に組織的に反映した学校を私は見たことがありません。

あなたの学校では事情が違うというのなら、私はいつでもあなたの学校を訪問させていただきます。ぜひ勉強させて下さい。

投稿者 ashida : 2011年06月26日 22:25

>>バカを言ってはいけません。私は資格教育が(厳密な意味での)学校教育でなければいけない理由はどこにあるのか? と言っているのです。<<
******

 私の読みが足りなかったかも知れませんが、このままの状況では専修学校の存在価値はないと考えています。文科省によれば専修学校等の価値を認める文面が見受けられますが・・・、資格教育が学校教育である必要はないでしょう。しかし、最近は大学も資格教育に触手を伸ばしています。

 専門学校生にとって、国家資格は自らの存在価値を証明する手段であり、一流大学卒の学歴(同窓資格)に匹敵していますので、その資格が取れないとなると専門学校に来る必要はないのです。現に、通った専門学校が廃校になっても、国家が有資格者として個人のステータスを証明し続けてくれますからこれほど有り難いものはないのです。

 その意味でも、学校教育とは切り離してよいかもしれません。専門学校の卒業証明書はほとんど意味がありんなせん。有資格者はその資格を生かし、一生その技術・知識・技能を研鑽して行けば社会の一翼を担うことができます。
 
 確かに航空も特に専修学校で教える必要はありません。航空法で航空事業者以外の者が航空従事者養成教育(資格教育)を行ってはならないという規定ではないので、航空は単に宣伝効果が大きいとか言った程度の理由で巷の学校(大学を含め)専門学校が航空従事者指定養成施設を申請をするのです。

しかし、航空整備課程及び操縦課程では一人当たりの教官が担当できる人数に制限があり、採算に合いませんので、他の関連学科で生徒を多く集め何とか採算を取っているのが実情です。

 最近は一般大学も操縦指定養成施設について申請していますが、およそ、航空大学校には及ばないでしょう。単に学生集めの手段のようにも見受けられます。独立行政法人航空大学校は当然1条校ではありませんが、エアライン操縦士の登竜門であり、ほとんどの卒業生はエアラインに就職します。(大学と違い、入学選抜で厳密な適性試験と学力試験が実施されるので、殆どの学生は目的の就職を果たす。)

 厚生労働省の職業能力開発促進法に基づく大学校も1条校ではありませんが、産業界では高い評価を得ています

 覇権主義と言われても、現実に機能しているわけです。千葉職業能力短期大学校などを見られたらいいでしょう。(ここは独立行政法人のため、優秀な学生があつまり、他の航空専門学校はこれを理想としてはいるが・・、とても太刀打ちできない。)

 資格取得でいえば、民間の航空専門学校も長年の実績を誇っていますが大学のような学問レベルかを問えばそれは違います。その意味で、私も専修学校を1条校にする必要はないと考えます。

 そもそも、航空界に限って言えば、航空事業者が航空従事者を自社養成する手段として国土交通省の指定養成施設制度があるのです。それは、航空安全のために目的的に定められた制度であり、それ以上でも以下でもありません。

大学の工学部(航空工学、機械工学等)を卒業した学生が、4年間の(学科・実技)教育を受けてやっと1等航空整備士の受験資格ができるのですから、決してやさしいものではありません。

マニュアル従業員と言われるでしょうけれど、操縦士を含め、全ての航空従事者はマニュアル従業員であり、その基準・手順を外れることは危険を意味します。

その手順から外れることが許されるのは、メーカおよび航空当局との技術的検討を経て安全確認(承認)を得た後でなければなりません。違反すれば、国土交通省HPにて公表され、お客さんが逃げて行きます。

 専門学校(専修学校)が、高校の進路指導教員から論外の存在であると判断されていることは実感しております。一度でも高校(A~F)の内、准A~Bクラスの高校に募集説明に出向いて見ればわかります。(航空分野は本当に数学・物理・英語が必要と言っても、それができる学生は普通以上の大学に進学しますから・・・、とさらりと流され・・。)准Aクラス以上の高校では、専門学校への進路指導をすると親御から叱られと言われています。

 このように評価をされるのは、専門学校の側に原因があるという意見も納得する面もありますが、我が国は技術立国と言いながら専門技術職を国の宝と考える真の教育政策があったでしょうか?(戦前の高等専門学校はそれであったようにも思いますが・・。)それでも技術立国になったのは、民間企業での技術者養成の努力の成果が大きいと思います。しかし、今後はどうでしょう・・・?

 無論、一流大学の存在は必要ですが、その優れた頭脳集団(ノーベル賞級の学者達)の創造結果を現実世界に具現するのは、ものを作り保守する人間のレベルが高くなければなりません。

 我々は数十年も航空現場で経験を積んだ集団と言えますが、このままでは、おそらく、我々の元の古巣の航空事業者は、昔のように一般大学・高専高校・高校から優秀な人材を採用するようになるでしょう。今のところ、航空専門学校卒業の上澄み学生を採れば教育コストが安いため、なんとか航空専門学校が生きていますが。

 現状では航空専門学校に資質の高い学生が集まらないのです。分数も計算できない、英語も中卒程度もできないでは、如何に教育技法を工夫しようが、中学生に大学講義を聴かせるようなものです。それでは、そんな学生を入学させなければよいではないかという意見が出そうですが、D~Fランクの大学もそう変わったところはなく、そのような学生を拒否すれば学校は直ちに破たんするでしょう。

基礎教育(中学・高校教育の復習)を充実させるのですが、今度はその時間を増やすことになり、教職員にかなりの負担増となり、ジレンマです。

 結論を言えば、このように人気がない専修学校が普通の状態になることは、専修学校等に対する国家政策が中途半端(失敗?)だということです。ですから、文科省の専修学校だけでは学生は集まらず、厚生労働省、国土交通省、経済産業省、総務省の各省庁の認可校なくしては専門学校は存続できないのです。
 これらの存続には、文科省のみならず、各省の認可においても更に厳格に審査(更新検査)しなければならないということです。

各省がその職権で検査しているから何とか保てているが、文科省などは県知事に委任していることもあり(認可後、現場に出向くこともなく実態も経営状態も把握していない)、県の検査など殆どないといっても過言ではないでしょう。

 専門学校等を単に金儲けの手段にさせてはなりません。論旨が少々ずれましたが、専門学校(専修学校)を学生(大学生を含め)が進路先に選ぶには、根本的な国家政策が必要です。専門学校などの自然淘汰も一つの手段ですが、手段を選ばず生き残りを図る専門学校が普通の状態になり、再試験不合格・再々試験不合格・レポート提出のみで卒業(専門士称号まで与え)させている実態に至って、これでは日本の将来はありません。

 どんな批判が続いても、なにも変わらないでしょう…このままでは。ますます、専門学校(専修学校)の存在価値が無くなっていく・・・。必死に改善努力は続けるが、大海にインクを注ぐようなもので、数分後は波にかき消される。決して諦めないが・・・。

投稿者 航空太郎 : 2012年01月01日 19:26
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