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 続編「キャリア教育」とは何か ― 学歴型「キャリア」選抜は、「お調子者」選抜にすぎない 2009年02月05日

※この記事は昨日の「キャリア教育とは何か」(http://www.ashida.info/blog/2009/02/post_325.html#more)の続きです。

(前記事に続く)
大学の「キャリア教育」、つまり「学歴型キャリア教育」の問題は、基本的に「お受験勉強、よく頑張りましたね」という「努力賞」キャリア教育にすぎない。その種のパーソナリティ評価が高学歴キャリア選抜の核を形成している。

東大も早稲田も慶應も入学後のカリキュラムが「人材」を作っている痕跡はない。せいぜいのところ「キャンパス教育」にすぎない。そして「キャンパス教育」は基本的に「パーソナリティ」教育だ。

この選抜の問題は、仕事の能力として具体的に何が要求されるのかについて何もわからないまま就職が決まるというものだ。企業も組織も性格の向き不向きで決めているため、基本的に営業職採用(比喩的にもリテラルにも)にしかならない。個人消費がGDPの60%、第三次産業が70%を占める日本ならでは「お調子者」選抜が学歴主義的キャリア選抜である。

無受験でさえ専門学校には進学せず、受験で苦労しても大学に進学する若者が50%もいるのは、就職の門戸を幅広く確保しておきたいという「モラトリアム」型の就職「選択(=非選択)」意識が若者に働いているわけだが、この選択=非選択にもリスクがある。

パーソナリティ評価というのなら、「優秀な」学生は、業職種を超えて何社にも就職が決まるということだが、何でもやれる学生は何でもやれない学生かもしれない。逆に「社風」でミスマッチが起こるかもしれない。入社前のリスクは少ないかもしれないが、入社後のリスクは(仕事の実際について無知な分)高くなることもある。銀行にも、商社にも、広告代理店にも、メーカーにも、テレビ局にも、新聞社にも、内定が決まった「優秀な」学生、しかも在学中には、それらの仕事の何一つ勉強もしていない「優秀な」学生は、どんな基準でもってその就職を決めるのだろうか。

※この項まだまだ続く。

(Version 1.0)

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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