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 讀賣新聞が7月20日の朝刊で発表した『大学の実力 ― 教育力向上への取り組み調査』 ― 私はこう思う(第一回) 2008年07月27日

讀賣新聞が7月20日の朝刊で発表した『大学の実力 ― 教育力向上への取り組み調査(上)』(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080719-OYT1T00640.htm)はそれなりに意味のあるものだった。

私は、5年間特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)の審査に関わったが、この読売新聞の調査は、特色GPの諸前提を追認する結果になっている。

まず、私が目に付いたのは、学生数/定員数。いわゆる定員充足率だ。

全体(東日本編)で246校。246校中、学生数が定員に満たない学校が66校。約27%の学校が定員を割っている。国立はさすがに35校中1校(筑波技術大学)、3%に留まっているが、公立は45校中15校。33%が定員割れ。私立は168校中、50校。30%が定員割れの現状だ。定員数よりも学生数が数人、数十人しか超えていない大学(実質的な定員割れの大学)を入れると定員割れの大学は40%を優に超える。

※ちなみに、この学生数/定員数公表について口を閉ざしたのは、国立大学で1校:室蘭工業大学。公立大学で1校:北海道情報大学。私立大学で3校:埼玉・日本工業大学、東京・昭和大学、新潟経営大学。こういった大学には行かない方がいい。

ここ10年来の大学の変貌の実体は、定員割れという"物理的な"事態が招いたものに過ぎない。大学が多すぎるか、18歳人口が減りすぎたのかだけのことである。日本の場合はどちらもがその原因。大学も箱物行政の延長で少子化が指摘され始めた90年以降作りすぎてきた。

 定員割れの大学はもはや大学ではない。大学教育(=高等教育)の対象者は、「生徒」ではない。わざわざ「生徒」と区別して「学生」と呼んでいる。それは、自立した学習者を意味する。放って置いても勉強する者を〈学生〉と言う。

 大学教育の別名でもある〈キャンパス〉という言葉は、したがって単に〈教室〉を意味しているのではない。それは巨大な図書館やいくつもの体育館、いくつもの運動場(=部室)などの全体を指している。また〈教室〉と言っても緊密なゼミ室から何百人も収容する大教室までをも包含する教室の(中等教育にはない)バラエティを包含している。〈学生〉はこの〈キャンパス〉を活用できるほどに成熟した学習者のことを意味する。大学生が受験勉強+入学試験を受けて選ばれることの意味は、この〈キャンパス〉で学ぶことのできる学生かどうかということなのである。

 〈キャンパス〉の反対語は何か。それは、この讀賣新聞の調査の諸項目に並んでいる「補講率」「出席率」「授業評価」「学生アンケート」などである。なぜ、教員が1日くらい授業を休んだからと言って「補講」をしなければならないのか。そんなときにでも、休んだ以上に勉強しているのが〈学生〉というものだろう。そういった数々の〈欠如〉を埋め合わせる能力を有しているのが〈学生〉という存在。〈学生〉はキャンパスの〈間〉を埋める能力を持っている。教授の授業下手、教材不足を補う能力を持っている。

 しかし、そんな学生はもはやほとんどいないというのが21世紀の大学(特に日本の大学)。定員割れして学生を選べなくなった大学にはもはや〈学生〉はいない。だから、〈キャンパスライフ〉を謳歌する学生などどこにもいない。図書館の使い方自体を教える大学が増えてきているのだから、後は推して知るべしである。

 この讀賣新聞の調査のタイトルは「大学の実力」=「教育力向上への取り組み」となっているが、これはおかしい。調査項目を決めた委員は、井上理(慶應大学)、清成忠男(元法政大学総長)、本間政雄(立命館大学副総長)、沢田進(大学基準協会参与)、宗像恵(近畿大学副学長)などだが、「補講率」「出席率」「授業評価」「学生アンケート」といった諸指標自体が大学の実力の崩壊の局面を示すものであって、「大学の実力」そのものの指標にならないことは明らか。現にこれらの指標の"名門"大学の数値(評価)は決して高くはない。

 この種の指標なら、学生数/定員数(定員充足率)を見るだけで充分。問題は、競争率の高い理由を説明するのに「補講率」「出席率」「授業評価」「学生アンケート」といった諸指標は何の役にも立たないということである。これらの委員は、「大学の実力」とは何かについて何もわかってはいない。あるいは、わかっているのにわざわざ目をふさいでいる。「教育改革」に熱心な大学はまともな大学ではない。「FD」とは、もともとは研究者の自己研究のためのものであって、「授業評価」や「学生アンケート」とは何の関係もない。

 この定員割れ時代の大学の行方については多方面から検討されるべきだが、今少し讀賣新聞の数値を拾ってみよう。

 私が、学生数/定員数(定員充足率)の次に気になったのが教員数(専任教員数/法定数)。たとえば東大では、3499/640。法定数の5.47倍もの教員がいる。教員1人が担う学生数は4人。早稲田では1675/290。法定数の5.8倍。教員1人あたり27人の学生。同じように慶應では1781/779。法定数の2.3倍。教員1人あたり16人の学生。早稲田と慶應の学生/教員比の違いは医学部のあるなしが影響しているのだろう。国立大学と私立大学の差は圧倒的だ。

 しかし定員割れの大学になると学生/教員比の問題は単純ではない。たとえば東京・台東区の「上野学園」は42/25。法定数の1.7倍の教員がいるが学生総数は46人(定員100人に対して46人の学生しかいない)。教員1人あたり1.09人の学生。東大の対学生比よりもたくさんの教員がいる。しかも定員を大きく割っているのに、退学率は25%。学生数と同じくらいの教員を抱えて教育指導が緊密になるはずだが退学率は高い。これなどは「大学の実力」ではなく、経営の危機を示す指標になる。

問題は、この経営の危機が「学習支援策(補習、個人面談、学習支援センターなど)」「FDの取り組み指標(教員の授業参観、教員による授業評価、学生による授業評価など)」などの諸指標と繋がっていないということだ。この「上野学園」の場合、「学習支援策」「「FDの取り組み指標」は決して悪くはない評価になっている(A評価とB評価しかない)。しかしこの評価と退学率の数値が一致しない。退学率の高さは教員数の充実(?)とも一致していない。一体この学校では何が起こっているのか。

私の考えでは、学生数/定員数(定員充足率)、卒業率(退学率)、学生/教員比の3つの指標が正しく公表されれば、大概のことはわかると思う。 ※ただし讀賣新聞は、この数値に基づいた言及を避けている。ここを大きく取り上げると今後この調査に協力する大学はほとんど出てこなくなるだろうから。

さて、讀賣新聞の発表内容の分析をさらに詳細化してみよう。まだまだ言いたいことがある(乞うご期待)

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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