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 家内の症状報告(97) ― 私のEvidence-based medicine論(「症状報告」91~96を理解するためのサブ資料) 2008年02月17日

ちょうど家内がステロイドをやめて、ベータフェロンだけに治療を転換するとき(2006年5月)にこの「Evidence-based medicine」について思い出した記録があったので、修正を加えながら再録します。

●今回(2006年5月17日)はこれまでと違い3年以上服用してきたステロイドを止めることを決定。ベータフェロンを増量して(600→800)、ベータフェロンのみで“治療”を続けることになった。その結果入院中何度も白血球の値が上下し不安定になったが、もともと家内は白血球が少ないこともあって、何とかなるのではないか。とのことだったが、白血球減少を気遣い続けた生活を送るのも“問題”とのことで、元のベータフェロン量(600)に戻すことになった。それで今日の退院。

以前からベータフェロン600(注射)+ステロイド10ミリ(経口)を自宅で続けていたのだから、今回の退院は、以前よりもさらに薬物“武装”状態を解いたことになる。

この“治療”の選択は、ステロイドとベータフェロンとの併用が、両者の効果を相殺するという判断がなければありえない。あるいは、ステロイド服用の副作用が、その効果よりもはるかに大きいという判断がなければあり得ない。そしてまたベータフェロンの効果は(家内の場合の最大の副作用である)白血球減少を凌ぐことができれば、(少しは)効果があるという前提がなければあり得ない。

現在のところ、最後のベータフェロンの効果については唯一の実証的な“エビデンス”があるらしいが前者の二つは「色々な意見がある」(担当医)ということで「エビデンスはない」。

家内が広尾の日本赤十字でお世話になっていたときに見たベータフェロンの資料(2003年秋)では、使用しないときとしたときとの効果の差(要するに再発防止率)は20%という数字だったような気がする。10人の患者がいて、10人がベータフェロンを使用した場合2人は再発しない(かなりの期間再発しない)ということだ。ただし日赤ではベータフェロンをなぜか使用しなかった。「体力がまだ付いていないから」と、駆け出しの女医がわけのわからないことを言っていた。

したがって、ベータフェロンの“効果”さえ、最大で20%、その20%の効果について約2割減の投与で再出発するのだから、今回の退院はほとんど根拠のない退院にすぎない。

全体に免疫系の病気には科学的な根拠が薄弱。もちろん医学はもともとが実証的な分野だから根拠なんてないのだろう。否定する根拠(こうすれば人間は死ぬ)はいつでも存在するだろうが、肯定する根拠(こうすれば治る)なんてものは、どんな分野でも存在しない。すべては結果論だし、それ以前に、スピノザは「規定」はすでにつねに「否定」だと言っていた。

大概の医師は、「患者さんそれぞれで違いますから」ということになる。そう言う割には、ベータフェロンの投与量、白血球の量については、“基準値”を持ち出す。基準値は大概の場合、“平均値”だから、それを言うのなら「患者さんそれぞれで違いますから」と言うことも禁じられているはず。両者は矛盾している。

こういった病気の治療で大切なことは、症例研究をどれくらい重ねているか、に関わっていると思う。外科医でもないかぎり、この分野の医師は弁護士に似ている。法律判断もまた〈真理〉に関わるよりは判例の変化を機敏に読み取ることが鍵を握っている。おなじように症例研究が治療法の決定や薬物の投与量の決定に大きな影響を与えている。

多発性硬化症の場合、日本人全体で1万人しかいないから症例研究と言っても他の病気と違って資料はないのかもしれない。また資料はあっても病院を超えた(研究のための)資料開示は、(専門医が少ないということもあるが)この世界の場合思うほどには進んでいない。

一般的な資料開示というのは、専門家の集団がかかわる資料になればなるほど、なかなかしないものだ。そんなことしたら〈論文〉の価値がなくなるからである。大学の業績評価は依然として論文評価だから、本来の治療ネットワーク(症例開示のネットワーク)の形成はできそうでできない。

私は文科省の「特色ある大学教育プログラム」の審査員(第三審査部会)を平成16年度(http://www.tokushoku-gp.jp/meibo/h16meibo-sinsabukai03.html)、19年度(http://www.tokushoku-gp.jp/meibo/h17meibo-sinsabukai03.html)と続けてやらせていただいたが、大学医学部の教育改革は他のどの分野(工学系、人文系)よりも活発で毎回提案数がいちばん多い。

この改革の熱を治療に於ける情報開示にぜひ向けてもらいたいものだ。アカウンタビリティ(説明責任)なんて実はどうでもいいのであって、今なお謎の多い医療の現場で必要とされているのは、個々の治療現場を越えた日本大、世界大の症例データベースの形成のような気がする。

治療現場では、「説明責任」よりも「情報開示」の方が重要に決まっている。何を説明すべきかの基準がない「説明責任」は単に心理的なものにすぎない。その場合の「説明責任」は「ベッドサイドマナー」以上のものではない。医師と患者との自己満足にすぎない。

たとえば、今回の家内の一ヶ月半の入院期間で白血球の上下変動がどのように生じたのかを、世界中のどの治療現場からでもリアルタイムに知ることがなぜできないのか(それと同様に他の患者の白血球減少のデータが症例としてなぜ手に入らないのか)。

最近Googleは、「Googleブック」(http://books.google.co.jp/)検索サービスを始めた。これは世界中の書物のフルテキスト検索ができるシステムだ(まだ賭場口に付いたばかりだが)。これができれば、世界の人文系の“教授”達の半分は(事実上)職を失う。大概の人文系研究者は丸善の文献カードをせっせと何十年もかけて作り続けているにすぎないからだ(それ以下の教授はもっとたくさんいるが)。

文献カード(たとえばハイデガーが「存在」という言葉を彼の著作の何頁の何行目に使っているかメモったもの)の量は、その教授がどれほど丹念に研究対象である著作を読み込んできたかの間接的な証拠であったわけだが ― 八木誠一や田川健三などキリスト教文献学に関わる研究者なんて、病的なくらいに何頁の何行目にその語やテキストが存在しているかを頭の中にたたき込んでいる! 滑稽なくらいだ ― 、「Googleブック」はそれを物理的に破壊する。しったかぶりをした教授のアカウンタビリティ(それが教養課程の「哲学概論」のすべてだ)よりは「Googleブック」の“情報開示”の方が学生達にはるかに有益なはずだ。

それと同じように、医学の分野でも症例データベースが整備されるべきだ。ベータフェロン、白血球、ステロイドなどと複合検索をかければ、世界大の症例データベースが一気にはき出されるような仕組み(データ供与の共通書式)はできないのか。結果論の医学であるのなら、症例データベースの形成と整備は必須だし、やろうと思えば技術的にはいつでもできる時代に入ってきている。

そういったことがない中でベータフェロンとステロイド投与の適否を「エビデンス」ということで“説明”されても、患者の立場では何も言えない。

Evidence-Based MedicineとExperience-Based Medicineとの中間がない。「ぱぱ」さんは、このやり取りの中で、その中間を「信念」と呼んでいますが、私は「症例数」の多さといいたい。だれだけの患者を診てきたのか、診てこないまでもどれくらいの症例を集めているのか。

ただし、これは堂々巡りの議論のようにも思える。症例を集めたのが、唯一、2005年2月22日号 Neurology誌の治験結果だったとも言えるし、いくら治療経験があっても、Evidence-Based Medicineで凝り固まっている大学医師の前には1000の症例経験があってもEvidence主義の色眼鏡でしか患者を診ていないのだから、経験としては2,3人の患者しか診ていない町医者とほとんど変わりのない状態になる、というように。

そうならないためにも、〈論文〉を経由しない、症例データベースの整備が急務なような気がします。難病患者の毎日は、毎日が実験みたいなものなのですから、それを公開するだけでも、凡百の専門論文よりもすぐれたものが出来上がるような気がします。


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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