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 亀田記事続編 ― 当たり前のことながら色々な意見があるし、誤解もある 2007年10月24日

先の亀田記事(http://www.ashida.info/blog/2007/10/post_224.html#more)での私のミクシィ(MIXI)上の反応記事を転載します。色々な感想が聞けて、私も大変勉強になりました。

●Tさん( 2007年10月18日 22:28)

>真っ先に父と兄から見捨てられた。
・・・そうだとしたら、有る意味虐待ではないですか。

>(私の返信)というより、家族が生きながらにして孤児になったということでしょう。「虐待」と言うよりももっとひどい。私にはそう思えます。


●Lさん( 2007年10月18日 23:20)

色々な見方があって当然です。
私の意見はこの試合に限らず、傍若無人ぶりに振舞った・・・誰のせいかはよくわかりませんが・・・少なくとも視聴者に対して不快感を与えていたのは事実だと思います。
亀田一家の出演する番組があったときにはチャンネルを替えていたのは私だけでしょうか?見たくないものを見せ付けられると言う暴力に対して、私はチャンネルを替える事しか出来ませんでした。

それにしても、チャンピオンはさすがに人間が出来ていると思いました。
心技一体となって頂点に君臨するものだけが持つ威厳と言うものを感じました。

>(私の返信)「見たくないものを見せ付けられると言う暴力」なんて存在しませんよ。「チャンネルを替える」だけで充分じゃないですか。

不快なものなんていくらでもこの世の中にはあります。そのレベルなら個人的に消化すればいいだけじゃないですか。

そんなものをテレビで映すべきじゃないとすれば、それはテレビ(メディア)の問題であって亀田親子の問題ではない。

亀田いじめは単なる社会ファシズムですよ。ボクシング自体としては充分に見応えがありました。それだけのことです。

私の好みをいえば、亀田親子は大嫌いで、横峯さくら親子の方(最初からいびつな親子)がはるかに好きですが…。そんなことこの際どうでもいいことです。

単なる個人的な心象に過ぎないものをよってたかって抑圧にかかるその体質がダメだということです。「色々な見方」なんて、この数日間だれが披露したというのですか。低劣な亀田いじめしか存在していないじゃないですか。


●Sさん( 2007年10月18日 23:48)

あー、これは勉強になりました。

確かにその通りですねぇ。アドバイスを受けた時点で大毅がどう思っていたかにもよりますが、少なくとも父と兄が大毅を信用し切れなかったのは事実でしょうね。
サブチャン 2007年10月18日 23:48 あの記者会見で、
記者の「反則を指示したんですか?」という質問に
父親が「やってません」と答えた時、
当方は大毅選手の心情を思いましたよ。
大毅選手が「エ~ッ、親父何て言うことを?俺は親父と兄貴の言うとおり、タマ打ちもサミングもやったのに。結局悪いのは俺一人なのかよ。」と思ったかどうかは分かりませんが。
実に悲しい記者会見でした。


●Mさん(2007年10月18日 23:49)

>身内(あるいは家族)というのは、誰にとっても最後の慰安の場所(=最大の肯定)でなければならないのに、真っ先に自分を否定したのが父、兄だとしたら、そんな18歳の青年が正常でいられるはずがない。

しかも、会見で「反則は指示していない」と父親が言い放っちゃうのだから(音声をマイクに拾われているのに・・・)、大毅は余計にショックでしょうね。

「全部こいつが勝手にやりました。私は悪くありません。」と、尊敬する父親に突き放されちゃったわけですから。

私は大毅が(亀田家が)あまり好きではありませんでしたが、この一件で、「10代の子なんだよなぁ」と、妙に彼を受け入れる心境になってしまいました。

>(私の返信)そう思いますよ。
>(私の返信)Sさん+Mマックス さん

いや、記者会見よりもなによりも大毅はリングそのものの上で充分に悲しかったと思いますよ。それに比べれば、記者会見のウソなんて大したことはありません。


●Eさん( 2007年10月19日 00:04)

私は初めから亀田一家は大嫌いです
また今回のこともやる前から想像をしていましたしその後のマスコミや大衆の反応もそうだそうだと受け入れていました。

しかしあなたの意見を聞いてそういう見方もあるのだと大変勉強になりました。

私は試合を見ていませんのでそのときの試合の状況がわかりませんがそんなに亀田選手が強いとは知りませんでしたね

やっぱり一番の問題は父親だと思いますね
その次にはジムもここまでほっておいた責任があります
朝青龍を思い出しました

>(私の返信)私も嫌いですよ。しかし好き嫌いは誰にでもあるのだからどうでもいいじゃないですか。放っておけばいいんですよ、好き嫌いなんて。放っておけばいいものを好き嫌いというのです。

何でみんな起こっていることそのものを見ようとしないのでしょうか。どう考えても亀田は強かった、それだけのことです。身内がそのことを信じ切れなかった、ここが残念、ここが悲劇だということです。


●E☆さん( 2007年10月19日 00:27)

18歳にしては幼く感じるなぁ。
父親や兄があんなんだからか?
『反則の指示はしてない』
子供が勝手にやった
弟が勝手にやった
言わなきゃ、大毅はああも解りやすい反則なんかしないと思う。
最終盤で、内藤を抱え上げたとき、『やけくそ』だったと思う。
負け覚悟ってより、失格にして欲しかったのかも…

好き嫌いは抜きにして、可哀相な子供だと思ったりする。

>(私の返信)「18歳にしては幼く感じるなぁ」。そんなことないよ。18歳で33歳の世界チャンピオンとフルラウンド戦えるだけでも充分大人です。うちの22歳の息子なんか、未だに誰とも戦えないよ。幼く感じるとしたら、それは「E☆」さんが年を取ったからです。


●Kさん(2007年10月19日 09:25)

初めまして。お邪魔させてもらいます。

世界チャンピオンの初防衛戦ですよ。

私は恥ずかしかったです。
スポーツ精神がまるでないと思いました。
親がまずそれを教えるべきだと思いました。

それに比べて内藤選手は男気があって
素晴らしい選手だと思いました。
苦労しているだけあって大人ですね。

>(私の返信)違いますよ。彼はスポーツを通じて始めて自分の手に負えないものを感じ取ったんですよ。家族からの自立をもっとも悲惨な形で強要されつつある。場合によっては死滅するかもしれないほどの悲惨さでもって。

内藤は勝ったからこそ美しいのであって、冷静に見れば18歳の反則ボーイをなぜいい年をして(経験豊富な内藤が)倒せなかったのですか。「苦労している」かもしれませんが、決して強くはなかった。一流の選手でもなかった。

人がいいというのは評価になりません。どこにでもマナーの悪い人がいるようにどこにでも人のいい人はいるからです。どちらもはいて捨てるほどいます。


●Zさん(2007年10月19日 11:51)

非常に納得できる意見ですね。私は亀田一家は嫌いなので試合は観ませんでしたが、人と会うたびに話題になりますので、どう考えたらいいのかな、と思っていましたが、芦田さんの分析がいちばん腑に落ちました。

父親に加え、兄貴にも暗に「お前は弱い」という審判を下されたのは大毅くんにとって辛いことだったろうと思います。年の近い同性の兄弟は潜在的なライバル心を持っていることが多いですし、上の子が「成功」していると、下の子は上に対してコンプレックスを持つことも多いと思うからです。特に、親が「兄(姉)のようになれ」と兄弟(姉妹)を比較してけしかける場合はそうじゃないかな、と自分と妹の関係を振り返ってそう思います(妹は未だに幼少期のことで私に愚痴る。私と妹が互いに「親による姉妹比較」の呪縛から逃れられたのは、妹が就職して私とは異なる分野に進んでからのことでした)。気の毒な兄弟、まさに「悲劇」だと思います。

>(私の返信)そうですね。私の家内にも妹がいますが、姉妹の“優劣”も相当ややこしそうですね。家内の場合も「ずんこ」さんモデルです。妹とは未だに溝があるようです。「異なる分野」に進んでもそう簡単に幼少時の“怨念”は消えないと思いますよ…(笑)


●Gさん(2007年10月19日 12:23)
(言葉足らずだったので再コメントします)

これは勉強になりました。
身内から反則の指示は身内からの負けの宣告というのが新解釈で勉強になりました。
しかし大毅選手は強い。
経験豊富な30代チャンピオンがあそこまで追い詰めるのですから。
ポイント差と顔の傷が二人は反比例ですものね。

大毅選手の後半の元気の無さは身内からの意外な指示のせいなんでしょうかね?

>(私の返信)そうですね。お父さんから(お兄さんから)の敗北宣告は決定的だと思います。ふつう、親というのは、子供の方から拒絶(否定と乗り越え)されるもので、その逆ではありません。

麒麟の田村(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%9D%91%E8%A3%95)がその父から(中学生の時)「今日で家族は解散」と言われたのは有名な話しですが(この話を聞く度に私は胸がキュンとします)、その発言は大毅に「タマに入れろ」と反則をそそのかした発言と同じです。

子供というのは家族(親)からは、決して拒絶してはいけない存在です。たとえ、家族を脱出していく(=自立していく)存在ではあっても。


●Cさん(2007年10月19日 12:26)

単なる個人的な心象に過ぎないものをよってたかって抑圧にかかるその体質がダメだということです>
あ~私もこれ、凄く感じます。

芦田さんは嫌いだといいながら、、、
物事を冷静沈着に見ておられる。。。
こういうことが大切だと思います。

私はボクシングがすきではありませんが、ミーハーなので一家で見ていました(特に見入ってたわけではありません)
途中から18歳の大毅がみていられませんでした。。。
親子して大風呂敷だったので~
もう負けたら、、、、

案の定、次の日から、、、連日のバッシング
もう、ほおっておいてあげたら、、、
と思う私です。。。

もう充分後悔してる部分あると思うんですが。。。

>(私の返信)「親子して大風呂敷」では無いと思いますよ。何度も言うように大毅は決して弱くはなかった。ボクサーとしては一流の一歩手前くらいにはいいボクサーですよ。体力も人並み外れています。私は大変感心しました。彼が反則をくり返したのは、父親(そして兄)に捨てられたからです。

●Zさん(2007年10月19日 23:12)

>「異なる分野」に進んでもそう簡単に幼少時の“怨念”は消えないと思いますよ…(笑)

まさにその通りですよ。笑。とはいえ、今は、彼女は私が手にしていないものを手にしていたりして、ようやくお互いに「違うタイプなんだ」という認識を冷静にもてるようになってきましたね。もちろん、それもほんの数年前からの話ですが。たぶん、「怨念」の根っこは死んでも消えないでしょうね。笑。

報道によれば、大毅くんは朝、一人で内藤の自宅に謝罪に行ったそうですね。これをきっかけに大毅くんが何かを乗り越えると、今度は興毅くんが壊れるかもしれないな、と思ったりしました。

>(私の返信)大毅君がこれを機会に大人になることは大いに期待できますが、しかし死んでもおかしくないほど思い詰めてのことだと思います。どちらに転ぶかまったくわからない。親の(親からの)裏切りはこの時期の子供にはきつすぎると思います。


●LKさん(2007年10月20日 00:28)
大変盛り上がってますね。
たくさんの方々の投稿を見ていますと、考えさせられますね。

基本的なスタンスで言うと個人的には亀田一家は好きではないんですが、
フルラウンドを戦って倒れなかった大毅選手はある意味では立派だったとも
思いますが、反則を繰り返しての、結果、だったとしたら・・・

親は子供の将来を心配してあれこれと指示したりしますが、子供はほとんど反発して、それなりの人生を歩んで行こうとします。

しかしながら、親の教育方針がストレートに子供に反映していき、人格形成の時期であればなおさら考える余裕もなく突き進んでいく危険性をはらんで成長していくと言う事もあろうかと思います。

最近つくづく思うのですが、子供の教育の前に親の教育を優先させるべきではないかと思うような場面によく遭遇します。

年齢からくる意見かもしれませんが、(自省の意味も含めて)日本の教育体制に疑問を感じています。

あまりにも子供達にゆとりを与えすぎているような気がしてやまないです。

学校でも体罰・・・・云々

怪我を伴う体罰はいけないと思いますが、人の痛みを自分の肌で感じる体罰はあっていいと思います。

ちょっと論点がずれましたが、ご容赦くださいね。

>(私の返信)「フルラウンドを戦って倒れなかった大毅選手はある意味では立派だったとも 思いますが、反則を繰り返しての、結果、だったとしたら・・・」。

それはあり得ません。誰にでもわかる反則は明らかに最後の2、3ラウンドくらいです。それまではいい試合でした。反則のおかげでフルラウンド戦えるなんてことはあり得ません。それはあの試合を最初から最後まで見てれば誰にでもわかるはずです。

「しかしながら、親の教育方針がストレートに子供に反映していき、人格形成の時期であればなおさら考える余裕もなく突き進んでいく危険性をはらんで成長していくと言う事もあろうかと思います」。

これもありそうであり得ないことです。親というものは、「教育方針」の好きな私学好きの親であろうがなかろうが、子育てに無関心で自暴自棄な親であろうがなかろうが、いずれにしても「ストレート」に子供を育てているものです。親の子育てはいずれにしても〈私生活〉の場で行われるものだからです。


●ANさん(2007年10月20日 01:20)
芦田様の記事を読んで、何だか18歳の彼の悲しみが勝手に流れ込んできました。さすがは「先生」だな、と思います。 (今、彼の悲しみがわかるのは、高藤さんや今井さんなのでは?)

ボクシングのわからない私は彼が実は強いことさえも知らなかった。ボクシングのファンですらないのに、知りもしない反則(犯罪ではないでしょう?)をあげつらって語った自分が恥ずかしいです。

こちらが不快感を抱くのも、カメラのアングルひとつで操作できるんですよね?

>(私の返信)「AN」さんも「あげつらって語った」のですか。情けないですね(笑)。

ルール違反とか、マナー違反という批判はいつでも権力的ですよ(あなたは嫌いな)。

そもそも亀田のマナー違反をあげつらう大人や親は、自分の子供がまともに育っているかどうかについて、いつも棚に上げているとしか思えない。

自分の子供にマナーを教えている親なんて、ほとんどいないでしょう。そもそも青年達はマナーに反しているものです。子供の頃から礼儀正しい人間なんてろくな奴じゃない。

日ごろは自分の子供について戯れ言のような悪口を言いつづけているくせに、なぜテレビ越しの亀田についてだけは分別ぶって批判をするのか。しかも試合全体を見ずに、最後の数ラウンドの反則シーンだけを見て批判するのか。この風潮は私には許せない。


● あつし(2007年10月20日 08:46)
ボクサーはパンチをよけるのにガードや、よけの練習はするが投げ技に対する練習をしない。

亀田は投げた。もし着地したとき頭から落ちたり手首等重傷を負わせて選手生命の問題になったはどうなのか、映像を見ると内藤が着地したとき左腕から落ちてるのは言わなくてもわかることです。

今回の件でだいぶ精神的に弱い部分をみせてしまった。
ビッグマウスが売りなのに、今回の件で今後復活しても信用されないと思います。
ということで彼はプロレスラーか肉体労働に転職する方がいいのかなって思います。

>(私の返信)
あつし君、仕事うまくいっていますか。いつも心配しています。

でもこのコメントはよくない。そもそも話しの流れが違う。もっと会話にならないと…。

会話は自分の知識を披露する場所ではなくて、まず相手の言おうとしていることを聞くことです。そして知識とは、相手の問いかけに応えるためのものであって、自分から披露するためのものではありません。 知識は受動的であるときにこそ、価値があります。


●あつし(2007年10月20日 12:21)
やっぱり校長は違うなw

俺は今武蔵小金井の駅前の現場で悪戦苦闘しながらもなんとかやってます。
朝早いし、休みもないけど今すごい仕事してて楽しいし学生時代になかった「日々勉強」という気持ちがあります。笑

たまに児玉、井戸川と飲んだりするんですけど、みんな頑張ってます!

現場に出て思ったことは季先生の授業をしっかり聞いていればよかったと。

>(私の返信)
そうですか。〈構造〉の授業は、建設業にかかわる人にとっては大切ですよね。何よりも人の命に関わっていますから。李先生に伝えておきますよ。あなたは李先生の授業はいつも寝ていましたからね(笑)。時間が出来れば(忙しいでしょうけれども)また学校に寄って下さい。高瀬先生や小林先生も元気ですよ。


●TOさん(2007年10月21日 00:13)
真っ先に父と兄から見捨てられた?ショック!!!

>(私の返信)そうですよ。子供が親を捨てるのはありうることですが、親が子供を捨てるのは大変なことです。特に捨てられる子供にとって。特に覚醒期にある子供にとって。


●CHさん(2007年10月21日 17:11)
う~ん。ちょっと芦田さんと私は意見が違うような気がしますねえ~
彼が反則をくり返したのは、父親(そして兄)に捨てられたからです。>そんな気にあの時大毅がなったでしょうかねえ~

反則を繰り返したのは父と兄が大毅がもう負けると思ったので、指示したんだと思いますが、、、

何度も言うように大毅は決して弱くはなかった。ボクサーとしては一流の一歩手前くらいにはいいボクサーですよ。体力も人並み外れています。私は大変感心しました。>
わたしもそう思います。

しかしながら、、、勝負の世界です。
事前にあれだけ言葉を吐いていたら、、、
勝つしかないじゃ、ないですか。
それを勝てなかったのには違いがない。

けれど、素質もあるだろうし、大毅はまだ若い。
もっとまわりが見守ってあげてもいいと思うんですけど。。。

亀田親子が負けた時の算段がなさすぎたんじゃ、ないでしょうか?
まあ、闘う前に負ける算段してたら、勝てませんけど、、、
うまく言えませんが、、、
急場に本心でちゃって、、、
バッシングされてるような気がします。

お父さんが世の中に対して、勉強不足だと思います。
見捨てられたと思うほど、大毅にそういう方の気持ちがないように思いました。

私はボクシングのファンじゃないけど、、、
大毅達はいつか復活なると思います。


●HJさん(2007年10月24日 09:29)
「家族」が「最大の肯定」で「なければならない」という言い回しをされていますね。どうやっても受動性としかありえない「親との関係」がそうで「なければならない」というのは、受動性を「肯定する」ということを究極的には含意しているのですか。あるいは「運命」を肯定する、という言葉ともつながりうる含意があると思いましたが。

>(私の返信)
(あなたの発言)「親との関係」がそうで「なければならない」というのは、受動性を「肯定する」ということを究極的には含意しているのですか。あるいは「運命」を肯定する、という言葉ともつながりうる含意があると思いましたが。

(私の発言)そのとおりです。「受動性」の肯定とは「運命」の肯定と同じ。運命の肯定とは、「家族」の肯定と同じ。家族の肯定とは自分の(たまたまの)生を受け入れること、(必然の)死を受け入れることと同じです。

そして(ここからがあなたと私の意見の分かれ目ですが)、これらを受け入れることこそが、もっとも意識的に覚醒した行為(=主体的な行為)でなければならないということです。

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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