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 「わたしが一番きれいだったとき」 ― 茨木のり子が死んだ 2006年02月21日

茨木のり子(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4783707197/250-7007503-8171430)が死んでしまった(http://www.sankei.co.jp/news/060220/bun031.htm)。19日日曜日の午後のことだったらしい。

「死んでいたのが自宅で発見された」ようにして、孤独な死だった。詩人らしいというか、死はいつでも“発見”されるようにして個人に到来する。そのことを茨木のり子はふたたび物理的に詩にしただけのことだ。誰でもその意味では詩人であるようにして。

今日は思わずかの「わたしが一番きれいだったとき」という印象的なフレーズの詩を自宅に帰ってきてから読み上げたくなった。家内は黙って聞いていたが、やはりNHKの武内 陶子(http://www.nhk.or.jp/a-room/ana500/ana/00047.html)や加賀美幸子(http://gtpweb.net/twr/mguest29.html)に読んでもらうしかない。彼女たちはいくら出したら、自宅に詩を読みに来てくれるのだろうか?

読み上げながら思ったが、この詩は、力強く読まないと“意味”が伝わらない。


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさみしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年取ってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね

(茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき 」)


この詩は、戦争詩なのではない。ましてや反戦詩なのではない。美しさというものは、いつもある種の喪失感(=時間差)と裏腹のものだ。

この詩の本質は、だから美学にある。美の喪失感、つまり美の存在そのものがこんなに力強く歌われている詩はない。力強ければ強いほど、喪失感が前面化する、喪失感が前面化すればするほど美が前面化する、そんなふうに、この詩は美しいし、力強い。合掌、茨木のり子。

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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感想欄

芦田様

「芦田の毎日」楽しみに拝見しております。

茨木のり子さんへの弔辞、心底感動しました・・・。くらくらします。

茨木のり子さんの死は今の日本人へのメッセージだということに気づかされました。

美を発見する人間の救いようのない哀しさが同時に強さに見えるのでしょうか・・・。

自分だけではないと思いますが、芦田様にもっと美に関する記事を書いてほしいです !!

投稿者 匿名 : 2006年02月23日 08:19
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