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 返信: 車椅子文化の手作り ― 格好いいレガシーって何だ? 2005年02月11日

要するに、車椅子は車椅子。格好いいも悪いもない。ちょうど単なるワゴン車にすぎないのに、「俺の車はレガシー(http://www.subaru.co.jp/legacy/index.html)」とか言って威張ってもしようがない。

家内は、あまり車椅子に関心がない。わかる気がする。こんなものをうれしそうに選ぶ方がおかしい。それは自動車を買うのとはわけが違う。

だから、格好のいい車椅子を選ぶというのは、もっと動機が不純。むしろそれは「不自由である」ことのコンプレックスを裏返しに強化するだけのことなのだ。

その意味では、車椅子は格好悪い方がいいのかもしれない。裸の王様が「はだかだよ」と言われるように、レガシーはワゴンだよ、と言われるように、車椅子もあんなものには乗りたくないね、と言われるべきだ。格好いいレガシーや格好いい車椅子というのは、自分自身をごまかす方便にすぎない。

格好いいレガシーに乗りたいのなら、スポーツカーを買えばいい。スポーツカーじゃ機能的ではない、と言うのなら、「格好いい」ということをわざわざ言う資格はない。格好いい車椅子に乗りたいのなら歩けるようになればいい。一番格好のいい車椅子は健脚だ。それだけのことだ。

だから家内も車椅子の営業マンのセールストークを好きになれない。「使いやすいですよ」、「便利ですよ」、「快適ですよ」。どれをとっても、変な言葉だ。「車椅子が使いやすい」ってどういうことだ? 「車椅子が便利ですよ」ってどういうことだ? 「車椅子が快適ですよ」ってどういうことだ? 勧められれば勧められるほど引いてしまう。私は車椅子選びを結構楽しんでいたが、家内は今ひとつ盛り上がらない。

車椅子を買うというのは、自動車ディーラーに日曜日幸せな人たちや家族が集う、というのとはわけが違う。自動車セールスマンの仕事の特権は、“不幸な人”を相手にする仕事ではないということだ。医者よりも(場合によっては「先生」よりも)良い仕事だと思う。“不幸な人”が車を買ったり、選んだりはしない。

だから、自動車セールスマンのように(歓談しながら)車椅子営業マンは、車椅子を売ったりしてはいけない。黙っていいものを売る、これが車椅子営業マンの仁義というものだ。「手作りですから」などと言って、障害者を騙し続けている営業マンなんて、耳の遠い元気なおばあちゃん(健全な弱者)を騙すオレオレ詐欺の連中よりもはるかにたちの悪い営業だ。

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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