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 症状報告(29) ― 多発性硬化症ではない? 2003年09月18日

 今日は、午後からずーっと広尾の病院にいた。例の新しい検査の件(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=192.124.33)で、主治医と話すことになっていた。

 彼の診断のポイントは、3回の入退院における病巣が同じ部位だというのは(少し)おかしい、ということだ。

 多発性硬化症の、「多発性」という言葉の意味は、時間的、空間的の二重の意味がある。何度も繰り返す(場合がある)ということと、病巣も多部位で起こりうるということだ。これはこの病気のイロハの認識。

 ところが、家内の場合は、時間的には多発しているが、空間的には多発していない。これは(少し)おかしい、というのが主治医の判断。同じ箇所で、6ヶ月に3回も「多発するというのは、そんなにないことですか」(私)。「そうですね。あまりないことですね」(主治医)。

 「MRIを見てみると、骨髄のほとんど同じ部位にわずかに椎間板ヘルニアの突起がある(ように見える)。この突起による圧迫が神経に影響を与えているのではないか」(主治医)。「もう一つの可能性は、この部位の血管に異常があって、それがまた神経に影響を与えているのではないか。血管の異常による病気は、(たとえば)脳溢血のように突然起こる、再発するという点で今回の症状にも近い」(主治医)。

 「その可能性を見極めるために、造影剤を入れて検査をしてみてはどうかということです。場合によっては、今の症状が一時悪くなることも考えられますが(そんなことは滅多にないことですが)。ただし、そのヘルニアや血管異常の可能性はそんなに高くはないと思いますが、この際、色々な可能性を検証する必要はある」(主治医)。

 以上が今回の提案だった。もしそうであるとすれば、今回の病気は、難病でも何でもなくて外科的な病気ということになる。外科的には「難しい」手術らしいが、性格は全く異なる。

 私は、「もし、ヘルニアか、血管異常だとしたら、それに(多発性硬化症とは別の)固有な症状があるはず」と尋ねた。「症状としては、骨髄の神経に影響を与えているのですから、同じといってもよい」とのこと。

 「これまでの髄液検査などで、ミエリンの異常を示す数値が出ている、と云われていた、その数値は、ヘルニアか、血管異常でも同じような結果が出るのかどうか」とさらに尋ねた。「出る場合がある。この数字が出れば必ず多発性硬化症だというわけでもない。ほとんどは多発性硬化症だとしても、いくつかの別の可能性もある。ヘルニアも血管異常もそれに含まれる」。「それは困りましたね」と私。

 そこで私の(内心での)まとめ。だから、この滅多にない可能性に関わる再提案の根拠のすべては、同じ場所での再発、ということ、しかもそれは多発性硬化症の「多発」状態としてはあまりないこと、という判断。まず、それが主治医の診断の大前提。

 もう一つの問題は、ヘルニアや血管異常についての症状判断。本当に、ヘルニアや血管異常だとしたら、今の(これまでの)症状は100%説明できるものなのかどうか。家内の身体に起こっている症状のすべてからは、これら三者(多発性硬化症、ヘルニア、血管異常)の症状は区別はつかないものなのかどうか。

 いずれにしても現状の症状を悪化させるかもしれない検査をそう軽々に「承諾」するわけにもいかない(この検査には家族の「承諾が必要」)。それにステロイド(=パルス)の効果は依然として(今回の入院でも)はっきり出ている。パルスと経口ステロイドとのバランスや発作(びりびり)の抑制剤の調合の具合など、まだまだやれていないことはいくらでもある。

 たぶん、(副作用の強い)「免疫抑制剤」の投与(ステロイド投与の次の段階の治療)以前に、ヘルニアや血管異常の可能性をつぶしておきたいというのが、主治医の本当の判断なのだろう。それももっともなことだ。

 しかし、それには(ヘルニアや血管異常の)傍証が少なすぎる。いくら症状が同じとは言え、多発性硬化症、ヘルニア、血管異常の症状が100%一致する可能性はほとんどありえないだろう。かなりの部分の症状が重なっているにしても100%一致することはありえないはず。むしろそういった予想が立つところからの症状の再発掘が必要になるはず。「こんな症状は多発性硬化症ではありえない」というような。それが今のところ「同じ部位」の「多発」、ということだけだ。これでは傍証が少なすぎる。たしかに、「これは … である」という特定は(経験的な科学にすぎない医学)ではできないだろうが、「これは … ではない」という特定は症状アプローチでもかなりのところまで詰めることができるはず。

 私は、「造影剤検査の手前の、中間くらいの検査はないんですか」と冗談めかして尋ねたが、主治医は軽い笑みを浮かべながら「ないんですよね」と言う。

 そうこうするうちに尋ねたくなったのは、「ステロイド(=パルス)治療に制限はあるんですか」ということだった。「いや反応(効果)がある限り続けることができます」とのこと。そこで、(とりあえず)私の判断は固まった。「まだ絶望が足りないんでしょうかね。もう少しオーソドックスな治療を続けてみたいのですが」というのが、私の答え。というのも、ヘルニアや血管異常の可能性よりも、「同じ箇所」でのミエリンの炎症の「多発」の可能性の方がはるかに高いと思うからだ。やっぱり、(ヘルニアや血管異常については)もう少し傍証が欲しい、というのが素直なところだ。

 医療というのは難しい。医療(医学)にとって、人間の身体はブラックボックスにすぎない。薬や手術は所詮、刺激(input)の一つ、治るか治らないかは結果(output)にすぎない。何がどんな作用を与えて、その結果であるのかはほとんど説明できない。神経内科であればその事情はもっとそうであろう。バイオインフォマティックスによって、人間の全遺伝子情報が解読され、簡単に操作されるようになっても事情は変わらない。遺伝子が同じということと身体が同じということとは何の関係もない。一つの同じ時間、同じ場所に二つの身体が存在しうることはあり得ないことなのだから、身体学はどこまでいっても経験的な学問なのである。医療というのは、結構、原始的な領域なのだ。だから、医療従事者との会話というのは、「専門家」との会話というのとは少し事情が違う。お互いに納得できる見極めが必要になる。しかし、“専門用語”は多いし、説明は詳細になればなるほど「絶対はない」という“結論”になる。判断は、こちら側に振られてしまう。これはマーケティングにおける「顧客重視」とは何の関係もない。単に、答えがない、という迷妄の結果に過ぎない。

 こういった場合の心得は、まず医師の話についてわかったふりをしないこと。もう一つは、医師の診断の悩みを共有することだ。この二つの原則があれば、“治療”は前進する。

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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