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229 re(9):お正月、最後の映画は「八日目」で(ちょっと古いか?)。 |
2001/1/12(金)03:02 - 加藤 - 2250 hit(s)
わかりました。
それから、芦田さんのいう意味では、私は何も考えない人間だということもわかりました。(多分これからも私はこのままです。)
どうしても絵の話にたとえた方が私自身わかりやすいので、また絵の話になりますが、絵を描くときには一生懸命考えながら描きます。(難しいことは考えずに、感じるままに描きましょう!なんていうのは相当低いレベルでのアドバイスです。)そして他人の描いた絵を見るときにも、やはり考えます。
でもそれは芦田さんの「考える」とはまったく別の「考える」です。ある料理をおいしいという人に対して「間違っている」と言えないように、人の描いた絵を見て「間違っている」ということはできませんから。でも、やはりそれは「考える」ことなのです。芦田さんとは違う意味で。
批評できるかどうかという点で見ればそれは「考える」対象には入らないでしょう。そもそも絵画(美術)や映画などは、論文を批評するのと同じ意味では批評は不可能です。芦田さんは「自由であるかどうか」とおっしゃっていますが、私はもっと単純に、美術や映画は、考える前に必ず通過する「感じる」という段階があまりにも大きなウエイトを占めるからだと思います。「どう感じたか」が、その後の「考える」行為にあまりにも強く影響しすぎます。(美術よりは映画の方がはるかに「考える」余地は多いですが。)
芦田さんが映画について「深く考えるのはやめましょう」と発言したことに対して私が過剰に反応したのは、人によっては「映画は何も考えずに目の前に映し出されるものをそのままながめていればいい」という意味に受け止めてしまうかもしれないからです。
たとえば以前も例に出したスピルバーグの「激突」ですが、主人公の車を追いかけ回すトラックの運転手は、結局最後まで画面には登場しません。これはこの作品の演出の中では非常にわかりやすいものの一つで、わざわざ指摘するまでもないことなのですが、私の薦めで「激突」を見た知人は「最後まで見ても犯人がわからなかったので拍子抜けした」と言ったのです。
芦田さんは「そんなバカ相手にするな」と言うかもしれません。しかし、実際にこのレベルの人は多いのです。私は映画を見せる立場の仕事をしていたので、それがよくわかります。本当に何も考えなくてもいいハリウッド映画ばかり見慣れてしまうと、そうなるのです。そして、少しでも観客に「考える」(これは「ちょっとでも頭を使う」程度の意味ですよ)ことを要求するような映画は客が入らなくなり、そういう映画は作られなくなり、映画はオモチャみたいなハリウッド映画だけになっていくのです。(ハリウッド映画そのものが悪いというのではありません。私もよくできたハリウッド映画は大好きです。)
ところで「シンドラーのリスト」がアカデミー賞ねらいだと書いたのは、知識主義とかタバスコ・猪木論などではありません。見たのはずいぶん前なので、この映画に関してはその程度しか印象が残っていないからです。
最後になりますが、「意味不明」という返信は気に入りました。これから折に触れてこのフレーズを使わせていただきます。
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