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218 re(4):お正月、最後の映画は「八日目」で(ちょっと古いか?)。
2001/1/10(水)02:56 - 芦田 - 2139 hit(s)


加藤> 深く考えなくてももちろんいいけど、深く考えることもできるのが映画です。そんなことありえません。映画で深く考えたり、人生や人間を考えたりするのは、長淵剛(あるいは尾崎豊)の歌を聞いて、人生を考えた気になっている奴がこっけいであるのと同じくらい意味のないことです(もちろんいい映画のほうが、長淵のいい歌よりずっと優秀だと思いますが)。

それは映画が空間に依存しすぎる媒体であるからです。だから、淀川も“断片”を語らざるを得なくなるし、蓮見重彦もビデオでしか到達できないような批評を繰り返さざるを得ないのです。そういうものが映画なのです。

「八日目」の主人公の死についてですが、「あざとさ」なんてないですよ。それは加藤さんの誤解です。むしろもっと別の終わり方があったのではないか、という意味では三流の終わり方ですが、「あざとく」はないですよ。別の終わり方があったのではないか、という意味では、むしろそういう相対的な死を選ぶべくして主人公は死んだ。つまり死は選択されたものではないというように主人公は死んだ。それだけのことです。そこまでは、監督の考え方を理解してあげたほうがいいと思いますよ。

「自分を見失ったサラリーマンがダウン症の人間と出会い、人間性を取り戻していく」というテーマ、と加藤さんはこともなげに言いますが、これ自体が、散文的な、みもふたもない理解でしょう。こんなふうに映画を見ると、すべての映画は、散文より劣ります。こういうところでは、映画を“考え”たりしてはいけないのです。それは映画に対するないものねだりにすぎません。




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