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221 re(5):お正月、最後の映画は「八日目」で(ちょっと古いか?)。
2001/1/10(水)04:57 - 加藤 - 2223 hit(s)


ちがいます。深く考えるというのは、映画を見て人生や哲学や差別問題やダウン症について深く考えるということではありません。(そういうことを考える自由ももちろんあります。長淵の歌を聴いて人生を考えた気になる自由があるように。)

どんな映画だって、散文的な、みもふたもない理解をしようと思えばできます。優れた映画も、筋書きやテーマだけ取り出せば陳腐であほらしいものです。
映画でなくとも、たとえば絵画。描かれているものは、女性の裸とか単なる建物とか花瓶とか、どうでもいいようなものばかりです。それこそ、散文とはくらべものにならないくらい劣ります。
問題は、それを「どう描いているか」なのです。
ゴッホが教会の絵を描いたとする。描かれている対象である「教会」そのものに意味がないとは言いませんが、むしろその絵にとって本質的なのは、「断片」である構図、色の組み合わせ、筆のタッチ、そういったもろもろの断片の集合から感じられる画家の精神、そういうものです。この点で、絵画は散文をはるかに越える可能性を持ちます。(同時にそれは、批評を難しくさせるような「曖昧さ」もはらんでしまいますが。)

映画でも大事なのは断片であり、その断片の集合である作品全体です。(その意味では、もちろん筋書きやテーマなども一つの「断片」ではありますが。)
「八日目」で私が感じたのは、そういった「断片」の美しさ・おもしろさが感じられなかった結果、散文にも劣るような「テーマ」だけが際立って目立ってしまったということです。(これは「どう感じたか」という個人差のある曖昧な問題なので、芦田さんと私の間で差が出るのは当然だと思います。)

スピルバーグ監督のデビュー作で「激突」という映画があります。傑作です。トラックを追い越した乗用車が、そのトラックに執拗に追いかけられるというだけの物語ですが、映画には数々の「断片」のおもしろさがあふれています。
テーマだけ取り出せば同監督の「シンドラーのリスト」の方が立派かもしれませんが、「シンドラーのリスト」は「アカデミー賞を取りたい」という「あざとさ」だけが目立ちます。この2つの映画を見比べるだけで、映画の表現とは何か、ということについて「深く考える」ことができるのではないですか?

ちなみに私は尾崎豊と長淵剛は嫌いです。人生を考えた気にさせるようないやらしい歌詞も嫌いですが、それをつまらない音楽に乗せて歌うところがもっとも嫌いです。


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