138 re(2):ジョージクルーニ・デンゼルワシントン・ジュリアロバーツ |
〈事実〉ほどくだらないもの、危険なものはありません。同じように〈実話〉が優れているとすれば、それが〈事実〉を超えているときだけです。〈事実〉は仮託の対象ではなく、乗り越えられるべき何かです。というより、〈参照性(仮託性)〉は〈真実〉を弱めることはあっても強めることなどないのです。
かつて、社会主義リアリズム論というものが流行ったことがあります(今でもこの残党はたくさんいますが)。
それは、芸術は表現の大衆的な形態で、それは真実(あるいは観念的な空想と対立する意味での〈事実〉)に奉仕する(従属する)ためのものだという思想です。
たとえば、黒人差別解放論というのは硬質な〈論文〉として発表すると誰も難しくて読まないが、「ザ・ハリケーン」のように映画(映画芸術)にすると“わかりやすくなる”というものです。そうやって、「プロレタリア文学」という概念、あるいは、知識人同伴者論(知識人は労働者階級解放のために啓蒙的にその階級に同伴するべき存在だ、という知識人論)が登場したわけです。根深いにしてもばかげた思想です。
「ザ・ハリケーン」を見て、黒人差別はいけないと“わかる”ような人は、何もわかってはいないのです。そんな人は、逆に黒人差別の映画を見れば、ふたたび、その理由が“わかる”人でしかないのです。認識とは、一つの格闘であって、媒体の問題(=わかりやすさの問題)ではありません。言い換えれば、一つの認識が、〈表現〉になるのではありません。〈表現〉自体が格闘であるわけです。どんな〈表現〉も、それとは別の目的に従属するものではないのです。
たとえば、未だなお、社会主義リアリズム論の立場にたつ日本の左翼は、民主主義を達成した“後に”社会主義だという“段階”革命論の立場に立っています。
突然、「社会主義だ」と言ったら「誤解」されるから、とりあえずは、同意を得やすい「民主主義」を唱う、という“段階”革命論です。ここでは、社会主義が真理であることが、無条件に信じられていて、民主主義自体は仮想性でしかありません。本来ならば社会主義だが、いまのところは民主主義だというのは、自分の認識は正しいが、間違っている人(=民主主義を信じている人)たちの多いこの段階では「誤解」される恐れがあるから、そのことはあまり表に出さないようにしようということ。
でも、間違っている人(=民主主義を信じている人)たちの多いこの歴史段階で、なぜ、自分だけが正しい人であったのか(なぜ、自分だけが〈前衛〉として超越し得たのか)という問いかけ(=格闘)が、この“段階”革命論には欠如しています。言い換えれば、『資本論』を書いたマルクスは、資本主義の〈内部〉にいたのか、〈外部〉にいたのか、という格闘がこの“段階”革命論には欠如しているのです。
「民主主義は間違っている」と一言言えば、とんでもない格闘(国会での議席がなくなるほどの)になることを、“段階”革命論は回避するわけです。この回避が、社会主義とは何か(あるいは民主主義とは何か)の本来の検討を延期させてしまうのです。その結果露呈するのは、底の浅い社会主義(底の浅い自己認識)、あるいは底の浅い民主主義(底の浅いリアリズム論)なわけです。
かつて、太宰治は次のように書いていました。「自分でしたことは、そのように、はっきりと言わなければ革命も何も行われません。自分でそうしても(この「そうしても」には傍点がついている:芦田註)、他のおこないをしたく思って、人間はこうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、人間の底からの革命がいつまでもできないのです」。
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