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83 re(8):情報化社会とローン社会と終末論と
2000/11/11(土)23:20 - 芦田 - 15749 hit(s)


 過去が“後から”やってくるということをこういうふうに言い換えたらどうでしょうか。
過去は、将来からやってくるというふうに。あるいは、人間の今・現在は、過去からの累積の結果として存在するのではなくて、将来から照射されて存在しているのだというふうに。あるいは、もっと別の言い方をすれば、人間にとっては生きることが先にあるのではなくて(つまり生の拡張として今・現在があるのではなくて)、実は死ぬということが先にあって、人間の生自体は幻想。人間が生きていることは死にはじめていることのメタファーだとしたらどうでしょうか。
 人間にとって最も確実なことは、生きていることではなくて死ぬことです。必ず生きるのではなくて、必ず死ぬというのが人間です。そうすると、この世に生を受けるというのは死にはじめるということであるわけです。生きてから(その結果)死ぬのではなくて、そもそもの生のはじめから、死にはじめているということです。つまり人間の生きることは、まだ死んではいないことの結果としてのみ生きることなのです。生きることは、死ぬことの間延びとしてのみ存在しているということです。死は、終点としての点ではなく、空間です。むしろ生こそが、死ぬことの影であって、生の影が死ぬことではないのです。
 そのように、人間の今・現在は、過去からの連続的延長、つまり生の実在生(生きることの因果)としてではなく、死の将来性からの結果、つまり自らの死の贈り物として考えられるのではないか。もしどうしても「潜在」性ということを言いたいのなら、人間の今・現在には、死が潜在している、つまり死という将来が潜在しているということです。
 それはどういうことでしょうか? たとえば、黒柳徹子にとっての「自由学園」(黒柳の就学小学校)というのは、彼女が一タレント(“自由”業)として成功している(かのように見えている)という(自由学園就学時代にとっての)未来からはじめて生じる過去だということです。〈過去〉とはその意味で実在するものではなく、これから自らがなすことから将来するもの(やってくるもの)だということです。講壇哲学では、存在論的な先行性(実在的な先行性)と認識論的な先行性(認識にとっての先行性)との2種類の先行性がある、などとくだらないことを言ったりしますが、要するに人間の生の時間性は、物理的にリニアな(線的な)ものではなく、むしろ曲がっているということです。
 要するに、〈歴史〉とは、今・現在の解釈の一形態だということです。そして、今・現在が解釈であるのは、それがたえず将来する死の淵だからです。死の振動が〈現在〉だからです。したがって、歴史解釈は、連続性(因果関係、あるいはあなたの言う「潜在」性)を解釈することではなく、〈ウォークマン〉が登場したときの違和感(こんなもの絶対買わない、と私や私の周囲が思った違和感)を浮き彫りにすることでなければなりません。歴史的感覚の使命は、心理学やマーケティング主義の安易な因果論とは無縁であって、既に勢力のあるものの断層を見出すことにこそあるのです。
 もし『窓際のトットちゃん』を読んで、「自由学園」の教育を優れた教育だというひとがいるとすれば、それは単に黒柳徹子の〈現在〉を評価しているだけであって、「自由学園」を評価しているわけではないということです。「自由学園」の存在は、単に拡大した黒柳徹子にすぎません。それは、黒柳徹子の〈現在〉=プレゼンス、つまり〈権威〉が拡大しているだけなのです。要するに、黒柳徹子は、自らの伝記を書くことによって、自分は偉い、とうぬぼれただけのことです。
 私の大学時代の恩師は、サルトルは、ドイツ語もできないし、ハイデガーの勉強を一年くらいしかやっていないと言って批判していました(突然、そう言いながら授業が始まったのです)。また同じようにフッサールもまともに哲学を勉強した経歴がないといって批判していました。そのこと(サルトルはドイツ語ができない、ハイデガーをまともに読んだことがない、フッサールは哲学史についての素養がないなど)をサルトルやフッサールの数々の生涯的(歴史的)事実を指摘しながら、〈だから〉サルトルはだめなんだ、フッサールはだめなんだ、と言いたがったのです。その授業が始まって(サルトルやフッサールの〈過去〉をあばく事実の指摘が始まって)、かれこれ一時間くらいたっていましたが、私は、そのとき、「先生、まだ続くんですか?」と言ってしまいました。「なぜだ」と先生は言いました。「だって、くだらないもの」と私。「なぜだ」と先生。「だって、その同じ事実を、サルトルの擁護者であれば、ドイツ語ができないのに、あるいはハイデガーを一年しか勉強しないであれだけの立派なことが言えるのはさすがサルトルだ、というふうに言うでしょう。フッサールについても同じじゃないですか」と私。「でも(先生の言っていることは)少しは役立つだろう」と先生。「まったく意味がありません。FOCUS・FRIDAY的ゴシップにすぎません」と私。そのゼミ室は学生が7人しかいない。一瞬シーン…。先生は激怒。机をたたいて出て行かれた。「おい、この授業、来週からどうなるんだ」とみんなウロウロ。なつかしい思い出だ。
 ここでも、問題はただ一つ。要は、サルトルやフッサールの〈現在〉をどう評価しているかだけのことです。私の先生はただサルトルやフッサールが嫌いだったということにすぎないのです。そのことが〈先〉にあって、サルトルやフッサールの〈生涯〉が存在しはじめるということです。あらゆる伝記(=あなたの言う「潜在」性)は、そういった転倒の上に成立しています。「unknown」も「known」の拡大された形態だということになぜ彼らは鈍感なのでしょうか。「ジョハリの窓」のマーケティング心理学(あるいはマーケティング全般、心理学全般)がまったくでたらめなのは、彼らがこういった転倒性に無知なままでいるからです。むかし、レベッカのノッコがNERBOUS BUT GLAMOROUS(私が大好きな歌の一つですが)の一節で、「星の巡り合わせなんて簡単なものね 落ちればみんなそう言うわ」と歌っていたのを思い出します。マーケティング主義や心理学は、レベッカ以下なのです(と、書いたら急にレベッカが聞きたくなって、今、我が家ではNERBOUS BUT GLAMOROUSが大きな音で鳴り響いています。「ポイズンツアーコンサート1988」のレザーディスクまで棚の中から探しはじめています)。
 ところで、「YW」さん、私の『書物の時間』をご存じだったのですね。あれは、私の80年代の仕事の総決算です。いまでも基本的に間違ったことは書いていないと思っています。悲しいのは、むしろあれから一歩も進めていないということです。


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