「芦田の毎日」 第二期(2001/6/12〜2001/12/26)総集編

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506 第二期「芦田の毎日」総集編(2001/6/12〜12/26)

2001/12/31(月)03:30 - 芦田宏直 - 63 hit(s)

年の瀬も押し詰まり切りもいいので、第二期総集編をUPします。この期のヒット数第一位は、なぜか「失業者よ出でよ」(408番)でヒット数は566。時節柄のヒットでしょうか。二位は「緊急入院しました」(379番)でヒット数551。私のことを心配してくださる方がおられるのを知って一安心。三位は「新・子供に携帯電話を持たせるな」でヒット数465番です。これは、私の最近のライフワーク。456番の「散髪屋にて」も338のヒット数でたくさんの人に「芦田さんて、本当は優しい人なんだ」と思っていただいて好評でした(本当に優しい人ですよ)。「芦田の毎日」全体で、トップのアクセス数を誇るのは、331番の「『一流』とは何か」 アクセス数はなんと932。これは私自身も気を入れて書いたもので、うれしい現象です。2001年4月以降、仕事が忙しくなって、第一期のときよりも記事と文字数が減っていますが、今後も懲りずに書き続けていきますので、よろしくお願いします(なおヒット数は12月31日現在のものです)。

371 大学改革は教育改革ではない。

2001/6/12(火)00:05 - 芦田宏直 - 252 hit(s)

専門性と教育は対立する。言い換えれば、専門家と教育者は対立する。教えるということは、すでに存在しているものを教えることである。しかし、専門家はたえず、未解答の、未知の、未聞の課題を探求する。専門家にとって、他人に教えるということは、既知のものをわざわざ教えるという意味で後退現象なのである。他人に教えることどころか、自分が知りたいこと、聞きたいこと、尋ねたいことばかりであるのが、専門家の現在だ。他人に教えるくらいなら、自らの諸課題を解くことを選ぶのが専門家というものである。すでに自分が知っていることをわざわざ他人に教える暇など専門家にはない。自らの課題を自立的に形成し、自立的に解決していく時間(や空間)を確保することこそが専門家の関心である。

専門家と教育とがかろうじて近接するのは、大学や大学院でのことだが、ここでは専門家は「研究者」と言われる。ここでの授業は、「教育」と言うよりは“研究発表”である。大学や大学院での教育(=講座)は、基本的には研究者である“教授”が、日常的に、あるいは日々新たに研究している主題の展開(未公開の、あるいは作成中の論文)を披露する場所である(もっとも、そうではない、何年も同じ講義ノートを使う“教授”もいるが)。学生が、それをわかるかどうかは一義的には問題ではない。大学生として選抜された学生が「学生である」ことの意味は、その教授の“発表”に付き従えるかどうかをたえず試されているだけのことである。それが大学における教授と学生との関係のすべてである。大学という機関では、教授は学生の能力を顧慮しない。学生が教授を遙か後方から“追いかける”のである。だから、大学の講座には教材開発という動機が最初から生じない。〈教材〉というものは、学生という他者を意識する時にはじめて成立する概念であって、自立的に諸課題を見出し、担い、自立的にそれに答えようとする者にとって、〈教材〉意識など生じるはずがない。自立的な研究者、専門家 ― というより自立的でないような研究者、専門家など(概念としては)存在しない ― にとって〈文献〉を意識することはあっても、〈教材〉を意識することなどありえない ―〈文献〉とは自分自身のための教材(自立的な教材)のことを言う。彼は〈教材〉を意識するとしても「しぶしぶ」意識するだけのことである。従って、大学は「教育機関」ではない。旧文部省は、短大を「教育機関」とはするが、大学はそう呼ばす「研究機関」としたのである。

少子化が叫ばれ、高等教育の大衆化が叫ばれ、大学進学率も40%を超えるようになると、もちろん、教授を追いかける(前方しか見ない教授の背を見ながら)学生などほとんどいない。背を向ければ、教室に誰もいなくなるほどに、「大衆化」は進んでいる。しかしそれでもそれは単に学生が変わっただけで、教授のマインドに根本的な変化はない。大学教授の生来の願望は、授業などないほどいい、というものである。これは大学教授が怠け者で休みたいからそうなのではなくて、教えるくらいなら「研究Forschung」を続けていたいということから来ている。その意味では、“教授”は、土日を含めて「勤務時間」などもとからなく働き詰めである。研究の合間に(定められた時間としての)授業がある、というのが教授たちの実感だろう。大学改革が「教育」改革という局面でほとんど進まない理由がここにある。大学改革とは、教授たちにとって、研究体制の改革以外には意味のないものなのである。

したがって、本来、研究者(あるいは専門家)は〈啓蒙書〉や〈入門書〉(あるいは教科書)を書かない。そんな他者を意識した〈教材〉を書いている暇などあるはずがない。自分の諸課題を究明することの方が切実だからである。研究者が〈啓蒙書〉や〈入門書〉(あるいは教科書)を書き始めるというのは、あるいはテレビや雑誌に頻繁に登場し始めるというのは、その研究者が“長老”となって現役をすぎてしまったか、もとから世俗化ずれした三流の研究者であったかのどちらかにすぎない。研究者が〈他者〉を意識し始めるというのは、危険な兆候なのである。研究者は〈事柄(Sache)〉にのみ追従するのであって、どんな〈他者〉にも追従しはしない。〈事柄(Sache)〉にのみ追従するということが、彼らの倫理や社会性の在処なのである。

それに反して、教育者はすでに知っていること、すでに習得していることを他者に伝えることに専心する。何を知っているのか、何を知ろうとしているのかというよりもどう伝えるのか、どう理解させるのかが、教育者の主要な課題でなければならない。たとえ、知っていること自体の再探求が課題になる場合でも、それは教えること、教え方のさらなるブラッシュアップのための再探索であって、つまり〈教材〉を再開発するためであって、〈事柄(Sache)〉を探索すること自体に関心があるためではない。実際、高校までは(あるいは大学であっても教育的な授業の場合には)、教員にとっては「教科書」というものがすでに与えられている。これは〈何を〉教えるかではなく、〈どう〉教えるのかが彼らの課題だということを意味している。高校の教員でも、「オリジナルテキスト」を使用している熱心な教員もいるが、これも何を教えるかの〈何を〉を「オリジナル」化したわけではなく、教え方に関して、既成の教科書の記述では飽き足らないということを動機にしている。〈他者〉を意識したオリジナル化、〈他者〉のためのオリジナル化なのである。言い換えれば、受講生である生徒や学生に追従するためには、既成の教科書では不可能だという認識においてのオリジナル化なのである。それらは、〈他者〉のために〈教材〉を作るという教育者の根本性向に属している。同じ科目の同じ授業、つまり理解させることが同じものである授業であっても、学生が変われば、教材は変化する。能力や目的の違う学生にどうやって与えられている目標(〈何を〉)をクリヤさせるか、これもまた神業に近い教育者特有の仕事なのである。教育という“専門性”が存在するとすれば、それは与えられている目標(〈何を〉)と学生の現状の能力や関心との乖離を埋める〈教材〉を作ることができるかどうかに関わっている。

専門家は〈何を〉としての〈事柄〉を非人間的に(=事柄に即して)探求し、教育者は〈いかに〉としての〈教材〉を人間的に(=学生に即して)探求する。

その意味で、教育も固有な領域を担っている。専門家であることが、その道の教育者であるとは限らないし、教育者であることがその道の専門家であるとも限らない。両者は同じように見えて、基本的には別のマインドで形成されている。

「学校」というのは、したがって専門家の集団ではない。教育機関としての学校は、教育者の集団であり、〈論文〉ではなく、〈教材〉を資産に持つ機関である。

教育機関としての「学校」は〈研究者〉を養成するところでもなければ、〈専門家〉を養成するところでもない。各教員が実務経験の中で学んだことやすでに有している知識や技術以上のものを教育目標の〈何を〉として掲げる必要は当面ない。それ以上に重要なことは、すでに獲得されているそういった能力をどうやって学生に伝えることができるのかということなのである。その意味では「カリキュラム」も「科目」も教える〈何を〉を表現したものというよりは、教える順序と構成(分節化)を意味しているにすぎない。「カリキュラム」も「科目」も教育的なものであって、何らかのオブジェクト(や事柄Sache)を意味しているわけではないのである。

カリキュラムの存在も科目の存在もそれ自体がすでに〈教材〉である。それらは、何を教えるかに留意して作られたものというよりは、どうやって教えるのかに苦慮して作られている。

「教員である」ことのプライドは、「専門家である」ことのプライドではなく、こういった授業の構成力のノウハウ ― それが形となったものが〈教材〉である ― についてのプライドである。教授が、〈事柄〉に追従しながら〈論文〉を構成していくように、教員は〈生徒・学生〉に追従しながら〈授業〉を構成していく。ここにこそ、〈大学〉とは別の、〈学校〉と〈教育者〉のミッションがある。

372 フレッツADSL導入

2001/6/15(金)00:24 - 芦田宏直 - 203 hit(s)

我が家のインターネット接続を昨日「フレッツISDN」から「フレッツADSL」に変えました。申し込んで約一ヶ月。電話線と共用せず、専用線で契約。ISDNは2回線の電話利用としてそのまま使うことにしました。共用線は電話中に「ノイズがはいる」といった“噂”もあり、ISDNの2回線利用の便利さも捨てがたいものがあったのでそうしました。フレッツISDNは、MN128SOHO-SLOTINで繋いで無線LAN(3台のパソコンの無線LAN)を構築し重宝していたので、それをそのまま流用しない手はない。ちょうどMN128SOHO-SLOTINをブロードバンド対応させる「簡単導入パック」が5000円程度で出ていたので、それを買ってのADSL導入だった。

さて肝心の“速さ”ですが、我が家(世田谷南烏山のマンション)のADSLは、専用線の出口のところで、1145kbpsの速度(ちなみにISDNが理論値64kbpsの速さですから、約18倍の速さです)が出ています(私は総戸数160戸マンションに住んでいますが、他に3住戸がADSL契約をしているらしいこのマンションの中では「最速が出ている」とのことでした:NTT回線業者)。ADSLは、アナログ回線なので電話局との距離でかなり速度に差が出ると言われていたので心配していましたが、結構の速さが出ており、安心しました。昨夜セッティングをしてブラウジングをした場合の実測値では640kbps前後出ていました(フリーウエアをダウンロードして測りました)。実測においてもISDNの約10倍のスピードです。もはやISDNは過去のものになったということでしょうか(もちろんADSLの天下も光ファイバー回線がすでに月額1万円を切っているので時間の問題かもしれない)。

ちなみに、数値では速さを伝えるのは難しいでしょうから、テラハウスのWEBカメラを見ようとした場合、ISDNだと30秒〜1分(以上)くらいかかっていたものが、3秒から10秒以内で両画面が出るようになりました。

ISDNであれ、ADSLであれ、定額契約は絶対におすすめです。インターネットの“快楽”は、常時接続をしなければ味わうことはできません。データを取るために、いちいち、ダイヤルアップ接続をしなければならないということでは(接続している間に料金が累積、加算されていくという脅迫的な課金制度では)、点的な参照しかできないため、インターネットの総合的、重層的な情報活用がまったくできない。それと、ちょっとした調べものにも便利なインターネットであるにも関わらず、そのつどのダイヤルアップ接続ということになれば、面倒くささが先に立って、結果、利用しなくなることが多い。これでは世界大で日常的に騒がれているインターネットも他人事や仕事の世界(あるいはメール利用)だけのものになってしまう。意味がないわけです。

経費は、NTTへの月額経費が6000円ちょっと(ちなみに専用線でなければ4500円程度)。私のプロバイダであるNIFTYとの定額月額契約が2000円。合わせて月額約8000円で「ブロードバンド」インターネット体制ができあがる(工事費も20000円以内です)。なお、NTTは、来月からさらにADSLの月額を1000円程度安くする予定。年内には現在の6000円(専用線)は、4000円くらいにはなるのではないか。これは現在のフレッツISDNとほぼ同額の値段です。夏休みまでに利用するには、今すぐ申し込んだ方がいいですよ。

375 アメリカンヒストリーX、オードリヘップバーン、ロビンソン … 。

2001/6/18(月)00:10 - 芦田宏直 - 275 hit(s)

アメリカンヒストリーX。久しぶりにロマンチックな映画を見てしまった。“ロマンチックな”映画は、途中で寝てしまうこともあるけれど一気に見せてくれました。黒人差別(反黒人差別)の映画としても、兄弟愛の映画としても、家族愛の映画としても、中途半端な脚本でしかないのだけれど、これがなかなか見せる映画です。全編の7割くらい占める白黒画像と時たま入る超高速度撮影がまたロマンチックなイメージを上手に盛り上げているような気もします。主人公のエドワードノートンは、下手をするとロバートデニーロのような大根役者になる“危険性”があるけれど、でもいいじゃないですか。エドワードノートンの弟役のエドワードファーロングがまたいいんですよ。役を作りすぎている感じもすれけど(たぶんアメリカ人が見ればそうだと思う)、(外国人である)日本人の私にはちょうどでした。薬中のようなうつろでさびしそうな目(本当に薬中で入院経験があるらしい)が今でも私の胸の中に残っています。

それはそうと、「午後の紅茶」のTVコマーシャルいいですね。「ローマの休日」のオードリヘップバーンとスピッツの名曲「ロビンソン」(ルーララ、宇宙の風に乗る♪♪)との組み合わせがぴったり。「川原の道を自転車で走る君を追いかけた」というときの「自転車」はオードリの自転車だったんだ、となぜか合点がいき、「ルーララ♪」という歌詞はオードリの、天使のような(それでいてキュートな)微笑みのためにあったわけです。マークIIとジョージクルーニの組み合わせ(「芦田の毎日」134番参照のこと)以来の大ヒット作です。日本のTVコマーシャルの背後には飛び抜けて優れたプロデューサーがいそうな気がします。いつでも手軽に勉強できて重宝しています。

379 緊急入院しました。

2001/7/1(日)20:32 - 芦田宏直 - 549 hit(s)

6月21日(木)の朝、6:00くらいからお腹急に痛くなり、寝れば何とかなると思ってもう一度寝込みましたが、今度は痛くて眠れなくなり、七転八倒。じっとしていられなくなりました。ちょうど痛みで起こされたのが8:30くらい。家にはもう誰もいません(息子は学校、家内は会社)。吐き気はするのですが、何も出ない。お腹が痛いのに、下痢もまったくない。私は風邪の時には、だいたいお腹の来るので、吐き気や下痢の感覚はつかんでいるが、こんな腹痛は初めて。おへその下あたり全体が痛い。痛さは下痢の時の痛さと同じ。でも出るべきものが上からもしたからも出ない。寝込んでも立ってもころがっても痛さが変わらない。そうち居ても立ってもいられなくなった。ただごとではないと思い始めた。こうなったら、救急車。でも110? 119? 109? 急にわからなくなって、110番。「あのー救急車って、何番でしたっけ?」「119番です」「ありがとう」。そして119番に電話。「こちら119番。火事ですか、救急ですか」「あのーお腹が急にいたくなって」「わかりました。地区はどこですか?」住所を言って、最後に「住宅街だから、サイレンを落としてください」とまではまだ冷静だった。救急車は5分足らずでやってきた。このときにはもう地獄のような痛さ。サイレンの音がしたのでその段階で下に(私の階は8階にある)息絶え絶えの状態で降りた。下に降りるとマンションの管理人たちが(想像していたとおり)4〜5人ぞろぞろとでてきて、誰なのという感じ。「あっ、芦田さん、お子さんか奥様に何か」「いや、僕なんですよ」。それが精一杯の返事。管理人たちも思わず沈黙。

救急車に乗ってからがまた時間が取られるというのが今回の勉強の最初。まずそれなりの診断をする。そうでなければどの病院も受け入れようがない。そのうえ、希望の病院はないのかまで聞いてくる。私は特に病院通ではないので「どこでもいいですよ」。「近ければ」と付け加えた。救急隊の人たちの病院の選択にはかなり慎重な感じがあったが、その意味などこの段階ではまったくわからなかった。こういったやりとりでほぼ10分くらい。この時間がやけに長く感じた。早く連れて行ってよ、というのが私のこのときのすべてであった。

結局、私の家から一番近い「S総合病院」に決まった。「Sでいいですか」と隊員。「S病院」は私の散歩コースの周辺でもあったから、「いいですよ」(これがいけなかった)。

救急車でほぼ6分くらい。もちろんこんなことは初体験。しかし着いても「S病院」は普段のまま。外来患者の診察の間に割り込むという感じ。割り込めればまだいい方で、このままでは私は、なんのために救急車で連れ込まれたのかわからない。「ウーウー」としかし病院中、響き渡るくらいに、私の悲鳴は大きかった。あの車椅子で、外来のロビーをうなりあげながら通行する風景は一生忘れることはできない。診察室で横になっても先生は隣の部屋で外来を看ており、すぐには来ない。「ウーウー」は、“早く来いよ、この野郎”という懇願の声にもなっていった。やっと来たのは、この病院の、若いS院長先生(あとから散髪屋に行って仕入れた情報だが、この若い院長は、3代目で、創始者はこの院長の祖父らしい。祖父も2代目もいい先生だったらしい。さてこの現役の院長は?)。「どうしましたか?」だって。バカじゃないの。お腹が痛いのよ。「どのあたりですか」。「全体に」と私。「全体って? 横とか後ろとか、へその上、へその下?」。だったら最初からそう聞けよ。「へその下あたりで、前の全体という感じ。特に局所的な感じではない。下痢をしたときの腹痛に似ているけれど、下痢も(最初、吐き気はあったけれど)嘔吐もない」と私はそう答えた。この若い院長先生、私の下腹部を押さえながら(この押さえ方じゃ診断できないでしょう)、「うーん、とりあえず、検査してみましょう」と先生。それだけ? そんなこと誰だって言うじゃない。私はこの先生に診断を期待することを早々と諦めた。「検査もいいけど、とりあえず、痛みだけはとっていただけますか?」。「そうね、痛み止めを打ちましょう」。そう答えるのがこの先生には目一杯というところだ。

そこで出てきたのは、(誰でも子供扱いにする)年齢不詳の看護婦。「いたそうね。これをうつと大丈夫よ」。看護婦というのは、なぜ患者を、いつでも親しげに年下扱いするのだろうか(私よりは若いくせに)。「大丈夫よ」の「よ」は、どういう言葉使いなのか? これが(10人以上の老若看護婦と接して)今回の入院騒動で一番感じたことだった。筋肉注射を2本一度に打たれた。注射は、30年前の日本脳炎予防注射以来のことだ。「これって、すぐにききますか」「すぐききますよ」「すぐって、何分」「すぐに効く人もいるし10分くらいかかる人もいます」「ということは最大10分ということね」「そうよ」。私には、もう我慢の限界だったので、「最大」10分という答えがほしかった。ほっとしたのもつかの間、こんな注射、何の役にも立たなかった。まったく痛みはとれない。

注射が30年ぶりなら、点滴ははじめて。筋肉注射のあとは、点滴をすることになって、これが退院までずーっと私を悩ませることになる(寝ても覚めてもトイレまでも、そして検査中も、着替え中も点滴。バカじゃないの。こういった無様さが病人をますます病人にするのです)。

痛み止めが効かない状態で、まずは、1)尿検査 2)血液検査 3)立ったままのレントゲン 4)寝た状態でのレントゲン 5)超音波検査 を一気にやらされた。こんなバカな検査はない。検査中も点滴状態。そのうえ、痛くて痛くて、レントゲンも超音波も、壁に足を何度もぶつけないと耐えられないほど痛いのに、「壁にぶつけると足が痛いですよ」だって。青果市場をまわるように検査ごとに別々の人が検査露天商をやっている状態だから、検査される私は自らを“物”のように無機物化するしかない。この無機物化が痛みの内在感に合わない。ばかやろう、何が10分だ。もう、30年ぶりの注射を打って1時間は経っていた。

もう一度外来患者を相手にしている院長先生のところに戻ってきた。この病院に着いたのが9:30くらいだから、検査を終えて戻ってきたのが11:00くらい(と時間を書いているが、これは私の錯覚。実は、私が家内に「今から救急車を呼んで病院に行く」と電話をしたのは、11:10らしい。私は、自宅で2時間くらい七転八倒していたみたいだ。もはや時間の感覚もなかったのかもしれない)。

「まだ痛いですか」。(見りゃわかるだろ)。「ほとんど変わりませんね」と私。検査データに目を通して、先生が言った言葉。「どこも悪くはないですね」。「とりあえず痛みを取ってほしいのですが」。「そうは言っても原因がわからないと。何の痛みなのかがわからないとそんな簡単に痛みは取れませんよ」。誰がそんな“理屈”を言えと言ったんだよ。手で押さえて(触診で)わからないのだから、あとは機械的な精密検査しかない。人間的な痛みという有機的なシグナルは、もう意味はない。私にすれば、盲腸の手術の時にする麻酔薬くらい打ってくれればと思っていた。別に痛みさえ取れれば死んでもいいのだから、というくらいに「ウーウー」唸っていたのだから。痛みの最大の原因は生きているということだ。生きていることの最大の原因は死ぬということだ。したがって、痛みは死なないととれない。麻酔は仮死状態(生きながらにして死ぬという禅仏教状態)を作ることなのである。かつて、太宰治は、人は思想だけでは死ねないと言っていたことがあるが、身体の荷担とは、死の荷担のことなのである。

「とりあえず、座薬を入れましょう」。「座薬」なんて恥ずかしいよな、なんて言っている奴は元気で健康な奴。痛みさえ取れれば何でもやるよ、という気になってしまう。私も堕落したものだ。これがよく効いた。30分くらいでやっと痛みがとれはじめた。21日木曜日の正午近くだった。痛み始めて、約6時間(これも家内の記録によれば、私の錯覚。座薬を入れたのが午後1:50。痛みが取れ始めたのは午後3時近くだったらしい。私は10時間くらい痛みで唸っていたということだ)。私は、この座薬だけでよかったのだ。

しかし、座薬なんてするくらいなら死んでもいいや、というのは人間が元気なときに言うことであって、病気になって見ろよ、そんなことはすっとんでしまうから、なんてことを私は本気で言う気は全くない。事実そういう気になったが、それとこれとは別。他人様に穴の穴(けつのあな)を見せるのを「しようがない」なんて言う気になるのは、もはやその人間が人間でないときにだけであって、たぶん座薬を入れる看護婦も人の穴(人間のケツ)とは思っていないだろう。(ただし、この病院は、その座薬を入れた看護婦の指を横になっている患者である私の頭の背後で洗う位置に洗面所がある。これは気になる。私のお尻はそんなに汚いのか?!)。子供を出産する女性(亭主にさえ見せたことのない秘部を他人にさらす女性)がもはや人間ではないように、私も少しは人間ではなくなったわけだ。要するに、死ぬのが初めての病気くらいの人生をおくりたいものだ。健康なまま病気になれるのは女性だけなのである。本当は出産は最高の病気である。ウイルスどころではなく、他者それ自体をカラダに抱え込むのだから。

あれこれと思ううちに「明日は、CTスキャンと胃カメラ検査をしましょう。とりあえず、入院ですね」。そこで年齢不詳の看護婦(先ほどから“年齢不詳の看護婦”と言っているが、これは、同一人物ではなく、3人目の年齢不詳の看護婦です)が再び登場。「ゴメンナサイ、差額ベッドしか今空いていないんですが。どうします?」。「個室でいいですよ」「個室はなくて、2人部屋までなんですけど」。「じゃあ、2人部屋でいいです」。個室がない! なんて病院だ。私の家内の時でさえ(「芦田の毎日」322番参照のこと)、個室を取ったのに、私は差額ベッド代7,000円(1日)の2人部屋。こんなときぐらい、ゆっくり休ませろよ、と思いなながら、3階の305号室が私の部屋になった。

そもそも差額ベッド代というのに詳しくなったのは、家内の2年前の入院以来(上記322番参照のこと)。家内の入院先は松戸の新東京病院。ここは完全個室で日額18,000円。病室内にトイレ、風呂、応接セット、完全消音装置の付いた冷蔵庫、テレビなどがついて30uはある個室だった。これなら充分闘病はできる。そのとき一日18,000円もかかる差額代だった。せめて病気になったときくらいゆっくり休みたい。場合によってはパソコンやインターネットもゆっくりやりたい(「芦田の毎日」も書き続けたい)。また友達などと面会時間を超えて自由な時間に会いたい。私の家内の場合は、わたしのテラハウスでの仕事の関係もあって、面会が夜の11:00を超えるということもあり、この個室選択の理由にもなっていた。個室であれば、24時間ほとんどの時間で自由に病室を出入りできる。それに松戸までいく首都高速6号なんて22:00すぎにならないと走れないくらい混んでいる。深夜の面会はその意味でも重宝した。

ところが一方で、一日18,000円。一ヶ月でそれだけで55万円。これでは将来、ガンや大病をわずらったときに、個室で闘病する気になれない。差額代が気になって、早く死ぬしかない。そのとき以来、わたしは生命保険をすべて解約して、入院保険に切り替えた。家内も私も息子もすべて一日20,000円は出る入院保険に加入した。生命保険は、死んでから出るもの。そんな死んでからのことよりも、死ぬ前に不自由しない保険にはいるべきだ。特に闘病の時(死ぬ前)に、お金のことが気になるなんて最低の生き様ではないか。生きている限りは(健康である限りは)、なんとかなるのだから、病的なときに自由でいるためには(つまり病的なときに自由に死ぬ準備をするためには)、個室に入院できる体制をとるべきだ。みなさんも(もし相続税を心配するほどの財産家でない場合は)生命保険はやめて入院保険にした方がいいですよ(Alicoがいいですよ)。

もちろん、東京都心の有名な大病院でれば、差額代は50,000円を超えるだろうが、都内の平均的な病院であれば、20,000円前後だ。地方へ行けば、1万円以下で個室になる。そういった気持ちでいたものだから、入院=個室と決め込んでいた私は「二人部屋」と聞いてショックだった。

この部屋は、窓側が南向き、出入り口が北側にある。ベッドは頭が東を向くように置いてあり、窓側、出入り口側にそれぞれベッドが置いてある。2台とも空きベッドだったが、私は(窓側ではなく)出入り口側のベッドを使うことになった。最初、その意味がわからなかったが、理由は簡単なものだった。看護婦が、たぶん、出入り口から遠い、奥のベッドへ行くのがじゃまくさいだけのことなのである。これが、わかったのは、入り口のドアを閉め切ると看護婦たちがいやがることを知ったからである。この部屋(というより、この病院のすべての入院患者の部屋)のドアにはストッパーが常備されていて、いつもドアが開けっ放しで固定できるようになっている。検査や点滴の付け替えごとにいちいちドアなんか開けてられないということなのだろう。ひどい話だ。

そのうえ、この病院の通路は往来がやたらに多い。確かに入院専用のフロアなのだが、看護婦の往来、掃除婦の作業、トイレの往き来(個室がないものだから、すべて共同トイレということもあって)など廊下がうるさい。そのうえ、ドアが常時開いているものだから静養とはほど遠い。そのうえ、私の隣の病室は「苦しい、痛い」と2〜3時間置きに昼となく夜となくうなるような声をあげる痴呆症の老人(老婆)が入院していたから大変だった。

さて入院してからわかったこの病院の看護婦たち(=病院そのもの)の特徴。

1)若いか年をとっているのかわからない看護婦が多い
2)患者に対する言葉使いが、子供を相手にするような言葉使いで不快。郵便局の受付窓口にそういう“おばさん”がたまにいるが、それと同じくらいに不快。親しげにしゃべることと患者に安心を与えることとは何の関係もない。
3)いやみなほど声が大きい
4)とにかく、病室のドアを開けっ放しにしたがる
5)病院(病室)を自分たちのオフィスだと勘違いしている
6)病室の前の通路(廊下)を歩くときに用もないのに早足で(音を出して)歩く。レストランでウエイトレス(ウエイター)が早足に歩くのが不快であるのと同じ。
7)初めてなのに、入院患者である私に名を名乗らない
8)その割に「芦田さん」とそこかしこで慣れ親しく呼んでいる
9)私の担当者が誰だかわからない
10)婦長が誰なのかもわからない
11)すでに行った検査を確認もせずに、もう一度(何度も)やろうとする
12)数種にわたる点滴の内容を説明しない
13)病室、病棟の説明をしない
14)入院患者の「生活心得」をまったく説明しない(起床がいつ、就寝がいつといった基本的な生活ルールでさえまったく説明しない)
15)要するに、私は何も説明されないまま病室で放置された
16)「説明」されたのは、この病室のテレビを見ようとしたら、1000円(10時間)でカードを買わなければならないということだけだった。
17)腹痛でうなっている中年男を見ると「尿管結石」と決め込んでいる看護婦がいる(「痛いでしょ、尿管結石って」。本当に言われたんですよ。ドリフのコントのような話。“ダメだこりゃ”と思いました)
18)つまり、経験的に過剰な思いこみを持っている看護婦が多いこと。
19)というより、検査歴や投薬歴に目を通さずに ― あるいは担当医師とのコミュニケーションなしに ― 病室に入ってくる看護婦ばかりだということ。
20)家内が付き添いに来ると全体に急に私に冷たくなった(考え過ぎか?)

こんな病院での入院生活が始まった。座薬が効き始めて、この最初の座薬の効き目が切れ始めたころにふたたびあの痛みがおそってきたらどうしようというのが一番の心配だったが、家内が面会時間(夜は午後8時までだというのをあとで知った)をすぎて帰ったあとも、痛みは再来せず、一安心。もちろん食事や飲み物は検査が終了するまで一切禁止で、点滴をしたまま生まれて初めて病院で一夜を送った。特に寝付かれないということはなくて、すぐに朝になったが、今度は勝手なもので、いったいこんな状態で何日過ごすことになるのかということが気がかりだった。朝、S院長が来たが、「今日はCTスキャンと胃カメラ検査をしましょう、それで問題がなければ、明日は … 」。「明日は退院ですね」という言葉を期待したのだが、「明日(から)は、流動食くらいは食べてもいいでしょう」だって。この院長いつまで私をこんなところに監禁するのだろう。私は、父を白血病で亡くしているが、こんな病院で「父は白血病でした」なんて言ったら、いつまで検査が長引くかわからないので、いつの間にか「まったく健康です」と言い続けることにしていた。これは、裏返しにされた生体の保護・自衛能力というものだ。

入院して翌日の朝9:00にCTスキャン検査開始。TOSHIBA製の機械だった。結構、冷却ファンの音のようななんだか大きな音がする。5分〜10分くらいで終わり(この検査中も点滴はつけたまま)、次は胃カメラ検査。私はバリュウムでさえ飲んだことがないのに、いきなり胃カメラ。まず、どろどろとした、口内を麻痺させるためのシロップのようなものを口に含んで2,3分。それをはき出してから、(年齢不詳の)看護婦が咽喉のほうに麻酔剤を吹きつける。このときに嗚咽が何度か。いやな予感がした。吹きつけるだけでも嗚咽がするのだから(たぶん吹きつけ方が下手なだけのことだろうが)、ここへ管が入るとなるとどうなるのか、考えるだけでもぞっとする。

2段階の麻酔処置後、ベッドに横たわり、いよいよ胃カメラ。かなり飲みやすくなったと聞いてはいたが、私にはまだ結構太い管のように思えた。私は、近藤誠派だから、もともと胃カメラ検診に嫌悪感を持っている。だから余計にカラダに力が入ってしまう。

管が気管支のところを通るときが一番嗚咽がきついときだ。2,3回は涙を出しながらの“ゲー”が続く。「力をぬいて」「息をゆっくりはいて」「目をつむらないで」とは言われるが、力を抜くのも息を吐くのも(ヨガの思想だ)、こういったときは難しい。管が中に入ってしまえば、どういうこともないのだが、今度は取り出すとき、あるいは食道の上部あたりを管を回転させて検診されるときがまた何とも言えなく不快な感じで、また“ゲッー”っとなる。とはいえ、あっという間に終わったという感じだった。

こういったとき気になるのは、検診後の担当者の態度だ。たぶん検診中に患部は露呈しているのだろうから、「あっ、この患者もう終わりだな」なんてことはいつでもあることだろう。とはいえ、「どうでしたか?」なんてことも(こわくて)聞けない。しかし、検査後は何事もなかったかのように静かで(これがまた不気味)、2人の看護婦と検査士一人とがいたが、検査結果については言及なしに、「病室へお戻り下さい」で終わった。

さてこれで、尿検査、血液検査、レントゲン検査、音波検査(ここまでは初日の検査で異常なし)、CTスキャン検査、胃カメラ検査(二日目)と一通りの検査が終わった。

病室に入ってからは、検査結果待ちだったが、院長は、朝からまだ一回も私のところに来ていない。いったい、これからどうなるのだろうと思いながら、家内に“様子”を見てきてほしいと頼んだ(こういったときは、なかなか本人では聞きづらいものだ。医療における「アカウンタビリティ」というのは、実は事柄の半分しか言い当てていない。患者というのは、知りたいと同時に知りたくもないという両面の心理で動いている。アカウンタビリティというのは、患者の周囲の者の権利なのである)。

しばらくしてきたのが、まったく新しい先生、F先生。若手で30代前後。院長とは違って、才気あふれるやり手の先生という感じ。目つきがなかなかいい。「芦田さん、検査の結果はCT検査、胃カメラ検査も含めてどこも悪くないんですよ、ちょっとお腹見てみましょう」。このときの触診がまた明らかに院長と違った。遙かにF先生の方が少し強めにお腹を押さえる。これくらい押さえなくちゃ確かにわからないだろう。院長先生はただ儀礼的にさわっているだけという感じだった。「どうですか、痛いところはありませんか?」「ないですね」。「うーん、それじゃ退院しますか。お忙しそうだし。院長先生と相談してきます」「本当ですか、それはありがたい」。私は、このF先生の「退院」という言葉が、「座薬」が効いた時と同じくらいにうれしかった。座薬が効いて痛みが取れてくるのと同時に私が思っていたのは、どうやって、この病院から脱出するかということだった。私の自宅はこの病院から歩いても5分程度。パジャマのまま出ていくこともできるが、医師の命令を無視して病院を出ていくことは、ほとんど犯罪に近い。入院時に払わされた保証金の10万円も戻ってこないだろう。でも10万円をすててでも脱出したいのがこの病院だった。もちろん病院を脱出したいのか、入院から脱出したいのか微妙なところがあったが、木曜日の夕方からずーっと思っていたのは、そのことだった。だから、F先生の「退院」という言葉は、痛みを鎮めた座薬と同じように私にとって第二の神様だった。

私が「退院」を希望したのは、もっとくだらない理由があった。木曜日に入院、金曜日退院。土日は自宅で、というのが私の希望だった。だって、土日に病院なんてサイテーじゃないですか。入院でウイークデイを過ごして会社を休むのは得をした気がするが(ちょうどインフルエンザがはやって学級閉鎖になった生徒のように)、土日を病院で過ごしても勤めの延長のようで、逆に損をしたような気になる。そんな勝手なことを考えるようになって、私もサラリーマンになったのかな、と思ったりもしていた。30代は、週に4日間くらいは、自宅にいたものだから、土日の意味などそれほどなかったが、最近は、土日の比重は大きくなっていた。

10分くらいして、F先生が戻ってきた。「院長の了解を取りましたから、退院手続きをとってください。薬は一週間分、痛み止めは、5回分用意しておきます。週が開けたら、もう一度来てください」。「ありがとうございます」と家内と私。

早速、退院手続き。F先生の「退院」の言葉の後、一時間位して看護婦が点滴をはずしに来た。この2日間ずーっとつけっぱなしの点滴。まるで電池持ちの悪いノートパソコンの長時間バッテリーのようなこの点滴針をはずして、やっと「退院」のありがたさが実感できた。その後も結構時間がかかったが(依然として誰もこの待ち時間の説明に来ない)、「退院」は確定しているのだからどうということのない時間だった。数時間してやっと病室から出て、1Fに降りて、一日前「ウーウー」うなって入ってきた外来の待合室を点滴なしに通り抜けたときに、やっと本当に自由になったと思えた。外来の診察をする院長がちらっと見えたが、もう二度とここへは来ないつもりで、通り過ぎてしまった(おとなげない)。ただし、F先生だけは、“命の恩人”と思い、名前だけは聞いておけと家内に言って調べておいた。実は、“その”先生が「F」先生というのは後から聞いたのだ。火曜日と金曜日が当番の先生らしい。この先生が月曜日と木曜日の担当だったら、私のこの「退院」は週明けになっていただろう。考えただけでもぞっとする。お中元を贈らなきゃ。

病院からは、散歩のようにして歩いて自宅へ帰った。息子が烏山の自転車置き場に自転車を置いているので、「父、退院する」という置き手紙を自転車に張ってから(少し遠回りだったが)、帰った。マンションに着いてからは、管理人室の受付カウンターに立ち寄り、先日の“ご迷惑”についてご挨拶をし、自宅に戻った。金曜日の午後の5:00だった。

あれから、痛みは再来していないのだが、日曜日(23日)になって、少し腰が痛くなってきた(右側の後ろの腰骨の部分)。筋肉痛のような痛さなので、たぶん、金曜日、土曜日とお腹を無意識にかばって歩いたため、普段使わない筋肉を使ったのが原因だと思うが、7月1日のいまでもまだ(腰が)痛い。先週もテラハウスは午前中だけの勤務にして早引きしていた。2日の月曜日からはフル勤務しようと思っているが、この腰の痛みは少し気になるところだ。筋肉痛なら日々症状は軽くなるはずだが、立ったり、座ったりするときにはまだ痛い(立ってしまえば普通に歩けるし、座りっぱなしであれば特に痛くはないのだが)。変なウイルスが私の下半身にすくってしまったのかもしれない。水曜日には、家内の命を救った松戸の病院に行って“オーリング”検診を受けることにしている。

今回の入院で学んだことのひとつは、救急病院はあらかじめ決めておくこと。職場と自宅(自分の過ごす時間の多い場所)で何かあった場合、どこの病院で治療するのかをあらかじめ決めておかないと、救急であっても、一度入院してしまえば、そう簡単に転院などできないから、(個室の有無も含めて)評判を確かめ、「マイ」救急病院を決めておくことだ。入院とは、限りなく死刑に近い監獄にはいることと同じことである。だから、居心地のいい監獄を決めておく必要がある。

もう一つは、やはり、病気になってはじめて健康の意味をわかるというのはダメだということだ。健康の時にこそ、病気の意味を取り込む必要がある。それは定期健康診断を受けるということではない(私は46のこの年齢まで健康診断を受けたことがない)。定期健康診断もまた病気を忘れるための別のあり方である。生きているということの真の“目的(END)”は死ぬことである。この目的が通常の目的と異なるのは、時間的な猶予(=計画)を持たないことにある。常時、存在している目的が死というものだ。したがって、いつであっても目一杯の仕事をしておく必要がある。どんなに途上の仕事であっても、理念としては完結した仕事をしておくことだ。気をつけなければならないことは、人間が死ぬということは、現在に、自分の存在の意味をすべて込めることができるということを意味している。だからこそ、人間はいつでも死ねるのである。これこそが、人間の最高の保険である。定期健康診断をして安心している人間は、自分の存在の意味づけ(=現在)を将来に延期して曖昧にしようとしている(曖昧にできると思っている)。あるいは、まだ自分の存在の意味は、まだ先に(将来に)あると思いこんでいる。こういった思いこみは、自分の〈現在〉を釈明する、言い逃れする迷妄なのである。それは定期健康診断で死から脱出することができる、あるいは死を延期することができると思う迷妄と同じものである。健康がありがたいのは、死ぬことができることに感謝できることであって、その逆ではない。

ところで、私の20項目の条件をクリアするおすすめの(救急)病院、誰か教えてくれませんか?

※ちなみに私の入退院費用は以下の通り。

S病院の入院費用
○一日目
「初診料」250点
「注射料」117点
「検査料」1479点
「レントゲン料」684点
保険総点数2530点→「負担金」5,060円(私の支払う金額)

○二日目
「投薬料」6660点
「注射料」7440点
「検査料」20600点
「画像診断料」18810点
「入院料」30120点
保険総点数83630点→「負担金」16,730円(私の支払う金額)+保険外(室料14,000円)

以上2日間でかかった費用は35,790円(差額ベッド代14,000円を含む)でした。なお差額ベッド代は、一泊二日でも二日間の入院ということで二日分の費用になるらしい。「ホテル代の計算の仕方とは違います」とわざわざ窓口に書いてあった(こういったときにだけ丁寧に説明してある)。

なお、上記の必要費用とは別に、入院保証金(「預かり金」とも「保証金」とも言っていた)として10万円が必要で、上記の費用との「精算」という形での支払いになりました。10万円なければどうなっていたのだろう。急病であってもプールされるお金がなければ、治療できないのだろうか。なさけないことだ。

382 新型ザウルス(MI-L1)は、買ってもいい。

2001/7/5(木)00:05 - 芦田宏直 - 274 hit(s)

新型ザウルス(MI-L1)がまた先々月(5月21日)、発売された

この製品は、私が以前「芦田の毎日」163番で取り上げたザウルスMI-E1の「ビジネスユーザー」版、MI-E1からマルチメディア機能を省いた「廉価版ザウルス」(MI-E1より約一万円安く、35000円程度で手に入る)のように言われているがそうではない。

この新ザウルス(MI-L1)は、私が「芦田の毎日」163番で指摘した問題をほとんどクリアーしている。まるでシャープの担当者が163番を読んだかのようにクリアーしている。特に単語登録機能なんかは、ザウルス史上初めて、単語登録の「よみ」が一語登録ではなく、任意の語数で登録できるようになった。画期的なことだ。あとは、カーソルキーの真ん中に「決定」キーがついたこと。「決定」キー(=「電源」キー)が押しやすくなったこと。サブ操作キーが、ペンでも押せるように工夫されたこと。キーの頭が扁平になり押しやすくなったこと(なれればキーボード並みに入力しやすい)。反射型モニタの反射率が格段に上がり(フロントライトがなくなった分)、MI-C1なみに見やすくなったこと。兄貴分のMI-E1は、フロントライトがついている分(たしかにライトオンのときには見やすいモニタだが)、液晶板が奥に引っ込んでおり、その分、ライトオフの時にはずいぶん見にくくなっていた。逆にライトを付けないと使い物にならないこともあって、ノートパソコンなみに電池切れが頻繁に起こり、顰蹙をかっていた。その問題が新ザウルスMI-L1においてやっと“常識的な”ところに落ち着いたのである。

ちょっとした療養生活(「芦田の毎日」379番)で退屈していた私は、これだけでも感心してつい買ってしまった。昨年の暮れに出たMI-E1ザウルス以来なんといってもありがたいのは、コンパクトフラッシュカードとSDカードの二つを使うことができることだ。この機能は現在出まわっているPDA(携帯情報端末)の中ではザウルス以外にはない。当然のことながらコンパクトフラッシュカード部は、NTTのPinCompact(PHSカード)を使い、SDカード部は64メガのメモリカードを使う。こうするとザウルスを64メガ大のインターネットデータベースとして使えることになる。たとえば、「芦田の毎日」のそれぞれの記事をザウルスに落として読めるようになった。64メガあれば、死ぬまで「芦田の毎日」を落としても大丈夫だろう。ちょっとしたインターネットポケットライブラリだ。短いメールの受発信という点では携帯電話の軽快性には劣るかもしれないが、インターネット利用の日常的な軽快感という点では、現在のところ、このMI-L1ザウルスの右に出るものはないだろう。

ザウルスMI-E1発売のときにはなかった従来の「レポート&自由帳」「辞典」類などもそろっているから、不自由しないだろう。WordやExcelのデータも移すことができる。要するに、従来のザウルスの資産をやっと全面的に引き継ぐことができるのが、このMI-L1ザウルスなのである。つまりザウルスMI-C1(従来のザウルスの頂点)の正当な後継者は、このMI-L1なのである。しかもMI-C1は88,000円(定価)していたが、MI-L1は、その半額以下の値段(私が買った値段は35,500円。ちなみに価格コムで調べると34,500円が6月下旬で日本一安い価格であった)。さらに、MI-C1に比べて、新ザウルスMI-L1は、処理速度が3倍以上に跳ね上がっている。サクサク動く。MI-C1の最大の欠陥はすべての操作で重かったということだが(特にCFカードを挿入していると立ち上げにかなり時間がかかったが)、それが圧倒的に改善されている。Pin(CF)カードをつけようが、SDカードをさらにつけていようと一気に立ち上がる。今回の操作系の改善で、この処理速度の速さをはじめて活かすザウルスになった。

そろそろザウルスを買い換えようとしている旧ザウルスユーザー、携帯電話でのメールのやりとりに抵抗を感じるユーザー、モバイルパソコンでのインターネット利用では仰々しすぎると感じているユーザーには、このMI-L1ザウルスは最適な選択だと思います。

383 シャリーズセロンか、アンジェリーナジョリーか

2001/7/10(火)00:06 - 芦田宏直 - 300 hit(s)

この間の日曜日、レンタルVIDEOショップで借りてきた「フェノミナン」も「ライトスタッフ」も面白くなくて(どちらも開始後20分くらいして見るのを止めた)、BSデジタルの取りだめした「レインディアゲーム」をみていたら、どこかで見た女優だな、あら「サイダーハウスルール」で見たあの女優だ、ということで記憶をたどれば、シャリーズセロン)。なかなかいい女優です。「レインディアゲーム」自体はくだらない映画でしたが、シャリーズセロンを見続けるために最後まで見ていました。「サイダーハウスルール」以前に、私が見た映画では「ディアボロス 悪魔の扉」、「ノイズ」― どちらもくだらない映画でしたが ― でも出ていたようですが、印象に薄い。なんといっても、「サイダーハウスルール」の、全裸でベッドに横たわった後ろ姿が忘れられない。

この女優は、衣装を羽織っているときと脱いだときとではまったく印象の異なるユニークな女優だ。その落差が決定的に印象的だ。「サイダーハウスルール」自体は決して悪くはない映画ですが(私の採点簿には「75点」とある)、それでも、印象にあるのはシャリーズセロンの全裸の後ろ姿。これは見る価値があります。「ボーンコレクター」のアンジェリーナジョリーも、最近の女優では印象に残っていますが(もっとも最新作「60セカンズ」では、何のために出てきたのかわからない役回りでしたが)、シャリーズセロンも負けず劣らずいいじゃないですか。いいですね、アメリカには個性的な女優がたくさんいて。あなたなら、「サイダーハウスルール」のシャリーズセロンと「ボーンコレクター」のアンジェリーナジョリー、どちらをとりますか?

389 セーフティネット論の虚妄

2001/7/27(金)01:28 – 芦田宏直 - 246 hit(s)

セーフティネット論(小泉内閣の「構造改革」によって、発生する大量の失業者(の「痛み」)を諸々の“手当”(=セーフティネット)によって労働福祉的に救うという政策)は間違っている。野党までもが、「セーフティネット」論を強化しろと訴えているが、こういった失業者は、もともと出るべくして出たバブル労働者なわけだから、この人たちを労働福祉的に救うというのは、倒産すべき銀行やゼネコンに意味のない資本注入をするのと同じくらいに無駄なことである。

むしろ、失業した労働者を救うのは、規制緩和を徹底して民間参入を拡大させ、新しい業態を拡大的に発生させることだ。そもそも「構造改革」というのは、そういったことではなかったのか。失業者の大量発生の真の「セーフティネット」は、労働福祉的な「失業者対策」なのではなくて、規制緩和(小さい政府、地方分権化とそのことによる民間業態のダイナミックな再編・拡大)でしかない。そして規制緩和とは、既得権益に充ち満ちた政府 ― 政府権力とは既得権益の集積態でしょう ― が解体・縮小再編されることなのだから、まず政府自身が「痛み」を感じることでなければならない。政府が「痛み」を感じることなしに失業者が救済されることなどあり得ないことなのである。

現在唱えられている与野党の「セーフティネット」論は、この問題を覆い隠している。本来は、政権党ではない民主党などの野党が矢継ぎ早の既成緩和策を打ち出さなければならないのに、労働組合の既得権益が野党の規制緩和策を麻痺させている(民主党の参議院候補者には組合の代表者がなんと多いことか)。一方で小泉総理の郵政民営化論、道路特定財源の一般財源化論は、単に財務省(大蔵省)の権限を強化するだけのものだ。政府の規模(政府の権益の規模)自体はそれによっては何も変わっていない。

与野党の「セーフティネット」論は、この馴れ合いの「構造」を何も「改革」しようとしない懐柔策なのである。最近は民間の大臣である竹中平蔵までもが「セーフティネット」論に走っている。この“教授”の限界もはっきりしてきたわけだ(というより“教授”とは限界そのものなのかもしれない)。もっとも「構造」(レヴィストロース)とはめったなことでは変わらないもののことを言うのだから、「構造改革」とは、もとから矛盾したスローガンだったのかもしれない。

390 夏休みは、「カル」と「バーティカルリミット」で涼しくすごす

2001/7/28(土)23:37 - 芦田宏直 - 299 hit(s)

夏休みの映画(レンタル映画の夏休み映画=家で見る映画)には、「カル」と「バーティカルリミット」がおすすめの映画です。

「カル」は、「シュリ」より面白い、と言いたいところですが(本当に「シュリ」より面白いのですが)、未だに“犯人”がわからない。こんな映画ははじめてです。監督も「4回はみないとわからない」と豪語しています。かと言って、全然わからなかったり、わざとらしく難解にしているわけでもなく、それなりに最後まで見せてくれます。映画が終わったあと、「なんだよこの映画は」と言って、どういうこと?と家内に説明を求めましたが、「わからない」。そこで「おまえちゃんと見てたのか」と詰問。「みてたわよ」(家内)「だったら説明しろよ」「わからない、あなたも見てたのだから人のせいにしないでよ」(家内) 私、沈黙。ちょっとした夫婦げんかになる映画です。要するになんかありそうだなとは思うのですが、何もわからない謎だらけの映画なのです ― 、そのわからなさが魅力になっていて、不満のつのるわからなさではないのです。

この映画が夏休み向きなのは、怖い映画(一種の猟奇殺人事件もの)だからです。久しぶりにトイレに行くのが怖くなりました。マンションに住んでいる私ですら、トイレに行くのが怖いのですから、一軒家に住んでいる人は、一人では見ない方がいいですよ。それにしても今の韓国映画の勢いはすごいですね。「シュリ」の最初の10分間のカメラワークと音楽は、日本映画を遙かにしのいでいました。私は、キムチが嫌いなので、韓国映画にも偏見を持っていましたが、「シュリ」に続いて、この「カル」を見ると、もう日本映画は遙か後方に抜き去られているような気がしました。「学校の怪談」「リング」も“横溝もの”も「カル」の刺激度にははるかに負けています。

そんなことはどうでもいい。みんなで「カル」の犯人を探しましょう。わかった人は是非教えてください。わたしももう一度みたいと思います(怖いから見たくはないのですが)。

「バーティカルリミット」も世界最高峰K2遭難事故救出の映画で、夏休み向きの映画です。ありがちな救出映画ですが、その割に脚本が良くできていて(音楽もいい、サラウンドでみればもっといい)、一気に見せてくれます(4,5回は心臓が止まるほどのショックがあります)。パニックものの一種ですが、タイタニックやエイリアンのようなCGを駆使したパニック映画と言うよりは、K2の自然を上手にパニックに仕立てていて、CG的な人工的パニックの上っ面をひっぱたいているような衝撃的なシーンが連続します。怪獣をだせば、驚かせると思ったら大間違いと言い続けているような映画です。自然こそ最高のパニックなんだ、ということがよくわかります。それにしても山登りなんて、よくやるよね。なんと涼しい夏になることか。

391 体調が悪い ― 折り返しのきかない年齢

2001/8/8(水)00:12 - 芦田宏直 - 263 hit(s)

どうも体調が悪い。人間、救急車で運ばれるような危機を体験すると復帰にそれなりの時間がかかるのだろうか。腰がまだだるいし、最近は目が疲れる。長い時間、目を開けていられない(目がだるい)。もう年か? そう言えば、あと、4日(8月12日)で47才になる。折り返すと94才だから、もはやそんな年齢まで生きる年齢ではないところまで来た。自分の年齢を折り返せない。ということは、もはや下り坂しかないということだ。人生を降りる、これはいったいどういうことだろうか。47年間というものがどんな時間だったかはそれを生きてきた私にはわかっている。しかし私は、47年間、ほとんど何もしていない(この無為に特にそれほどの後悔はないが)。そして、その何もしてきていない47年間を、もはや折り返せない年齢になっている。何もしていないことの上に、さらに消耗しつつあるこの身体。何もできないことの自乗。あるいは、降りる下り坂の勢いの中に、生きることの意味が加速しながら到来するのだろうか。この折り返せない時間というものに、この先、どんな意味を込めることができるのだろうか。40代を迎えた人間は、ほとんど折り返せない転換点を迎えることになる。あなたには、自分の年齢を折り返したら、どんな時間が見えてきますか?

393 お盆休みには「オーロラの彼方へ」。

2001/8/12(日)01:25 - 芦田宏直 - 212 hit(s)

お盆にもどこにも行けない(仕事がある、体調が悪い、お金がないの三悪続きで)。そうなれば、映画(自宅鑑賞映画)しかない。ちょうどお盆に実家に帰ったような気にさせるいい映画がありました。私と同じ三悪で身動きできない人たちには最適の映画です。グレゴリー・ホブリット監督の「オーロラの彼方へ」。主役の一人ジム・カヴィーゼルが、なんともいえないいい演技をします。中身を詳しく話すのは控えますが、身内や親友を亡くして、言っておきたかったこと(生前には言えなかったこと)や、生きていれば相談したいこと(ないものねだり)がたくさんある人(人を亡くすということはそもそもそのようなことでしょうが)には、いい映画です。私は18才で父親を病死(というか仕事で忙殺されたという感もありましたが)でなくしましたが、ちょっとしたお盆の気分になりました(そう言えば、死んでから一度もお墓参りをしたことがありません)。生前の私の父を少しは知っている家内は映画の最初から最後まで泣き続けていました。というか終わってからも泣き続けていました。夏休みだれした家族で見るのには最適の映画かもしれません。「カル」で涼しくなった後は、「オーロラの彼方へ」でこころを和ませましょう。

394 マンション購入法10箇条。

2001/8/14(火)21:09 - 芦田宏直 - 265 hit(s)

私は、大学時代に東京に出て来て以来、4回、マンションを買い換えています。新宿区高田馬場(山手線・東西線)、江東区東陽町(東西線)、世田谷区千歳台(京王線)、世田谷区南烏山(京王線)と転地してきました。最近、友人のマンション購入をサポートした経緯もあり、この際、私のノウハウを10箇条にまとめてみました。超低金利と都心回帰の今、マンションは買い時だと思いますが、参考になるでしょうか。

1)大規模マンションを買うこと。これ以外にはない。最低でも200戸以上のマンションにすること。そうでなければ(特に100戸以下のマンションは資産管理という点で大変危険)、10年後、20年後の大規模修繕時に、買った当初の2倍、3倍の管理費、あるいは修繕積立金を払わされる羽目になる。そんな高い管理費、修繕積立金のマンションでは売ることさえもできなくなる。管理費、修繕費だけではない。駐車場代も大規模であれば、月額1万円を切る。さらに施工状態も大規模であればあるほど優秀な“現場監督”が担当するから信頼できる(ことが多い)。施工状態は、「ゼネコンだから」というより、規模で判断した方がいい。ゼネコンであっても、中規模以下は、いいかげんな“現場監督”が管理していることが多い。手抜きも多い。手抜きが多くてもとりあえず施工をだませるのが中規模マンションだと考えた方がよい。また、規模がおおきいと空地率も70%を超えたりし始めるから、敷地内にゆとりができ、荷物の出し入れや来客者の車の処理なども外来の交通に煩わされずに敷地の中で余裕をもって対応できる。すべてのことに目をつむっても、大規模以外には絶対手を出してはいけません。

2)駅から近いマンションを買うこと。駅から近いと住宅用以外の需要が生まれ、資産価値が高まる(値段が下がりづらい)。駅からの近さは、「肌の白さ」と同じように「七難隠す」。「七難隠す」ことができるのは駅から5分以内。

3)u規模の小さい住戸が全体の割合の多くを占めるマンションを避けること。2)と矛盾するようだが、u規模が小さいと(2DKやワンルームが多いマンション)、居住者や所有者の出入りが頻繁になり、管理環境が悪化しやすい。できれば70u、80u以下の住戸が一戸もないようなマンションが最適。

4)南向きの住戸を買うこと。やはり向きの差は大きい。南向きと他の向きであれば、夫婦げんかの数が40%は減少するだろう。北向きは快晴の日でも暗い。東向きは午前中のわずかな時間を除けば北と一緒。西向きはただ熱いばかり。南向きは、冬の朝、起きたときに部屋が暖かい、サッシに水滴がつかない(カーテンが汚れない)、風の通りがよい(換気力がある)、家具や書籍が傷まない、外出する(散歩する)気が起こる、概してエアコン代が年間で半分になるなど値段の高さの価値は十分にあります。

5)自分の買う住戸が、そのマンション全体の中で一番安いくらいのマンションを買うこと。自分以外はすべて金持ちという環境であれば、マンション内を歩いているだけでも、エレベータの中であっただけでも、理事会メンバーになっただけでも何か得をすることもあるだろうということ。その逆は悲劇。

6)何階を買うか。最上階か、角部屋か。これは難しい問題だ。最上階は、階上の音が一切しないという意味では快適だが、夏の暑さや経年後の雨漏り、また場合によってはテラスの雨の吹きつけなど心配な要素もある。はっきりしていることは、せっかくマンションを買うのだから、リビングでもパンツ一枚でいられるくらいの環境(外から見られない環境)を選ぶことでしょう。戸建てを買わずに、マンションを買うことの最大のメリットは(予算が仮に7000万円以内として)、圧倒的な眺望のよさとプライバシーの保持ということでしょうから、それを考慮すれば、自ずと答えはでてくると思います。ただし、10階を超えると外へでる気がなくなります(10階以上は子育てに良くない)。1階は湿気が多すぎて快適ではありません(地震のときも低層階は危ない)。中層階はかえって騒音(交通騒音など)が気になる場合がある(1階の方がかえって静かな場合もあります)。角部屋が気分がいいのは、眺望の開放感だけではなく、テラス側の隣住戸との境がパネル一枚程度でしか仕切られていないことを緩和できることです。テラスの両サイドがパネル一枚でしか仕切られていないというのは、決して心地よくありません。

7)周辺が住宅地(昔ながらの住民がいるということ、少なくとも2世代目の住民がいること)というのがいい。大規模マンションがいいといっても、周辺も大規模マンション、大規模ビルが並び立つというのは、よくない。特に小学生くらいの子供がいる家族では、子育て環境という点で人工都市のような環境はよくない。その地域にすむ人がすべて移住者という環境(たとえば、江戸川、浦安、幕張地域の湾岸人口都市)では子供は育たない。子供は家庭だけではなく、〈地域〉で育つ。公園で遊んでも、本屋さんに立ち寄っても、あるいは道を歩いていても、声をかけてくれる人がいること、これは移住者ばかりが住む新興地域では期待しづらいことだ。移住者の街というのは、いつかまたその地を移住する者が住んでいる街を意味する。つまり死者が存在しない街を意味する。これでは、〈地域〉という概念は成立しない。

8)壁式コンクリート造のマンションは買わないこと。低層式(5階以下程度)のマンションでは、壁の厚さで強度をもたせている壁式コンクリート造のマンションが多い。これを業者は、「柱と梁の出っ張りがないため、隅々まで使えます」と言ったりしながら販売しているが(最近では梁や柱のでない工法が工夫されて、壁式でなくても梁や柱は、室内にでないようになってきている)、このマンションは、逆にそれが命取り。間取りを仕切る壁自体がコンクリートのため、間取りの変更がきかない。10年ほど住めば、家族の構成も変わって、間取りを変えたいと思ったときに、融通がきかないのが壁式の最大の弱点。不況が続き、買い換えサイクルが長くなってきた今、家族構成の変化に追随できない壁式は敬遠した方がよい。この意味でも50戸以下の中規模マンション(比較的、壁式が多い)は買わない方がいい。

9)最近のマンションを買うなら、スラブ厚(床コンクリートの厚さ)が25センチ以上(20センチ以下はどれもこれもたいした違いはありません)、天井高も2メートル60以上、サッシの高さも2メートル以上といった高規格のものを買うことです。明らかに“違いがわかる”という感じです。それ以外の“違い”はどれもこれも同じです(内装の作りに気をとられてはいけません)。特に都心の再開発地の高層マンションはいやでも買うしかありません。子育ての終わった40代の夫婦には最適じゃないでしょうか。

10)内装は、自分で変更できるものと思えば、それほど気にすることはないと思いますが、そのマンションの格(設計の丁寧さ)を示すもので言えば、玄関周り、トイレ周り、巾木(室内の壁の最下部、床に接する所に張る、化粧用の横板)が着目点です。玄関周りが大きくとってあるマンション、トイレにタンク兼用ではなく、きちんと別個に手洗い洗面があるマンション、巾木がプラスティックなどの合成品ではなく、きちんとした木製(木目を見せる ― )になっているものは、全体的に設計が親切なマンションです。はやりのウッディフロアーなどは、アトピーなどの“病人”がいない限り、こだわる必要はありません。声は響くし、腰にも悪いし、ほこりは目立つし、どこがいいのでしょうか。いずれにしても、マンション購入は自分の努力ではどうにもならない1)〜9)の項目を重視して買うのが賢明です。内装の華々しさに目を奪われないようにしましょう。

395 嗚呼、水原弘。嗚呼、森山良子。

2001/8/14(火)22:27 - 芦田宏直 - 209 hit(s)

『そして歌は誕生した』というNHKの、シリーズ化された歌番組があるが、今日の晩は、水原弘の「君こそわが命」が取り上げられるというので楽しみにしていた。やっぱり、水原弘の「君こそわが命」はいい。「あなたを本当は探してた … 」の「本当は」がいい。この「本当は」を歌えるのは水原弘しかいない。私の中学時代からの歌だが、中学生の時から、私はこの歌を聞くたびに泣いていた。今日も泣けて泣けて、家内はこの歌が聞こえてくると必ずタオルを私に渡すようになっている。

それに負けないくらいに良かったのが、森山良子の「さとうきび畑」(「君こそわが命」のあとは「さとうきび畑」だった)。「ざわわ、ざわわ … 」で有名な歌だが(歌としてはたいした歌ではないが)、歌中にあるフレーズ「夏の日差しの中で」の「中で」のナの音の息づかい(特に後半に出てくる「中で」のナの音)が天下一品。靖国問題で戦後問題が騒がれているが、この森山良子の「さとうきび畑」の「中で」のナの音は、かしましい議論にくさびを打ち込んだように鮮烈だった。

他の人にも紹介しようと放送終了直後NHKに電話をし、再放送の予定を聞こうと思ったが、「予定はありません。みなさんからの反響を聞いてから考えます。どんなところが良かったですか」と年輩の女性から逆に聞き返された。「水原弘の『君こそわが命』のフアンですが、森山良子の『さとうきび畑』にも感激しました。さとうきび畑の下に眠っている沖縄の人々のざわめきに思いを込めた森山良子さんの熱唱に打たれました。終戦記念日を前にいい企画でした。是非再放送してください」と言っておきました。みなさんも再放送を楽しみにしてください。

396 re(1):嗚呼、水原弘。嗚呼、森山良子。

2001/8/15(水)05:58 - 芦田宏直 - 135 hit(s)

水原弘は、6年ぶりの第18回紅白歌合戦(昭和42年)に「君こそわが命」で復帰する。念願のステージに立ったとき、マイクのあるところにたどり着くまでにあと半歩足りないくらいに深々と頭を下げている。歌を歌うのを一瞬忘れるほどまでに頭を下げたときに何を思っていたのだろう。

「あなたを本当は探していた」という画期的なフレーズで始まる、この歌の「あなた」は、“紅白歌合戦”のことだったくらいに彼の紅白復帰への気持ちは並々ならぬものがあった。でもその紅白で水原は、驚くくらいに冷静に、そして忠実に、まるで歌を習い始めの歌手が習った通りに歌うように歌う。私は歌が始まったとたんに泣いていたがその期待を外すかのように水原は冷静に歌っていた。本当は泣いてもいいこういうところで泣けないところに、水原のデカダンの本質がある。ステージで(人前で)泣ける人は実は強い人なのだ。水原の“冷静”は、琴線を踏むようにきわどいもののように見えた。作詞の川内康範も作曲の若き猪俣公章も決して手放しで水原を讃えない。水原は極限にまで“弱い”人だったのだろう。

同じように、横山やすしも西川きよしが国会議員になってからは特に荒れていた。久米宏が現在の「ニュースステーション」の芸の基本を作ることになる日テレの「テレビスクランブル」(生放送)で、酒を飲んでめちゃくちゃになっていた横山やすしを思い出す(酒に酔った横山やすしとコンビを組んだおかげで、久米宏は生放送の意味を初めて学んだのである)。酒に酔ったまま生放送に出る横山やすしは、もうすでに芸人としては死んでいた。そのときの横山は、念願の紅白で冷静に歌う水原の陰影だ。たぶん、男の本質は、デカダンなのだ。冷静さや酒に酔ってしか弱さを見せることのできない男の悲しさに、合掌。

398 『本むら庵』『王将』『aa』『広味坊』 ― 〈経営〉は難しい

2001/8/17(金)04:49 - 芦田宏直 - 337 hit(s)

もうお盆休みも終わりだということで、久しぶりに、荻窪(上荻2丁目)の『本むら庵』に昼食のおそばを食べに行って来た(8月15日)。もう6,7年ほど来ていない。昔はいつ来ても満員ではやっていた。それもあってかいつのまにか店も駐車場もリニューアルされていて、ほぼ倍の大きさになっていた。従業員の数も10人を優に超えている。従業員の数も5年前の倍以上だろう。駐車場にも誘導員がいるのにはまいった。こんな大きな“そば屋”になるなんて。

売上を大きくするには、規模を大きくするか、価格を引き上げるか、どちらかだ。価格の引き上げには、限界がある。あるいは安くして売上を大きくするマクドナルドやユニクロ、吉野家のような戦略もある。ただしこれは多店展開の成熟点でのことだ(多店拡大化でもっとも恩恵を受けるたとえば広報費が一店あたりの売上比コストとして5%〜10%以下くらいにならないとこういった戦略はとれないだろう)。

結局、規模を大きくするしかないのである。規模を大きくするとコストも上がる。そうすると利益(利益の絶対額の大きさ)と利益率が問題になる。利益率が多少悪くなっても売上全体がのびれば、利益の絶対額は上がるということがあるが、はやっている割には青息吐息ということになる。糸はどんどんのびているがタコ自体はさして上昇しておらず、ひたすら全力疾走している自走のみが、タコの浮力を支えているようなものだ。かといって利益率に拘泥してしまうと、拡大した意味がなくなる。拡大の意味は社会的な貢献や影響力、ミッションとしての経営の精神であって、それはすべての経営者の夢にかかわっている。

ホンダと組んで超メジャーなF1で勝ち続けた「闘将」フランクウイリアムズでさえも、「夢は市販車を作ることだ」と言っていたことがある。フランクウイリアムズでさえそんなものかな、と思って当時聞いていたが、彼も〈拡大〉の問題に悩んでいたのだ。

あるいはBMWのチューニングメーカーで有名なアルピナは、バブル期も生産台数をむやみに延ばさなかった。アルピナ社社長のボーフェンジーペンは、そのとき、自分たちの作る車の味(エンジンチューニングやサスペンションチューニングの味)がわかる人たちが世界大であってもそんなに多いとは思えないと言っていた。二人とも、経営(経営の規模)とは何かをよく理解していたのである。

〈拡大〉には、たんに自社が扱う商品の品質(あるいは品質管理)の問題だけではなく、社会的な(社会的な変化に対する)洞察が必要になる。ここを見失うと過剰投資となって、後退できないまま、破滅してしまう。

『本むら庵』では、〈利益〉と〈利益率〉との関係はどうなっているのだろう。そう思いながら久しぶりの「せいろ」(『本むら庵』の代表作:普通で言う「もりそば」)を待っていた。昔はこの「せいろ」を7枚頼んでそれを一人で食べたことがあったが(隣の若いカップルに変な目で見られたことがあったが)、今日は3枚にしておいた。相変わらずぶつぶつと切れる細い、白い麺で、特徴のあるものだ。昔ほどのおいしさを感じなかったのが残念だった。私はここの「せいろ」よりは「田舎そば」(黒い、太い、堅い麺)の方が好きだったが、いつ来ても売り切れで、今回もやはり売り切れ。午前中に来ないとダメらしい(人気があるというよりも作る量が少ない)。いずれにしても、従業員が多くて、客席数が50以上もある“そば屋”というのはどこかおかしい。『本むら庵』の「せいろ」くらいなら、私の家の近くの『蘆花庵(ろかあん)』の「もりそば」の方がはるかにおいしいと思う。誰が見ても入る気の起こらない汚い、小さい“そば屋”だが、“そば屋”なんて、そんなものだろう。それでいい。

昨日のそういった“外食”にちょっとしたショックを受けていたので、今日(8月16日)は“食”に欲求不満がたまっていた。テレビを見ていると餃子を食べているシーンが一瞬目にとまり、急に食べたくなった。餃子といえば、“餃子の王将”だ(そんな店しか浮かばないのが寂しい)。私は京都出身だが、京都には『aa』(みんみん)という餃子の店があって、家族と一緒に四条大宮の『aa』(みんみん)で餃子を食べるのが楽しみだった(今から40年ほど前、私の小学生時代の話)。『aa』(みんみん)の餃子は皮が薄くてしかも餃子同士がこんがりこげたままぱりぱりになってくっついて出てくるのが特徴で、それをはぐようにほぐして食べるのが楽しみだった。

『aa』(みんみん)の社長は、女社長(ご主人は画家だった)で、京都伏見(ふしみ)に山をひと山買われて、そこ全体を庭にして自宅を構えるという豪快な方だった。私の父は、彼女と仕事上の知り合いで(彼女の秘書でご主人の書生をされていた中井さんの書かれた絵が東京の私の家の玄関に今でも飾ってある。伏見(ふしみ)の山で新居祝いを兼ねた立食パーティがあって、そのときに社長から頂いたものだ。中井さんは小学生の私に渾身の力を込めて描いた油絵を渡すのをいやがっていたのをよく覚えている)、いつも、この金を出してもおいしい餃子をただで食べていた(子供心に“コネ”というのはこんなに快適なことか、と心得てしまった。というより、父はお金を出そうとするが店は受け取らない、そのやりとりが何とも言えなかった)。

当時、京都では、餃子と言えば『aa』(みんみん)の天下だったが(四条河原町店を含め何十店舗もあったが)、その後10年くらいのうちに『王将』が関西の餃子界を席巻していったらしい(私が東京に出ていってからだ)。京都では、京都産業大学(笑福亭つるべやあのねのねの清水邦明の出身大学)の学生が金がないときには『王将』で食事をし、皿洗いを数時間やればその食事代をただにしてくれるといった伝説(本当の話だが)と共に『王将』が関西の餃子を支配していった。『王将』の餃子の味は明らかに『aa』(みんみん)の餃子の味を意識して作られていた。餃子は皮の厚さや味がポイントのひとつだがそれなどは『aa』(みんみん)の方がはるかに上だと思う。『aa』(みんみん)は、今どうなっているのだろう。YAHOOで検索しても出てこない。寂しい限りだ。社長さんや中井さんは今何をしているのだろう。中井さん、今でもあなたの絵は大事にしていますよ。知っている人がいれば教えてください。

そんなこともあって、『王将』は私にとって『aa』(みんみん)の生まれ変わりのようなものだ。早速、「王将」「餃子」「世田谷区」などのタームでYahooを検索すると、明大前にあるのを発見(『王将』のホームページは非常に洗練されている。というか店の雰囲気よりもこのホームページの方がはるかにモダンで、イメージに合っていない)。場所をプリントアウトして、お盆休みでないことを電話で確認。夕食は、明大前『王将』に決まった。

東京の『王将』は、関西のように座敷がない。関西では『王将』もファミリーレストランのひとつになるが、東京では『吉野家』同様一人暮らしのビンボーな男(たち)の店なのである。明大前も予想したとおり、カウンターだけだった。ここのメニューには、私の好きなレバーの唐揚げもない。ショックだった。『王将』の楽しみ方のひとつに、何とも言えない『王将』オリジナルの塩コショーがある。これをレバーの唐揚げや鶏の唐揚げにかけると、最高の味になる。絶妙の塩とコショーのブレンドなのだ。結局、それを楽しむために餃子と共に鶏の唐揚げを頼んだが、カウンターで食べるため落ち着かない。隣の家内も丸椅子のため(足が短いということもあるが)、足が届かないこともあって落ち着かない。そもそも夫婦でわざわざ来る感じの店ではないのだ。

それでも『王将』の餃子はまあまあおいしかった。少なくとも、『本むら庵』の5年前の「せいろ」よりも、餃子の40年前の味(餃子原体験の味)を思い起こさせるのには充分だった。しかしそれでも食の原体験というのもいい加減なものだ。慣れてしまうと家内のみそ汁と母親のみそ汁との区別が付かなくなってくる。身体も変化しているのである。あれだけ毎日食べていたインスタントラーメンも今ではお腹を壊すことなしに食べることができない。年をとると解毒作用が効かなくなっているのである。そうやって味覚にも変化が生じている。食通が味覚の“成長”と呼んでいるもののほとんどは、解毒作用の“退化”を意味しているにすぎない。そんないい加減な味覚に“設備投資”するというのも大変なことだ。『本むら庵』は、鉄筋コンクリートで店を作り直していたが、この建物の償却は何年くらいで見ているのだろう。食の名店は一代限りという。味覚を“伝える”ことはたとえ親子であっても難しいからだ。そういえば、私の近辺、烏山界隈を代表する名店『広味坊』も親方が引退してから(病気をしてから)味が明らかに落ちてしまった。この店は親方が引退する時期と店を拡張した時期とがほとんど同じ時期だった。難しい時期の〈拡大〉だったわけだ。

さて、明大前までわざわざ電車に乗ってきたのだからと、持ち帰りで5人前(家族は3人だが)の『王将』の餃子を買って帰ってきた。金曜日の夕食は自宅でゆっくりと餃子を食べよう。ぱりぱりの焦げ目をつけるために、家内に新しいフライパンを買って来させることにしている。私の貧相なお盆休みもそろそろ終わりに近づきつつある。

399 re(1):餃子の焼き方について、若干。

2001/8/18(土)00:57 - 芦田宏直 - 177 hit(s)

我が家の今日(8月17日)の夕食は昨日予告したとおり、餃子(『王将』の餃子も持ち帰りもの)であったが、問題は焼き方。そのために、これも昨日予告したとおり、フライパン(径28センチの広いもの)を「安田金物」で2個買って(フライパン1400円×2+980円のふた:環八ドンキホーテには28センチ径がなかった。「安田金物」はいつも何を買っても安い。うり二つの兄弟が烏山駅の北口と南口で店を出している)、万全の体制。問題は焼き方だ。

ところが、神が、あるいは仏が導いたかのように夕方のニュースで「餃子の焼き方」特集があり、飛びついた。あの焼き面についてくるぱりぱりのこげはしの作り方を(恥ずかしながら)初めて知った。もうそろそろ水分がなくなったと思えるこげ始めの段階で、小麦粉を少量の水で溶かして、それに醤油を少し足したものを餃子の周辺にかけるらしい。それにフライパンから取り出す少し前に、ラー油をほんの少し。これで、こげ目とぱりぱりのこげはしのついた餃子のできあがり(我が家では今日以降、このこげ目を“パリこげ”と言うようになった)。実際のできあがりは、もう少し小麦粉を多めにしたほうが、“パリこげ”が大きくなってうまくいったかな、とは思ったがこれまでの芦田家の餃子とは思えないほどの仕上がり。

この餃子をじっくり味わうために、本日の夕食は、+納豆だけ。餃子には納豆がいい。「納豆以外には一切出してはいけない」と戒厳令をしいて、純粋餃子体制。幸せな夕食だった。これで、我が家の夕食メニューが一品増えたことになる。毎回、家内の会社からの帰宅時には明大前で一度電車から降りる、という手間が増えることになるが、夕食作りの手間が省ける分、プラマイゼロというところだろう。“パリこげ”、ぜひ、一度お試しあれ(ご存じだったかもしれませんが)。

400 re(1):『本むら庵』『王将』『aa』『広味坊』 ― 〈経営〉は難しい

2001/8/18(土)10:35 - 杉本 - 140 hit(s)

本村庵は、新宿に事務所を構えていた「安田与三郎」さんの設計だったと記憶しています。安田氏は、早稲田大学の明石研究室の大番頭さんをしていた方で、すごくガラッパチの面白い方でした。

酒豪で、酒を飲んでは飲み屋の設計をとっていた方で、私も、ずいぶんかわいがっていただきました。

彼の自宅は、小田急線の百合丘にあり、純日本風の豪邸です。(ここだけの話、決して力作ではなく、「建築家たる者、自邸かまわず」を地で行ったような住宅でした。)荻窪、西荻窪界隈には、彼の設計のお店が結構あります。ケーキの老舗「こけし屋」もそうでした。

しかし、安田ワールドの原点は、西荻窪の和風スナック「たみ」でしょうか。西荻窪の文化人(私自身この言葉はあまり好きではありませんが)の集まり「たみの会」の総本家で、この仲間に、本村庵やこけし屋があります。

わたしも、この末席にいたのですが、文化人を気取るのが嫌になって、抜け出ました。

本村庵ですが、私の定番は、「せいろ」に「そばがき」「たまごとじ」で、さすがに、せいろ7枚は未知の世界です。さぞかし、周囲の常連さんも、驚いたと思います。しかし、あの店の女店員は良く教育されていると感心します。

一品の注文を聞くと、すかさず、「それだけですか」と声をかける。マクドナルドの、「ポテトはいかがですか?」の前身か?ともおもえます。お客が、「足りませんか」と聞くと、少しもすまなそうな顔もせず、「普通の半分ですから」ついでにたたみこむように、「皆さん3つは食べられます」ときます。お客さんは、大抵2つから3つは、注文せざるを得なくなります。バブル絶頂期は、「せいろ」に「そばがき」「たまごとじ」と勢い良く注文するのが、粋だと思っていましたから、そんな客を横目でにらみながら、大きな声で「せいろ」に「そばがき」「たまごとじ」と・・・・。やっぱり、はめられたのかな??

402 re(2):『本むら庵』『王将』『aa』『広味坊』 ― 〈経営〉は難しい

2001/8/20(月)00:11 - 芦田宏直 - 151 hit(s)

そうですね。建築家の「文化人」気取りは許せないですね。ちょうど「美容師」が“ヘアデザイナー”を気取ったり、“芸術家”気取りしているのと同じくらいくだらないですよね。特にポストモダン以降の建築はすべてダメになったような気がします。都庁でも恵比寿でもビッグサイト(湾岸)や幕張でも、結局出来損ないの機能主義の域を出ていない。特にビルとビル(あるいはビルと人)を繋ぐ通路の設計がダメです。歩いていても楽しくない。“歩く”ことだけを強要されているような気がします。もともと歩くというのはそういったことではないでしょう。立ち寄ったり、まなざしの誘惑があったりするのが歩くことです。それがない。そしてそれ以前に上記の場所は風害で歩くことすらできない。こんな不快な〈場所〉はありません。

建築で一番難しいのは、たぶん、玄関の設計です。低層であればあるほどそうです。車のデザイナーであれば、「エンジンさえなければ」と言うところを、建築家は「玄関さえなければ」と言うような気がします。折り込みチラシの一軒家の間取り図を見ていても、すべて玄関の設計で破綻しています。玄関という建物の〈外部〉(内部と外部との接線)を設計するというのは、建築にとって自己矛盾的なことですから、難しいことなのでしょう。結局、〈玄関〉を根元的に設計できないことが、超高層の〈通路〉を作れないことに繋がっているような気がします。

昨年、『反オブジェクト ― 建築を溶かし、砕く』(筑摩書房)という隈 研吾の本が出ました。彼がぶち当たっているのも、結局のところ、〈玄関〉や〈通路〉の問題なのです。彼はこの問題を関係性(建物の自己中心的、内閉的なオブジェクト主義からの脱却)という観点から解こうとしていますが、全くナンセンスな、旧式の議論(モダン以前、ヘーゲル主義以前の議論)です。建築はオブジェクトとして屹立するからこそ、そして、その中に玄関や通路の問題を矛盾対立的に形成するからこそ建築なのです。建築家の“くせに”思想を気取ってはいけません。

401 介護と育児と研ナオコと

2001/8/19(日)23:28 - 芦田宏直 - 302 hit(s)

介護と育児は、奇妙なものだ。いずれも(老者も幼児も)他者のヘルプなしには生きることができない。老者はひたすら衰退(と死)に向かって、幼児はひたすら成長にむかってヘルプされる。幼児のヘルプがまだ楽に見えるのは、どんどん手がかからなくなっていくからだ。老者の介護を避けたい思うのは、それに反して、どんどん手がかかるようになると思われているからだ。しかし、考えてみるとそうでもない。介護はひとつの消尽に向かっているが、幼児の成長には、自立するための様々な“病気(極端な場合には犯罪や親殺しなどの)”が待ちかまえている。いわば、手がかかることが社会的に増大していると考えても良い。介護の場合は、地域、家庭、親子、夫婦というようにヘルプの輪が縮小していくが(もっとも最近は、この“縮小”さえもままならなくて、介護ビジネスやホスピスのように〈死〉が社会化してしまいつつあるが)、子供の成長は、(手がかからない分)社会化する。これもまた別種の手がかかることの増大だ。死ぬことも生きることも手がかかることだ。自分で生まれたわけでも自分で死ねるわけでもない(老衰とは自分で死ねなくなっていくことだ)偶然の重さが、手がかかることの意味なのだろう。

そんなことを思いながら、日テレの「24時間テレビ」(+NHKスペシャル「命のことば」+深夜の「プロジェクトX」再放送)を見ていたが、それにしても研ナオコは、なぜ80キロも走ったのだろう。走る前から「幸せだ」と言っていたが、「幸せな」人が睡眠もとらずに80キロを走るなんて、どこかおかしい。ご主人が浮気でもしたのだろうか。

405 マドンナをバカにしてはいけない、嗚呼マドンナ。

2001/8/28(火)00:46 - 芦田宏直 - 238 hit(s)

昨日のBS放送、デトロイト・マドンナコンサート(国際ライブ)見ましたか(マドンナについては、http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/8558/music/madonna/Madonna.htmlに詳しい)。いやー、なんというかひどいものでした(最後の一曲、MUSICくらいでしょう、なんとか聞けたのは)。あの年で背中を見せるなんて。吉永小百合がいい年してスイミングクラブで身体エクササイズし、シャープの液晶テレビのCMでは不自然なライティングで年齢をごまかしているように(岩下志摩のライティングなんてもっとひどいですが)、マドンナも吉永並みでした。

私が、マドンナをバカにしてはいけないと思ったのは、IN BED WITH MADONNNAという映画(コンサートツアーのドキュメントもの)の中の最終章(LDのCHAPTER8)、フランスコンサートでのKEEP IT TOGETHER(マドンナの隠れた代表作)を聞いたとき=見たときです。この映画はアレックケシシアンという30にも満たない若手で無名の監督をマドンナ(たち)が抜擢して作った映画で、しかしそのカメラワークといったら、もう最高! 特に22台のフィルムカメラを持ち込んで縦横無尽にステージを映像に取り込んだその腕は大したものでした(もっともお金を使うユーミンのコンサートでさえ、22台ももち込みはしません。それに持ち込んだところでせいぜいビデオカメラでしょう)。私は、一晩中、CHAPTER8をリピートして聞き(見)続けていました(今から約10年前)。たぶんコンサート映像でこのフランスコンサートKEEP IT TOGETHERは、世界で1,2位を争う出来でしょう。マドンナの踊りの特徴は軸がずれない、ぶれない“男らしさ”にありますが、このKEEP IT TOGETHERでは、わざと腕も曲げたり、腰を曲げたり、足を曲げたり、全体に中腰になったマドンナの表情や姿勢(たぶんKEEP IT TOGETHERの主題である家族の愛が“中腰の”愛であることと相関的なのでしょう)をケシシアンが見事に描ききっていました。中腰でも軸がぶれないマドンナの踊りも大したものでした。

もうひとつマドンナのLDで、忘れられないのは、「マドンナ・ザ・ヴァージン・ツアー」です。これは最初期のコンサートLDですが(なぜかマドンナのコンサートLDはすべてもっています)、はち切れそうなマドンナのカラダと踊りが凝縮しています。CHAPTER4のINTO THE GROOVEなんて、私は特に好きです。この「マドンナ・ザ・ヴァージン・ツアー」を見るために当時75万円もした37inchテレビ(M-370、ビクター製だった)を買い込んで、一晩中、見続けて書いた論文が「表現と意味」(J・デリダ論:『書物の時間』所収)だった。

IN BED WITH MADONNNA(1991)、マドンナ・ザ・ヴァージン・ツアー(1985)、この2枚のアルバムが決定的なマドンナです。今日のデトロイト・マドンナコンサートは見なかったことにしましょう。

それにしても女性が年を重ねるというのは大変なことだ。日本の芸人で上手に年をとっている人と言えば、いしだあゆみ、吉田日出子、熊谷真実、高橋真梨子くらいのものでしょう。あとはみんなひどい。吉永小百合がカラダを鍛えても17,8の女子学生が何もしないで横に立っているだけで負けてしまうのに。何を勘違いしているのだろう、この女優は。

仲代達也、高倉健、三国連太郎などの大根役者ぶりも見てられないが、吉永小百合の年の取り方も許せない。朝、森本タケロウの「スタンバイ」(TBSラジオで6:30〜8:30に放送中)に出てくる「エンドウ」さんとか、同じくTBSラジオで22:00から放映されている「バトルトーク」に出演している「コジマケイコ」さんなんていう女性たちは、結構いい年の取り方をしているような気がする(話し方や話の聞き方に何とも言えない魅力がある)。もちろん「コジマケイコ」は「エンドウヤスコ」さんより全然若いと思うが、今日ラジオを聞いていてあごひげをつけたご主人がいることを初めて知ってショックだった。

407 〈連絡〉とは何か。

2001/9/3(月)00:20 - 芦田宏直 - 287 hit(s)

〈連絡〉とは何か。今日、私は日曜日で自宅にいたが、新カリキュラムパンフの第一次校正が印刷所から今日の午前中にテラハウスに届くというので、「今日、講座に出ている先生にすぐに(今日中に)校正してもらえるような体制をとってくれ」と受付担当に連絡をしておいた。夕方、どうなったかを確認の電話をしたら、「M先生は家で校正してきますと言って持ち帰りました」との受付の返答。ここで、私はカチッと切れた。

通常、連絡による依頼というものは、何も逆連絡(連絡をした者への連絡)がない場合には、(連絡した者は)頼んだとおりことが進んでいると思っている。そうでない事態が生じるとき(生じそうになっているとき)には、どうしたらよいのかを打診する逆連絡があるはずだ。「今日日曜日にはすべての先生が来られているわけではないので、明日(月曜日)の他の先生と一緒に校正ができればと思って、(芦田に)連絡しませんでした」ということらしい。こういった“判断”は、もしそれが本当だとしたら私(芦田)がそう思っていなければならない。「何も今日中にやる必要はないではないか」という“判断”がある(あった)とすれば、私が「今日中に」と頼んだ段階で、その命を受けなければいいのである(受けなければいいかサジェスションすればいいのである)。簡単な仕事を簡単にできない人ほど、難しい判断をしたがる。あるいは難しい判断(上長判断)を(部下である)自分がしているのをわかっていない。と、そう言ったら、その受付は「スミマセンでした」と言う。

そこで、私はその受付にそうであれば、M先生の家にその校正原稿をあなたが今日中に取りに行ってくるか、明日の朝9:00にテラハウスにもってくるようにしてもらいなさい(M先生は予定では明日の講座は19:00からだった)と言った。「そんなことできません」とその受付。「朝9:00にテラハウスにもってくるようにお願いはします」と受付。「お願いなんて、何も言っていないのと同じです」と私。「それ以上はできません」(受付)。

「それならあなたは何を反省したの?」(私)。「 … 」(受付)。何をすればいいのか答えが出ていないような反省は認めるべきではない。サラリーマン(サラリーウーマン)のなかには反省の好きな人が多い。すぐに「スミマセンでした」と反省する。しかし“間違い”はいつもその人間の根本的な傾向から生じている。そんな簡単に“反省(Reflection)”できるわけがない。偶然な間違いなんてほとんどないのである。「スミマセン」などでスマシてはいけないのである。だって、スマナイ(済まない)と言っているのだから。

〈連絡〉とは、連絡が済んだ段階で、もうその仕事を終えられる状態のことを言う。したがって、連絡を受けた者は、仕事(=連絡)が終わっているかどうかの仕事が生じたことになる。たとえば、電話の取り次ぎで連絡対象者が不在の時、「伝言しておきます」と言って、かりにその対象者が「伝言」を聞き逃した、見逃した場合、責任は、対象者にあるのではなくて、連絡を取り次いだ者の方にある。連絡をさせることが「伝言」の意味なのであって、伝えることが「伝言」の意味なのではない。時々気の利いた受付がいて(会社の方針もあるだろうが)、「伝言しておきます。ワタクシ、鈴木が承りました」と自分の名前を名乗る場合があるが、これは、連絡させる責任(連絡する責任ではなくて)は私にあります、と宣言しているのである。これは気持ちがいいし、信頼感が自然に生じる。時々、そうは言っても連絡がない場合があるが、そんなときは、私は「田中さん」に連絡したかった場合でも、その「鈴木さん」に電話をするようにしている。「電話がかかってこなかったんだけれども、どうなっているのかな」と(半分イヤミですが)。こんなときに受付が、直接田中にかければいいじゃないか、と態度が変わる場合は、自分が名乗った意味をわかっていない受付である。私は、鈴木さんを知ったことによって、田中さんと連絡し終えた気になっているのであって、鈴木さんは自ら名乗ることによって、仲介者を超えたことになる。これが連絡(を受けること)の意味である。

〈連絡〉の問題は、もう一つある。連絡内容が正確に伝わらないという場合である。なぜ、正確に伝わらないのか。それはコトバそれ自体しか聞いていないからである。コトバそれ自体しか聞いていないと伝えることは記憶の問題になる。記憶など誰だって不確かなものだ。連絡の上手な人は、コトバのひとつひとつなど聞いてはいない。相手が何を言おうとしているのかを(コトバを通して)聞いているのである。コトバをイメージ(=コトバの意味)に仕上げてしまえば忘れることなどない。従って、相手の言うことを聞く場合もイメージになるまで聞かなければならない。聞き直すこと、質問が必要な場合もある。これはコトバを聞き落としたからではなく、イメージにならない(意味がわからない)からである。だから黙って聞き流して「わかりました」という受付には用心した方がいい。そのときがMAXの臨場感であって、あとは時間が経つほどに忘れていって、「スミマセン」ですますことになる。相手の要件をコトバとして保持するのではなくて、イメージ(=コトバの意味)として保持しておけば、後は、自分のコトバで自分の意志のように伝えることができるから、“連絡性能”は高くなる。

たとえば、先の私の場合だと、今のテラハウスの場合には、パンフレットが「まだできないの?」と一日に何度もお客様に問われる。一日でも早くパンフレットを作らなくてはならない。そして今日のパンフレット校正原稿の件。校正を急ぐ、芦田の要件。これですべてである。「急がなくては」。これが私のコトバの意味(イメージ)のすべてである。ところが、連絡のできない人は、そういった受付業務のイメージ、パンフレット作成のイメージ、連絡のコトバのイメージをすべて捨象して、まるで翻訳機のように、コトバをわざわざバラバラの断片にしてから、ジグソーのように構成しようとする。これでは、よほど記憶力の良いひとでないと仕事ができなくなる。破綻しかない。

〈連絡〉の問題の最後(三つ目の問題)。ここまでは、連絡は受ける人の問題であったが、連絡をする人(連絡を他人にさせる人)の問題もある。というか、人にものを頼むということは、仕事を任せることではなくて、仕事をもっと難しくすることと同じことだということだ。自分の仕事に他人が介在するのだから、仕事が楽になる一方で(人が手伝ってくれるという一方で)、他人の仕事の仕方やその進捗を管理しなければならない。頼んでおいたのに「してくれていない」。約束したのに「守らなかった」。こういった苦情を“中間管理職”からよく聞くが、それならば、頼まなければよかったのである。できもしないことを頼んだり、約束させたりする自分の問題だということをわかっていなかったり、この部下に頼めば、どこくらいのノイズが発生するかを計算しないで仕事を任せる者のことを“中間管理職”という。他人(部下や業者)にものを頼むというのは、仕事を他人から引き受けるよりもはるかに高度で難しい問題なのである。

408 失業者よ、出でよ。

2001/9/4(火)00:06 - 芦田宏直 - 556 hit(s)

失業者問題は、なぜ深刻化するのか。それは、特殊法人に勤めている“労働者”が一人も失業しないからである。あるいは官庁の“役人”が一人も失業しないからである。“構造改革”の本質は、まっさきに特殊法人や官庁のリストラやリエンジによる失業者“問題”であったり、資本注入した銀行指導層の“失業”問題でなければならないのに、なぜ、一般企業の失業者問題が前面化するのだろう? 

小泉の言う「いたみ」は、既得権益にしがみついている特殊法人や官庁の身を切る「いたみ」でなければならないのに、なぜ、一般企業の失業者問題が真っ先に前面化するのだろう? 5%の失業者の中に特殊法人や官庁の“労働者”はたぶん一人も含まれていないだろう。ふざけた話だ。いったい誰のための構造改革なのだ。一般企業の労働者が5%失業者しても世の中は、少しも構造改革されないが(暗くなるばかりだが)、特殊法人や官庁の“労働者”が5%の中に少し含まれただけで、世の中は一挙に変わる。同時に「失業者問題」も解消する。特殊法人や官庁の“労働者”が失業するということは、規制緩和に直結し、それ自体新しい雇用創出だからだ。現在の失業者は構造改革の結果や前兆ではなくて、それ自体、構造改革が進んでいないこと、進まないこと(構造改革への絶望)の結果にすぎない。連合や民主党が声高にセーフティネット論を唱うのは、筋違いの議論なのである。たしかにバブルを引きずった放漫経営の企業は倒産すべきだろう。しかし放漫経営の最大の元凶は、特殊法人や官庁の“経営”であって、民間経営は「総理の決断」を待たなくても盛衰の波に洗われる。従って政策的な失業問題は、特殊法人や官庁を解体させることの中にしかない。ここにしか政策的な「いたみ」はあり得ないのである。

最大の“失業保険”は、特殊法人の“労働者”や官庁の“役人”が失業することである。構造改革による失業者の主人公は、まだ誰一人として登場していない。

409 おっしゃるとおり。

2001/9/5(水)14:02 - 宇佐美登 - 268 hit(s)

すべての特殊法人は独自の法律に基づいて存在しているのだから、役所が反対しても国会(立法府)が法律をなくせば消えてなくなる。「そんな簡単なものじゃない」という人がいるがそんなものだ。

大体、儲かる事業だったら民間がやればいいし、儲からないものは政府がやればいい(もちろん国民が了解したものだけだが)。特殊法人という中途半端な存在が予算をわかりにくくさせている。

416 re(1):失業者よ、出でよ。

2001/9/17(月)19:15 - スピノザコロッケ - 198 hit(s)

さて、芦田氏の書き込みに重大な事実誤認があります。

いままでも山のように事実誤認はありましたが、もはや看過できないレベルに達しています。

「労働者」という用語は公務員には適用されません。つまり公務員は「労働者」ではないのです。こんなことは世界の常識です。英語で公務員のことをなんと呼ぶか、改めて考えれば分かることです。

「労働者」でないのだから、失業もしませんし、基本的労働権も認められていません。全体的に研鑚が足りないようでね。

さて、質問があります。

売上の90%以上を公共投資に頼っている建設会社の社員は「公務員」でしょうか。

通常経常予算の半分以上を公的助成によって賄っている高校以下の私立高校の教職員は?

この設問に解答できれば、わたくしがなぜ上記のような指摘をしたかがわかるはずです。

417 re(2):失業者よ、出でよ。

2001/9/17(月)21:43 - 芦田宏直 - 216 hit(s)

バカなことを言ってはいけません。私は、あなたのような反論を予想して、労働者という言葉を“”で囲んで使っています。

二つ目の質問。もしあなたような言い方や考え方で、その立場に立って答えるとすれば、すべての公務員は労働者であり、すべての労働者は公務員です。もともと、あなたのような公務員と労働者と截然と分ける認識自体が“構造改革”を難しくしているのです。〈民営化〉とは、(あなたのようなサヨク崩れの認識を茶化す言い方で言えば)すべての公務員が労働者になることです。

418 re(3):失業者よ、出でよ。

2001/9/17(月)22:43 - エルネストメンチカツ - 186 hit(s)

カントはその著書「実践理性批判」のなかで、霊魂の不滅や神への信仰などを前提としないと公共善の議論は成り立たないと述べています。

またスペインの偉大な哲学者オルテガは「大衆は、大衆でないものとの共存を望まない」といっています。

公務員の公共性と市場原理との関係はあなたが言うほど単純なものではありません。つまり公務員がいるからこそ、その存在自体が社会秩序(勤労への意欲やカーストアップへの欲望)を生み出しているのです。

自由主義経済体制とはそういうものです。マルクスの言う「ブルジョア階級の委員会」がなければ、市場原理が機能するわけはありません。

そもそも日本の失業率をマスコミからの報道を鵜呑みにして「5%」なぞとしゃあしゃあとのたまっていること自体犯罪的です。日本の失業率野がどのような基礎計算に基づいて算出されているのか、貴殿に明日までのレポートを課します。

419 re(4):公共性と民主主義

2001/9/18(火)00:18 - 芦田宏直 - 329 hit(s)

とんまなことを言ってはいけません。日本の「公共性」は、田中角栄や族議員の存在によってかろうじて保たれてきました。都市中心の市場主義的な動きに歯止めをかけてきたのは、自民党そのものです。それに比べれば、旧社会党や共産党といったあなたの属する左翼政党の方がはるかに反動的な公共性を訴え続けてきたわけです。あなたの政党がかつて兄弟党として尊敬したソ連や中国の公共主義政策は、地方を貧困の極地にまで追い込みました。これが、あなたがマルクスまでも引用して言う公共性と相補的な市場原理の実体です。「マルクスの言う「ブルジョア階級の委員会」がなければ、市場原理が機能するわけはありません」。これは要するにみんな公務員になりたがってるんだ、という(あなたの、あなたたちの)官僚主義を意味しているわけです。それを実践したのが社会主義であったという歴史の経験を今なお左翼党員であるあなたはよくよく学ぶべきです。それに比べれば、自民党の方がはるかに地方を重視したし、民主主義的(あるいはあなたをエキサイトさせるとすれば真に“社会主義的”)だったわけです。そのことを考えることなしに、官僚の公共性や市場主義と相補的な官僚制を議論してはいけません。まともに読んだこともないカント、オルテガ、マルクスを孫引きのように引用するあなたの議論に細かくはいるのは、ここでは留保しておきましょう。すべて間違っているからです。

ついでに言えば(貿易センタービルが破壊されたついでにいえば)、田中角栄は、立花隆的(=官僚的な)追求によって、駆逐されたのではありません。むしろ竹下登のクーデータによって崩壊したのです。それは田中派の権力の頂点において生じたのであって、田中の没落の果ての出来事ではなかったのです。どんな権力もそれが強権であればあるほど、〈外部〉から崩壊するのではなくて〈内部〉から崩壊します。それは、戦略ミサイル構想(ポスト米ソ対立後もはや存在しない外部の敵と戦うこと)にうつつを抜かしていたブッシュが、国内線の飛行機によって、権力的な危機を迎えたというのと似ています。外部を駆逐するということは、内部を敵に回すということと同じことだからです。もともと強さとは、外部の力によっては壊れないということですから、当然のことです(ビンラディンも内部の裏切りなしには崩壊しないでしょう。組織とはそういうものです)。

もともと、田中派は自民党の派閥の中で、一番左に位置していました(あなたに近い、観念的な左としては三木派がありましたが)。お金と票で動いていたという意味でです。そうではない小泉や中曽根の方がはるかに反動的であることは、この間の靖国騒動ではっきり浮き彫りにされました。何度も言いますが、ゼネコンが田中派と結びついて、半分公務員のような働きをしたのは、かれらが、民主的であったからであって、その逆ではありません。

しかし、果たして公共性と民主制は同じものでしょうか。あなたの通俗的な〈公共性〉論からははるかに遠いところに来ました。今日はここまでにしましょう。

411 作ることと評価すること ― デジタル時代のスピードとは何か。

2001/9/10(月)00:16 - 芦田宏直 - 321 hit(s)

テラハウスカリキュラムは、とりあえず完成して、今はパンフレット作成のど真ん中。土日をつぶしてしまった。土曜の夜中の「1:40」に私の自宅に表紙デザインを送ってくるなんて、なかなか“国際的な”仕事の仕方だ。今回の業者は、制作部署が石川県にあるAVDという会社。「今回の」と書いたが、私は、業者の決定については、毎回入札をやって、無条件に安いほうにする。金額がすべてだ。当たり前のことだが、これがなかなかつらい。一度業者と仕事をすると慣れや任せることのできる安心感が生まれてきて、“離れがたい”気持ちが前面化する。そうなるとコストは絶対にさがらない。こちらが手を抜いた分コストはさがらないのは当然のこと。今回の業者は、前回より100万円以上安い見積もりを入れてきた。30%以上コストダウンだ。その分、(1)B5版からA4版への拡大(文字が一回り大きくなり読みやすくなった) (2)カラーページ(講座受講のチャート図ページ)の2倍増強 (3)講師紹介、用語説明ページの新設などかつてないパンフレットを計画できた。A4版110ページを超える大作パンフである(自画自賛?!)。テラハウスパンフにとっては画期的なものだ。

私はコストダウンを基本的には〈拡大〉のためにしかしない。パンフレットなんて何度作っても不満ばかりが残る。テラハウスを十全に伝えることができているか、いかにして、それを見た人が電話をかけて問い合わせなくても、“わかる”パンフにするか、すぐにでも“学びたい”と思ってもらえるパンフにするか、そう考えると予算的にもいつも限界がある。その限界を超えることが、制作費を少しでも安くすることの意味である。よいパンフレットになって、読者の心をつかむことことこそが、“利益”の本当の源泉だからだ。コストダウンそのものに、目的などあるはずがない(日産のカルロスゴーンは、まだなおヒット作の車、魅力的な車を出していない。上半期ヒット車上位10車のうち日産の車は一台しかない。ヒット作のないコストダウンと経常利益なんて、何の意味もない)。

今回の業者の経験は、貴重なものだった。石川県にあったため、ページデザインがすべてJPG、PDFファイルで私のOFFICEの、あるいは自宅のパソコンに直送されてきた。 間髪おかずに、私がそのデザインを批評する。数時間後にそれに応えたデザインがまた送られてくる。これを5、6日間で数十回と繰り返して、デザインが完成に近づいていく。「申し訳ありませんが、1時間ほど会社を留守にいたします。ご都合のよろしいとき、いつでもご連絡してください」なんてメールのやりとりを繰り返し(たぶん、この「一時間」は食事のための「一時間」である)、ほとんどデスクにはりつきながら、秒刻みの制作と評価のやりとりを続けたのである。毎回、テラハウスのパンフレットに関わった印刷所は、赤字を出したり、尿から血が出たり、退職者が出たりして、テラハウス悲劇が生じるが、今回の印刷所はどうなるのだろうか。私にとっては、この経験は貴重で斬新なものだった。

今回の場合は、表紙デザインが一番手こずった。最初のうちは60点すれすれのデザインだったが、最終的には80点以上になったのではないか(このパンフレットは、22日にできあがります。今しばらくお待ち下さい)。

従来であれば、営業が介在して、制作部のプリントアウトしたものを一日遅れくらいでクライアントの手元にもってきて、その批評を(営業が)聞き、その意見をまた持ち帰り、再度作り直すということを繰り返す。場合によっては、制作部とは別にデザイナーが介在する場合はもっと複雑なことになる。〈デザイナー〉という人種は、なかなか人のいうことを聞かない。これまでの私の経験でも、人(私)がデザイン批評をし始めると、デザイナーの顔色が見る見るうちに変わっていくということが何度もあった。今度はこちらが、デザイナーの機嫌を損なわないように話さなくてはならない。クライアントであるのに気を遣わなくてはならない、そんなことも数多くあった。こういった関係では、デザイン検討を納得がいくまで繰り返すというのは不可能だ。そもそも時間がない。

制作(オペレーティング)、デザイナー、営業。こういった分業体制は、そもそも、アナログ時代の体制だ。基本的に、頭(デザイナー)と手足(制作)が分離している。アナログの制約の本質は、INPUTとOUTPUTとのあいだに時間が介在するということだ。時間が、考えることと作ることとを引き裂く。

たとえば、デザインの介在しない文章の世界(情報量がそれほど多くない文字データの世界)では、もはやデジタル化は充分に成熟しており、〈頭〉と〈手足〉が分離していることはない。人々はノートにアイデアをまとめてからワープロに向かうということをもはやしない。考えながら書き、書きながら考えるということを自然に行えるところまで来ている。もはやワープロは書く道具ではなく、考える道具である。書くことと考えることが分離していたのは、そこに紙が介在していたからであるが、完全デジタル化が達成されると(書斎やOFFICEからノートがなくなると)、考えることと書くことはほとんど同じことになる ― この事態を私は今から六年前に「ハイパーテキスト論」で展開したが、そのモチーフは、当時の(今でも勢力のある)、「パソコンがいくら進んでも、結局それを使うのは人間だ」という不毛な議論にピリオドを打ちたかったからである。デジタル化の本質は、表現(OUTPUT)と思考(INPUT)との間に時間差が生じないということだ。

今回のパンフ作りでも、私はjpgファイル、pdfファイルによって直接制作担当とやりとりをすることができた。制作担当とどういった会話が下されようと、あるいは“彼”のデザインの、あるいはオペレーターとしての才能がどんなものであれ、ほとんど時間差がなくOUTPUT(=作品)が生じるので、自分が考えたかのように制作過程を疑似化できる。制作過程と評価の過程とが重なっているのである。

デザインの世界では、デジタル化(DTP化)によってオペレータがデザインをも兼ねるようになり、デザインの質が低くなった、その分、ますます芸大系のデザイナー(アナログデザイナー)の需要が高まりつつあるという意見も強いが、それは全くの嘘だ。もしそういったことがあるとすれば、それはデジタル化がクライアントに直接に結びついていないことから起こる現象であって、まだデジタル化が不全のために起こっている現象にすぎない。つまり、デジタル化の極点は、単に制作過程の全過程がデジタル化されることではなくて、クライアントに(〈デザイナー〉や〈営業〉の手や頭を介さずに)直接、瞬時に作品提示を行えることにある。クライアント(評価の過程や消費の過程)に結びつかないデジタル化は、ほとんど意味がない。オペレータVSデザイナーという対立が解消されるのは、デジタル化がクライアントに結びついた時にこそ可能になるのである。ノートがデジタル化されていない限り、書くことと考えることとの間にはなお溝があったが、ノートがパソコンのそばから消えたときに、書くことと考えることとの差異が解消したように、ノートのデジタル化とクライアントのデジタル化とは同じ軌道を描いている。

制作過程を熟知できないデザイナーは生き残れない、デザインの過程を熟知できないオペレータは生き残れない。最近ではよく指摘される、この事態の鍵は、したがってスピード(時間)である。スピードの短縮化、加速化が、評価のない制作過程(〈頭〉のない〈手足〉)を駆逐しつつあるのである。逆に言えば、スピード(デジタル化)の本質は、評価の有無である。評価に直結しないインターネット・ネットワーク、社内LAN、グループウエアは、単なるお金の無駄使いにすぎない。

429 貿易センタービル、NIMDAウイルス、叔母の死

2001/10/1(月)23:29 - 芦田宏直 - 450 hit(s)

貿易センタービルの破壊以降、“トラウマ”が残り、「毎日」なんてスパンでものを書いている場合ではないなと思い始め、書きしぶっていたときに、話題のNIMDAウイルスにテラハウスサーバーをやられてしまった。ウイルス駆除のため三日三晩サーバーのファイルをチェックさせたら、今度はそのフル稼働させたハードデスクが自滅。新パンフレットができて、大事なときなのにホームページが動かない(やっと本日仮復旧しました)。ホームページが動いていないのに、「毎日」だけを書き続けるのもヘンだし。

とおもいながら、9月末の土日には「毎日」を書いてみようと思っていたら、土曜日の朝早く、わたしの叔母(父の姉)が82才で往生。急遽帰京(今年1月の義理の叔母の死以来の帰京だ)。15年前の輸血でC型肝炎ウイルスにやられて以来、それなりに元気でいた叔母だったが、とうとう逝ってしまった。私は18才のときに急性白血病で父を失っているが、それ以来、陰に陽に手助けしてくれた叔母だった。最近も連続テレビで有名な丹後半島香住で獲れたてのイカを送ってくれたりして、息子もそのイカを大好物にしていた(スーパーのイカは白いが本当のイカはグレー色に黒くくすんでいて、しかし噛むとしっとりとした歯ごたえがあることを息子が知ったのはこの叔母の贈り物からだ)。

40代も半ばをすぎると、“叔父”、“叔母”という関係にあった人たちが次々に逝ってしまう(私は定期健康診断を受けない非常識と同じ非常識で礼服も数珠も持っていない。そろそろ買いそろえなくてはいけない。こういった常識に並び始めると人並みに「社会人」という感じか。嗚呼。本当は「社会」なんてどこにも存在していないのに)。

私の父自体は46才で死んでいるから、すべての叔父、叔母の死の先輩で、私の父に比べればみんな良く長生きをしたもんだ、と思ったりもするが、しかし短命であれ、寿命であれ、いつ死んでも死は悲しいらしい。みんな、お棺に花を捧げるときには泣いていた。

お葬式というのは不思議な出来事だ。だれも予告や宣伝をしていないのに(広報費を一切かけないのに)、瞬時に人が集まる。しかもその商品(死)には実体がない。長い間会わないことと死んで会えないこととの間には実体的な差異がない。小学校の時の同級生の死なんて、死んでいても生きていても差異がない。そんな実体のない商品に広報もなしに人が集まる。もっとも、広報なんて、もともと実体のないものだ。ひょっとしたら、死こそが最大の広報、最大の記号なのかもしれない。

葬式は、その人の生きているときのプレゼンス、最後のプレゼンスだという言い方もあり得るが、それは嘘だ。生きていることに証明も最後もない。人は証明する前にバレているし、最後に至る前に終わっている場合もある。葬式が教えることは、生きていることに終わりも始まりもないということだ。〈社会〉がつまらないように、〈生〉もつまらないものだ。

430 re(1):貿易センタービル、NIMDAウイルス、叔母の死

2001/10/9(火)01:57 - 伊地知勝美 - 190 hit(s)

すこしこのフレーズに興味を持ったので質問してみました。

>生きていることに証明も最後もない。

ということは、人がこの世に生まれてきたことは、個人的には差はあるけれども生きているということは単なる瞬間の出来事だということですか?

>人は証明する前にバレているし、最後に至る前に終わっている場合もある。

最後は終わりではないんですか?

>葬式が教えることは、生きていることに終わりも始まりもないということだ。

存在には、始まりも終わりもないんですか?

>〈社会〉がつまらないように、〈生〉もつまらないものだ。

意味のある存在はないんですか?

世界は人間がいなくても存在していくものなのですか?

431 re(2):貿易センタービル、NIMDAウイルス、叔母の死

2001/10/9(火)14:19 - えっぷ - 173 hit(s)

横から失礼します。

> >生きていることに証明も最後もない。
>
> ということは、
> 人がこの世に生まれてきたことは、個人的には差はあるけれども生きているということは単なる瞬間の出来事だということですか?

人がこの世に生まれてきたことは、自然界の中で見れば何てことはないちっぽけなことだ、ということではないでしょうか?

> >葬式が教えることは、生きていることに終わりも始まりもないということだ。
> 存在には、始まりも終わりもないんですか?
>
> >〈社会〉がつまらないように、〈生〉もつまらないものだ。
> 意味のある存在はないんですか?
>
> 世界は人間がいなくても存在していくものなのですか?

始まりも終わりも、そして意味も、すべて人が恣意的に作り出したもの。
 おもしろい、とか、つまらない、という〈色〉は人が自然という〈キャンバス〉に塗りつけたものに過ぎません。

連綿と続く現実(アナログ)のある区間を切り取った(デジタル化した)、ものが〈社会〉であり、〈生〉であると解釈しています。

葬式は、無限に広がる、捕らえどころのない本来の〈リアル〉な世界の存在を人に垣間見させます。

そういう意味では「MATRIX」という映画は示唆的でした。以下は、「MATRIX」について書いた文です。

434 re(3):自然やアナログが存在するって?

2001/10/9(火)15:00 - 芦田宏直 - 242 hit(s)

えっぷ>
えっぷ> 横から失礼します。
えっぷ>
えっぷ> > >生きていることに証明も最後もない。
えっぷ> >
えっぷ> > ということは、
えっぷ> > 人がこの世に生まれてきたことは、個人的には差はあるけれども
えっぷ> > 生きているということは単なる瞬間の出来事だということですか?
えっぷ>
えっぷ>  人がこの世に生まれてきたことは、自然界の中で見れば
えっぷ>  何てことはないちっぽけなことだ、ということではない
えっぷ>  でしょうか?

違います。「自然界」をリアルなものと見なしているところが違います。これではロマン主義(自然ロマン主義)になります。19世紀に後戻りです。

えっぷ>
えっぷ> > >葬式が教えることは、生きていることに終わりも始まりもないということだ。
えっぷ> > 存在には、始まりも終わりもないんですか?
えっぷ> >
えっぷ> > >〈社会〉がつまらないように、〈生〉もつまらないものだ。
えっぷ> > 意味のある存在はないんですか?
えっぷ> >
えっぷ> > 世界は人間がいなくても存在していくものなのですか?
えっぷ>
えっぷ>  始まりも終わりも、そして意味も、すべて人が恣意的に作り出したもの。
えっぷ>  おもしろい、とか、つまらない、という〈色〉は人が自然という
えっぷ>  〈キャンバス〉に塗りつけたものに過ぎません。

違います。あなたの言う「自然」自体が「人が恣意的に作り出したもの」だとしたらどうですか。

えっぷ>
えっぷ>  連綿と続く現実(アナログ)のある区間を切り取った(デジタル化した)、
えっぷ>  ものが〈社会〉であり、〈生〉であると解釈しています。
えっぷ>

違います。あなたの言う「連綿と続く現実(アナログ)」というものこそが、「人が恣意的に作り出したもの」だとしたらどうですか。

えっぷ>  葬式は、無限に広がる、捕らえどころのない本来の〈リアル〉な世界の
えっぷ>  存在を人に垣間見させます。
えっぷ>

全く違います。「人は証明する前にバレているし、最後に至る前に終わっている場合もある」と私は言っているのです。「〈リアル〉な世界の存在を人に垣間見させます」なんて全くウソです。あなたは「リアル」に死んだことがあるのですか?

えっぷ>  そういう意味では「MATRIX」という映画は示唆的でした。

違います。あなたのようなロマン主義者をおだてるという意味で、MATRIXは、全くくだらない映画でした。

えっぷ>  以下は、「MATRIX」について書いた文です。
えっぷ>  http://www.eppu-site.com/daily/wide_use.cgi/main?genre=4&dispmode=4&itemno=4-19

このサイトは、出来損ないの宗教のような文体でつづられているもので、参照する価値のないものです。

437 re(2):〈社会〉や〈生〉を超えるもの、あるいは意志の荷担。

2001/10/9(火)23:28 - 芦田宏直 - 285 hit(s)

人間が生きるということは社会で生きるということであり、そういった社会的生というのは、様々な“役割”や“分担”を担って生きるということです。ちょうど歯車のようになって生きるというのが生きるということの意味です(“歯車”は、チャップリンの映画のように近代的な合理主義だけの比喩ではありません)。だから生きることには意味がないのです。当然死ぬこともその歯車が回転するように一人死に、二人死にというように死に、そしてまた一人生まれ、二人生まれと生まれる。それが生きるということの意味です。つまり生きることに意味などないし、死ぬことに意味もないのです。これは単に生物学的な生−死概念なのではありません。

たとえば、勉強の嫌いな若いフリータたちは、仕事の“実在感”に誘惑されて、学校に戻らない。仕事は遅刻が許されない、ミスも許されないのに「仕事が面白い」などと言って学校に戻りません。人に頼られたり、お客さんにほめられたり、そのうえ、お金が入ってきたりすると、学校では得られなかった実在感が彼らに前面化しはじめます。いわゆる〈社会〉勉強というものです。しかしこれは勉強ではありません。どんな出来の悪い学生でも、〈社会〉に入れば、仕事をしはじめます。毎日遅刻していた学生も会社に入れば(社会人になれば)ウソのように時間を守り始めます。それはそうせざるを得ないからです。それは放っておいても人は生まれたり、死んだりしているというのと同じ意味での“勉強”にすぎないわけです。生まれたり、死んだりすることが(勉強してもしなくても)不可避であるように、どんな仕事にも実在感があるわけです。あるいは生きていれば、楽しいこともあるし、苦しいこともあるし、どんな秀才も失敗することもあれば、どんなマヌケもたまにはほめてやりたい気になるときもあるわけです。人の盛衰や組織や社会の盛衰も含めて、それもこれも人の社会の歯車(=社会の浮力、社会という浮力)の内でしょう。

逆に言えば、そんなことに実在感や優劣を感じてはいけないのです。放っておいても(意志が荷担しなくても)生じることに関心を砕いてはいけないのです。どんな仕事でも、5,6年続けていれば、一人前になる。100年続けても一人前にならない人もいる。10年やれば、どんな人間でも課長になることもある。能力があっても課長になれないこともある。そういったことは、実力(=能力)があるとかないとかとは別のところで起こっていることです。そんなところに(本来の)〈意志〉あるいは〈能力〉は存在してはいない。何でも起こりうるし、またなるようにしかならないもの、それが〈社会〉というもの、〈生きる〉ということです。社会にも生きること(あるいは死ぬこと)にも意味はないのです。

〈社会〉や〈生〉を超えて、もし自らの意志が(少しでも)荷担しうるものがあるとしたら、それは何なのか? それこそが、最後の、そして最初の問いとなるものです。あるいは終わるとか始まるというのは、意志の起源や臨界としてのみ意味を持つ概念なのです。(参照記事:(1)「芦田の毎日」331番 (2)「芦田の毎日」322番

438 re(3):〈社会〉や〈生〉を超えるもの、あるいは意志の荷担。

2001/10/14(日)05:16 - 伊地知勝美 - 126 hit(s)

またまた質問します。よろしくお願いします。

つまり、

自分が社会の中にいて、はじめようと思う瞬間が、始まり。生。
自分が社会の中にいて、進もうとすることが、生きている。
自分が社会の中にいて、立ち止まろうと思った瞬間が、終わり。死。

ということですか?

社会のなかでは
生物学的な生と死や、
個人的な感情の起伏は
意味がないことなんですか?

芦田先生と以前よく話題になった、
<個人><他者><世界>と<社会>はどう違うのですか。
<人間>の<フレームワーク>が<社会>なんですか。

439 re(4):〈生〉〈社会〉〈世界〉〈自己〉〈時間〉、さて?

2001/10/14(日)19:42 - 芦田宏直 - 203 hit(s)

伊地知勝美> またまた質問します。よろしくお願いします。
伊地知勝美>
伊地知勝美>
伊地知勝美> つまり、
伊地知勝美>
伊地知勝美> 自分が社会の中にいて、はじめようと思う瞬間が、始まり。生。
伊地知勝美> 自分が社会の中にいて、進もうとすることが、生きている。
伊地知勝美> 自分が社会の中にいて、立ち止まろうと思った瞬間が、終わり。死。
伊地知勝美>
伊地知勝美> ということですか?
伊地知勝美>

まず、「社会」は存在しないということ、まして「社会の中」なんて存在しないということ。まして、まして、「社会の中」で何かが始まったり、何かが終わったりすることなんてありえないということ。そして、「社会の中」に「自分」が存在することなどありえないということ。そして、そして、「始まり」や「終わり」という概念は、意志(あるいは現在、あるいは思想)が介在しない限り、存在しない概念だということ。

伊地知勝美> 社会のなかでは
伊地知勝美> 生物学的な生と死や、
伊地知勝美> 個人的な感情の起伏は
伊地知勝美> 意味がないことなんですか?
伊地知勝美>

「生物学的な生と死」「個人的な感情の起伏」なんてものは、存在しない。それは〈生〉そのものであるという意味で、存在したりしない。それは在るように在る(始まりも終わりもない)という意味で、存在しない。存在しないという意味で、「意味がない」。


伊地知勝美> 芦田先生と以前よく話題になった、
伊地知勝美> <個人><他者><世界>と<社会>はどう違うのですか。
伊地知勝美> <人間>の<フレームワーク>が<社会>なんですか。
伊地知勝美>

その問題は、私の論文「フレーム問題と世界 ― 人工知能・哲学・ハイデガー」の全体を参照してください。

その中で、私は次のように言っていました。(ほんの)一部を抜粋します。

人間は死を知らなくても死ぬことができるし、死を知っているからといって、死を避けることができるわけではない。また自殺をしたからといって、それは人がコーヒーを飲んだというふうに、或ることの行為者になるわけではない。人間があることをしたということが言えるためには、その行為の時間(行為の終末)を追い越さなくてはならない(コーヒーを飲むことが完了した後も生きていなければならない)が、死後の時間を生きるわけにはいかないからである。それは“生きる”という語の乱用にすぎない。

死後の世界を語る人間は、死んだ人間ではなくて、死にそこなった人間、つまり生きている人間であって、彼はまだ死んではいない。つまり死は、世界「の中に」存在しない。「死は生の出来事ではない。人は死を体験しない」(ヴィトゲンシュタイン)。つまり、人間は自分の力で死ぬことができない。

しかし自分の力で死ぬことができないにもかかわらず、死は自分の死でしかない。他人が死ぬことによって、自分の死が代理される(自分の死を免れる)わけではないからだ。おそらく、どんなに個性的なことであっても、それと同じ個性を持つ他人は存在しうるだろう。つまり、その個性は代理され得るだろう。しかし死ぬことだけは、私の死であり得る。私は「一人で」死んでいくのである。逆に、人間が「個性」だとか、「私」「自分」というものを持ち得るのは、死が、代理のきかない、他人に譲れない死であること、死が私の死であることからきている。〈私〉が存在することと〈死〉が存在することとは同じことである。しかし、そのもっとも私的なことこそが、私にとって不可能なことなのである。つまり、私の〈根拠〉としての私の死は、私にとって常に「非力な(ニヒティッヒ)」根拠、「有限な(エントリッヒ)」根拠でしかない。

私は私の死であるが、しかし私は(ヴィトゲンシュタインが「人は死を体験しない」といった意味で)死ねない。とすれば、私は私ではない。私とは私の他者である。世界「の中で」一番遠いところ、どんな他者よりも遠いところに私にとっての私が存在している。

というより、世界という距離は、私が私にとって自明でないこと(私=死)から生じる距離なのである。この距離があらゆる諸々の他者へと私が眼差しを向けることの根拠(「非力な根拠」)である。なるほど、世界は私の世界ではない。世界は彼(彼女)にとっても世界であるからこそ世界であると言える。私が「その中にいる」世界は、私が「いない」世界(私の死)と同じものなのである。しかし私がいない世界を私が考えることができること、それは結局、私(私=死)というものが、もとから私(私=死)としては不可能であること、「不可能なものの可能性」(ハイデガー)であることの意味である。レヴィナスは、ハイデガーの「死への存在」をレヴィナスの言う「死ねないことの恐怖」(イリヤ)に対立させているが、それはハイデガーにとって同じことを意味しているのである。私がその中にいる世界と私のいない世界とが同じものであること、つまり、私の〈外部〉が存在すること ― 世界の外部というものが考えられない以上、世界とは「外部」(ヴィトゲンシュタイン)である ― は、私が私の死としては私の死を死ねないこと、私が私として私の外部であることからきている。

私の死が世界の中で起こる「出来事」でないのは、そのためである。私の死は、世界の境界で生じる。厳密に言えば、“その中で”出来事が生じる外部そのものという意味では世界に境界などないのだから、私の死は境界そのもの、世界そのものなのである。人間が驚いたり、無視したりすることができるのは、いつも人間が世界の(という)境界、出来事の外部に身をおいているからである。それというのも、人間の死が世界を時-間化する可能性そのものであるからである。ヴィトゲンシュタインが〈私〉と〈世界〉の問題を類比的に語るのとは別にハイデガーはこの問題を時間性のなかで統一的に解釈しようとしたのである ― むろん類比の根拠を考えるというのは危険な企てではあるにしても。(「フレーム問題と世界 ― 人工知能・哲学・ハイデガー」後半結部より)

442 生と社会と死、感情や感覚、存在と在る

2001/10/21(日)13:10 - 伊地知勝美 - 81 hit(s)

ということは、

人間の意志とは無縁にただ在るだけの諸々、
それが「生まれる」「社会をつくる」「死んでいく」ということですね。

これは「私」が「存在する」まえからそこにあったものであり、
「存在しない」ときがきても、尚そこにあるものだということですか?

それは「存在しない」ということ「意味がないこと」であり「記号」にすぎないということなのですね
ということは。。。。

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ここで、下記の文章を添削して欲しいのですが。あるいは100点満点で採点して欲しいのですが。

「人間」は
「生」「社会」「死」といった「意味のない」ものが<在る>ことを「感じる」だけではなく
「存在する」ために「個人」「他者」「世界」といったものに<意味がある>ことを知っている。

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なんだか、
あとすこしでわかりそうな気がするのですが、
同時この疑問が解けた瞬間に、
これまでの概念がドミノ倒しのように一気に逆流しそうなドキドキ感に襲われます。
そこがまた快感かも。。。。。。。。

440 「ペリカン文書」のジュリアロバーツよりはアシュレイ・ジャッド。

2001/10/14(日)20:44 - 芦田宏直 - 221 hit(s)

ダブル・ジョパディー」のアシュレイ・ジャッドが良かったですね。映画はたいしたことはありあませんが、アシュレイジャッドの着ている衣装のセンスがまた何とも言えません― 劇中出てくる一番高いアルマーニのドレスがむしろ一番ダメで、普通の生活の時の衣装が上品でしゃれていたような気がします。特にリュックを背負ったシーンが記憶に残っています。

ペリカン文書」という映画もジュリアロバーツのファンでなければとても見ていられないほどひどい映画でしたが、彼女の衣装や姿の変化を楽しむための映画でした。そう思って「ダブル・ジョパディー」を見ると、アシュレイ・ジャッドの「ダブル・ジョパディー」の勝ちです。

「ヒート」(95)、「評決のとき」(96)、「コレクター」(97)、「氷の接吻」(97)などにも出ていたらしいのですが、全く印象にありません。この映画で初めて印象に残りました。田宮二郎が「白い影」(SMAPの中井クンが田宮二郎の代わりになるわけがないでしょ)をやっていた頃の山本陽子をもう少し上品にしたような女優です(少したとえが古いか?)。

目立たない俳優が脚本(映画)で目立つようになるという意味では「北京のふたり」のリチャードギアもよかった。「プリティウーマン」の彼よりも「北京のふたり」のリチャードギアの方がはるかにいい。

441 「ヒロタ」のチョコシューが … 。

2001/10/20(土)02:08 - 芦田宏直 - 233 hit(s)

今週、「ヒロタ」がつぶれた。あのシュークリームのヒロタだ。いつも魔が差したように、「ヒロタのシュークリームが食べたい」と思うときがある。風邪をひいて何も食べる気がなくなったとき、ふと、「ヒロタのシュークリーム」と口にするときがある。赤坂見附の「しろたえ」のシュークリームではなくて、「ヒロタ」のシュークリームなのだ。「買ってこようか」と家内。電車にのって買いに行かせても、いざ、手元にくると食べたくなくなるのが病人の食というものだ。でも弱っているときにも食べる気にさせる食べ物が、本当の食べ物でもある。食べ物というものは食べようと思ったときにはすでに終わってしまっているモノなのだ。

私は中でもチョコシューが大好きだった。焦げ茶色のチョコを表皮にしたようなチョコシューだ。表面のチョコの堅さとシュークリームの表皮のしなやかな柔らかさが何とも言えないハーモニーになっていた。

それに何より、少し小さめのあの大きさがよかった。一口か二口で食べられる大きさが良かった。五つ入りの縦に並んだシューが入ったパッケージで買って食べるときも、太って死んでもいいやと何度もやけくそになって(ちょうどそういった気にさせる大きさのシューが5個入りでパッケージになっていた。一列に少し傾けて小さなチョコシューを五つ並べるこの細長いパッケージがヒロタの成功の秘密だったとも思う)、家族の誰にも食べさせずに隠れて食べていた。現に、高一の息子に「ヒロタが倒産した!」と叫んでも、「それって何?」と、ことの重大さに気づかない。よく考えれば、私ばかりが食べて、息子に食べさせていなかったのだ。たしか、家内に「こんなおいしいシュークリーム、早くから子供に食わせたら、ろくな子に育たない」と言いながら、食べさせていなかった。冷蔵庫に“保管”するときにも「太郎に見つからないように奥にしまえ」なんて言っていた。今となっては後悔。息子の人生にヒロタのチョコシューが登場しない。嗚呼、なんと寂しい人生か。

一時は年間で130億円くらいあった売上が、最近は50億円くらいになっていたらしい。たいへんなことだ。会社更生法の申請らしいから、吉野家のように見事によみがえってほしい。

447 ザウルスよ、さらば。

2001/10/22(月)00:28 - 芦田宏直 - 820 hit(s)

JORNADA720を買ってしまった。私のモバイル環境は、FIVA103(http://www.casio.co.jp/mpc/103/) ― 実はFIVAの206を買ったが、やっぱり大きさが気に入らず、もう一度103を買い直していた ― 、とザウルスだったが(両者とも、並みいるモバイルノートとPDAの中でもっとも優秀な機械である)、この二つにはそれぞれ足りないものがあった。

FIVA(=モバイルノート)は、バッテリーの持ちの悪さと重さ。ザウルス(PDA)は、入力の不便とモニタの大きさ。PDA(ザウルス)もインターネットができるようになってきていたが、ブラウジングにはやはり画面が小さすぎる(実用のレベルではメールが限界だろう)。実際の活用の不便としては、たとえば、会議録(書記ではなくても、会議で重要なことや思ったことをリアルタイムにまとめたりする場合)などには、ノートパソコン(FIVA)もPDA(ザウルス)も役立たない。会議場では、ノートパソコンは大きくて目立ちすぎ、電池がもたない。ザウルスでは、モニタが小さすぎるのと入力が不便。だから、私のFIVAは、ずーっとカバンの中。自宅とテラハウスを往き来しているが、登場する機会がない。たまにデータ更新のためテラハウスの机に置くくらい。ザウルスも同期をとって、テラハウスの机に常時置いているが、同期をとるのは住所録とスケジュールくらいで、普段デスクトップで使っているWordファイルやExcelファイルをザウルスに“格納”する気は、おこらない。ザウルスをその手軽さから会議に同席させても、次回会