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454 新・子供に携帯電話を持たせてはいけない。
2001/11/4(日)18:03 - 芦田宏直 - 5709 hit(s)


 今日、久しぶりに電車に乗った(とはいえ、毎週土曜日には「明大前」の“王将”までは餃子を買いにいっているが(あの“王将”事件以来http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=398&e=msg&lp=398&st=0、ずーっと土曜日は〈餃子の日〉になっている)。

 「八幡山」駅で、斜め前の席に、中学生の男子(制服から見て明大附属中学)が3人のってきた。3人とも席に着くなり携帯電話を使い始めた。初心者のようだ。「“送信にしました”だって」なんて言って喜んでいる。

 中学生から携帯電話。バカな親もいるものだ。なんで与えるのだろう。学生(or生徒)というのは、〈社会〉から隔離されていてこそ学生だ。〈連絡〉というものから隔離されていてこそ学生である。

 〈教育〉というのは〈社会〉の影響を受けないからこそ、〈教育〉でありうるのであって、だからこそ、次世代を担いうる人材を育成することが出来る。「即戦力」という言葉があるが、市井の英会話スクールやパソコンスクールの教育目標ならいざしらず、その意味の実態は“使い捨て”ということに他ならない。

 学校教育の目標は、大学を含めてさえ、〈基礎〉教育というものにかかわっている。〈基礎〉教育の〈基礎〉とは、わかりやすい、簡単なもの、つまり「初心者」のための教育というものではなくて、〈社会〉がどんなふうに変遷しても変わらない(=生き続けている、これからも生き続けていく)“資産”を伝えるためのものということである。

 そのため学校教育は、どうしても保守的になる。時代遅れになる。それは学校教育の“欠陥”ではない。その保守性や時代遅れは、社会的な変化(消失するもの)を“フィルター”にかけるためのものなのである。もちろん、こういった保守性や時代遅れは、次世代や将来を見通してのものである。〈基礎〉は、〈社会〉に媚びないからこそ、いつでも新しいものの源泉になりうるのである。

 だから、〈学校〉は〈校門〉をはじめとして、〈塀〉(=学校を取り囲むフェンス)で囲まれている。それは〈社会〉や〈変化〉から浸食を受けないためである。それは、〈監獄〉が〈社会〉から隔離されて〈塀〉で囲まれているのと同じことである。どちらも〈社会〉からの隔離という点では同じなのだ。たとえば同じ〈学校〉と言っても、〈社会〉に近い、〈変化〉に近い、実業教育、職業教育を標榜する専門学校には〈塀〉が存在していないのは、その理由からである。

 したがって〈塀〉の中の学生が、携帯電話を持って、〈外部〉(〈社会〉)と“連絡”を取るというのは、不思議な事態なのだ。彼らは、もはやその時点、〈学生(or生徒)〉ではない。最初から社会化している学生に、どんな〈才能〉や〈能力〉を見出そうとするのだろうか。

たとえば、最近、私の息子の都立高校に“名門”私立高校から生徒が“転校”してきた。不況で親が学費を払えなくなったためだ。あるいは学業すら続けられない子供がこの時代のあちこちに出現しているのだろう。

 本来、こんなことはあってはならない。こういった、教育からの脱落は、それ自体〈学校〉の〈塀〉の中に社会的な変化が浸食していることの結果なのである。こういった脱落組が負の浸食だとすれば、携帯電話は正の浸食である。携帯電話を持つ学生は〈塀〉の中にいながら(学校に在籍しながら)の退学者なのである。“社会”が豊かであることの意味は、学校を“社会”からどこまで孤立させられるかに関わっているのであって、その逆ではない。

これは単なる推測だが、携帯電話所有率、利用率の学生分布一覧でいえば、所有率・利用率が高い学校ほど、学生に勉強をさせていない学校であるに違いない。社会化した学校はもはや学校ではない。〈現在〉の中に自らを解体させてしまっているからである。

ところで、しかしこの状況は、学校がもはや〈社会〉の影響を受けないでいることは不可能な時代になりつつあるということではないだろうか。ちょうど、旧ソ連が〈社会〉の影響を受けて解体したように(ソ連の社会主義は、〈学校〉としての国家の歴史的実験だった。同じように学校的な中国も社会化しつつあるが、むろん〈学校〉は〈国家〉と同じではない)、〈学校〉も解体しつつあるのだ。
 
 私はこの社会化を防ぐ唯一の砦が〈家族〉だと思うが ― 親や家族こそが〈社会〉からの初源の〈塀〉なのである ― 、その親が、ふたたび子供に携帯電話を持たせて、〈家庭〉を社会化させている。家庭は“連絡”の渦にまみれている。もともとは、機能(利益)や目的に支配されない〈長い時間〉の絆によって形成されている家族の共同性が〈短い時間〉の連絡にずたずたに引き裂かれて解体しつつある。

 今こそ、親こそが“保守的”になって、子供から携帯電話くらいは取り上げようではないか。「みんなもっているから」なんて子供に言われたら、「みんなもっているから、持たないでいい」と言おうではないか。


 ※この記事は、「子供に携帯電話を持たせてはいけない」http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=293&e=msg&lp=293&st=0、および「続・子供に携帯電話を持たせてはいけない」http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=296&e=msg&lp=296&st=0に連続した記事になっています。よろしければ参照してください。


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