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62 re(2):情報化社会とローン社会と終末論と |
2000/11/6(月)14:31 - 佐藤 - 14396 hit(s)
私は「本当の終わり」とは(個人が)死ぬという事を(個人が個人の意識の中で)認めて死ぬことであると思います。私にとっては人間が(自分が)死ぬという事を認めたくない者が宗教等(芦田先生の指す終わりを隠蔽するストーリー)を求めている気がします。アメリカを追っているような日本の国としての情報化社会への対応も国家が死ぬという事を認めたくないという行動であるように思います。そして死ぬことを認めたくなくさせている原因は資本主義にあるように思います。資本主義の環境の中で生きていると欲望が駆り立てられる。新しい物がどんどん出現してくることによって成り立つ資本主義の環境にいることで、その新しい物を見たいという衝動が起こるので死にたくなくなるのではないか。大東亜戦争末期のインテリ学生の特攻隊で国を守る為に死んでいった人達も資本主義の環境で生きていたら、現在の戦中、戦後育ちの知識人が語る結論のように自分の終わりを認められずに国を守るという誇りさえ持てずにただ意味もなく死んでいったと思うのではないか。だから資本主義が終わらない限り、終わりは先延ばしになるのではないかと思います。しかしそれは全ての個人が資本主義が死ぬことを認めてからでないと、資本主義は死なないと思うのが私の意見なので難しいと思います。冷戦崩壊後のアメリカ人は資本主義が終わるなんて微塵も信じていないと思いますから。では、資本主義が終われば「本当の終わり」なのか?、終わりを認められるのか?と考えると解からなくなりますが、資本主義も終わりを隠蔽するストーリーだということになるのでしょうか?頭が痛くなってきたので終わります。芦田先生、このコンテンツは辞めないで下さいね。すごく勉強になります。
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