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316 re(5):続続・子どもに携帯電話を持たせてはいけない。 |
2001/3/24(土)13:59 - きゅう - 13548 hit(s)
私の文を引用されたていますが、それと佐藤さんの文章がどういう点でつながっているのか、わかりかねます。申し訳ありませんが、佐藤さんの問いかけが突飛なものにしか感じられません。
芦田先生に“これは返信ではない”と言われてしまいそうですよ。
そもそも、掲示板とはどういったものか、考えてみましょう。
芦田先生は、掲示板というものは、おしゃべりの場、先生が引用されている、“Gerede”の場ではない、というのが、この掲示板では前提とされているのだと考えておられるように思います。
つまり、思いついたことは何でも書けばいいということではない、ということなのでしょう。
ある発言が、Aという論点で出発し、B、Cへとその論を移行、発展させているのなら、A・B・C、いずれかへの返しが含まれていなければならないのです。唐突に、Dを出して来て良い、というものではないのです。
それが唯一、先生にとって掲示板と呼べるものであり、したがって、この“芦田の毎日”での最低限のルールなのです。
それはそういうことで、では、なぜ、私がこの“芦田の毎日”を見に来るかというと、先生の発言を読むことで、私の“考える”ことの本能が、刺激されるからです。無論、それが書き込むことになると、さらにその度合いが強くなります。
人生経験の差は、そのまま絶対的な知識の差を意味します。
それゆえ、手ひどく切り捨てられることも度々でしょう。
が、そこで耳をふさぎ、その経験を自分から切り離してしまっては、何の成長ももたらされません。
そもそも、相当歯ごたえのある相手だからこそ、ぶつかり甲斐もあるというものです。
先生との抜き差しならぬ、真剣勝負をくぐり抜けることで、随分と考える力を鍛えられるのではないかと思うのです。考える力を身につける、大きな訓練になるでしょう。脳は鍛えなければ成長はしません。
携帯を子供に与えない、というのと同様、生徒にもそう易々と自信を与えない、というのが先生の共通の教育方針のように思えます。古き時代の剣の稽古も、師は弟子の前に立ちはだかることにより、弟子の成長を促しました。
少々手ひどく打ち据えられても、懲りずに、いつか乗り越えてやる、と強がりを言っていたいものです。それが、成長につながると思うからです。
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