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402 re(2):『本むら庵』『王将』『aa』『広味坊』 ― 〈経営〉は難しい |
2001/8/20(月)00:11 - 芦田宏直 - 7335 hit(s)
そうですね。建築家の「文化人」気取りは許せないですね。ちょうど「美容師」が“ヘアデザイナー”を気取ったり、“芸術家”気取りしているのと同じくらいくだらないですよね。特にポストモダン以降の建築はすべてダメになったような気がします。都庁でも恵比寿でもビッグサイト(湾岸)や幕張でも、結局出来損ないの機能主義の域を出ていない。特にビルとビル(あるいはビルと人)を繋ぐ通路の設計がダメです。歩いていても楽しくない。“歩く”ことだけを強要されているような気がします。もともと歩くというのはそういったことではないでしょう。立ち寄ったり、まなざしの誘惑があったりするのが歩くことです。それがない。そしてそれ以前に上記の場所は風害で歩くことすらできない。こんな不快な〈場所〉はありません。
建築で一番難しいのは、たぶん、玄関の設計です。低層であればあるほどそうです。車のデザイナーであれば、「エンジンさえなければ」と言うところを、建築家は「玄関さえなければ」と言うような気がします。折り込みチラシの一軒家の間取り図を見ていても、すべて玄関の設計で破綻しています。玄関という建物の〈外部〉(内部と外部との接線)を設計するというのは、建築にとって自己矛盾的なことですから、難しいことなのでしょう。結局、〈玄関〉を根元的に設計できないことが、超高層の〈通路〉を作れないことに繋がっているような気がします。
昨年、『反オブジェクト ― 建築を溶かし、砕く』(筑摩書房)という隈 研吾の本(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3aefc10412c880103cc4?aid=&bibid=01905277&volno=00)が出ました。彼がぶち当たっているのも、結局のところ、〈玄関〉や〈通路〉の問題なのです。彼はこの問題を関係性(建物の自己中心的、内閉的なオブジェクト主義からの脱却)という観点から解こうとしていますが、全くナンセンスな、旧式の議論(モダン以前、ヘーゲル主義以前の議論)です。建築はオブジェクトとして屹立するからこそ、そして、その中に玄関や通路の問題を矛盾対立的に形成するからこそ建築なのです。建築家の“くせに”思想を気取ってはいけません。
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