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2000/10/21(土)23:48 - 芦田 - 6325 hit(s)
さいとう> 昔何かの本で読んだことがある話です。ビル・ゲイツがインタビューで「マイクロソフトには優秀な社員が沢山いますが、どうやって彼らを見つけ出したんですか」とたずねられて、
さいとう> 「採用する前に1週間一緒に仕事をすれば、その人物が優秀かどうかは間違いなく判定できます。そうやって優秀な人だけを採用してきました。」という趣旨の発言をしていました。マイクロソフト社への評価はともかくとして、このビル・ゲイツの回答は印象に残っています。
「さいとう」さん、違うと思います。そんなことは、どんな経営者でもそう思っています。私も、自分でやとったスタッフを1ヶ月、2ヶ月でクビにしたことが何回か(何回も?)あります。一緒に仕事をすれば(入社前でも、入社後でも)、誰だって、その人間が有能か無能かわかります。
しかし、重要なことは、一緒に仕事をする〈前に〉、そのことを〈判断する〉ことができるかどうかということです。私が〈表現〉が課題だといったのはその意味でのことです。
もう一つの問題は、もし一緒に仕事をして、ある人間が無能だと判断した場合、こういった判断にほとんど間違いはないのですが、しかしその判断が限界を持つのは、あくまでも〈現在〉においてのことだということです。
ひょっとしたら、もっと別の仕事を与えれば、とか、私ではない別の上長に付ければ、とか、責任あるポジションを与えれば、とかいろいろなことを考えてしまいます。そこのところを含めても“この人間は無能だ”と言えるのは、神様くらいでしょう。ここは(単なる〈教育〉問題を超えて)難しいところです。
ただ、企業は教育機関ではありません。その人間の成長を待てないときがあります。人間の将来に比べれば、企業の将来ははるかに短い。そこが企業判断(としての人材評価)と教育的判断(としての人間評価)が分かれるところだと思います。両者とつなぐのが、私の言う〈表現〉という概念です。
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