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119 re(2):HONDAのロボット「ASIMO」について |
2000/12/1(金)18:07 - 芦田 - 7645 hit(s)
宮川先生、ちょっとちがいます。「まだ、機能している(生きている)細胞がある」から死んではいない、ということではないと思います。
問題なのは、体の中の何が死ねば、人間が死んだ、と言えるのかということです。たとえば、映画「ロボコップ」のように、脳以外は細胞が「生きていない」X(エックス)を、〈人間〉と呼べるかどうかということです。手や足が死んでいても(義足や義手であっても)、そのX(エックス)を人間ではないと判断しないのであれば、たぶん、ロボコップは〈人間〉なのでしょう。
脳が死んでいるかいないかが、人の死であることの基準になるのは、その生死だけが、人間の生死(あるいは人間的なビヘイビア)に関わっていると考えるからです。したがって、脳死は人の死だ、という結論になるわけです。その場合、手足の細胞(あるいは身体の他の部位)が生きているか死んでいるかはどうでもよいことだ(行動主義にとっては)、ということになります。
行動主義にとっては、何が欠ければ、その人間は人間らしい「ビヘイビア」を保てなくなるのか、だけが問題なのですから、個々の機能の生き死に自体が問題であるのではないわけです。
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