257 re(2):追悼・永坂田津子 |
人は、なぜ泣くのか? いやー、まいりました。「お別れのことば」の最初の一行目、いや一語をはじめるところで、すでに泣き始めまして、最後まで息が切れて切れてどうしようもありませんでした。私の同窓もたくさん参列していましたから、「どうしたの芦田さん?」という感じでとても驚いていたようです。「芦田が泣くなんて(血も涙もない男だと思っていたのに)」という感じだったのでしょうか。
私が読みながら何度も奇妙に思ったのは、故人について泣いているのか、故人について書いた文章を読んで(読み上げて)泣いているのかわからなくなったからです。これを参列の後、仲間に一所懸命説明しようとしましたが、すべて私が泣いたことの自己弁解としかとられませんでした。何と思慮浅い連中であることか。みんな人間主義なのがいけない。
私は自分の父親を18歳のときに白血病で亡くしましたが、そのときは涙一つ流さず、悲しくもありませんでした。そのときと今が違うのは、父親については何も書いていないということです。〈書く〉というのは、人が死ぬことと同じくらい、それ自体大きな出来事なのだと思いました。書くということは、泣くことなのです。それも〈言葉〉を大切にした山田田津子先生(ペンネーム:永坂田津子)の最後の教えだったのかもしれません。
私も今年で自分の父親が死んだ年齢と同じ歳になりました。一度、父親について書いてみたいと思いました。
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