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595 季節はずれの桜と二匹の犬。
2002/3/24(日)22:32 - 芦田宏直 - 20120 hit(s)


今日、芦花公園へ花見に行ったが(と言っても出たのは16:00すぎ)、よく考えたら、芦花公園は、桜が少ない、むしろ周辺の小学校の周りの方が桜が多いくらいだ。しかし、季節はずれな桜は、やっぱり、ダメ。卒業式からも入学式からも外れている。

そのお花見に帰りの道ばたで、かわいい犬がお庭にある犬小屋から顔を出してくつろいでいるのを見つけた。近づいても吠えないが歓迎してくれる様子もない。よく見ると、なんと犬小屋の入り口の頭に「この犬ゆずります」と書いた紙が貼ってある。ショック! 笑うにも笑えない。

この犬は、このことを“知っている”のだろうか? そう思えば、かわいいけれども元気がない。横たわったまま、すねた、寂しそうな顔をこちらに向けてちらちらと私を見ている。

まず思ったことは、この犬が愛想がないのは、通行人に好かれてしまって連れて行かれたら大変だから、わざとかわいくない振りをしているのではないかということ。

次に思ったことは、たとえ、今の飼い主が、この犬に気づかれないような振りをして毎日飼い続けているにしても(たぶん、気づいているとは思うが)、このように通行人がたちどまり(「かわいそうね」と言いながら)騒いでいること自体で何か感じるものがあるはず、ということだった。

要するに、二重、三重の意味で、この犬の「毎日」はつらいものがある。捨てる気になった飼い主に今さら媚びを売るのもむなしいし、かわいそうにと近づく通行人に媚びを売るのもわびしい。どうしようもない日々が続くことになる。まさにそんな顔をして、私を見ていた。

そういえば、この間も芦花公園の駅の近くで、散歩したくない犬に会ってしまった。散歩したくないというより、もはや散歩できない老犬なのだ。飼い主も60前後の老婆なのだが、その老婆よりも歩く速度が遅い。

前足はほとんど動かず、腰を左右に振ることなしには前に進まない。速度が遅いものだから、クビひもを通じて、ずーっと引っ張られた状態での散歩。これは地獄だ。横断歩道での赤信号が唯一の休息。下を向いたまま、顔をあげる力も残っていない。

この老婆も一人暮らしなのだろう。犬しか相手にしてくれる人がいない。犬も、この飼い主を残して先立つわけにも行かない。どちらも人生(犬生?)を散らすための散歩なのだ。

二匹の犬を見て思うことは、散り際というものだ。どちらも散り際を間違ってしまっている。桜の花が、季節はずれの(忙しい)年度末に咲き、入学式(入社式)では姿を消して、咲く(=散る)意味を失うように、この犬たちの消尽も、どこかで狂ってしまったのだ。ワンワンと泣くこともできなくなってしまった、この犬たちの沈黙に、合掌。春は、いつも落ち着かない、イヤな季節だ。


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