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2001/10/1(月)18:55 - マカロニカールMX - 14936 hit(s)
少々時間ができましたので再送します。
まず、芦田氏にお願いです。わたしの書き込みをまずはきちんと読みほどいてから登板していただきたい。的外れな批判からは何も生み出されません。
あなたが私の書き込みをきちんと読み解いていないことの証左は、公共性に関わるあなたの書き込みに端的に現れています。
わたしは「公共性」を重んじているわけでも、その存在に何かを見出そうとしているのでもありません。
「公共性」を生み出す「公共空間」は、商品交換換経済体制、つまり自由主義経済体制の必然として発生するものです。
それ以前の封建制社会では、「公共性」などという概念自体が必要がなかったことはご承知のとおりです.
ツアーリには公共性など必要ありませんでした。欲しければ権力によって何でも手に入れることができたからです。
自由主義経済体制では社会成員が互いの「私的所有」を認知しなければ、商品交換が成り立ちません。「我も持ちえれば、彼も持ちうる」ということを全体合意のルールとしなければ、市場経済が機能しないのですから。
その合意をより円滑に管理統括するために、「委員会」としての国家が表出するわけです。
その「委員会」が、収賄や独善によってそのルールを曲解してしまえば、たちまちのうちにこの体制は崩壊してしまいます。
つまり「自由主義経済体制=モラル重視体制」ということになるのです。
昨今の新自由主義・新保守主義者の老人達がさかんに昨今のモラルハザードを嘆くのはこのためです。
教育政策の分野でも修身道徳の復活や、奉仕活動の義務化、教員養成課程での介護体験の義務化などもこの潮流の中にあるものです。
あなたのいうようなタナカ角栄がどうしたこうしたという3面ゴシップ的4流政治評論家的分析とは似ても似つかないところに「公共性」「公共空間」の存在必然はあるのです。
それはそうと、このBBS,スレッド表示がエラくみにくいですよ。なんだったら当社で格安で設計しなおししましょうか?
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┣【426】 re(7):公共性と民主主義 2001/10/1(月)18:55 マカロニカールMX (1642) |
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