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407 〈連絡〉とは何か。
2001/9/3(月)00:20 - 芦田宏直 - 4945 hit(s)


〈連絡〉とは何か。今日、私は日曜日で自宅にいたが、新カリキュラムパンフの第一次校正が印刷所から今日の午前中にテラハウスに届くというので、「今日、講座に出ている先生にすぐに(今日中に)校正してもらえるような体制をとってくれ」と受付担当に連絡をしておいた。夕方、どうなったかを確認の電話をしたら、「M先生は家で校正してきますと言って持ち帰りました」との受付の返答。ここで、私はカチッと切れた。

通常、連絡による依頼というものは、何も逆連絡(連絡をした者への連絡)がない場合には、(連絡した者は)頼んだとおりことが進んでいると思っている。そうでない事態が生じるとき(生じそうになっているとき)には、どうしたらよいのかを打診する逆連絡があるはずだ。「今日日曜日にはすべての先生が来られているわけではないので、明日(月曜日)の他の先生と一緒に校正ができればと思って、(芦田に)連絡しませんでした」ということらしい。こういった“判断”は、もしそれが本当だとしたら私(芦田)がそう思っていなければならない。「何も今日中にやる必要はないではないか」という“判断”がある(あった)とすれば、私が「今日中に」と頼んだ段階で、その命を受けなければいいのである(受けなければいいかサジェスションすればいいのである)。簡単な仕事を簡単にできない人ほど、難しい判断をしたがる。あるいは難しい判断(上長判断)を(部下である)自分がしているのをわかっていない。と、そう言ったら、その受付は「スミマセンでした」と言う。

そこで、私はその受付にそうであれば、M先生の家にその校正原稿をあなたが今日中に取りに行ってくるか、明日の朝9:00にテラハウスにもってくるようにしてもらいなさい(M先生は予定では明日の講座は19:00からだった)と言った。「そんなことできません」とその受付。「朝9:00にテラハウスにもってくるようにお願いはします」と受付。「お願いなんて、何も言っていないのと同じです」と私。「それ以上はできません」(受付)。

「それならあなたは何を反省したの?」(私)。「 … 」(受付)。何をすればいいのか答えが出ていないような反省は認めるべきではない。サラリーマン(サラリーウーマン)のなかには反省の好きな人が多い。すぐに「スミマセンでした」と反省する。しかし“間違い”はいつもその人間の根本的な傾向から生じている。そんな簡単に“反省(Reflection)”できるわけがない。偶然な間違いなんてほとんどないのである。「スミマセン」などでスマシてはいけないのである。だって、スマナイ(済まない)と言っているのだから。

〈連絡〉とは、連絡が済んだ段階で、もうその仕事を終えられる状態のことを言う。したがって、連絡を受けた者は、仕事(=連絡)が終わっているかどうかの仕事が生じたことになる。たとえば、電話の取り次ぎで連絡対象者が不在の時、「伝言しておきます」と言って、かりにその対象者が「伝言」を聞き逃した、見逃した場合、責任は、対象者にあるのではなくて、連絡を取り次いだ者の方にある。連絡をさせることが「伝言」の意味なのであって、伝えることが「伝言」の意味なのではない。時々気の利いた受付がいて(会社の方針もあるだろうが)、「伝言しておきます。ワタクシ、鈴木が承りました」と自分の名前を名乗る場合があるが、これは、連絡させる責任(連絡する責任ではなくて)は私にあります、と宣言しているのである。これは気持ちがいいし、信頼感が自然に生じる。時々、そうは言っても連絡がない場合があるが、そんなときは、私は「田中さん」に連絡したかった場合でも、その「鈴木さん」に電話をするようにしている。「電話がかかってこなかったんだけれども、どうなっているのかな」と(半分イヤミですが)。こんなときに受付が、直接田中にかければいいじゃないか、と態度が変わる場合は、自分が名乗った意味をわかっていない受付である。私は、鈴木さんを知ったことによって、田中さんと連絡し終えた気になっているのであって、鈴木さんは自ら名乗ることによって、仲介者を超えたことになる。これが連絡(を受けること)の意味である。

〈連絡〉の問題は、もう一つある。連絡内容が正確に伝わらないという場合である。なぜ、正確に伝わらないのか。それはコトバそれ自体しか聞いていないからである。コトバそれ自体しか聞いていないと伝えることは記憶の問題になる。記憶など誰だって不確かなものだ。連絡の上手な人は、コトバのひとつひとつなど聞いてはいない。相手が何を言おうとしているのかを(コトバを通して)聞いているのである。コトバをイメージ(=コトバの意味)に仕上げてしまえば忘れることなどない。従って、相手の言うことを聞く場合もイメージになるまで聞かなければならない。聞き直すこと、質問が必要な場合もある。これはコトバを聞き落としたからではなく、イメージにならない(意味がわからない)からである。だから黙って聞き流して「わかりました」という受付には用心した方がいい。そのときがMAXの臨場感であって、あとは時間が経つほどに忘れていって、「スミマセン」ですますことになる。相手の要件をコトバとして保持するのではなくて、イメージ(=コトバの意味)として保持しておけば、後は、自分のコトバで自分の意志のように伝えることができるから、“連絡性能”は高くなる。

たとえば、先の私の場合だと、今のテラハウスの場合には、パンフレットが「まだできないの?」と一日に何度もお客様に問われる。一日でも早くパンフレットを作らなくてはならない。そして今日のパンフレット校正原稿の件。校正を急ぐ、芦田の要件。これですべてである。「急がなくては」。これが私のコトバの意味(イメージ)のすべてである。ところが、連絡のできない人は、そういった受付業務のイメージ、パンフレット作成のイメージ、連絡のコトバのイメージをすべて捨象して、まるで翻訳機のように、コトバをわざわざバラバラの断片にしてから、ジグソーのように構成しようとする。これでは、よほど記憶力の良いひとでないと仕事ができなくなる。破綻しかない。

〈連絡〉の問題の最後(三つ目の問題)。ここまでは、連絡は受ける人の問題であったが、連絡をする人(連絡を他人にさせる人)の問題もある。というか、人にものを頼むということは、仕事を任せることではなくて、仕事をもっと難しくすることと同じことだということだ。自分の仕事に他人が介在するのだから、仕事が楽になる一方で(人が手伝ってくれるという一方で)、他人の仕事の仕方やその進捗を管理しなければならない。頼んでおいたのに「してくれていない」。約束したのに「守らなかった」。こういった苦情を“中間管理職”からよく聞くが、それならば、頼まなければよかったのである。できもしないことを頼んだり、約束させたりする自分の問題だということをわかっていなかったり、この部下に頼めば、どこくらいのノイズが発生するかを計算しないで仕事を任せる者のことを“中間管理職”という。他人(部下や業者)にものを頼むというのは、仕事を他人から引き受けるよりもはるかに高度で難しい問題なのである。


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