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2000/11/30(木)00:33 - 芦田 - 7485 hit(s)
「私たちの目標は、あくまでこの国の政治を変えようということです。残念なのは、今回ほとんど政策論争を盛り上げられずに終わってしまたということです。今後はもっと政策論争に重点を置いて、大胆な経済政策や日本独自の外交政策を訴えて行くつもりです。同志と共に実践的な政策論争を続けながら、力を蓄え、明日の日本を創る努力を続けていく覚悟です」(11/25 加藤ホームページhttp://www.katokoichi.org/agenda/jikyoku_index13.html#)。
こんなこと、今頃書いて、加藤は何を気取っているのだろう。今回の加藤騒動は、「政策論争」がなかったことだ。だから、加藤が戦いを降りた最大の理由は、(たぶん)たんなるゴシップを突きつけられたということだろう。勝っても負けても、(たぶん)加藤は戦いを降りていたはずだ。(たぶん)最後の段階で野中や鈴木宗男によってかき集められた加藤ゴシップを加藤は突きつけられたのだ。国会筋から聞こえてくる噂では、加藤政権になれば、捨てるのに困るくらい加藤ゴシップが出てくるだろうとのこと。小沢(一郎)であれば、そうなったときに逆に野中や鈴木宗男のゴシップを突きつけるだけの根性はあるのに、それが加藤にはできない。それだけのことだ。
これは、「政治(政治家)って汚い」という問題ではない。そんなことはどこにでも(小さな会社にでも)ある問題だからだ。そうなってしまうのは、結局政策上の対立を前面化しなかったからだ。だから“人間性”が前面化したのである。“人間性”とか“ゴシップ”というのは“内容がない”ということの裏返しにすぎない。内容がないゴシップに内容のない加藤は負けたのである。政治的な対立と言うよりは、単に〈政治〉が欠如していただけである。つまり加藤は、まさに致命的な傷を負ったということだ。それは彼の大先輩である宮沢(喜一)が政治的な凡庸であるのと同じである。それは宏池会の伝統であるのかもしれない。
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